五話//セブン4
カツカツと靴音の響く廊下は照明がついておらず、日差しの無い方角では薄暗い部分に不気味な影が差している。冬の気温も相まって、今にも曲がり角から幽霊などがふらりと現れそうな空気に、ヒジリの肩へ少し力が入る。幸いなのは一人ではないことだ────ヒジリは振り返らずに、自分の後ろを歩く仲間の存在に鼓舞される。何かと頼れるアキラに、ややトリッキーだが一途な人柄のハク……ミューたん、少なくとも裏切りは考えられない面子を味方につけられたことは、この魔窟を行くにあたって実に頼もしい護符のように機能していた。一方で……。
「で、どこまで歩くんだ」
「あら、堪え性がなくってよ。大丈夫、貴方たちも何となく察しているでしょう?わたくしも場所は選びますわ」
「……そうかい」
契望者の中には曲者も存在する、そんなことを知らしめてきた存在に、ヒジリは契約を経てからこっち、浮わついたままでいた調子を現実に引き戻されたような気分でいた。長い髪を靡かせ歩くミエリに続きながら、ヒジリたち一行は二階の奥にある小部屋へと入った。そこはこの拠点内では珍しく埃っぽい臭いのする場所で、無数の資材やファイルが並び、重なり、狭い空間をさらに狭めている。
「前の持ち主は、かなり杜撰な昭和の人間だったらしいんですの。破棄すべき資料も一部はそのまま、折れた松葉杖なんかもここに放り込んでありました。中には謎の血痕が付いた紙なんかもあって、清掃当番の子はこの部屋に触れたがらないのよ。当然、扱いはおざなりで……幹部は誰一人、この部屋の存在を知らない。奥まった場所で、引き戸だからドアノブが目立つこともないので」
「ふぅん。それで?悪巧みするのにうってつけの場所で、あんたは私たちに何を聞かせてくれるっての」
「まあ、まあ。喧嘩腰はいけませんわ、わたくしたちが行うのはあくまでも話し合い。原始的解決は知能指数を下げますわ」
「だぁれが脳筋花ゴリラだって!?」
「アキラさん、誰も言ってないから」
やたらと突っかかるアキラと煽るミエリ、相性の悪い二人を引き剥がすと、ヒジリは前に出ながらハクシュウへと目線を送る。顎を引くように了承を示したハクシュウは、アキラにじゃれるように近づきながら、その手首を掴んで僅かに下方へ体重を掛けた。動き出しを制しやすい自然な技に舌を巻きつつ、ヒジリはミエリに向き直る。相も変わらず鉄面皮に笑顔のテクスチャを張り付けたような相手に、先ずはヒジリから口火を切った。
「ここなら人目も無いのは把握したけどさ、そういう場所を俺たちや……あんたを監視してるヤツに知らせていいのかよ」
「貴方たちなら問題ありません。監視は、今は付いておりません」
「何で言いきれる」
「貴方たちの大まかなお人柄は把握済み、実際に会って裏付けも済みました。監視は、監視者のタイムスケジュールと人格を良く知っておりますので。彼女は今の時間から二十分、病院の裏手で煙を吐いていることでしょう。人目を気にする性質かつ嗜好品に頼らなければならないストレス耐性の低さ、人を監視するという業務から生まれた支配者気取りの優越感とそんな自分に対する葛藤……複雑な要因から人を避ける傾向にある彼女は、暫く戻って来ませんよ」
「つまりリミットは二十分か。お互い余計なことは無しで手早くいこう」
「よしなに」
息を吸う。そして、吐く。
「あんたの目的は?」
「予知夢能力者の奪取、複数の契望者の殺害」
「……何のために」
「予知夢能力者……桃源ユウリはわたくしの親友。あの子を道具のように利用する連中を再起不能にし、ついでに洗脳上等の悪党どもを殲滅してやろうと思いまして」
「俺たちは殺人の片棒を担ぎたくない」
