聖女と結婚するから側妃になれとはどういう事かしら
公爵令嬢ジュリエットは幼い頃から父と亡き国王との間で第一王子との婚約が取り決められ、嫁ぐ日に向けて王妃教育を受けて来た。
王妃ともなれば淑女としての教養だけでなく自国の歴史は勿論、友好国の言語や文化や歴史、そしてなにより政治能力を求められる。
努力家であった彼女は毎日勉強をこなし、結婚適齢期になる頃には誰もが国母に相応しいと認める程の教養と人徳と政治能力を兼ね備えていた。
しかし最近事情が変わって来て、ジュリエットと第一王子であるフィリップの婚約を解消する気配が見えていた。異世界から30年ぶりに聖女が降臨したのだ。
この国ではどんなに無害な動物でも、吸い込み続ければ忽ち凶暴な魔物と化してしまう瘴気が発生する箇所が存在している。瘴気を減らすには浄化するしかないが、力に長けた神官でも人里まで広がらないよう抑え込むのが精々である。
ところが聖女はその浄化能力がずば抜けており、あっという間に国全体の瘴気を浄化するばかりでなく、彼女が生きている間は瘴気の発生を抑え込む事が出来るのだ。
その為聖女は王族と同等に尊いものとされ、神殿では神の御使いとして祀られる。
そんな聖女が先代が亡くなられてから30年、漸く降臨したのだ。待望の聖女の来訪に国中は三日三晩かけてお祝いし、貴族も平民もこれで安心だと涙を流して喜んだ。
純朴で善人であった今代の聖女リサは浄化の依頼を快く引き受けてくれ、アレッサンド王国は漸く安寧の時間を再び得たのだ。
瘴気を浄化したからといって聖女は元居た異世界に帰れる訳ではない。今度は抑えてもらう為に生涯この国で暮らしてもらう事になる。
故郷を思い出し大層嘆くリサを、フィリップはこの国の王子として誠意をもって対応した。ジュリエットも同じ女性の視点から彼女を日々慰めた。
友人も出来、2人の尽力もあってリサは少しずつ回復していった。自分達の都合で振り回してしまって申し訳ないが、いつかこの国も好きになってくれれば良いと2人は微笑み合った。
ところがどんな巡り合わせなのか、フィリップとリサはお互いを意識するようになった。
フィリップは美青年だし、リサのこの国では珍しい黒髪黒目は大層神秘的に映る。ジュリエットとの婚約は政治的なものであるが故に、惚れた腫れたに発展するのはある意味必然と言えよう。
それでもリサはジュリエットという婚約者がいる手前、罪悪感であまり表に出そうとはしなかったが、問題なのはフィリップの方であった。母親を幼い時に亡くし、父も王族としての心構えを授ける前に亡くなってしまったからであろうか。
恋の病に完全に現を抜かしてしまった彼は、婚約者よりも聖女をあからさまに優先するようになり、段々と2人の時間も少なくなっていった。
そんな訳だから「君との婚約を解消し、新たにリサを婚約者にする」と言われた時は特に反論も無く従った。聖女は王族と同等の身分であるし、王族と聖女の結婚は過去に前例もある。そちらは何の問題も無い。
ただしその次の言葉は頂けなかった。この自分に「側妃になれ」などと。なのでこう言ってやった。
「恐れながら殿下、それは無理なご相談でございます」
「何故だ!?お前が王妃となる彼女を支えてくれたら心強いのに!?」
王族なのに見通しが甘過ぎると心の中で首を横に振る。彼の隣に居る聖女もショックを受けたような顔をしていて、もしかして快諾してくれると期待していたのだろうか。
自分は良識と常識に則った対応していただけで、特に彼女を生涯支えたいと思った事はないのだが。
そもそも公爵家の、しかも長年王妃教育を受けてきた娘を側妃にしようと考える事こそが無茶苦茶なのである。
「殿下がリサ様と御成婚なさる場合、私は隣国の王太子に嫁ぐ事が議会で既に決められているからです」
全てはこの事を告げられる前から決まっていた。2人の距離が縮まっている事は臣下達の目にも明らかだった。そこで彼女の父は聖女が王妃になる場合に備えて事前に手を打っていたのだ。
もし第一王子が聖女と結婚した場合、ジュリエットは突如として婚約者が居ない状態になってしまう。
第二、第三王子は別に婚約者が既におり、かといって王妃教育を修めたジュリエットが側妃になるのはあり得ない話である。
