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髪々の試練  作者: 馬々通
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一毛不抜

 おれの人生をだいたい振り返ったところで、そろそろ婚活の話に戻ろうか。そもそもなぜ婚活を始めたのかだが、これについては本当に趣味としか言いようがない。会社の面接を受けまくったことのある人なら分かると思うが、あれはけっこう自分のためになる。他人の目で自分を客観的に見つめることで、自分を向上させるヒントを得たり、悪習を改めたりできる。おれはそんな体験を求めていたのだろう。それにおれは単調な生活が嫌で、変化を欲していた。

 ついに恐れていた三十代になり、三十代も板についてきたころ、おれのスマホに婚活サイトの広告が表示された。会社とジムに通うだけでは出会いがなく、交際範囲も限られてくるので、試しに婚活してみようと思った。そこでおれは帽子をかぶって撮った写真をアップし、プロフィールを入力し、システムにマッチングしてもらった。おれより年収の多い女はルックスがアレで、ルックスのいい女はバイトか家事手伝いだった。どうせ真剣に結婚するつもりはないんだから、最初は若くかわいい女ばかりに接触を試みた。ついにある女とLINEでやり取りできるようになり、週末の午後にカフェで会うことになった。おれは店の入口に時間どおりにやって来た女に、「あなたが斎藤希羅さんですか」と聞いた。写真と同じ帽子をかぶっているおれを見ると、彼女は「あなたが若松さんですね」と言った。

 店内に入り奥の落ち着いて話ができそうなスペースに腰を下ろし、適当に飲み物を注文すると、おれたちは改めて自己紹介をした。写真ではかなり若く見えたが、実際に会ってみると二十六という年齢の割には世慣れた様子をしている。だがトークは巧みで、おれは肩に力を入れず仕事や生活のことを話せた。

「へぇジムに通って鍛えてるんですか、すっごーい! じゃあ筋肉すごいんじゃないですか、ちょっと腕を触らせてください……」

 なんかやたら愛想が良い。近づくと彼女が厚化粧で、香水の匂いがきついことが分かる。それでも体にこびりついたかすかなタバコの臭いは隠せていない。おれは思い切って、職業はなんですかと聞いてみた。彼女は舌を出し、照れ隠しのふりをし、

「実はクラブでホステスをしてるんです。あっ、でもお客さんのお酒の相手をするだけで、ベッドまではお付き合いしないんですよ」と聞いてもいないことまで白状した。それから彼女は妙に卑屈になり、そろそろ真面目な男を見つけて安定した暮らしを送りたいと婚活の動機を語った。男のルックスなどぜんぜん気にしない、大切なのは心、配偶者への愛と真心なのだと熱弁した。おれは女ばかりに打ち明け話をさせるのは悪いと思い、ついに帽子を脱いだ。女は笑みを浮かべ、その笑みをしばらく顔の上で膠着させてから、嫌な客が帰った後のホステスのように顔を曇らせた。しばらくの沈黙。エアコンの風がやさしくおれの頭皮をなでていき、汗をゆっくり乾かしていく。彼女はさっきの話の続きをするように、ぽつりと言った。

「でも髪のない人には耐えられないかな」

 それから経験豊富な彼女は、プロフィール画像はあまり盛らないようにとおれに忠告した。おれもせっかくなので、ハゲの何が悪いのかを聞いてみた。彼女は無遠慮におれの頭を見ながら、

「デブと同じで、だらしない印象を受けるんですよね。もうおじいちゃんになっているならしょうがないですけど、お客さんはまだ若いし、ケアすればなんとかなると思うんですよ。諦めずアンチエイジングに励む姿勢が欲しいですね」

 ハゲはだらしない、その発想はなかったな。なるほど髪の毛がふさふさの部長がだらしなく見えるのは腹のせいで、グッドシェイプなおれがだらしなく見えるのはハゲのせいだ。ハゲは諦め、怠惰、敗北の印というわけか。いろいろ教えてもらったお礼に、おれは強いて彼女の分も支払ってやった。おれたちは平和に別れることができた。

