12 独房にて
「会いたかったよ、タケル」
独房の壁を水に変え、目の前に現れた紫髪の青年は手を差し伸べてそう言った。タケル自身がミッシェルにやったように。
だが、タケルは目の前にいる人物――グリフィンのことを知らない。
「君に会いたくてね、ここまで来てしまったよ。君こそが僕の探していた人。ナロンチャイ・ジャイデッドだろう。いや、タケルと呼んだ方が良かったか。覚えてるかい? 一緒に戦ってこの病棟の幹部を倒したって」
グリフィンはそう言うが、話が進むとタケルは眉根を寄せる。
「あんたは誰だ……なんで僕の名前を知っているんだ。あんたみたいな人間を、僕は見たことがない」
優しい顔で語り掛けるグリフィンに向けてタケルは言った。それもそのはず、グリフィンはさもタケルのことをよく知っているかのように話すのだ。当然タケルはグリフィンなど知らない。完全に初対面だ。タケルはグリフィンに対して疑いの念を抱いていた。
「僕はグリフィン。戦闘用に調整された実験体……じゃなかった、ホムンクルス。君のためにここまで来たんだ」
グリフィンはそう言った。
「話がわからない。僕はあんたを知らないはずだし、なんであんたが僕に協力してくれるのかもわからない。ただ、協力してくれるのならさっき僕が助けたのと同じようにして仲間を助けてくれ。僕のためなら」
素性不明の相手を前にし、信用するかも決めかねるタケル。だが、助けた方法からグリフィンは利用価値がある。半信半疑のまま、タケルは仲間の救出を提案した。
グリフィンは一瞬だけ黙り込む。
「本当は、君には僕さえいればいいと思ったけど。仕方ないね。君がそうされて喜ぶのなら、僕も仲間たちを解放しよう。その前に君のその恰好はどうにかした方がいいかもね……」
グリフィンの言う通り、タケルは全裸。グリフィンは水の塊を作り出し、そこから一着の服を出す。
「これを着ろって?」
「そうだよ。さすがに全裸でうろつくのは君の評判にかかわる。僕と2人きりならいいんだけどね」
と言って、グリフィンはタケルに黒と緑と紫の服を手渡した。
これは戦闘用改造人間の戦闘服。上着はゆったりとしたパーカーで、インナーはぴっちりと身体を覆うデザインになっている。
タケルは思うところがありながらも戦闘服を着た。戦闘服は驚くほどタケルの身体にぴったりだった。
「さて、やるよ。君の要望にはできるだけ応えたいからね」
グリフィンはタケルのいた独房の隣の壁を水に変えた。そこは暗い独房。中には大柄な女がいる。
壁がなくなったことで大柄な女は解放され、戸惑いつつも外に出るのだが。
「私をここから出してどうする気だ? どうせ私は白日の元では物理的に生きられん。日光に当たればこの身は爛れ、いずれ灰になる」
大柄な女は言った。
グリフィンはタケルに「彼女かい」と尋ねるがタケルは首を横に振る。仲間どころか、タケルと大柄な女――エステルは初対面。エステルは壁をなくしたグリフィンとその隣にいるタケルに鋭いまなざしを向けた。
「あー、ごめんね。誰が君の仲間なのかわからなくて」
グリフィンは困ったような表情を見せつつそう言った。
「仲間……」
エステルはグリフィンの言葉を反芻する。
「そのような者がいれば、私はこの場に囚われている事などなかっただろうな。仲間など……仲間など……」
エステルは後悔しているかのように言った。そんなエステルにタケルは尋ねる。
「何かあったのか?」
「私はマモニ族……この大陸の人間が言う魔族というやつだ。マモニ族は仲間意識こそあるが、意見が対立すれば他人をはめる……私ははめられて死にかけ、こうしてここに囚われている。私に仲間がいれば恐らくそうはならなかった」
エステルは語る。彼女の言葉のところどころに諦めがにじみ出ていた。仲間に恵まれず、囚われ、もはや外に出ることもかなわない。この状況下でエステルは絶望しきっていた。助けなど来るはずもないと思っていた。
エステルの言葉にグリフィンとロゼの反応は薄かったが、タケルはわずかに使命感を抱いた。だからタケルは言う。
「聞いたことあるよ。もしあんたにその気があるのなら、一緒にこの病棟を脱出しよう。グリフィンとロゼちゃんも一緒に。この病棟の被験者たちはきっと人生を奪われているから」
タケル自身も、グリフィンもエステルも、ミッシェルもロゼも、それ以外の被験者も全員が人生を奪われた。ならば取り返しても良いはずだ。
「できるのか……?」
エステルは聞き返す。
「わからない。でも、僕はもうこの病棟の幹部を殺してしまったんだ。ならやるしかない。本当は穏便に済ませたいけど、もう遅いんだ。だから……」
「いいだろう。協力する。ただし、ずっと私の仲間でいてくれ。私の名前はエステル。エステルと呼んで」
と言って、エステルは再びタケルに優しい眼差しを投げかけた。
美しい。
タケルはエステルのその姿を見て感じていた。入院着の上からでもわかる抜群のプロポーション、整った顔立ちと緑色の瞳。絶望しつつも意志が完全に消えたわけではない。このときから、タケルは彼女に惚れ込んでいたのかもしれない。
「じゃ、残りの2人も出してあげよう。ちょっと待ってね」
と言って、グリフィンはマリウスの独房の前に立つ。
紳士的だったうえに病棟を裏切ったとはいえ、元職員のマリウスを解放することに乗り気ではないグリフィン。できることならマリウスを無視したくはあるが、ほかならぬタケルの頼みだ。グリフィンは渋々独房の壁に触れた。
無機質な独房の壁は水となって崩れ落ちる。
「うおっ!? なんだ!?」
予想外の出来事だったのか、マリウスは素っ頓狂な声を上げた。
驚いたのはマリウスだけではない。タケルとエステルも驚き、特にエステルは思わず顔を覆った。
マリウスは今、ほぼ全裸だったのだ。気持ち程度のものは着用しているが。
「マリウス! あんたも服を……」
とタケル。
「みぐるみ剥がした方が好都合なんだろう。事情は後で聞くが、ミッシェルは?」
マリウスは尋ねる。
「ああ、今から助けるよ。タケルがどうしてもって言うからね」
グリフィンはミッシェルの独房の前に立ち、扉を水に変えた。




