それでは私たち、一応、婚約いたしましょう
ようやく回復したレティシアは、話を中断させてしまったことを改めて来客に詫びた。
「もう大丈夫ですわ。お待たせしてしまって、申し訳ありません」
小半刻ほど休むと、レティシアもなんとか気持ちを取り直した。
先ほどの昏倒は、すぐさま介抱してくれたアルベールの見立てによると、極度の緊張で軽い脳貧血を起こしたのだろうということだ。
その時点で話し合いは仕切り直しをしてもおかしくはなかったのだが、しかし、サフィール家をとりまく状況の雲行きの怪しさから、レティシアの回復を待って、話の続行をすることとなった。
(人間って驚きすぎると具合が悪くなるものなのね……)
休んだおかげで、レティシアの緊張もかなり解けたが、アルベールの申し出はまだ夢を見ているかのように思えている。
「では、さっそくだが、レティシア嬢。どうだろう? 私との結婚を考えていただけるかな」
レティシアの顔を、アルベールは微笑みながら見つめてくる。優しげな笑みが添えられてはいるが、思慮深さのうかがえる眼差しはレティシアの心の底を探っている様子だ。
(この方、やっぱり切れ者だわ)
自分を介抱してくれたアルベールの手並みを思い起こしつつ、レティシアは彼の姿を見返す。
先ほどはむしろ弟の方が慌てていて、主にアルベールが指示を出し、レティシアの状態を確かめて、水を飲ませるなどの処置を行ってくれた。
迷いない姿はなんとも頼りがいがあり、気遣いの細やかさにも感嘆する。
アルベールの粗野なところはひとつもない物腰には、育ちの良さが感じられる。語り口や気配りには、彼の噂通りの切れ者ぶりが仄見えた。曰く、名君と呼ばれる現国王の業績の半分はスルト侯爵を宰相としたことであり、跡継ぎであるアルベールはその父をもしのぐ才を持つと評判だ。
そんなアルベールからの求婚に、レティシアとてときめかないわけがない。
(なんだか、ちょっと格好良すぎる……)
そもそも、物理的に顔がいい。
少し童顔よりではあるのだが、彼は綺麗な整った顔立ちをしていた。これまで遠目には姿を見かけたことはあったが、間近に見るとあまりにも美の圧が強い。
(綺麗でかわいいって顔立ちよね……お母様似なんだろうな……)
大きくて粗野で男臭い兄とは正反対の生き物だ。
学校もはじめから女子部と男子部で分かれているためもあり、家族以外の若い男性とこんなに近づくことなどほぼない。これまで一番側にいた男性は野生児の兄であったのだから、彼などもっとも免疫のないタイプである。
優しげで紳士的な所作に、知的で、強く、美形で……とにかく全てが魅力的だ。
更にレティシアには彼がスルト侯爵の息子という点で、特別に心がざわめいてしまう。
(抗いがたい……!)
反面、やはり気になる点がチクリと胸の片隅を刺す。どうして、自分が彼から求婚されるのか。
正直なところ、今の窮状から抜け出すには、聖女になりたいという希望は横に置いて、この人の手を取るのが一番いいように思える。
しかし、あまりにもいい話すぎるからこそ、簡単に飛びついていい物かという迷いがあった。
「アルベール様は、本当に私でよろしいのでしょうか。先ほど申し上げたとおり、あまりにも身分差がございます」
(やっぱり、私が【魅了】だから?)