 おれは帰る途中に薬局に寄り、安すぎない高すぎない育毛剤を購入した。説明書を読むと、一日一回、入浴後の使用がオススメとある。こういう時だけは誰よりも聞き分けのいいおれは、シャンプーでいつもより丹念に頭を洗い、よっく乾かしてから薬を頭につけ、指の腹や爪先を使いリズミカルにマッサージした。やればやるほど頭皮にいいと思い、前腕部が筋肉痛になるまで続けた。ついに終了すると、頭皮の下を流れる血管がドクンドクンと力強く脈打ち、じわりと温かい血液が流れるのを感じた。この確かな手応えは筋トレと同じぐらい気持ちがよかった。あの女が言ったとおりで、ハゲに戦いを挑むのもなかなか楽しそうだ。

 が、そんな気持ちよかったのは最初だけで、頭皮は古女房のように、おれの愛撫にだんだん無感覚になっていった。単一的な刺激だけではこいつも寂しかろうと思い、おれは通販で頭皮マッサージグッズを購入した。ゴムを振動させるタイプのやつで、まさに大人のおもちゃといったところか。電源を入れると小さいくせに力持ちでけっこう振動しやがる。頭皮というよりも頭蓋骨まで揺れる感じで、それにつられておれの顔全体もぷるぷる震える。肝心の頭皮は摩擦ですっかりポカポカになり、おれは急いで薬をふりかける。根っこまでひやりと浸透していく感じで清々しい。だが大人のおもちゃが気持ちいいのは最初だけで、後はやはり自分の利き腕という永久の宿りに戻るのと同じく、おれはだんだんマッサージ器を使うのが面倒になっていった。

 次におれがやったのはムダ毛処理だ。果物の剪定と同じで、ムダ毛が頭皮に回るはずの栄養を吸うのを恐れた。おれはまず、欧米では当然のマナーでさえある陰毛の処理に取り掛かった。おれの場合は剃るのではなく抜くのであったが。実際にやってみると思ったよりも痛くなかった。強く引っ張るだけで一気に何本も抜け、最後に残された猛者には多少手こずったが、涙を流しながらなんとか抜き終えた。いきなり全部なくなると不自然で、大人のものなのに子供のようにツルッとしているから、いびつでグロテスクだ。陰毛よりも痛かったのはすね毛やワキ毛や指の毛で、これは酒を飲み感覚を麻痺させてから「ちくしょう!」と叫び勢いよく抜いた。口ひげやあごひげはピンセットで太いのをスッスッと引っこ抜き、大きな毛穴から時どき血が吹き出した。これで頭の毛が無事すくすく育つだろうと安心したが、根絶やしにしたはずのムダ毛はまだ同じところから、いじめられたせいで前よりもいっそう強くなって生えてきた。

 とにかく自分にできる範囲でいろいろ試してみたが、砂漠化した大地に草が芽生える気配は毛ほどもなかった。それでもおれは砂漠を緑地にしようと勇み立つ人々と同じく、めげずに戦いを続けた。一進一退の攻防を半年も続けると、おれの輪っかがついに、外側から徐々に半径を縮める兆候を見せた。手で触れると、そこにはかわいらしい産毛のようなものがあった。おれの手で新たに生を手にした命が愛しかったので、優しくなでて、実の息子のように大切にした。

 なんか自信が出てきた。おれは今はハゲだが、それは仮の姿であり、これから本来のフサフサでマッチョで魅力的な自分に戻れるかのように。自信は表情に現れ、写真をとる時も笑みに余裕が生まれた。おれはハゲてるくせにえらく堂々としている写真をプロフィール画像に使い、ハゲてても条件次第ではオッケーな女を探した。おれは自己紹介欄で長所を紹介するというよりは、自分が女にとって都合のいい人間であることを強調した。田舎の次男坊で自由な身。給料は少ないが勤務時間も短く、家事に十分時間を回せる。料理が得意で和洋中となんでも作れるし、アイロン掛けも得意だ。真剣に結婚するつもりがないくせに、何を書いているんだろうか。

