一話//チュートリアル2
「死に際に何を考えたか?そんなこと────」
おおよその人間が『死にたくない』と考えるに違いなかったし、己もきっとそうだったのだろう、と、そこまで考えてヒジリは自分がそのことをまったく覚えていない点に気がついた。
「────覚えて、ない」
「フゥン、やっぱりニャ」
曖昧な心情がそのまま顔に出ているヒジリを見ながら、猫はしたり顔で言葉を続ける。
「契望者の変身や魔法には契約の要となった『後悔』が強く影響をするニャ。『美味しい物をたくさん食べたかった』『スポーツで活躍したかった』『やり残した仕事がある』そういう後悔を燃料に焚べて燃え上がった『望み』が、死駆罰孔の空想を塗り潰す力になる」
「逆を言えば、後悔も望みも持たない者は魔法を発現させることは出来ない」
「つまりお前…………ただのホームレスだニャ」
「おいオチィ!」
思わずツッコミを入れたヒジリに、猫はフンと鼻を鳴らす。面倒だという気持ちが前面に出たその態度に、ヒジリは就職活動中に出会った面接官を思い出し、怯んだ。
「う……いやでも、体はこうして変わっちまってるんだぞ?つまりそれってお前の言う契約が既に結ばれてるってことなんじゃねえの?」
「ニャオン。だから可笑しいんだニャ、契約機構はあくまでもシステム、情も無ければエラーも無い。つまりお前にも確実に魔法はある筈なのに、それが思い出せず、変身も出来ない?異常事態だニャー」
「えっ、じゃあその、このままだと何かペナルティ的なものが科されるとか……?」
「いや、それはない。でも、魔法は契望者の生命線だからニャア~、このままだとお前、夜のお散歩猫探し高給バイトか脂ぎったオジサン相手にサービス業するしかなくなるミャン?」
「オエエッ」
ヒジリはえづいた。彼にとってアイデンティティの危機となる未来が迫っていたからだ。そして、一度死んでもなお職と金に追われていることに気付き、ヒジリは涙した。熱い雫が頬を伝い、猫はそれを呆れた顔で見ていた。
「ハイハイ、取り敢えず対策を考えるミャよ。こちらとしても世話してる相手が成果ゼロで潰れちゃ面目立たんので」
「ハァ、ハァ……ん、そういえばお前、今までスルーしてたけど、一体どういう立場のヒト……猫なんだ?」
「ミャーかニャ?」
猫はヒジリの言葉を受け四肢を伸ばしながら背を丸める独特の伸びをすると、前足を揃えて座り直し彼を見上げた。
「ミャーは端末に備え付けられた補助アプリのような者、対話型アシスタントAIみたいな存在と考えてくれれば概ね正解だニャ」
「アラーム設定してくれたりするヤツ?」
「の、高性能版だニャー。改めて自己紹介しとくかニャ?ボクは契約遵守技士、個体名はカスパル!よろしくニャー」
「ああ、安久津ヒジリです、よろしく」
「変に律儀なヤツだニャ、嫌いじゃニャイけど」
猫と人、互いに頭を下げ合う状況に奇妙な感覚を抱きつつ、ヒジリは猫────カスパルと挨拶を交わした。聞いた話ではカスパルは生物では無いらしいが、ここまで感情豊かで個性のある存在を無碍にすることは、ヒジリには出来そうになかったからだ。実際満足そうに首を伸ばしたカスパルの様子に、ヒジリは彼を蔑ろにしないよう気をつけようと心した。そんなヒジリの内心など知らないカスパルは、ウロウロと屋内を歩きながら考えを纏めているようであった。
「肉体が変化している以上、問題なのは望みが思い出せないこと一点だと考えていいかもニャ。とすると、ハードではなくソフトの修復を図るのが当然だとして、手段は?データに接続する術が壊れているのか、データ事態が削除されているのか。ショック療法は論外として、手っ取り早く試せるのは対話形式で記憶を精査することかもニャア」
「つまり、じっくり記憶を浚って思いだそうってことか」
「そういうこと。ただこれはかなりのストレスを伴う作業かもニャ。何せ自分の死因をじっくり思い出すことに他ならないわけだからニャア」
「それは……問題ないかも」
「アォン?」
ヒジリは胸に手を当て、目を伏せた。
「不思議と怖くないんだよ、死んだこと。死にたかったわけじゃないんだけどな」
「フムン、その執着の無さが変身出来ない原因に関わってるかもニャー……。後悔も望みも薄いのか、契約出来てる以上そんなことは無いのだろうけどミャ」
「まぁとりあえず出来ることからやろう、健全な収入のためにも」
「ウム。それじゃあまず聞くけれど、お前、死ぬ直前のことを手短に詳しく説明出来るかニャ?」
「手短でいいのか?」
「ひとまずは」