王妃教育は時間がかかれば金もかかる。今までかけたコストを捨ててまで側妃にするのは現実的でないし、第一彼女の父親がそんな事許さない。
その為議会は彼女と釣り合う相手を急ピッチで探し、隣国の王太子を見つけたのだ。もしフィリップが聖女と結婚する旨をほのめかせていれば直ぐさま使者が派遣されるようになっているので、今頃は馬車に揺られているのだろう。
「そんな……なら彼女の補佐はどうすれば……」
あてが外れたと額に手を当てて途方に暮れる彼の姿を無感情に見詰める。完全に自分が側妃に納まる前提だった考えには呆れるしかない。
「政治能力に長けた伯爵以下の家の令嬢をお探しになれば、どうにかなるかもしれません」
一応助言しておくがこの方法も上手くいくかどうかは分からない。政治能力がある令嬢は人気で競争率が高い。大体の令嬢は相手が居るし、まだフリーの令嬢が居たとしても王子が側妃を探しているなんて話が耳に入れば、親が慌てて縁談をまとめてしまうだろう。
王妃よりも下の立場で王妃と同等の責任を背負うなんて割に合わない事、まともな親なら自分の娘に課したくないのだ。
もし王家の為にそうなっても良いと、奇特な人が見つからなかった場合に備えて忠告しておくべき事がある。
「リサ様、協力的な側妃が見つかったとしても王妃にしかできない仕事はございますし、王宮には様々なしきたりがあります。それを全てこなさなければなりませんし、王妃である貴女の姿を周囲は常に見ているでしょう。
それでも側妃としてではなく、王妃として彼の隣に立ちたいというのであれば私は身を引きます」
「はい、覚悟はしております」
膝の上に乗せた拳を握る彼女の姿に何処まで届いたのやらと思う。
恐らく王妃になるという意味を彼女なりに考えてはいる。だけど平民の出だからか仕方ないかもしれないが、どこか楽観的なのだ。
ただでさえ聖女の仕事があるのに加えて、王妃の仕事も重なれば自由な時間は殆ど取れないだろう。日々の謁見に加え、数多ある行事や地方への視察、外交、寝るまでスケジュールはみっちり埋まっている。
生粋の王女でも息が詰まるような忙しさに参って鎮静剤の世話になる事もあるというのに、淑女教育すらまだまだな彼女に務まるかどうか。
それに王宮は華やかなだけの場所ではない。王族や王妃にすり寄って甘い汁を吸おうとする者、自分こそが影の支配者として君臨しようとする者、醜聞を面白可笑しく周りに広める者、そういう敵対者と戦わなければならないのだ。
よしんば頼もしい味方のおかげでこれらの問題を全て退けたとして、今度は世継ぎの問題が待っている。結婚も出産も究極的には自分の意思で決められた頃の立場と違って、王妃になれば跡継ぎの男児を産む義務が降りかかるのだ。
側妃が居ない場合は男児を望む周囲のプレッシャーが1人にのしかかる上に、彼との初夜はカーテン越しとはいえ多くの貴族が見守る中で行われる。
生まれながらの王子であるフィリップは当然として受け止めているが、平民出身の彼女がこれに耐えられるかどうか。
考えれば考えるほど彼女の今後は前途多難としか思えないが、一応忠告はしておいた。
「ではこれにて。後に我が家から正式な婚約解消の使者が来ますので」
ジュリエットは立ち上がると彼の部屋を出る。他にも言いたい事はあるが、言ったところで聞き入れやしないだろう。
ドアが閉まる直前、2人はお互い安堵の笑みを浮かべながら見つめ合っていた。
その後隣国への輿入れの準備で忙しく、2人と顔を合わせる事なくジュリエットは嫁いで行った。
ジュリエットが隣国の王太子妃となって半年、婚約期間の無い結婚であったが中々どうして上手くいっていた。
夫となったシャルルは他国から嫁いでくれた彼女を気遣ってくれ、ジュリエットもまた彼の、夫としてや次期国王としての姿勢に惹かれつつあった。
ゆっくりではあるが夫婦として歩み寄る彼等の様子に、周囲も微笑ましそうに見守る日々が続き、気付けばあっという間に半年が過ぎていった。
王室同士の交流パーティに、フィリップ及びリサ夫妻が国王夫妻の名代としてやって来たのだ。
輿入れへの準備期間も含めれば約8か月ぶりの再会となる。彼等と挨拶を交わした際、ジュリエットはある点に気付いた。
(リサ様、お痩せになったような……?)
