五話//セブン14
イレギュラー。不足の事態。特例、別件、急なご依頼……。とにかく、突然飛び込んでくる異常事態というのは、人に強いストレスを与えるものである。それが、自分に危害を加えるかもしれないものならなおさら。
「嫌だ、嫌だッ!し、死にたくないっ」
震えながら病院の通用口から駆け出したのは契望者、八角トビオである。自分にしか見えない鳥型の使い魔を飛ばしそれと視界を共有する魔法『覗視点視』という便利な技を持つが故に、葉芝ヨシノにこき使われていた魔法少女だ。トビオは気弱でストレス耐性が無く、小言の多い上司に胃を痛めるヘビースモーカーであった。大きな銀縁の丸眼鏡にオーバーサイズのコートを羽織る姿は、タールの重い銘柄を吸いそうにない見目をしている。しかしその前世は、立ち入り禁止区域に侵入しあれこれと撮影をしては動画サイトにアップロードをする迷惑系配信者であった。話術が拙すぎたために再生数が伸びず、ムキになって危険な場所へ足を踏み入れ滑落死した愚か者であるが、平時では人並みに危機を避ける生存欲求のある人間であった。
「橘が葉芝をころっ、し、した!ありえない、ありえない……!!」
そのトビオが何故、必死になって逃げるように病院から出てきたのかというと、本当に偶然、上司のご機嫌を伺うために飛ばした魔法で死闘を繰り広げる二人の契望者を発見したからである。トビオなど足元にも及ばない強者の血戦は、橘ミエリの勝利で幕を下ろした。さてそうなると、今までヨシノに与してミエリがこき使われるのを傍観していた者はどうなるか。
「次はオレだ……橘は葉芝の腰巾着をやってたオレたちを恨んでいるに違いないッ」
そういうわけで、トビオは逃亡した。ヨシノに頼まれてミエリをそれとなく見張っていたことは当人にバレていたに違いないし、そうでなくてもミエリはあの剣幕であったから、ヨシノ派の人間を皆殺しにでもするに決まっている……そう見立てたトビオは、とにかく必死であった。自分がどこに向かっているのかもわからずに走り、やがて数名の人影が見えたことで自分は市街の方へ逃げたのだと安心して────
「助け、ヘブッ」
「あちょー!!成敗でっす!」
「問答無用っスねミューたんさん……で、コレ誰よ」
「誰でも、目撃者はマズいから寝かすしかないわ」
────微風のように首に巻きついた腕に、瞬時に絞め落とされて意識を失った。それを見下ろして微かに眉を動かしたのはグリッターシャインである。他の二人が変身を解除しているのに対し、彼女だけは桃源ユウリを運ぶために変身を維持したままであった。抱えた人間をなるべく揺さぶらないように少し屈むと、ハクシュウが絞め落とした人物の顔を覗き込むが、その顔に見覚えはない。いずれにせよこの病院の敷地内で遭遇する女性はみな潜在的な敵であるからと納得しつつ、彼女は顔を上げた。
「人が居るってことは、もうそろそろ余裕が無くなってくるなー。ミエリが今、何してるか確認しないと」
「じゃあ、ぐっすり眠って元気いっぱいの人!よろしくぅ!」
「はぁい!でっす!」
「────その必要は、ありませんわ」
不意に届いた声へと一同が目を向けると、そこには血の滲んだ衣装を纏う橘ミエリ……ムーンウェイブの姿があった。顔色悪く、解れた髪をそのままにした彼女は、一同の顔を見て、それからグリッターシャインの腕の中へと視線を向けた。静かに細く呼吸するユウリを暫し見つめた後……ムーンウェイブは微かに睫毛を震わせた。その顔に表情は無く、彼女が何を考えているのか、その場の三者には知る由もない。しかし、何か大きな感情の動きがあったことだけは察せられた。なにせ、ムーンウェイブがこれ程までに自身を取り繕わずにいた場面がこれまでなかったからだ。いつもの微笑む仮面を纏えず無表情のまま佇む姿に、グリッターシャインは等身大の橘ミエリをようやく目にした気がした。
「探し人はこの人か?」
「……ええ、ええ。…………ありがとう、皆さん」
「ああ。でもまあ、こっちも事情があっての協力だしな」
「それでも、感謝いたしますわ。この時をどれほど待ったことか……」
感慨深げに吐息混じりの言葉を口にしつつ、ミエリは手に持つ軍刀を振り上げた。突然の暴挙に表情の険しくなる一同へ軽く微笑むと、彼女はそのまま地面に転がるトビオへ近づいていく。あからさまに凶行を予告する振る舞いに、堪らずグリッターシャインが声をかけた。
「おいっ、殺すのか」
「こいつは例の監視能力者ですわ。意志薄弱で長い物に巻かれる性質の、最も信用ならない類の人間です。殺します」
