19 ハイになったキイラ
タケルとマリウスがパーシヴァルと戦っている頃だ。ミッシェルとエステルももう1人の敵――キイラを相手取っていた。
そのキイラは強い。得体のしれない塊を放ち、それはエステルの肉体を蝕んだ。が、エステルはすぐに蝕まれた右脚を手刀で切り落とす。人間ではない彼女にとってその選択は簡単なことだった。
エステルの様子を見て、ミッシェルはごくりと唾をのむ。もしキイラが狙ったのが自身であれば、ミッシェル自身の脚が毒に侵されていたのだ。
「はあ、エステルだっけ。邪魔しないでよ。私、戦ってあげるとは言ったけど私のミッシェルを連れ戻せるならそれだけでいいんだよね」
キイラはため息をつきながらそう言った。光もなく、何かにとりつかれたようなまなざしをミッシェルに向ける。すると、ミッシェルは身構えた。彼女はキイラの病棟での所業――自身にしたことをはっきりと覚えている。悪いようにはされなかったが、屈辱的だった。
「クソが。絶対に戻ってやらねえよ、このクソビッチが」
と言って、ミッシェルはキイラに向かって中指を立てる。
「命と待遇は保証してあげるのに、あくまでも反逆者でいるんだね。悲しいな――」
キイラがそうして余裕を見せたとき、エステルは彼女に向けて水の槍を放った。キイラは攻撃したエステルの方を向く。
「確か魔族だったっけ。ムゥさんは貴重なサンプルって言ってたけど、私は別に必要だとは思わないんだよね。ここでの上下関係、理解してる?」
キイラは言った。
「そんなもの、外に出てしまえば関係ない」
そう言ってエステルは水の塊を作り出し、放つ。キイラも黙ってやられるわけではない。
彼女は隠し収納からスレッジハンマーを手に取ると、自身のナノースを体内に作用させた。
体内に過剰分泌されるのはアドレナリン。彼女の鼓動は早くなり、目は血走り。キイラの口角は上がり、悪魔のような形相を見せる。
「じゃあ、外に出さないようにしないとね! 殺してやるよ、人間もどき!」
と言って、キイラはエステルの懐に飛び込んだ。まだ彼女は右脚を再生できていない。だから彼女は第二の口――コートの下に隠された胸元の口を開く。肋骨のような牙がキイラに向かって伸びる。
だが、キイラはエステルより素早く反応し、エステルの右側に回り込んでスレッジハンマーを振るう。そのままエステルは吹っ飛ばされた。
そんなときだ。
「こっちを見ろ、クソビッチ」
と言ってミッシェルがキイラの背後から蹴りを入れる。
手ごたえを感じたミッシェル。キイラはよろめくも、すぐに体勢を立て直して笑みを浮かべた。
「痛くない……でもね、わかるよ。あなたの怒りも全部、私が受け止めてあげるからね?」
まさに狂気。さらにキイラの頬は紅潮している。
その様子がミッシェルの癇に障った。
転生病棟の職員、しかも幹部。ミッシェルが病棟に拉致されて人体実験の被検体にされたことにもキイラが関わっている。それだけにはとどまらず、キイラはミッシェルに考えうるすべての行為をしようとしていた。
だからミッシェルは吐き捨てた。
「あたしも、よーくわかったぜ。お前がクソビッチなだけじゃなく、独善的なクソ女ってこともな。この病棟もてめえも、全部大っ嫌いだ」
ミッシェルは再びキイラに向かって突撃し、今度は体内から湧き上がるエネルギーを込めた拳での攻撃を試みた。が、キイラはそれをいとも簡単に受け止めた。
「ねえ、ミッシェル。私、あなたを燃料用に改造しなおすことに最後まで反対したんだよ。あなたを想っていたこと、わかるよね?」
キイラはそう言った。
「は……?」
キイラに告げられた事実を飲み込めず、困惑するミッシェル。
「私はね、ミッシェルに魅せられたの。最初に会ったときからあなたの世界に対する怒りをね。その怒りを受け止めて飼いならしたいって思ったんだ。案の定、あなたは私の思い通りにはいかない。鳥籠に閉じ込めておくことはできない」
さらにキイラは語る。
気持ち悪い。ミッシェルはそう感じ、キイラの前から消えたくなった。だが、そんなことはできるはずもない。できるのは、キイラを消すことだけだ。
「ふざけんな、ぶっ殺す!」
ミッシェルはキイラとの距離を詰め、受け止められないほどの爆発力を持ったエネルギーを叩き込む。さらに、蹴り、拳、蹴り。鋭い攻撃でキイラの全身の骨は折られ、砕かれ。キイラは立っていることもできなくなり、背中から倒れる。
ミッシェルは勝利を確信した。だが。
「できないよ、そんなこと。それより、作用機序って知ってる?」
キイラはすさまじい気迫を放ちながら言った。同時に彼女は折れた骨を錬金術による再生を上回る速度で再生。動くようになった左手でミッシェルに向けて毒の塊を放った。
「……!?」
ミッシェルを襲う違和感。確かに何かを放たれたのだが、その感覚がない。痛みもかゆみも不快感もない。感覚のなさこそがキイラの放った毒の作用。
麻痺毒だ。キイラの放った毒はミッシェルを殺さない程度に蝕み、全身の自由と感覚を奪ったのだ。当然、今のミッシェルは声を出すこともかなわない。
キイラは立ち上がり、ミッシェルの頬に手を添える。そうして、キイラは言った。
「可愛いよ、ミッシェル。実験体としての価値はさておき、ミッシェル・ガルシアとしての価値は私にとってはありあまるほどなんだよね。本当に、何もしないでくれたら命を助けてあげるから」
ミッシェルは言葉を絞り出そうとしても、喉がそれを許さない。死んでしまえるのならばそれでもいいのだが、キイラにミッシェルを殺す気など一切ない。もはやミッシェルはあらゆる手段を封じられたのだ。
だが、キイラにとっての敵はもう1人いた。
「で、あなたは邪魔するんだ。そうなんだ。不愉快だよ」
キイラは肉体を完全に修復したエステルに向き直り、そう言った。
「それでいい。どんな行動でも、必ず不愉快に思う人はいる。お前の行動の場合、私がそうだ」
エステルが言うと、彼女の緑色の瞳の一角が一瞬だけ赤みを帯びた。




