第11話 二つの神器
『化身解放』で変身していられる時間は限られている。神器の力を引き出すためには膨大な魔力が必要だ――だが。
無楽先生に教えてもらった、魔力を発散させない訓練のおかげで、消費される魔力が抑えられている。
改めて手のひらを見ると十歳の少女の手ではなく、やはり無楽先生の姿に近づいているのが分かる。
「その黒髪、そして異国の装い……何者かが妖術でも使ったか」
「妖術だと思うのは、お主が……いや。お前が神器のことを理解していないからだ」
「……今、なんと言った?」
その言葉が火蓋を切ると知りながら、着物の袖で口元を隠し、私は笑いながら言った。
「レイスに勝ったのはお前の実力ではない。神器によるかりそめの力だ」
「――下賤の人間がっ、この俺にっ、何を言ったァァッ!!」
突進しながらの斬撃。ヒュプノスは片手剣であり、刀身が湾曲している曲刀の一種だ。重量は軽く、それでいて神器としての強度がある――腕力がある剣士との相性は悪くはない。
だが、それだけだ。殺意を込めた太刀は読みやすく、木刀を使うまでもなく避けられる。空振りをするたびに笛のような音がするのは、ヒュプノスの形状によるものだ。
「なっ……ぜ、当たらんっ……ふざけるなっ、俺は……っ!」
「私が先生を追いかけていた時の気持ちがよく分かる。我武者羅に剣を振っても、一生当てられない」
「――黙れぇぇっ!」
振りかぶって繰り出すのは、魔法剣――剣に炎の属性を付与して斬る一撃。
「――それも、悪手」
「うぉぉっ……お……あぁ……!!」
私が木刀で受けようと動くのを見て、ゼフェンは嗤った――しかし。
振り下ろされた剣は再び水の塊を斬る。一度見せた技を警戒しなかった、それはこうして命取りになる。
ゼフェンの裏に周り、木刀を首元に当てる。ここから水平に動かすだけで水の刃は頸を切り落とす――しかし。
「く……くくっ……はははははっ……!!」
哄笑が響く。自棄になっているのではない――この男は勝利を確信している。
「この剣の音色を聞いたな……くだらない茶番はこれで終わりだ……!」
レイスさんがゼフェンに敗れた理由――それは、神器の力を知らずに不意を突かれたのだろう。
ヒュプノスは斬撃と同時に音を発生させ、それを介して敵に催眠をかける。攻撃と特殊効果を併せられることから、有用な神器だと言われていた。
だが――タネが分かっていれば、その手品は意味をなさない。
「まずはお前から殺してやる……っ、俺を愚弄したことを、地獄で――」
木刀が離れたことで術が効いていると確信したのか、ゼフェンは勢いよく振り返る。
だが、それは誘っただけだ。『術が効いているふりをした』だけ。
水を耳に入れるのはあまり心地よくないが、魔力を帯びた水ならば音を防ぐことができる――ヒュプノスの対策は、耳栓をするだけでいい。
「――はぁぁぁぁっ!」
悪鬼のような形相で斬りかかろうとするゼフェンに向けて、駆け抜けながら渾身の横薙ぎを浴びせる。
「うぉ……ぉ、お……?」
ゼフェンは斬られてもなお、自分に何が起きているのか分からず、頓狂な声を上げる――そして。
「っ……が……う、嘘だ……強、すぎる……があぁぁぁぁっ!!」
ゼフェンの身につけた鎧が、斬られたことに遅れて気付いたかのように――メキメキと音を立てて砕け、ゼフェンは仰け反って膝を突く。
「神器を手放し、二度と求めようとするな。また懲りずに私たちの前に現れたならば、その時は首を貰うぞ」
ゼフェンは白目を剥いており、私の声は聞こえていない――だが。
彼が握っていたヒュプノスを放すと、私の手の甲に月のような紋章が生じて、淡い光を放ってから消えていく――ヒュプノスの所有権が私に移ったということだ。
「――お前たちの素性は分かっている! この不逞の輩を連れて立ち去れ!」
ゼフェンの手下の中に意識を取り戻している者がいるのは分かっていた。彼らは這いつくばるようにしながら、ゼフェンを引きずって逃げていく――そこに、あと一押しをしておく。
片手で印を結び、魔法を使う。私が使ったのは周囲に雨を降らせる魔法。見張り塔の火を消すためだが、ゼフェンの部下たちには脅しとして働いた。
「ば、化け物……剣も、魔法も、こんな怪物がいるなんて聞いてない……!」
「畜生、こんなところでっ……!」
鎮火に手間取っていた守備兵が、逃げようとする王国兵たちを追い始める。私は彼らに見咎められる前に、倒れているレイスさんを抱え上げて走り出した。
「……ありがとう。あなたが外に出してくれたから、私は……」
レイスさんは気を失っているが、幸い息は落ち着いている。手当てを頼みたいが、もし私が元の姿に戻ってしまうと素性を隠すのは難しくなる――だから、別の方法を取らなければいけない。
(レイスさんが頼るようにと言っていた人のところに行くしかない。このまま走るには距離があるな……ん?)
前方に、王国兵が乗っていた馬がいる――その頭の上に乗っているのはリクだった。
「チュー」
「いつの間に……でも、助かった……っ!」
同じ動物同士で意思の疎通ができるのだろうか。私たちが乗っても馬はまったく暴れたりせず、言うことを聞いてくれる。
私はレイスさんを抱えて手綱を握ると、彼が描いた地図に従って馬を走らせた――向かう先は、森を隔てて向こう側にある中立地帯だった。




