いくら貧乏だからって、悪女になんてなりません
その体質を持つ者の数が少ないゆえに、【魅了】の力は正しくは知られていない。
そのために、【魅了】持ちは男を虜にして操る悪女となると言われてもいる。
精霊を魅了して強い力を借りることが出来るならば、人の心などもっとたやすく操れるだろう、というのがその理由だ。
実際、それは本当に行えるとはレティシアも知識として教えられていた。
「癒やしの助けを得るのは光の精霊の御名と御力によるもの。それとは真逆の存在もあるのですよ」
と教えてくれたのは、教会でレティシアに聖女教育をしてくれている司祭だった。
曰く、身体の癒やしは光の精霊の力を借り、心の安寧には闇の精霊の力をいただくのだという。しかし、闇の精霊は難しい存在で、力を借りるにも自分をきちんと律しないと取り返しのつかないことが起こりかねないのだそうだ。
力の使い方を誤った【魅了】持ちが、国の興亡に関わる大事件の引き金になったこともあるのだという。実際、大陸の歴史を紐解けば、国を傾かせた悪女は【魅了】だったという伝説もいくつも残っていた。
去年、他国で男爵令嬢が世継ぎの王子に見初められ、本来の婚約者である侯爵令嬢を差し置いて王妃になるという椿事が起こった。
衆人環視の場で侯爵令嬢を貶めた上で婚約破棄を言い渡したために、問題が大きくなり、現在はその国は内乱状態だ。あまりの大事になったためか、件の男爵令嬢は【魅了】持ちで、王子を操っているようだとまことしやかに囁かれている。
そのとばっちりを受けて、レティシアは【魅了】だと公表した途端に同級生の一部から、【魅了】持ちなどはすぐに男に色目をつかう悪女になると声高に言われている。
曰く、レティシアが下級貴族であることもその理由の一つだという。皇帝や王子を惑わした女性は下級貴族の娘が多い。身分も低く、困窮しているからこそ、高い身分に成り上がろうとするのだという。そうなるとレティシアなど、まさに悪女になりそうな人物像なのだそうだ。
(そんなの、絶対に私には関係ないのに!)
理不尽だ、と思う。他国に起こったことで、自分が責められるいわれはない。
更に困るのは、彼女たちはそれでいて人前ではレティシアを過剰な聖女扱いをすることだ。
「あら、聖女になられるのにそんなこともご存じありませんの」
先日も些細な間違いで、声高に笑われた。上級貴族であるならば当然理解しているマナーだという。
しかも、級長を務めるアリシア・ラインスター侯爵令嬢がレティシアを糾弾する急先鋒なので、クラス内ではその流れを誰も止められない。
父が生きていた頃には、レティシアも上級貴族とやりとりができるように、家庭教師をつけて振る舞いや礼儀作法のマナーの個人授業を受けていたが、困窮によってそれが途絶えた今は時折小さなミスをしてしまうことがある。
何も言い返せないのが悔しいが、教室で他の生徒に食ってかかるといったことは、聖女候補としては醜聞にもなってしまう。
学校内で収まる話ならばいいが、宮廷の社交界に流れたら、レティシアの聖女としての資質が疑われかねない。そうなれば、レティシアの儀式の乙女役で聖女候補という地位が揺らぐ可能性が出てくる。
そんな悪循環に陥りかねないので、今はただ、何を言われてもおとなしくしているしかなかった。
(本当は、一発ひっぱたいてやりたいところよ!)