「どうしてもか」
「どうしても。それと────」
流し目がアキラを捉える。より正確には、その背におぶられた井苅ミントに。アキラは身構え、目つきを鋭くした。
「正気?この子が何歳かアンタなら知ってるよね」
「勿論。ですが、子どもだろうと脅威は脅威」
「自分から外道に堕ちるような子とは思えないけど。大人相手のケジメってんなら邪魔しないわ、でもこの子は違うでしょう」
「法の庇護下に無い存在が常識や倫理を問うのですか?ましてや貴方が」
「……一つ教えてあげるけど、ならず者も人間なのよ。最低限のルールがあって、それを破ったやつはもう人間じゃない」
「わたくし、復讐のために人を殺しました。もう人間じゃありません」
「これっぽっちも思ってないけど言っておいてあげる。情状酌量の余地があるやつはまだ人間扱いできるわ」
「そう…………そう、かしら」
ゆっくりと、ムーンウェイブの腕が下ろされる。微かに震えるそれを見て、ああ、こいつは振り上げた刃をどう下ろしていいのか分からなかったのかと、グリッターシャインは理解した。極限にまで憎い相手だろうと殺しは殺し、それを呑み下して正義とするにはあまりにも彼女は常識的だったのだ。一生消えない十字架を背負ったと感じた瞬間、人はときに自暴自棄になる。目の前の人物もそうだったのだろうと考えながら、グリッターシャインはムーンウェイブへと近づいた。どこか怯えるような顔つきになった彼女へ、腕の荷物を差し出す。この女には人ひとり分の重石が必要だと思ったのだ。
「ほら。受けとれよ」
「あっ……」
僅かに躊躇い、それでも両腕を差し出したムーンウェイブにユウリを受け渡すと、彼女はその重さを感じた瞬間に泣き出してしまった。そうしてそのまま泣き崩れるムーンウェイブを見下ろしながら、グリッターシャインは仲間二人に呼びかけた。
「とりあえず部屋に戻る?明日になって姿を消してたら、葉芝殺害の犯人だって自供してるようなもんだし」
「どうかしらね、呑気に寝てたら袋叩きにあう可能性もなくはないわ」
「はいはあーい、ミューたん的にはミントたゃとかアマネっちから暴露ボンバーがあったらヤバたんだと思うから、おウチに帰りたいでぇーす!」
「あーね、じゃあ逃げて様子伺うかな。とりま監視能力者は俺の方で抱えよう。こいつが起きたら協力させて、払暁の征伐団の様子を確認するってどう?」
「グッドね、そうしましょ」
「意義なぁーし!」
軽く意志疎通を済ませると、グリッターシャインは俯き涙を流すムーンウェイブへ確認をとるべく話しかける。
「なあ、その様子じゃいらない確認だろうけど、一応聞くぜ。葉芝ヨシノは確実に死んだんだな?」
「……っ、ええ、はい。確かにこの手で」
「────そっか。それで、あんたはこれからどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「あー、なんというか、ほら、敵は同じなわけで、しばらく相手の出方を窺う必要があるのも同じじゃん?だからさ、俺らと手を────」
そこに続く言葉は紡がれなかった。それを阻む事象が発生したからだ。突然の轟音、そして震動、それと落下物。強烈な『なにか』が高速で廃病院屋上に衝突し、弾けた。鉄筋ごと砕かれたコンクリート、バラバラの岩塊のようになったそれらは雨のように降り注ぎ…………やがて、土煙の中で全てが静寂に包まれた────────。
イレギュラー、突発的な問題の発生、それはいつも図ったかのように劇的なものである。しかし、そこに至る要因というのは、必ず存在するものだ。
例えば、感情というものを敏感に察知する存在が居たとして。そいつがそういった種族の中でも強い能力と知性を所持していたとする。
そういう存在が、『無数の人間が寄り集まって、強い戦意や殺意、高揚を発している場所』を感知したとしたら?
そしてその存在が、自身を殺め得る力の存在を、さらに感知したとしたら、どうだろうか。
そいつはこうは考えないだろうか。『危険な存在が自分の餌場の近くに大量にいる。しかし、なにやら仲間同士で争いあっているらしい』
『じゃあ、遠くから不意打ちで数を減らそう、あわよくば全滅させよう』と。
激しい土煙の広がる廃病院跡地の上で、低く唸るように嗤うモノがいる。そいつは蛇体の尾を揺らし、背に生えた翼をゆっくりと力強く羽ばたかせながら足下を睥睨した。
────此の名を、死駆罰孔『暴食』という。




