16 恐れを知らない虚無
放たれる血の弾丸の雨。
タケルはあえて血の弾丸を掻い潜りつつ、霧の中に突っ込んだ。
「だめだ、タケル! そんなことをしては――」
と、グリフィン。
だが、彼の言葉はタケルには届かなかった。
タケルはそのまま霧の中に飛び込み。解析が済んでいる術式を頼りにミュラーに接近。
「No.11……」
「僕が相手だ」
ミュラーが言葉をこぼした直後、タケルはそう言い。手を伸ばしてミュラーに触れた。
瞬間。タケルのナノース『Vaccine』がミュラーの術式の一部を打ち消した。それはまるでワクチンを受けて強化された免疫のように。解析されたミュラーのナノース『Paper』はタケルのナノースを受けて無力化される。
そうされたことで、ミュラーの脳内にとてつもない情報が流れ込んだ。
「何だ……これは……」
ミュラーはつぶやき、よろめいた。
霧は消える。彼の持っていた血のガトリングガンも消える。擬似的な吸血鬼化は解けなかったが、タケルはミュラーを弱体化させた。
だが、ミュラーはまだ手段を残している。ミュラーはとっさに色の異なるタイルを踏んだ。
そのタイルが踏まれた瞬間、結界のように電気が迸る。
タケルは危機を感じて飛び退いた。
「何が起こっているんだ。僕もわからない」
タケルは呟いた。
双方が双方の状況を理解できていない。
ミュラーは能力の一部――2つ有するナノースの片方を無力化され、そのナノースゆえに実現できていた術式の保持ができなくなった。だから彼の脳は複雑な術式とナノースを複数処理することとなる。
対するタケルはすべてを解析しきれていない状態でナノースを使ったばかりに、本人にもわからないことを目にしていた。
「そうか……ミュラーだったのか」
と、呟くグリフィン。
「どういうことだ?」
「転生病棟にはナノースを2つ持つ者がいるってことだよ。それが誰なのかわからなかったけど、今はっきりしたね。ミュラーだよ、ナノースを2つ持っていたのは」
パーシヴァルに聞かれるとグリフィンは答えた。
「よくわからんな。いや、そういうやつが俺の同僚だったのか」
と、グリフィン。
そんな彼からタケルに視線を移し、グリフィンは再び口を開く。
「気をつけてくれ! ミュラーはまだナノースを残している! もし君が解析できていればいいが、おそらくそうじゃないんだろう?」
グリフィンはタケルの様子をよく見ていた。タケルがばれないと考えていても丸わかりだ。
「ごめん。そうだよ。でも、これで少しは戦いやすくなったはずだ」
と、タケルは言った。
対するミュラーも自身の状況を理解した。
吸血鬼化は解除されていないし、残り時間はあと2分半程度。コピーしていた術式をほぼ保持することはできなくなり、残りは周囲に貼り付けをしていたものだけだ。
「残り2分半か。この時間で決着をつけるさ」
ミュラーは呟いた。
心なしか、彼には表情が戻っているようにも見えた。
タケルとミュラーが同時に動く。速いのは、擬似的な吸血鬼と化したミュラー。タケルの懐に飛び込もうとする。
だが、タケルはミュラーの状況を利用した。ミュラーは近接戦闘にもナノースがひとつの状況にも慣れていない。だから、ナノースそのものの解析をせずにミュラーの吸血鬼化した体内に直接ナノース『Vaccine』を放った。斧でミュラーを斬りつけながら。
タケルのナノースがミュラーを変質した術式から蝕んでゆく。まるで光が吸血鬼を灰にしてしまうように。
「……死ぬということはここまで怖いのか」
ミュラーは初めて恐怖を口にした。
このようなことが今までになかったのは、ミュラーが恐れを知らなかったわけではない。単にミュラーが感情の多くを無くしていたからだ。
そうして、死への恐怖をさらに紡ごうとしたとき。ミュラーは灰と化した。
タケルの手には、斧でミュラーを切りつけた感覚だけが残っていた。
人を殺した余韻とはこのようなものだ。タケルはこれまでに何人か殺しているが、慣れないものだ。だが、すぐにその余韻は吹き飛ばされることになる。
「そうだ、グリフィンとパーシヴァルをどうにかしないと!」
グリフィンもパーシヴァルも無傷ではない。
タケルはすぐに踵を返し、2人の方へ。
「大丈夫だ、タケル。治療ならした。多少失血はあるが、今すぐに命の危険があるわけじゃない」
タケルが駆け寄るとパーシヴァルは言った。
パーシヴァルの言うとおり、グリフィンの体から目立った傷は消えていた。とはいえ、顔色はやや青白い。戦いで失血したことが原因だろう。
「思い出したことがある。奥に行こう」
青白い顔のまま、グリフィンはそう言って立ち上がる。
「そこまでしなくていい! 回復してから――」
「どうしてもね、見ておかなくてはならないんだ。これは君にも関わることだから」
グリフィンはどこか寂しそうでもあった。その理由はまだタケルにもわからない。だが、タケルはなぜか嫌な予感がしていた。
「僕にも関わること……」
タケルは呟いた。
詳細はわからない。が、タケルも何かに呼ばれている気はしていた。この先には何かがある。とらわれのミッシェルだけではなく。




