五話//セブン12
望み。人が持つ欲望のうち、正の方向を差す情動。人間を前へ前へと突き動かす、形無き有限無尽のエネルギー。但しそれは、本人にとっての正しさに寄り添うものであることを忘れてはいけない。端から他者を害する意図を持たずとも、結果として望みを叶えた時点で他者を蹴落とすことになっていた……ということも、人の世にままあることだ。こういった望みの種類や方向性といったものは、望みに因って立つ契望者の魔法にも強く関わってくる。
「深王覚醒────」
己のために強い望みを持ち、内向的に思いを高めて深く伸長する者。他者の為に全てを擲ち、外向きに天めがけ伸長する者。どちらもその希望に貴賤は無く、どちらの願いも、強度としては変わらない剛性を有する。それが、魔法少女の『覚醒』である。
(確証は無かった、しかしあり得るとも思っていた!葉芝の異常な支配欲と自我の強さは、『覚醒』するに足るとッ!)
渦巻く黒い力に隠され、姿の見えないドラッグラックを前に、ムーンウェイブは唾を飲み下し渇いた喉を僅かでも動くようにする。
(ここからだ!作戦は佳境、手筈通りに遂行するため、先ず今の手札で凌ぐ!)
「来いっ!」
短く言い放ったムーンウェイブの前で、今、暴風のヴェールが解かれる。渦の中から現れたのは、大きく姿を変えたドラッグラックである。黒を基調に赤いラインの入った看護士風衣装はそのままに、ケープは厚い生地の襟付きマントへ変わり、黒い制帽とハーフグローブ、ガーターベルト等の装飾品が追加されたその姿は、軍人か貴族のような雰囲気を纏っていた。また、手に持つメスは長く大きく、片刃の槍のような姿へ変化している。ドラッグラックはバトンのようにメスの槍を回転させると、石突で床を打ちながら、前髪に一筋入った赤いメッシュの下にある目をムーンウェイブへ向けた。
「ドラッグラック=ミスフォーチュン。全開駆動……!」
瞬間、黒いオーラが弧を描き飛んだ。跳び下がったムーンウェイブの目の前で、先ほどまで立っていた床が抉り溶かされる。
「劇症病毒・賜死執刀!」
飛ぶ斬撃。致命的な酸性のそれは、煙を上げながら次々と地形を変化させていく。派手なパフォーマンスのように槍を回し遠心力を利用した斬撃を飛ばすドラッグラックは、実に愉快げな表情で逃げ惑うムーンウェイブを見つめている。
「どうしたのかしらミエリさぁん!?逃げるばかりで何もできない、入団当初に戻ったみたいねェッ!」
「…………チッ」
下品な舌打ちが漏れ出てしまう程に、状況はムーンウェイブに不利であった。相手は出力に任せ一つの魔法を振り撒いているだけなのに対し、ムーンウェイブは神経を尖らせながら即死攻撃の嵐を掻い潜り、ドラッグラックを倒す必要があるのだ。しかし、足場は悪くなる一方で機動力を殺がれ、体力までも奪われる状況はそれを許しはしない。万事休すか───詰みを悟ったムーンウェイブは、せめて一矢報いんと右手の盾を構え、突撃の姿勢を見せる。それを嘲笑うと、ドラッグラックは一度手を止め、挑発する意図を隠しもせずにクイと人差し指を動かした。
「無駄な足掻き、大変結構。『覚醒』した契望者相手に凡夫がどこまでやれるものか、試してみるとよろしい」
「ハ、言われずとも挑みますわ、それしか道が無いのだから────!」
突進。会話の際にも目を動かし、見つけておいた比較的無事なルートを選んで、射程距離まで三ステップ。その間に受ける傷は致命傷でなければ構わないと、ムーンウェイブは極端な前傾姿勢で一歩目を踏み出した。
「一……!」
そんな彼女を打ち据えるべく、黒い斬撃の雨が降り注ぐ。ムーンウェイブは波の盾を出すが、トルクの差が露骨に出たのか、盾は一撃受けるだけで割られてしまう。さらに、その際飛び散ったオーラの欠片が肌に触れただけで、焼けるような痛みがムーンウェイブを襲った。
「ぐうぅぅッ!!」
「オホホ!愉快よミエリぃ!」
痛みに歯を食い縛りながら、ムーンウェイブが二歩目を踏み出す。そんな彼女めがけ振るわれた黒い刃が、新たに無数の斬撃を生み出す。ムーンウェイブはこれを弾き、反らし、受けずに躱そうとするものの、今度は左肩へ破片を食らい大きく体を傾けてしまう。たたらを踏むようにしながらグッと堪えたものの、そんな姿すら滑稽に見えるのか、ドラッグラックは口角を吊り上げながら反逆者の苦しむ様を眺めていた。
「ホラ、もうすぐそこよ!頑張って!耐え抜いて!貴方いい玩具よ!!」
「黙りなさい、アバズレェ……!」
「ホーホホ!地を這う虫が人間の言葉を発するなんて!踏み潰されるだけの雑魚が、猿知恵を得ただけで同格だと勘違いしちゃって嗚呼恥ずかしい!」
「くっ……原始的な欲求に呑まれた人類の恥さらしが偉そうに能書きを!腐れマウント女、殺してやる!」
「死ぬのはどちらでしょうねぇえ、ミ・エ・リィッ」
ダラリと左の肩を下げたままのムーンウェイブに向けて、再び斬撃が迫る。ムーンウェイブは左手に鏡を形成すると素早く盾を張り、体を振って痛む左腕を無理やり動かし、斬撃を弾いた。そのまま酸で焼ける左腕に構わず、目端に涙を滲ませながら、ムーンウェイブは三歩目を蹴った。
「五月相!魔姫月閃刃ッ!!」
右手の鏡が閃く。銀のオーラが長大な刃を形成し、『裂いた先から傷を別方向へ引き寄せる』切り傷を大裂傷へ深刻化させる必勝必死の斬撃を放つ!掬い上げるような逆袈裟の一撃が、ドラッグラックへ迫り────
「弱い!劇症病毒・蛇王咬牙砕!」
────黒く染まった毒婦の五指が、易々とこれを打ち砕いた。あまりの呆気なさに目を見開くムーンウェイブへ、ドラッグラックは無造作に槍を打ち下ろす。
「────反逆遊戯はこれで終わり、よ」
「ぐ、あ……!?」
防御に差し出した鏡ごと砕かれるように、ムーンウェイブは深い傷を負い倒れ伏す。通常時よりも強化された毒は傷口から即座に全身へ回り、彼女に助かる余地は無い。足元に倒れ動かないムーンウェイブを見下しながら、ドラッグラックは嗤う。
「クク、フフフ、ホーホホホ!これが当然、これが摂理!私の絶対王政が小兵如きに砕かれるはずも無し!!残念ねぇミエリ、貴方のお友達は精々有効活用してから捨ててやるわ、地獄で遠い再会を待ってなさいな、オホホホ……」
勝ち誇るドラッグラックは気づかない。古今東西、驕る者ほど足を掬われ、悪政を是とする王は必ず敗れる。そして────
「外天────」
何事にも、例外というものが存在することを────!
「────覚醒」