元より聖女候補として名乗りを上げる前から、彼女たちはレティシアがどの派閥にも属していないことが気に障るようで、ずっと子爵令嬢ごときが偉ぶっているといった因縁をつけられていた。
良くも悪くも、レティシアは目立つ容姿をしている。
そのために、入学時には交流会に参加しないかと声をかけられたのだが、家の都合でと誘いを断り続けたら、いつしか子爵令嬢ごときがお高くとまっていると陰口をたたかれることになった。
実情としては、幼年学校の終わり頃から父が体調を崩し、その看病のために学校が終わるとレティシアはすぐに帰宅していて、学校で他の生徒と優雅な交流を持つ余裕などなかっただけなのだが、そんな言い訳にはもちろん聞く耳は持ってもらえない。
(いくら貧乏貴族だからって、悪女になんかならないわよ!……だからこそ、本当は、絶対に教会に入らなくてはならないのに)
そんな言いがかりも自分が無事に儀式を務めあげ、教会に入って聖女となれば全てが変わる。これまで、それを目標に頑張ってきた。
なのに、このままでは聖女になるまでの期間を持ちこたえられない。
借金が焦げ付いているなどと教会に知られたら、それを問題視されて、儀式の乙女の役が次点の候補に譲られてしまう可能性もある。
教会はこういった醜聞も世俗の汚れとして嫌うのだ。
「身売りかぁ……」
もしも兄が帰ってこなければ、今や金となるのは自分の身柄しかない。
【魅了】を持つレティシアの身柄自体に価値があるのだということは自分でもよくわかっている。
レティシアを手に入れるということは、彼らにとってはいわば金運向上や長寿のお守りを買うようなものだ。百発百中、絶対に効果のあるお守りならば、少しくらい値が張っても良いと考える者なのだろう。
実際、今よりももっと女性の地位が低かった頃には、【魅了】の女はもっとあからさまに商品や貢ぎ物のように扱われていたという。
しかし、今の王の代でこの国には貴族の子弟のための学校が造られ、男女ともに近代教育が行われるようになった。女性も家の当主となることができるようになり、劇的に身分が向上したのだ。
レティシアたちも学校に通い、教育を受け、身分の保証がされている。
だからこそ、今の時代ならばマシな条件で援助をしてくれる誰かを見つけられるかも知れない。そのことだけが、現状を打開する唯一の希望だった。
(それなら、せめて正妻。正妻で迎えてくれて、年の離れすぎていない人をなんとか見つけるしかないわ)
可能ならば、今は婚約だけをして結婚は学校を卒業してから、性的交渉をしない状態でレティシアが儀式の乙女を務めるまで待ってくれる相手が一番である。
儀式さえ勤めあげれば、聖女になれる権利を得られるのだ。あわよくば、儀式後にはその権利を行使したいところである。
(せめて、普通の婚約がしたい……!)
そういった相手をなんとか見つけられないものか。
更に出来れば、結婚と引き換えの援助ではなく、レティシアの聖女となる将来性を認めて長期の融資をしてくれる相手ならば最良だ。
「お嬢様、水をお持ちしましたよ」
「ありがとう」
よろよろとやってきたばあやから水を受け取って、一息に飲み干し、息をつく。
「あと、お嬢様、ぼっちゃまが…………」
「ん? なに?」
ばあやの申し出に首をかしげると、五つ年下の弟のステファンが焦った様子でちょうど駆けてきた。
「姉さん! なにしてるんですか!」
「なにって……いま、叔父上をおっぱらったところよ」
「お嬢様、申し訳ありません。ぼっちゃまのお呼びがございました」
申し訳なさそうにばあやが頭を下げる。
多分、はじめは弟の使いでレティシアを呼びに来たのだろう。年齢故か、このところはばあやもそういった事の前後が怪しくなっている。
「ああ、なに、ステファン」
「お客様が来てます。応接間を姉さんたちが使っていたので、今はテラスでお待ちいただいてます」
「誰? また、あの伯爵の使い? それとも返済の催促……?」
「いえ……」
ステファンはどう説明したものかと迷う様子を見せた。
「兄さんの友人とおっしゃられてますが……多分、友人かもしれない方です」
「多分?」
彼の不確かな物言いにレティシアが首をかしげると、ステファンは幾分か声を潜めつつ来客の名を口にする。
「あの、スルト侯爵家のアルベール様です」
「は?」
「聞こえてますか、スルト家です」
それは現在の宰相を務める筆頭侯爵家である。赤い髪色と火魔法が受け継がれる血筋故に、紅炎の侯爵家の二つ名をもつ上級貴族家。その嫡男も優秀さで知られ、未来の宰相候補として知られている。
「アルベール様……」
思いがけない名前が出たことに、レティシアはポカンとしつつ、弟の顔を見た。
無論、国内でその人の名を知らぬ貴族がいるわけがない。
「なんで?」
「とにかく、いらしてください。言っておきますが、姉さんの怒鳴り声はテラスまで筒抜けでした」
「え?」
「最後の、叔父上をおっぱらった声が丸聞こえです! 全部、聞こえてきてますから。心しておいてください」
「ほんと? ……どうしよう」
叔父を追い出した最後の辺りは、いわゆる「淑女にあるまじき言葉遣い」をかなりしてしまっていた自覚がある。
あまりに突然のことに動揺しつつ、レティシアはステファンの後を追った。
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