三話//落花流水4
水害において、押し寄せてくる水が恐ろしいのは何もその質量による威力だけではない。面制圧による逃亡範囲の制限、濡れた場合の体温低下による体力の喪失、その他様々被災者にとってマイナスの要素を有する流水であるが、その最も恐ろしいところは『運搬力』である。規模によっては基礎から家を押し流す力に加え、流水は押し流した物体を自らの内部に蓄え、更に質量を増して押し寄せるという加速度的な威力の増加が可能なのだ。迫る怒濤から逃れてなお、流れから飛び出した流木が頭部を打ち据え死亡した者なども存在する。古来より川の付近に文明を築き、その運搬力の恩恵に与ってきた人類ではあるが、一方で洪水による被害にも見舞われてきた。水は決して、侮ってよいものではないのだ。
「逃げろ、レイジーフィーバー!」
間に合わないと分かっていてもなお、グリッターシャインは叫ぶことを止められなかった。目の前で理不尽に命を奪われようとしている者が存在することに堪えられなかったからだ。しかし、そんな彼女の苦悶を嘲笑うように、巨大な水の壁はレイジーフィーバーを呑み込まんと迫る。ダムに沈殿していたであろう不法投棄物────家電の残骸等のガラクタを含んだ濁流は、契望者を打擲して殺すことに余りある威力で以て加速している。これを前に、レイジーフィーバーは────跳んだ。逃れ得ぬと理解してなお悪足掻きをするのか……否、違う!
「大炎熱狂……加熱!」
「結界を足部に変形展開、薄刃形成!一発分は保つ!ぶちかませ、オレの契望者ァ!!」
弓のように全身をしならせ、上段から打ち下ろすような浴びせ蹴りの構えをとる彼女の足部に、技士ロプスが鋭利な硝子の靴を履かせる。細く薄く伸ばされた結界は、足部の延長上に展開する刃状のアタッチメントと化した。銃剣じみたそれに這うようにレイジーフィーバーの魔法が充填され、周囲の風景を歪めるような莫大な熱が紅く輝きを放つ……!
「死中にこそ活を求むるべし────乾坤、一擲ッ!!」
自身の精神に言い聞かせるように口中で紡がれた言葉は、魔法少女レイジーフィーバー、美雨ハクシュウの培った武道における真理である。必殺の意を込めた一撃を潜り抜け、意表を突かれた敵手に全霊の一撃を叩き込む。返し技の極意は師範より賜った教えの中で最も彼の身に染みた考え方であった。よって彼女は今ここで、敵手の放つ甚大な水量の壁を、敵手の思いもよらぬ方法で打ち破ることで真理を貫く心積もりである。そのための力は今、彼女の足に宿っている────!
「熱死閃!・灼刈絶招ッ!!」
疾く鋭い、ほんの一瞬に極大熱量のエネルギーをぶつける一撃。グリッターシャインの光輝燦然・降魔雷霆にも似たその絶技は、しかして確実に違う点が存在する。それは技巧。空中にあってなお全身の捻りを運動エネルギーとして完全に足部へ集中させ、インパクトギリギリまで溜め込んだ魔力を攻撃同士の接触する瞬間に解放する見極め。蹴撃の威力の最高到達点に刃状の結界が自壊することで、指向性を持った威力が対象をより絞った形で放たれる無駄の無さ。正しく絶招の名を冠するに足るそれは、袈裟斬りの軌道で延長上にあるもの全てを灼き消した。水は蒸発し、雑多なガラクタは熔け失せ、神話をなぞるが如く水面が両断されて敵の姿が現わになった。魚の体に水鉄砲の銃身が接合されたその死駆罰孔は、熱湯と蒸気に曝され苦悶するように跳ねている。ようやく全身を見せた相手に対し、レイジーフィーバーは樹上へと着地した後、踞るように座り込んでしまう。魔力を振り絞り過ぎたことによる虚脱感が、彼女の足を止めてしまったのだ。
「ハクシュウ!おい大丈夫かよォ!」
