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思いがけない申し出 〜少し都合が良すぎませんか?〜



 来訪者は館のテラスでレティシアを待っていた。

 応接室ではレティシアが叔父を遇していたので、仕方なしにステファンがこちらに案内をしたそうだ。

 彼はレティシアとステファンの二人に話があるとのことだったので、とりあえずは茶菓でもてなし、先客が去るのを待っていたのだという。



 確かに庭に面したテラスならば、この時期はなんとか来客を遇せる程度に整えられている。

 バラの花の咲く時期であるので、庭を見て貰うという趣旨であると伝わるし、他の部屋に通すよりはよほど見栄えもいい。ソファなどの調度品はかなり古ぼけてはいるが、昼日中の日が射し込む場所ならばなんとか誤魔化せるはずだった。


「……」


 先ずはこっそりと扉の影からテラスを覗き込み、そこにいる男性の姿を目にして、レティシアは息を飲んだ。

 明らかになにもかもが一級品とわかる出で立ちの彼だけが、その場所で浮いてしまっている。古い調度品がぼんやりとした背景のようになっていて、まるで人物だけ描くのが上手い画家の手による、ちぐはぐな肖像画のようだ。

 彼だけに目が奪われているうちはいいのだが、その人を中心にして辺りを見てしまうと、なにもかもがみすぼらしく感じてしまう。


(これは、無理……!)


 そこに立つのは本物の貴公子だ。

 火炎魔法を得意とする血筋によく出るという燃えるような緋の色の髪に、はしばみの眼差し。白磁のような滑らかな肌に、中性的にも見える整った顔立ち。瞬きすらも優雅で、全身が気品に溢れていた。


(ちょっと、ステファン)

(なんですか)

(これって現実なの?)

(残念ながら、現実です)


 レティシアが思わず弟の姿を振り返り、潜めた声で問いかけるのに、弟も残念そうな顔でそれに答える。


(一体、どうして?)

(わからないから困っているんです。あの方は姉さんと僕を訪ねてきたので、話は姉さんが来てからにするとおっしゃってます)

(ええー?)


 兄が不在な今、当主の代理は弟のステファンが務めるのが本来であるが、彼の年齢から言ってレティシアが名代を務めるのでもおかしくはない。

 それに弟から話を伝え聞くよりも、二人揃って聞ける方がいいのは確かだ。


(とりあえず、借金の催促でなければいいわ)


 兄が知らないうちに借金をしていたというのでもなければ、そんなに驚きはしない。

 気を引き締めて、レティシアはテラスの中に足を踏み入れた。


「あの……」


 レティシアが側へと進み寄ると、彼はすぐさまソファから立ち上がる。


「お待たせして申し訳ございません」

「レティシア嬢。いきなり訪ねる無礼をしたのは私の方です」

 淑女の礼儀に則ったカーテシーを行うレティシアに、彼は答える。


「こちらから庭を眺めてさせていただいて、懐かしい記憶をたどっていました。以前にもこの場所に通していただいて、お二人の母上にパイを振る舞っていただいた。今でも思い出せる特別な味です。レティシア嬢が確か四つの頃でいらした」


 待つ時間は苦ではなかったと言外に口にして、彼は優美に微笑む。


「まあ。でしたら、まだ弟が生まれる前ですのね」

 レティシアは頭の中でそれが何年ほど前に当たるだろうかととっさに計算を行った。その言を鑑みるに、彼が兄の友人というのは真実であるらしい。


 それから、彼も上級貴族らしい洗練された仕草でサフィール家の二人に挨拶を行った。


「改めてご挨拶いたします。私はアルベール・スルト。この度、王命を受け、エルキュール・サフィール子爵の捜索の指揮を執ることになりましたので、ご挨拶に上がりました」


 この国の宰相を務める家柄であるスルト侯爵家。その家の嫡男であり、すでに次期宰相と目されるのがアルベール・スルト侯爵令息だ。

 大貴族であり、王太子とも従兄弟の関係にある彼は強い魔力を持ち、すでに宰相補佐としてその有能さを発揮しているそうだ。

 その容姿も飛び抜けていて、気品のある整った顔立ちの彼には誰もが目を奪われるという。


「サフィール子爵……、エルキュールとは同い年で、幼年学校では机を並べていました」

「そうでしたの」


 純粋に驚きつつ、レティシアは彼の言に相づちを打った。

 確かに年回りは同じだが、幼い頃から野生児と呼ばれた兄と気品あふるる彼が共に学習をしていたという姿がどうにも想像しづらい。だが、同級であるならば、縁があった事にも納得だ。野生児の兄は、家の格など物怖じせずに相手の懐に入り込むのがうまいので、意外なところに知己がいる。


「私が途中から留学してしまったので、道は分かれましたが、彼がどんな男であるかはよくわかっています。ですから、どうかお二人もあまり気を落とさずにいらしてください」

「はい」

「曰く『エルキュール・サフィールは殺しても死なない』。そうでしょう?」


 不意に、右手の人差し指を一本立てて、アルベールがとある文句を諳んじる。


「ええ。そうですわ」


 それは兄が幼い頃から自身で口にしていた言葉だ。レティシアが軽く目を見開くのに、アルベールはニヤッと笑ってみせた。

 わざとらしく崩したその笑い方は、アルベールが本当にエルキュールを知っているということだ。


(この人なら大丈夫かも……ちゃんと兄さんを探してくれる)