 実際に魅力的な女が目の前に現れると、結婚なんてどうでもいいというおれのドライな態度はあっさり吹っ飛び、是が非でも結婚し法的に結ばれ夫婦としての確かな関係を築きたいという執念にとらわれるようになった。

 女の名は佐伯詩乃といった。おれよりいくつか年下の会社員で、メガネをかけ黒髪を長く伸ばし、決して美人ではないが女流棋士のように知的で魅力的な雰囲気を醸していた。おれたちはやはりネットでのやり取りを経て、互いの住所の間に位置する駅周辺の喫茶店で会うことになった。実際に会った彼女は画像以上にクールで、わさびのような辛辣さを内包していた。話をしていても言葉遣いが独特で、絵文字やスタンプやネットスラングを駆使し語彙と表現力が乏しくなっている今どきの女とは一線を画していた。どうも婚活をするような女には見えないので、「どうして婚活を?」と聞いてみた。

「周りに凡な男しかいなくって」と女は短く答えた。

「じゃあおれは凡じゃないってこと?」

 女は言葉で答える代わりに、おれの頭頂部に鋭い視線を向け、いつまでも離そうとしなかった。頭皮が徐々にむず痒くなってきたが、それを掻くわけにもいかなかった。

「私には分かる。あなた自分の体と戦ってるんでしょう、努力して現状を維持してるんでしょう。そういう正々堂々と自分と向き合う人は非凡だと思うの」

 変に買いかぶられ恥ずかしくなり、ついにたまらず頭を掻いてしまった。女は初めて微笑んだ。

 おれたちはその後も、男女というよりは親しい友人のような交際を続けた。詩乃はいつもデートの時に妙な場所を指定し、自分一人で楽しんだ。隣県にある大海原を望める静かな岬でエスペラント語の発音を練習したり、観光客の少ない古墳に行き瞑想したり、照明が薄暗く流行っていない水族館で一日中サンショウウオを見つめていたかと思いきや、いきなりゲームのコスプレをしてオタクの街に繰り出したり、平日の昼間からカラオケで熱唱し喉を枯らしたり、駅の近くのホテル内にあるカフェで酒を飲みながら忙しく働く人々を眺め背徳感を味わったりと、この女といると今までにない新鮮な体験の連続だった。しばらく連絡が取れない時はたいてい、行き当たりばったりの旅に出ていた。こんな女が本当に結婚するのだろうか、結婚に向いているのだろうかと不安になってきた。

 変わり者の彼女におれはのめり込んでいった。神秘のヴェールを剥ぎ取り本当の彼女をむき出しにし、支配し、喘がせたいと切望した。だがおれが攻めるたび、彼女は細かいジャブを放ち、フットワークを効かせて一定の距離を保った。酒も夜は飲まなかった。おれはだんだん物足りなくなり、焦れてきた。そんなおれを励ますように彼女はこう言った。

「あなたならきっと生やすと信じている。本当にフサフサになったら、その時に私たちのことを真剣に考えましょう」

 これは本気で髪を生やさざるを得ない。おれはネットでさまざまな育毛サロンを調べてみたが、育毛コースは手が届かないほど高く、抜け毛予防コースはすでにハゲてる場合は意味がなさそうだ。おれが個人の力でできることと言えば、動画などで正しいマッサージ方法を学び、育毛剤を見直すことぐらいだ。そこでおれは通勤途中の缶コーヒーなどの出費を抑え、一本で六千円もする「一毛不抜いちもうふばつ」という毛生え薬に変更した。一本も抜かせてなるものかという気概が気に入った。さすがは高級品だけあって、一週間もすると効果が出始めた。新たに髪の毛が生えてきたというよりは、元からあった毛が元気になり太くなったおかげでボリュームアップした感じだ。詩乃もおれの変化に気づき、「ドーナツ化現象の地方への広がりについに歯止めが掛かりました!」と喜んだ。その日おれたちは初めて軽く抱き合い、唇の表面だけでキスをした。おれはそれだけで十分幸せになれた。フサフサになり、変わっているけど素敵な詩乃と結婚する未来を思い描いた。

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