「だ、大丈夫……だから、ミューたんって呼んでよ……もう、いらない過去は捨てたんだモン…………」
「あ、ああ、悪かったミューたん、いやレイジーフィーバー!そんでェ、動けるか?トドメは」
「ムリかも、足に力が入んない……魔力もカツカツ」
「クソッ、魔力量さえ十分ならキミが最強だってのに……チクショウッ」
悔しそうに顔を逸らすロプスに、レイジーフィーバーは微笑んだ。剛直一途な偉丈夫────かつての己に、心配を口にする者は皆無であった。同門の士も、家族も、職場の同僚も、『強そうな容貌』であるというだけでハクシュウを『強い』と定義した。美雨ハクシュウという人は幼い頃から身体能力に秀でていたし、筋骨隆々の肉体は威圧的ですらあったが、実際は気弱で流され易い性質であった。親が言うから武道を邁進し、誰かが奨めたから進学し、教員に紹介されたから就職をした。流されるがままの人生であった。武骨な強者の張りぼての下で、ハクシュウは意志薄弱な己を嫌悪していた。そんな自分を変えようともがいた時期もあったが、やがてそれも成果が見えないため、止めた。流される方が楽だったのもある。自分を貫くことは辛く苦しい。死中に活など、とても実行出来る真理では無かった。それでも武道において彼が強者足り得たのは、単に技巧と肉体が優れていたからだ。
(弱くて薄っぺらい人間、それが美雨ハクシュウだった)
震える脚に力を込めながら、レイジーフィーバーは立ち上がった。か細い脚は、かつての己よりも余程、真の己に近い見目をしている。彼女はそう思っていたし、そんな今の自分を気に入っていた。技士ロプス、軽妙な語り口の新しい友人いわく、今のハクシュウは技巧はあれど魔力の絶対量が少なく、契望者としては強者になれない体らしい。そのことを聞いたとき、彼女の胸に沸き上がったのは喜びの感情であった。もう、身の丈に合わない振る舞いを強要されない。もう、誰かに何かを望まれることもない。一切の人間関係から解放され、ありのままに弱くいられる現状に、ハクシュウは満足しようとしていた。それが変わったのは、小さく毛深い友人の存在があったからだろう。
────『今までの自分が嫌い?だから新しい自分になりたいってェの?』
────『いいじゃん、そのマインド!何でも前向きがマストよォ、んで、具体的にはなんかすんのかよ』
────『ミュ、ミュ、ミューたん!?ナンそれ、あいや、美雨を文字ってミューたんって?キミ変に思いきったねェ。いやいいと思うぜ、変わりたいってんなら、変なくらいが振り幅としてバチコリジャストよ』
────『じゃあこれからヨロシクゥ、ミューたん!』
何もかも失ってから、等身大の自分を見てくれる友人に出会った。真面目一辺倒で転び方の分からない自分の、大転けする様を肯定してくれる仲間が居る。ならば、それを護るためならば。
魔法少女レイジーフィーバーは、もう少しだけ強くいられるのだ。
「死中にこそ活あり……実際そうだったし、そのためなら乾坤一擲、だぞッ」
「おい無理すんな、下で今グリッターシャインが戦ってるし、もうちょい休んでもいいって」
「ヘーキ。我慢するの得意だモン」
「それが嫌だから変わりたいんだろォ!?やめとけ、オレの見立てじゃアイツらはトーシロだけどセンスはありそうだ、弱った死駆罰孔相手ならほっといても勝てるって!」
「でも、それじゃあ報酬値切られるかもだしぃ」
「金よりキミが大事だ、ミューたん!」
「……フッヘヘ」
必死に言い募るロプスを相手に、レイジーフィーバーは余人に見せられないような、やにさがった顔で笑んだ。誰かに心配される感覚、大切にされる感覚、それらのくすぐったい感情に喜悦が溢れた故の笑みであった。