「そっちはわたくしが。貴方たちはユウリの居場所を突きとめる手伝いをお願いします。あと、討伐作戦への参加も」
「忙しいな……仮に手伝うとして、おおよその目処は立ってるのか」
「病院の裏手……森の中に地下施設があります。作戦準備に託つけてこの部屋で資料を漁ったところ、地図を発見しました。後でお渡ししますわ」
「あんたはどうするつもりだ」
「貴方たちがユウリの居場所を突きとめる、あるいは奪取に成功したと連絡があれば即座に行動しますわ。まず洗脳能力を持つ契望者、葉芝ヨシノを殺害、次にユウリを利用するため昏睡させている催眠能力者井苅ミントを殺害。然るのち、監視能力者八角トビオを殺害」
「出来るかどうかはともかく、監視を最後に回したのは何でだ」
「監視能力者自体は戦闘能力皆無の木っ端だからですわ。厄介なのは連携をされたとき、ですから単体の危険度が高く、不意打ちを行いたい相手を先に殺します」
「なるほど、ね。まあ、こっちとしては一番厄介に感じてる洗脳のヤツを倒してくれるのは助かるけどさ」
ヒジリは言葉を切って腕を組み、無遠慮にミエリを見た。微笑みはそのままに、踵を揃えて直立する姿は如何にも隙が無さげに見える。
「……二人とも、どうする?俺は桃源ユウリの捜索に関しては手を貸していいと思ってる」
「ミューたん的にわぁ、ハートがつらたんだけどもぉ、洗脳さんがバイバイするまではへるぷゆー!するべきかもかも?」
「そうね……私、は。組織を解体するような秘密作戦をするからには、この組織に肯定的な有力者は全員始末するべきだと思うけど。後顧の憂いを絶つ意味でね」
「ん……そっか、恨みを買った場合、矛先は当然こっちにも向くもんな」
「鉄砲玉が隙を窺ってくる毎日なんてゾッとするわ、ましてやそれが契望者なら、どんな手段が飛んでくるかわからない」
「なら結局、手を貸さざるを得ないのか……」
ヒジリは歯噛みしながらミエリを睨んだ。人生の一大事を二十分で決めるように迫る……計算された嫌らしさに不快感を禁じ得なかったからだ。
「俺はアキラさんの方針に沿うことにする。ミューたんさんは」
「我が身きゃわわさ~……とりま、多数決でぇ」
「そっか……分かった」
「フフ、結論は出たかしら?」
「恨むぞ、本当に」
「どうぞご自由に」
澄ました顔のミエリに、ヒジリは内心で悪態を吐く。
(やたらと自分の体に触れたり、落ち着き無さげに物に触れたり……デカい口叩いておいてビビってるクセに気取りやがって)
不安を感じているのはミエリも同じだろうというのは、その所作からありありと感じ取ることができた。思えばカフェでの遭遇時からそのような様子を見せていたのだ、橘ミエリはどちらかといえば大それたことを出来ないタイプの人間なのだろうということをヒジリはもう理解していた。恐らく常に浮かべた微笑みは自分の内心を覚られまいとする仮面なのであろう。その点、ミエリは哀れな人間にも見える。友人を人質に取られ、憎い相手に使い走りにされている……しかし。
(だからって憎い相手と似たようなことをして人を操ろうってのは、気に食わない)
ヒジリとしては、策を弄して人を巻き込み、『助けて』の一言も言わずに人を顎で使おうという考え方は気に食わなかった。さらに、ミエリを信じるに足る証拠が少なく、本人の口から出た言葉のみが判断材料となっている状況も、ヒジリのミエリに対する悪印象を後押ししている。
「俺らとしてはあんたのこと、そこまで信用できないからさ……判断によっては途中で逃げるよ、それでもいいなら協力しよう」
「問題ありません。貴方たちは逃げない、それをわたくしは知っている……」
互いが手を差し出し、軽く握る。橘ミエリの右手は、驚くほどに冷えていた。