「わかった。…………ええと、その日は俺、結構酔ってたんだ。就職が上手くいかなくて、不安やストレスを紛らせるために酒に逃げてた。ハシゴの深酒で覚束ない足で、信号が点滅しっぱなしの深夜の道路を歩いてたんだよ。ミゼラブルノイズの『ライク・ア・ローリングハート』を歌いながら、道の真ん中でヘラヘラしてた」
「控えめに言ってカスだニャ」
「お前さぁ!人がさぁ!恥を忍んでぇ!」
「すまんニャ、つい。続けて?」
「クソッ……えーっと?で、歌いながら歩いてたんだよ。それで、酔いが回り過ぎて足が縺れたんだ。それで転んだら目の前に強烈な光があってさ。多分車のヘッドライトかな?ハイビームの光に照らされて、それで……そこから意識が無くなった、死んだんだと思う」
静かに話を結んだヒジリに、カスパルは無言で二度尻尾を揺らした。それから斜め上方を見るでもなく見て、暫く黙考してから、彼は口を開いた。
「疑問が二つあるニャ。はっきりとした解答でなくて良いから答えて欲しいニャ」
「ああ、どうぞ」
「まず一つ。お前、強かに酔っていたにしろ、そこまで記憶のはっきりしているヤツが、車の接近に気づかないのは違和感があるミャ。そこのところはどうかニャ」
「うーん。酩酊状態だし、そのときにはもう足が縺れるくらいだったんだぜ?あり得ないってこともないんじゃないか」
「まぁ一旦それで納得するとして。じゃあ次ニャンだけど、」
カスパルは一度言葉を区切り、自分の語る内容を自身も確かめるようにしてゆっくりと問い掛けた。
「お前が最後に見た光、それは本当に車の光だったのか」
「え、どういうことだ?」
カスパルは目を細め、ヒジリを睨め上げる。
「人が死に際に発する感情へと誘引されるのは、何も契約機構だけじゃない。例えば、半ば精神的な生命体で、人を死の恐怖に駆り立てて満足を得る快楽殺人が目的の存在ならば、あるいはギラついた両の目で死に際のお前を眺めていても不思議ではないと思ってニャ」
「!?」
驚愕と恐怖が同時に背筋を駆け上り、ヒジリはブルリと身を震わせる。音も無く忍び寄り、理解の及ばない方法で人を殺しながら、それを悦び眺める存在。それは────
「死駆罰孔────!」
「あくまで仮説ではあるけどニャ。でもそうだとしたら、お前の記憶が損なっているのにも一応の説明がつく」
「ど、どういうことなんだ」
「死駆罰孔の殺人は摂食に近いと言ったのは覚えてるかニャ?つまり奴らはガムを噛むように人間を殺し、その死に際の感情を味わっているニャ」
「腹の満ちない摂食か……それが記憶を損なうのは、何でなんだ」
「文字通り食われたから、ニャ。ガムが味と形状を失い復元出来ないように、奴らは人間の感情を噛んで、吐き捨てる」
「捨てられたガムは最早、嗜好品ではなくゴミにしかならない……」
「感情と命も然り、ニャ」
胃の腑を抉るような気持ちの悪さがヒジリを襲い、彼は俯いて握り拳を固めた。自分の人生がガムのように吐き捨てられたと聞いて、とてもではないが冷静ではいられなかったのだ。腹の底で沸き立つのは嫌悪と怒りが綯い交ぜになった感情の煮え湯であり、捌け口を定めた憎悪であった。そんなヒジリをよそに、カスパルはあくまで冷静に分析を進めている。
「しかしそうなると契約が結ばれたことに疑問が生じる。無い物を糧に契約をすることは出来ニャい。なら考えられる可能性は……もしかすると、奴らの摂食が半端に終わった可能性がある……のかニャ?」
「えっ、どういうことだ?」
カスパルの口にした奇妙な推測に、ヒジリは一時怒りを忘れて話の続きを促した。
「ウム。つまりお前は、摂食の最中に別の要因で亡くなったのだ!」
「うっ、それってまさか……」
「急・性・ア・ル・中!」
「うわああああっ!?」
今までの怒りはどこへやら、ヒジリは頭を抱えてしゃがみ込み、カスパルは冷たい目で彼を見ていた。
「あるいは頭部を強打からの脳出血由来かニャー。何れにせよ情けない」
「ううっ、バケモンに殺されて散ったならともかく、アル中が死因じゃカッコつかねェよ!」
「死んでるのに体裁を気にするのが可笑しいと気づけ。ニャン」
「そうだけどさぁ~」
「うだつの上がらない無職にそもそも面子や体裁があるのかニャ?ミャーは疑問だニャ」
「そろそろ止めよう、心が冷えてきた。はいヤメヤメこの話おしまい!」
強引に話を打ち切り、ヒジリはカスパルと顔をつき合わせる。
「それでカスパル先生、俺が変身出来ない問題の解決は出来そうなの?」
「ム……出来なくはなさそうニャのだが」
「だが?」
「あくまで理屈の上で出来そうというだけで、成功する確率は低めだニャー。しかも」
「しかも?」
「やっぱショック療法が必要かもだニャ」
「えー……」