簡単に導き出される答えではある。
アルベールの存在自体が有名であるので一方的に知ってはいたが、兄の知己であっても、これまで会った覚えはない。
そうなると、自分が彼にここまで望まれる理由は【魅了】であることしか思いつかなかった。いくら兄が自分を売り込んだからとて、それだけで下級貴族の娘を娶ろうなどとは無理がある。
「そんなものは関係ないよ。私は君がいいんだ」
「ですが、私ではご一族の中から反対の声が上がることはございませんか?」
「そうだな……普通ならばそうなるかも知れないね。でも、君が特別な人であることは広く知れ渡っている。儀式の乙女を務めた者は、かつては王族の一因となった前例もある。我が家でも儀式の乙女との婚姻ならば、誰も反対はしないよ」
「そうでございましたか」
アルベールの口から、ようやく納得のいく言葉が出たことで、レティシアはホッと息を吐いた。
やはり、「儀式の乙女」。つまりは【魅了】だ。
それが求められての求婚ならば、全てがストンと腑に落ちる。
そのおかげで頭も冷静になって、動悸がおかしくなるほどだったときめきもかなり落ち着いた。
(やっぱり、そうか。だったらわかるわ)
あまりにうますぎる話では、どんな落とし穴があるか分からない。
明確に、【魅了】が目当てなのだと分かれば、納得も行くし、自分を高く売りつけることにためらいもなくなる。
反面、少しだけがっかりとした。
誰もが【魅了】ありきで自分を見る。そのことが、自分が本当には見てもらえないように感じられて、少しだけさみしく思えるのだ。
(仕方ないじゃない。私だって、条件でこの方を見ているのだし)
先ほどまでレティシア自身が、できるだけ条件のいい相手に、いっそのこと位の高い貴族に見初められはしないかと夢想していたのだから、そこはお互い様である。
「質問があるのですが」
二人の会話に端で聞き入っていたステファンが、不意にスッと片手をあげた。
「儀式の乙女との婚姻ということは、アルベール様は姉が乙女役で儀式を務めあげるまで、清い身のままで待っていただけるということでしょうか」
「それは当たり前だろう」
不躾なその問いには、さすがにアルベールもいささか気を害した様子で返してくる。だが、サフィール家側としては、これはきちんと確認しておかなくてはならないことだ。
儀式の乙女は処女でなくてはならない。それを破った時点で、レティシアは役柄を務める資格を喪失してしま。
「では、結婚はいつごろになされるおつもりですか」
「勿論、彼女が学校を卒業してからだね。私自身は急いではいないから、エルキュールが戻ってから、レティシア嬢の希望を聞いて、互いの家の協議で決めるのがよいかと考えるんだが、どうだろうか」
「今すぐじゃなくてもいいんですか?」
「レティシア嬢はまだ学生だし、細かなことは、当主であるエルキュールの意向をくまないと決められないだろう? そうなるとある程度の婚約期間は必要だと思うね」
立て続けの問いに、アルベールは何故こんなことを尋ねられるのか、といった表情で答えを返してくる。
それは常識と照らし合わせると大変に模範的な内容であるのだが、これまで横紙破りの誘いばかりが舞い込んできたことに頭を抱えていた二人にとっては、涙が出るほどにありがたい真っ当さだ。
(「……姉さん、これは」)
(「うん……」)
レティシアとステファンは互いに視線を合わせて頷き合った。
「それで……我が家は今、借金の返済を迫られているのですが」
「それは婚約を承諾してもらえたら、我が家で引き取って処理をするよ。状況を考えると、私が婚約者として債権の肩代わりをするのが穏当だ。……ただ、私の話の進め方が性急すぎて、レティシア嬢が惑うのは当然だと思う。当主不在で婚約を決めてしまうのも望ましいことではないしね。だから、とりあえずエルキュールが戻るまでの仮約束でもかまわない。その場合は婚約したことは対外的には伏せておいて、エルキュールが戻ったら改めて話し合おう」
「! 本当に、それでよろしいんですか」
「ああ」
ハッとして、姉弟は互いの姿を振り返り、頷き合った。
それはなにもかもが理想的な、二人が望んでいた条件だ。
「姉さん……」
「ええ」
一番感動するのは、彼はエルキュールが生きていることを前提として、すべてを口にすることだ。
