34 アノニマスの弟子
タケルはきっと世界を揺るがす。リルトは確信していた。彼女の知るどの因子持ちと比べても異質で、はじめから絶望しているよう。少なくとも、天才リルトの目にはそう映った。
タケルたちは、研究室を出てほとんど初めて客を迎える客間へと戻る。
客間はほんのりと甘い菓子のような匂いに包まれていた。
客間にいた面々は、先ほどと比べて打ち解けているようだった。特にマリウスとは話が弾んでいるよう。
だが、なぜかザグルールだけは席を外している。
「戻ったよ、ラディム。面白い錬金術師だった!」
リルトは言った。
「よかったじゃないか。お前らも、リルトのお眼鏡にかなう錬金術師だぞ」
ラディムはそう言いつつ、タケルとアカネを品定めするかのように見た。無愛想だったラディムに向けられた視線に、タケルは思わず背筋を伸ばす。
「緊張しなくていいからね! ラディム、こう見えて優しいから!」
と、リルトは言った。
「余計なことは言うな。で、そっちの錬金術師」
ラディムはそっけない口調でそう言った後、タケルを指さす。
「リルトが見逃していても俺はわかる。同業者とは明らかに違う。ただの人間にもイデア使いにも見えない。リルトのようなホムンクルスでもない。お前は何だ?」
「え、僕?」
タケルは聞き返した。
とはいえ、タケル自身が異質である自覚はあった。
「僕がどんな返答をしても、何もしませんか?」
タケルは聞き返した。
「お前に関わった組織なんて、技術と研究方針以外は正直どうでもいい。全部話してくれ」
「僕が使う術式は、確かに本来の錬金術とは違います。錬金術師カノンが進めるΩ計画の被験体にされて、僕は異質な術式を手に入れました。ナノースってやつです。それから、僕の中には2人分の魂が存在しているんです。これもΩ計画の技術、魂の転移によるもの」
タケルは語る。
彼の言葉をラディムは食い入るように聞き、考察する。一方、リルトはさして興味があるようには見えず。錬金術師として研究する分野が違うから、この違いがあるのだろう。
「噂でしか聞いたことはないが、本当に大それたことをしている。魂なんて、俺は存在を否定していたつもりだったんだが……」
ラディムは言った。
そこにリルトが口を挟む。
「ほら言ったでしょ! 魂は神経系とホルモンで生じる概念とかじゃなくて存在するものだって!」
「そうかもな。検証していく必要があるだろう。ナノースとやらにも興味がある。間違いなく錬金術の可能性の一つだ」
と、ラディム。
すると、隣に座っていたマリウスが荷物を開けてファイルを取り出し。
「魂もナノースもおそらくこのファイルに詳細が書かれてるぜ」
マリウスはファイルを差し出した。
これはペドロが持ち出していた、転生病棟の研究成果のファイル。その一部。主要な研究の全容とはいかないが、これまでの成果が完結に記録されている。
ラディムはマリウスからファイルを受け取り、目を通す。
書かれている研究成果はまだまだ中間報告のようなもの。だが、完成したナノースや魂の詳細は確かに書かれている。
「ああ、あの野郎……陥れられて引きこもった俺とは大違いだ。ここまで組織的にとんでもないことを研究して」
ファイルの内容を見ながらラディムは悔しそうに呟いた。
すると、マリウスが尋ねる。
「技術とか以外はどうでもいいって言ったろ? どうしたんだよ」
「Ω計画の首謀者はおそらく俺の兄弟子だ。カノンだろう? 俺も一時期そいつの師匠、アノニマスに師事していた。色々あって追放されてしまったが」
ラディムは淡々と話そうとするが、湧き上がる感情は抑えられないようだった。
そんなラディムをリルトは温かい目で見守る。どれだけ取り乱しても彼女はラディムを見捨てない。
リルトを横目で見たラディムは感情を抑えるのをやめ。
「それにしてもアノニマスのアホもわけわからんことをしているじゃないか! 錬金術師としてどっちが上かわからせてやらないとな!」
先ほどとは口調を一変させて言う。
ラディムの様子を見てタケルはぽかんとしていた。これでもアノニマスはラディムの師匠。何かがあったことは確実だが、師匠に対して些か敬意を欠いている。
だが。
「うんうん、さすがラディム! アノニマスって人をアホって言えるのはラディムだけだよね!」
リルトはラディムの今のテンションを見たことがあるかのようにそう言った。
そうして話をしていると、台所の方からザグルールが焼き菓子を持って歩いてきた。
「楽しそうな話をしているね。ちょうどマフィンが焼き上がったところだから、皆で食べよう」
ザグルールはマフィンをここにいる者全員に行き渡るように配る。それぞれが思い思いの反応を見せるが、ひとりだけ、ミッシェルだけが芳しい表情を見せなかった。
「マフィンは嫌いかい?」
ザグルールはミッシェルに尋ねた。
「……ねえんだよ、味覚が。あたしの味覚は人体実験されたせいでなくなった。当然、甘いにおいはわかってもせっかく作ってくれたマフィンを味わうなんてできねえ」
と、ミッシェルは答えた。
「そっか。前に捕まえた被験体もそうだったしきっと君も……」
ザグルールはそう言うが、途中で言葉を切った。
空気が変わった。それにいち早く気づいたのはザグルールとエステル。少し遅れてアカネとスティーグも気がついた。
「て、敵襲だ!」
ザグルールはマフィンを運んできたトレーをテーブルに置いて言った。




