20 私は人間を捕食する
肉体を再生させながらエステルはキイラの戦う様子を見ていた。彼女はもともと、転生病棟にやって来た頃はここまで問題のある人ではなかった。だが、彼女は地下を訪れるたびに変わる。精神が何かに汚染されているかのようだった。
独房に幽閉されていてもエステルには話し声が聞こえていたのだ。
きっとこの病棟が精神を狂わせているのだとエステルは踏んでいた。
「倒す方法は知ってるけど、よりによってこんなときにあんたを相手取るなんて。私、なんか悪い事したかな。やるけどさ」
と言って、キイラは自身のナノースを体内に作用させる。アドレナリンに加えてその他脳内麻薬や身体能力を上げるものと同じ作用。キイラは狂気にみちた笑みを浮かべ。
先ほどとは比べものにならない速度でエステルに接近した。エステルは水の塊を放って防ぐが、それは時間稼ぎにもならない。
キイラはエステルの死角に回り込んで触れる。すると、たちどころにエステルの身体がぼろぼろと崩れた。
「な……!?」
エステルは声を漏らす。
彼女の体には、日光に当たった時と同じことが起きていたのだ。
エステルをはじめとするマモニ族あるいは魔族は日光に当たると灰となり、最悪の場合は死亡する。だが、それはあまりにも早く進行していたのだ。エステルは再生しようとするが、間に合わない。だからエステルはその部分だけえぐり取る。そうして、キイラを蹴り飛ばして距離を取る。
「……毒や薬の作用機序だけではないということか」
エステルは呟いた。
異様な再生力を持つ人外の存在であっても痛覚は存在する。痛みに歯を食いしばり、キイラを睨みつける。
そうしてキイラの胸に狙いを定め、水の杭を放った。
水の杭はキイラの胸を貫いた。水に血液が溶け出し、薄赤く染まる。色からして多量の血を流している、心臓まで貫かれたはずだ。キイラだってのけぞって仰向けに倒れたのだ。
だからエステルは手ごたえを感じていた。
「やったか……」
エステルは呟いた。
だが、キイラは倒れたまま言う。
「ごほっ……そんなことはないから……」
彼女の体には心臓さえも貫いた風穴が空いていたが、まだ生きている。失われた部分の周囲の組織が再生を始めていた。それも、エステルの肉体が再生するよりも速く。
「私はまだまだ死なない……だって、私の体内には賢者の石があるんだから……」
そう言ってキイラは立ち上がる。
血は未だ止まっていない。再生する途中の傷口からは血が流れ出ていた。普通の人間ならば絶命するほどの量だ。それでもキイラは生きていた。彼女の体内には賢者の石があるから。
3秒後、キイラは再びエステルに向かって突撃。スレッジハンマーにまでナノースを拡張して振るう。エステルは躱す。キイラに隙ができたところで水の槍を飛ばす。キイラは避けない。傷を負ってもすぐに再生するだけだ。
キイラは死も傷も恐れない。
そんな彼女の姿は、エステルには異様に映る。まるで自身の信念のため、命を捨てる覚悟で魔族を狩りに来る者たちのように――
エステルは歯を食いしばった。やるしかない。
「そうだ……吸血鬼のような死なない相手には、こうしていた」
エステルは覚悟を決め、身に纏うコートのジッパーを下ろす。
直後、彼女の胸元は縦に裂け、裂け目からは肋骨とも牙ともとれるものが伸びる。
その姿を見たキイラは初めて恐怖を覚えた。
「それは――」
「魔族は人を食らう種族。お前たちはそう言う。それは事実だが、私はその相手を選ぶ。私が選んだだけだ、お前は」
という声の直後だ。牙はキイラの腹部を貫き。キイラはエステルの第二の口に引き寄せられる。
「緊急事態……! 研究設備もデータもすべて凍結してやる! こいつらは――」
捕食される直前、キイラはそう叫ぶ。が、そのときに何が起こったというわけもなく無情にもキイラは飲み込まれる。
血飛沫、臓物、捕食できなかった骨が転がる。キイラは捕食された。
「錬金術師を捕食したのは初めてだが……いや、私は」
エステルはそう言って立ち尽くす。
ここで彼女は自身のした取り返しのつかないことを自覚する。彼女の周りには人間がいる。タケルもマリウスも、ミッシェルもグリフィンもロゼも。全員魔族ではない、人間だ。エステルは人間の前で別の人間を捕食したのだ。
「私に、彼らとともに外に出る資格はないということか。ははは……」
自嘲するような乾いた笑みをこぼすエステル。それを覆い隠すように警報が鳴り始める。
マリウスは麻痺毒の作用を受けたミッシェルを担ぎ、タケルとグリフィンとロゼも外に出ようとした。が、すぐにタケルはエステルが外に出ようとしていないことに気づいた。
「エステル。僕たちと一緒に出るんじゃないのか?」
タケルは言った。
すると、エステルは寂し気な表情を浮かべてこう答える。
「その必要はない。私は、お前たちと一緒に行く権利などない。せめて、生き残ってくれないか? 理由はそこに転がっている死体から察してくれ」
「死体……?」
タケルはエステルに言われ、彼女の近くの血だまり――それに水が混じったものを見た。遺体らしき遺体は遺されていないが、水の混じった血だまりの中、内臓や骨、服の切れはしなどが散らばっていた。ここで人が死に、遺体が遺されないような状況となったことは明白だ。
しかし、タケルはその状況を見ても言った。
「ごめん、エステル。わからないな。僕だってこの病棟で人を殺したんだ。もし運命が違っていたら僕は君よりも酷いことを、罪もない人にやっていたはずだ」
「私より酷いことだと……? 人を捕食したんだぞ。それこそ吸血鬼や北東の食人鬼と同じだ。お前が私を糾弾する理由なんてそこにある。お前の仲間にも聞いてみるといい。果たして人食いをしでかした化け物は同行するにふさわしいか?」
エステルはタケルから視線をマリウスたちに移した。
「聞こう。私はともに脱出するにふさわしいか?」