(この人、ちゃんと兄さんが生きてるって信じてくれてる……)
兄が姿を消して以来、ほとんどの事柄を、「エルキュールは既に死んでいる」という前提で突きつけられてきた。姉弟二人で兄は生きていると突っぱねても、ほとんどの者が彼は死んだものとして振る舞った。
アルベールが迷いなく、兄が生きているものとして手を差し伸べてくれることがどんなにうれしいか、こうして話していると実感する。
「アルベール様、失礼な質問をしたことをお詫びいたします」
彼に改めて詫びるステファンの声からは、先ほどまでの気負いが消えていた。
「実は、姉の元にすぐに退学させて娶りたいなどといった不埒な話ばかりがきていたので、心配だったんです」
含みを持った言い方で現況を伝えると、アルベールは苦笑した。
「なるほど。気にしていないよ。君の心配も勿論だ。レティシア嬢はまだ学生だし、儀式の乙女に手出しなどできないよ。そこは信用をしてもらうしかないけれど、我が家は王家とはつながりがかなり深い。教会ともだ。国の大事な儀式を乱すようなことは、私は決してするつもりはない」
アルベールの丁寧な答えにステファンは深く頷くと、隣に座るレティシアにくるっと身体ごと向き直った。
「姉さん、これはありがたいお話です」
「ステファン」
「姉さんと僕の身の安全のためには強い後ろ盾が必要です。これまでは兄さんがいたから何の手出しもされませんでしたけど、今のこの家では、賊にでも入られたらひとたまりもありません。でも、アルベール様に姉さんの婚約者になっていただけたら、誰も絶対に手出しは出来ないです」
国で一番の権力を持つ上級貴族だ。その家の嫡男に見初められたというのは、いわば箔である。誰もが報復をおそれて、レティシアにも、この家にも手出しはしないだろう。
「守ってもらわないと、この家はもう危険です。わかるでしょう? この前、借金取りが来たときも」
「……ええ」
債権を持っているのは街方の金貸しだが、なんとも嫌な目つきをしていた。
用心棒と称する見るからにガラの悪い男たちを数人引き連れてやってきて、「おまえが身体で返してもいい」と言われ、値踏みする視線を向けられたのは記憶に新しい。
「兄が戻るまでは仮のお約束で本当によろしいのでしょうか」
「ああ。それで構わない」
「アルベール様、私が聖女候補であることはご存じですよね」
「もちろん。先ほどと言ったように、我が家は王家とも教会ともつながりが深い。君のことはまれに見る逸材だとは聞いているよ」
「私、本当は教会に入って聖女になりたいのです。聖女になって一生安定した生活を送るために、今まで励んで参りました。そんな女でもよろしいですか?」
つまり、兄が無事戻ってきたら、すぐさま破棄の可能性もある。
暗にレティシアがそう告げるのを、アルベールは面白そうに見遣った。
「ああ。君ははっきりとしていてとてもいいね。なんとも勇ましい」
「勇ましい……」
その言葉を喜んでいいものかと迷うと、アルベールはすぐさま訂正を入れる。
「失礼。凛々しいと言い換えよう。それに、面白い。私はそういう人が好きなんだ。芯の通った人がね」
「面白い……」
「ああ。自分の意思をしっかりと持った強い人だろう、君は。凛として、とても美しい」
「……!」
的確にレティシアの胸をぐっと掴むような言葉を、目の前の貴公子は息をするように告げてくる。
「レティシア嬢が聖女となることを望んでおられることはよく分かった。しかし、これまでにも聖女となられた後に、結婚のために還俗された方もかなりおられる」
「それは、どういう意味でしょうか……」
「君の望みも、私の望みも双方叶える道もあるということだね。まあ、エルキュールが戻るまで、考える時間はまだあるだろう。きちんと見つけ出してくるよ」
「お願いします! 絶対に!」
絶対に、の部分に特に力を込めると、アルベールは力強く頷いた。
「勿論。友人をこのままにするつもりはない」
「…………アルベール様、お話は謹んでお受けいたします」
「では、愛しの婚約者殿。この後は全てを私に任せてもらおう」
レティシアが意気込んで返答すると、途端にアルベールに片手を取られ、手の甲に口づけを落とされる。
貴公子は婚約の成立の手並みまで完璧だった。
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