二話//新生3
そいつは、木々の隙間を縫うようにスルスルとうねりながらやって来た。ぬめりのある細長い体は黒く、青い血管のような紋様が浮き出て脈打ち、体毛は存在しない。手足の無い体を空中に泳がせ、如何な仕組みで浮遊しているのかも不明なその存在は、能面そのものが無理矢理生身に接合されたような継ぎ目を見せながら、声無く咆哮し大気を震わせる。その周波がヒジリの耳に届いたとき、彼はまともに立っていられず地面を転がっていた。
「う、おえぇっ……」
「グッ……おいお前、気をしっかり持つニャ!」
肉体内部を狂わせるその振動波こそ、能面の死駆罰孔が持つ固有の幻想。聴覚から脳へ作用したそれは、ヒジリに強烈な『悲しみ』をもたらしていた。手足から力が失せ、気力が消え、涙が溢れて止まらなくなる。何に起因するかも分からない巨大な感情の波に、ヒジリは泣きながら嘔吐くことしかできない。鞄から飛び出したカスパルが声を掛けるも、深い悲しみの淵にある者にとって他者の声など雑音に過ぎず、何ら効をなさない。自らの術中に嵌まった者が苦しむ様を見て、能面は表情を変えぬままケラケラと無音で嗤う。ほんの少し前、激しい高揚を与え喜びのまま跳ね飛んで山を転げ落ちた獲物のように────この獲物も、自らに逆らうことはできないのだと、無邪気な支配欲を満たそうとしている。それを────
「あんた、何がおかしいのよ」
────それを、赦さない者がここに居る。桜花の燐光を纏う者、理不尽を砕く希望の契約者である。魔法少女グロウブルームの、赤い鋏が能面を打ち据える……!
「おおりゃああああッ!!」
「────────!」
閉じたままの鋏を大剣のように叩きつけ能面を後方へ大きく吹き飛ばすと、グロウブルームは身を捻って近くの木へと横向きに着地し、次の瞬間、弾丸のように飛び出した。仰け反るように頭を跳ね上げられた能面へ瞬く間に距離を詰め、鋏を振り回すことで生じた運動エネルギーを利用し減速、そのまま大きく鋏を開いて敵を両断せしめんと迫る。そうされては堪らぬと能面はさらに仰け反り、長い体を仰向けに折り畳むとグロウブルームを上方へやり過ごし、咆哮の餌食にせんと顔を彼女へ向け────その目に、鋭い影が突き刺さった。
「────!?────────、────!!」
「大当たりよ、バケモン!チップをくれてやる!」
投擲────閉じた鋏を槍のように投じたグロウブルームの一撃が眼球に突き刺さり、能面が青黒い血をばら撒き悶える。瘧のように震えるその頭部目掛け、桜色の装束が隕石のように落下した。高く振り上げた踵は大気摩擦のように燃え、輝き、正しく星の衝突が如き破壊を生み出す!
「ハアッ!!」
「────────────!!!?」
流星にも似た踵落としが、能面に突き立った鋏を杭のように打ち込んだ。再び吹き出す青黒い血をものともせずに、グロウブルームは着弾地点の踵を起点として跳ね上がり、宙返りをする。頭から落下するような体勢となった彼女は、両腕を交差させると最高速で両の手刀を鋏のそれぞれの柄にぶつける。能面に深く打ち込まれた鋏は閉じた状態である。それを無理矢理開くことは即ち、半円状の斬撃を体内に生み出すことに他ならない────!
「裏・椿落とし!」
傷口から強烈な桜色の光を放ちながら、能面が頭部から首にかけて甚大な裂傷を負い崩れ落ちる。グロウブルームは能面の顔を蹴って鋏を抜き、ふわりと山の斜面へ着地した。あまりにも一方的な戦闘が、彼我の力の差を如実に表していると、彼女は思考する。
「────弱い。一人食べてなおこの程度、そもそもが大したことのない死駆罰孔なのね、貴方」
今や地虫のように這いずるのみの能面へとどめを刺すべく、グロウブルームが鋏を開き、持ち上げた。開いた状態で固定された鋏は、総身が刃と化したブーメラン状の長大な刃物になる。片方の柄だけを持ちこれを掲げると、さながらそれはギロチンが如き様相を呈する。グロウブルームは得物を振り下ろすべく腕に力を込め────「危ない、右!」
「ガッ、あ────」
猛烈な勢いで叩きつけられた衝撃に、グロウブルームが吹き飛んだ。数瞬前の吶喊を辿るように吹き飛んでくる彼女を見ながら、ヒジリは後悔と共に両腕を広げ、地面を蹴って後ろに跳ねた。
「うっ……!!」
重い物がぶつかる衝撃と痛みに呻きながら、ヒジリとグロウブルームが回転しながら地面へ転がる。抱えた彼女を庇うため固く抱き締めたまま悪路を転げたヒジリは、擦り傷や打ち身を我慢してよろよろと体を起こし、前方を見る。痛みから出た涙で歪む視界の先、ギラギラと輝く双眸がこちらを見ている。それはまるで、車のハイビームにも似て────
「まさか……そんな…………」
「無事かニャ!まったく無茶をして、変身前でもある程度動けるとはいえ、打ち所が悪ければ死ぬんだぞ!」
「ム、グロウブルーム……意識はあるか?」
技士たちが駆け寄ってくるなか、ヒジリは胸の下を締めつけられるような気持ち悪さに襲われていた。能面の技を受けたときとは違う、本能的な恐怖による萎縮である。記憶は無くとも体が覚えているのだ、安久津ヒジリの死因となった者の存在を。
「か、カスパル、あれだ、あいつだ……!!」
「ニャにッ、そんな偶然……いや、無いと否定する材料も無いか。クッ、ヴェルク、そっちは!」
「ムム……肋二本腕一本、負傷が重いがそれ以上に意識が無い点が不味い」
「チクショウが、こうなったらお前!今ここで……変、身を…………?」
カスパルが焦りながら振り仰いだ先に、ゆらりと立ち上がる者がいる。泥だらけの擦り傷まみれで立つか細い体が、今は何か奇妙な圧力を放っていた。カスパルは怪訝な様子で目を細め、やがてそれが精神的な影響ではなく、魔力であると理解する。今まで欠片も魔力を発していなかった者が、安久津ヒジリが爛々と目を輝かせ、端末を片手に立っていた。