第12話 中立地帯の小邑
フォルラント王国の西には平原が広がっていて、そこにある複数の都市が同盟を結び、国の形を成している。
ユクリス都市同盟と呼ばれるその国は、フォルラントの神器を警戒して早々に講話を結んでおり、両国は商人などの行き来がある。
地図で示された経路は見事に人の目がある場所を避けていて、指示通りに馬を進めるだけで良かった。太陽が沈みかけているので、完全に暗くなる前には着きたい。
(レイスさんはなるべく古城を離れずに、ユクリス側の情報を集めていた……ってことになるのか)
彼がいなければゼフェンかその部下が、アシュリナに危害を加えていたと思う。その状況下で外の情報を集めるための苦労は、察するに余りある。
しかし、それにしても――ずっと変身した状態なのでそう思うだけかもしれないが、レイスさんは武装を込みにしても軽く、お風呂に入れなかった私と違って、甘いような香気を帯びている。
(急に申し訳なくなってきた……そしてお風呂に入りたくなってきた)
「……ん……」
「……目が覚めたか。無理はするな、今地図の場所に向かっている。つい先程国境線は越えた、騒ぎは起こしていない」
「……あの方を、頼みます……私の、ことは……」
(あの方って……アシュリナのことか。まさか、変身したから別人と思われてるんじゃ……)
「お、おい。さっきは分かりにくかったかもしれないが、私は……」
説明しようとするが、またレイスさんは眠ってしまう。そして馬が少し揺れた拍子に、彼のつけている仮面がずれた。
――銀色の髪に、驚くほど整った面立ち。完璧な彫刻とか、人形のようだとか、言葉では簡単に言い尽くせない。
見てはいけないものを見たような罪悪感があって、私はすぐにずれた仮面を戻す。
木刀は背中に背負っているが、先生が話しかけてきたりすることはない――いろいろと話したいことがありすぎて気が急ぐが、今はとにかく無事に目的地に着かなくては。
◆◇◆
都市同盟に所属するグラスべル市。その中心から離れた小村に目的地はあった。
領主が住んでいるとおぼしき屋敷。その裏手に回るように指示されていたので従ってみると、見張りが一人立っている。
移動するうちに変身が解けてしまい、私は元の姿に戻っていた。これで王女だと証明できるかどうかと、緊張しながら馬を降りる。
私が何か言う前に、見張りが駆け寄ってくる――そして。
「おいおい……『もしも』の時が本当に来たっていうのか」
私より少し年上というくらいのその少年が着ている服は、よくよく見ると上質な仕立てのものだった。もしかすると、この屋敷の子息かもしれない。
「あの、事情を説明させて頂いても良いでしょうか」
「ああ、話は聞いてる。うちとフォルラントが戦争にならないように協力を乞うとか、そういう打診が……って、こんな話をしてお嬢さんに分かるか?」
「はい、分かります。こちらにいる方に、困ったときはここを頼るようにと言われて来たんです」
レイスさんも私と一緒に来るつもりはなかったわけなので、事情が入り組んでしまっている――と、まごついているわけにもいかない。
「レイスさんの治療ができるような場所はありませんか」
「っ……分かった、手配を急がせよう。教会でなら回復魔法で治せるだろう」
そこからは話は早かった。彼に案内されて村の教会にレイスさんを連れていき、修道女に治療をお願いする――そして一晩の間、レイスさんには教会で休んでもらうことになった。
◆◇◆
屋敷に戻ると遠慮なく客室に入るようにと言われたが、そういうわけにも行かない――かといってお風呂を希望するわけにもいかず、なんとかして身綺麗にしてから戻ってくるしかないかと考えたが。
「うちの妹が、ちょうど学院から戻ってきている。入浴の世話は彼女に頼んでおこう」
「っ……そ、そんな、いいんですか? 私、ずっと長い間……」
「事情は聞いている……といっても仔細すべてというわけじゃないが。てっきり王国の人間に連れられてくると思っていたが、君は勇敢にも自分で馬を駆ってここにやってきたわけだ。信じられないけど、見たままを信じざるをえない」
「じゃあ、あなたは私のことを……」
「存じ上げておりますよ、王女殿下。よくここまで来られました」
「っ……」
彼が一礼し、柔和な笑みを浮かべる。
私はいわば、幽閉から逃れて亡命してきた状況だ。そんな私をここに置くのは面倒ごとであるはずなのに――。
「おおっ……も、申し訳ない。いや、本当に辛かっただろう。という言葉も軽いか……とにかくなんだ、無事で良かったし、ここまで来れば安心だと……」
「ありがとうございます。心から感謝しています」
「……フォルラントの事情を知らず、簡単に口を出すことはできないが。神器召喚の結果で子供にこの仕打ちをするというのは、理不尽と言うしかない」
「私がここにいることは、まだ王国には知られていないと思います。でも、幽閉先からいなくなっていると分かれば……」
「行方を探すといっても、簡単にここには辿り着かないだろう。王女であることを隠して生きていくというのも一つだが……ああ、妹が見ているから、この話はまた後にしよう」
屋敷の玄関ホールに残され、私は去っていく彼の背中を見ていた。自室が二階にあるのか、階段を上がっていく音がする。
(めちゃくちゃいい人だったな。というか……あの姿、ゲーム時代に……)
「やあ、君が噂の王女殿下か」
さっきの彼の妹君――私より少し年上くらいで、すらりと身長が高く、深い碧色の髪をしている。男性のような装いをしているのは、そういう風習だからだろうか。
「その……殿下は王国で随分と、その……」
「だいぶ酷い目に遭ってしまいましたが、なんとか生き延びています」
言いにくそうにしていた彼女が目を丸くする。気を遣わせてしまうのは申し訳ないし、なるべく空気が重くならないようにしたい。
「私はもう王女でもなくて、ただのアシュリナです。正体を隠す必要があるので、そのうち偽名を考えます」
「……どうやら、勝手に凝り固まった認識を作ってしまっていたようだ。私の名前はフィリスという」
「フィリスさん、よろしくお願いします……あ……」
「私もただのフィリスでいい。敬称をつけられるほど偉くはないよ」
私の手が汚れていることに構わず、フィリスさんは両手で握ってくる。
こんなに距離感が近くていいのかと思ったりはするが、仲良くなれるのならそれに越したことはない。というか、人に優しくされると反射的に涙が出そうになる――無楽先生が見ていたら呆れられてしまいそうだ。