 彼が出してきたサインに気がついて、レティシアの胸に安堵が落ちる。

 王女の護衛任務中に襲撃を受けたのだから王命で捜査が行われるのが当然ではあるが、あまりやる気のない者が指揮を執っていたら、捜索も形ばかりのおざなりにされるかも知れないという心配があったのだ。


「では、兄とはかなりご親交があったのですね」

「そうですね。幼年学校の頃が一番縁がありましたが、今もこうして個人的に手紙をもらう程度には」


 レティシアの問いかけに頷いて、アルベールはいくつかの階級章やモールのラインが入った白地の上着の胸元から、一通の封筒を取り出した。


「手紙?」

「兄がですか?」


 彼の言葉に驚いて、レティシアとステファンは二人揃って、聞き間違えではないかと彼に問い返す。


 エルキュールは完全に頭が筋肉で出来ている類の人種だ。

 机に向かう姿を見ること自体が滅多にない。サフィール子爵家を継ぎはしたものの、細やかな書類仕事や手紙を書く際は、弟妹二人に作業を大幅に手伝わせている。

 そんな兄がアルベールに個人的な手紙を出しているなど、あまりにも思いがけないことだった。


「ええ。サインを確認していただけますか」


 弟妹の考えを正確に読みとったらしく、アルベールは小さく笑って、封筒に書かれた署名を見せてくれる。

 独特な筆跡、正確に言えば、あまり文字を書き慣れないが故に癖が強くて下手くそな署名は、確実にエルキュールの自筆のものだ。


「本当だ」

「兄さんの字だわ」


 二人が驚いて声を上げるのに、アルベールはその通りと言いたげに頷いた。


「驚くのはまだ早い。この後は腹を割って話をさせていただきたいが……良いだろうか?」

「……はい」


 ちらっと自分たちを見るまなざしは親しげで、それにつられて、二人は惑いながらもうなずいた。


(腹を割って…? なんなのかしら)


 迷いはしたが、話を聞いてみないことには始まらない。


「ありがとう。二人とも口調も楽にしてもらえるかな。これから君たちとはいろいろを話し合わないとだろうからね」

「はい……」

「では、話そう。今日の話の本題は、実はこの手紙の内容についてなんだ。この際、内容を先に見てもらった方が君たちには受け入れやすいと思う」


 不意にアルベールの口調が親しみやすく崩れる。

 まるで学校の後輩に話しかけるような語り口で、彼はレティシアとステファンに声をかけて、手紙を差し出してきた。


「よいのですか?」

「ああ。まずは君たちで読んでくれ」


 了承を取った上で、レティシアは封書を受け取り、中の書状を開いた。


(兄さんも、一応はこういう手紙書けるのね……)


 文書の筆跡も明らかに兄のものだ。きちんと時節の挨拶から始まる、礼儀に則ったものである。ただし、文章の始まりこそできる限り丁寧に書かれてはいるが、数行ですでに面倒になったようで、徐々に書き文字が雑になっていくところもいかにも兄らしい。


(ん……?)


 その便箋の下部に、大問題すぎる文面があることに気付いて、レティシアはその箇所を二度見した。



「はぁ……?」

「なんて書かれてるんですか」


 便箋を持った手をレティシアが震わせると、ひょいと肩越しにステファンも文面を覗き込んでくる。



(これは……)


 貴族らしからぬ文面はいかにも兄らしい。武勇を誇るといえば聞こえはいいが、本当に成績が壊滅的なのだ。

 文官になる才能は一切持ち得ていない。そんな彼が書いた文面は、あまりにもわかりやすく、情緒のないものだった。


『俺に何かあったら、妹を嫁にしてくれ』


 定型の挨拶を終えた後に、兄の雑な筆跡で綴られているのは、なんとも明確な言葉である。


「あの……これ……」

 手紙を持つ手を震わせていると、目の前でアルベールがにっこりと笑う。

「そういうことなんだ。おわかりかな、レティシア嬢」

 この国の貴族階級の女性ならば誰もが心奪われると称される笑みと優しげな声色は、レティシアを硬直させた。


「え……?」

「この通り、君の保護者からの許しは得ている。レティシア嬢、私と結婚して欲しい」


 突然の事柄を噛み砕いて理解する猶予も与えずに、アルベールが求婚を申し出る。


(け……っこん??)


 そもそも何の前触れもなく、本人がいきなり求婚しにくるなど貴族の作法には合っていない……いや、そもそも政略結婚の多い貴族間であっても初対面でこんな申し出は無作法で……。


(待って……)


 自分の身に起こっていることが受け止めきれずに、レティシアは今の状況を頭の中にある貴族の常識と一生懸命に照らし合わせた。


(待って、待って、待って……どういうこと?)


 どう考えても様々が常識外で、思考が全く追いついていかない。


「本当……ですか?」

「もちろん。私は君に求婚しにきたんだ」


「ええー!?」

 レティシアとステファン。サフィール三兄弟の下の二名は、思いがけない求婚者の姿を引き攣った顔で見返した。




お読みいただきありがとうございます。

続きは明日更新予定です。



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