リサは以前よりも若干痩せていた。雰囲気も全体的に覇気が無く、どことなく疲れているようだ。
フィリップも彼女への接し方が少しぎこちなく、以前あれだけ放っていた熱愛オーラがすっかり萎えてしまっている。
「長旅でお疲れのご様子ですね。お部屋のご用意がありますので、どうぞ休んでいらしてくださいね」
「お気遣い頂きありがとうございます……」
取り敢えず元気の無さを一時的な疲れという事にして休息を促す。夫なら2人の様子の変化について何か知っているかもしれない。
「確か君は以前フィリップ殿下と婚約していたね」
「ええ……。聖女のリサ様との婚姻を表明したので、こうしてあなたとの婚姻に至ったのですが」
気になっていたのが分かっていたのだろう。自分達の部屋に戻ると彼の方から話を切り出してくれた。
「どうやらあの2人、あまり上手くいっていないようなんだ」
「そうですか。何となく予感はしていたのですが」
やはりそうだった。王子と聖女が愛で結ばれる。とても夢に溢れたエピソードだが、結婚後には現実が待っている。
確かあの2人の結婚はジュリエットの結婚から直ぐだ。この半年間リサは洗礼を受け続けていたのだろう。
側妃であれば大目に見られる事も王妃となればそうはいかない。フィリップの寵愛を受けているから表立っては何かされていないが、その分陰で色々と囁かれるのだ。
加えてフィリップは平民の価値観が分からない。産まれた時から傅かれ常にお目付け役が目を光らせていた身としては、彼女から不満を訴えられたとしても、不満に思う感覚を理解出来ずに持て余してしまうのだろう。
でも仕方がないのだ。あの時「側妃」という逃げ道も用意してあげたのに、結婚すると決めたのは彼等なのだから。確かに平民の価値観を持つリサは愛する人に別の女性が居るのは受け入れにくいし、フィリップも愛する女性が妻であればどれ程素晴らしいかと夢を見ている部分があった。
夢を見たいのは分かる。今までの価値観を覆すのは大変だとも分かる。しかし現実が見えていなかったらその先苦労するのは自分達なのだ。
「恋愛と結婚は違うとよく言うものだけど、フィリップ殿下も惜しい事をしてしまったね。恋の為に伴侶として相応しい君を手放してしまうなんて」
「それがお二人の選択なので……」
夫からの掛け値無しの賞賛に紅茶を注ぐ手がブレる。他ならない彼からの言葉なのだ。あの2人には申し訳ないが正直悪い気はしない。
そもそも前例だって当時の聖女が上流階級の出身だから上手くいっていたのに、同じだと考える方が間違いなのだ。
婚約解消を切り出された時、身構えていてもいざ切り出されると想像以上に悔しかったのを今でも覚えている。王妃として相応しくあれるようずっと努力し続けてきたし、婚約者としても彼に尽くして来た。しかしフィリップはそれら全てを簡単に無へと帰したのだ。
王妃となる為に沢山の事を我慢して来た。もっと友人と遊びたかったし、これ以上の勉強は嫌だと投げ出したい気持ちも何度も湧いた。それでも我慢したのは周囲や彼の期待に応えたかったからだ。
これでリサが王妃に相応しい素晴らしい女性ならば文句も出て来なかった。しかし恋愛で全て決められてしまっては、こちらは太刀打ち出来ないではないか。
公平性に欠けた王妃選びは単なる茶番でしかない。その瞬間情は消え失せ、自分の中には虚無しかなかった。
2人に予想しうる苦労を懇切丁寧に説明しなかったのは意趣返しでもある。そんな事を考えつく自分は性格が悪いが、そうでもしなければ過去の自分が報われない気持ちがしたのだ。
「だが彼のお陰で君と結婚出来た。そこは礼を言いたいな」
「もう、あなたったら……」
平静を装っているが彼の事だ。顔の火照りは見抜かれている。
かつての婚約者から別れを告げられたのは確かに怒りが湧いたが、そのお陰でこうしてシャルルと出会えた。
肌で感じる文化やしきたりの違いに戸惑う事も多いが毎日が充実している。仮にフィリップの元に嫁いでも得られなかっただろう遣り甲斐に満ちた日々は、彼女の心に疑いなく幸福感を与えていた。
折角の機会だ。交流期間中幸せな自分の姿を沢山2人に見せてあげよう。もう変な罪悪感を抱かなくて済むように、むしろ羨ましいとすら思われるように。