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事務所内・二階寝室
ナディアとの結婚式、その後すぐに始まった宴会から一晩が経った。
今の俺を一言で表すなら、完全なる無。
ありとあらゆる煩悩が取り除かれ、雑念も一点の曇りもない悟りの境地。
空腹も満腹も疲労も人並みに感じるだろうが、そもそもの多幸感が違う。
ナディアとの新婚初夜は俺の人生で最高の一日を更新した。
あんなにも愛を囁かれながら健気に尽くそうとされたことが今まであっただろうか。いや、ない。
今の俺の全てを認め、支え、褒め、励まし、俺に真心を込めてくれたことがあっただろうか。いや、ない!
昨夜は激しい戦いとなったが、勝ちとか負けとかそんなのはどうでもいい。
すぐ隣で眠るナディアの長い黒髪を撫でながら頭を空っぽにして余韻に浸るこの時間がとても心地よい。
肉体的にも精神的にも満たされ切った今、この精神状況なら例えどんなことがあったとしても笑って許せる気がする。
またあいつらがニジイロタケの山を持って来たとしても、笑って全てを受け取ってやるだろう。
何せ、今の俺は山より高く、海より深い心の持ち主なのだから。
「うわーーーっ!?」
「キャーッッ!!」
「ぐわああー!!」
「っっ!?」
…と思っていたら、のどかな朝には似つかわしくない絶叫が窓の外から聞こえた。
それと同時に、屋根を突き破って降り注ぐ、槍。
「――ッッ! …ナディア、起きろ!」
「んみゅ……あ。あなたぁ。えへへ…おはよ♡」
「おはよ♡…ハッ! 違う違う、今はそれどころじゃねえ。しっかりしろ、寝ぼけてる場合じゃねえぞ! 一階に逃げるぞ!」
「えぇ…?」
次々に屋根を突き破って床に突き刺さる槍から逃げるように、ナディアを抱えて一階に駆け下りた。
「お姫様抱っこだぁ…♪」
「楽しむな!」
首に手を回して幸せそうなナディアだが、窓の外には今も断続的に槍が降り続ける。
外からは逃げ惑う大勢の人々の声。事務所の中に難を逃れに何人も駆け込む。
そのどれもが突然の出来事に混乱していて息を切らしている。
中には降り注ぐ槍で怪我をしている者もいた。
「あらら…なんということでしょう…」
「バーバラ。何なんだこれは」
「私にはさっぱり…」
お姫様抱っこをまだして欲しそうなナディアを床に立たせつつ、掃除途中だったのか箒を抱きしめながら立つバーバラに話しかけた。
俺預かりになっている元教団教祖・バーバラは俺の事務所に出勤してきたばかりのようで、一階入り口から近い所に立っていた。
昨夜の宴会の段階で倉庫の地下に泊まるユージンと宿屋の二階に住むゲオルクに今後俺の関係者となる旨を合わせて顔見せをしておいた。
今のところバーバラは仮の住まいとしてばあちゃんの宿屋に住まわせているが、バーバラは別の場所に住まいを用意してやろうと思っている。
いきなり槍が飛んでくるなんて、これは誰かの攻撃なのか?
帝国だろうか。
投げ槍部隊がこの町に攻めて来たのか?
戦争が始まったのか?
と背筋が凍りそうになった時。
「でもまさか本当に槍が降るなんてねえ」
「…………は?」
と、呑気に言ったバーバラ。
「…どういう意味だ?」
バーバラの腕を掴んで、逃げ込んできた人々から距離を取るように階段の近くに行く。
「いやね、昨日の宴会中ゲオルクさんが言ってたのよ。『あんなグレンさんは見たことがねェ』って。普段のあんたと昨夜のあんたとは様子がまるっきり違うって言うから、普段はどんな感じなの。って話したりしてねえ」
いろいろ聞いて、確かにそうだわあって。私とあの子とじゃ態度もまるっきり違うわねえって。と井戸端会議するような口ぶりのバーバラは。
「『それじゃ明日槍でも降るんじゃないかしら』って言ったの。まさか本当にそうなるとは思わなかったけどね」
アハハハ。と笑った。
「―――お前のせいかああああ!!!」
「何何何ィ!?」
「ふざけんなババア! お前のせいじゃねえか! 取り消せ。今すぐ取り消せ!」
「と、と、取り消すって何をぉ!?」
両肩を掴んでバーバラの頭を前後にシェイクしまくる。
「槍が降るって言った事だよ。『今日は何も降らなくていい天気』って言え。『今日は何も降らなくていい天気だわ』はい!」
「きょ、今日は何も降らなくていい天気だわあぁあぁあぁ………?」
バーバラがそう口にした途端、外と天井に降り注ぎ続けていた槍の衝撃音がピタリと止んだ。
「「ふう……!」」
パラパラと埃が降り注ぐ音のみが聞こえる静寂。
頭を揺らされたバーバラが床にドサリと倒れた。
窓の外には垂直に地面や屋根に無数の槍が刺さるラッカラの街並み。
急いで屋内に逃げ込んだのか、人っ子一人歩いていない。
事務所の二階に上がってみるとそこは戦場のようで、天から降ってきた無数の槍が屋根を突き抜けて二階の床に突き刺さっていた。
俺たちがついさっきまで寝ていた寝室は、そのまま二度寝を楽しんでいたら間違いなく死んでいたと確信出来るほどの針葉樹林が広がっている。
足元には砕け散った天井と思しき木片が散らばっていて、室内のはずなのに空が見える。
この槍が二階の床も突き抜けて一階まで届いてたら今頃俺たちは全員死んでいた…。
危ねえ所だった…。
「これ全部掃除しとけよお前」
「…はい」
一階に戻り、三半規管が復活したバーバラに親指で二階を示しながら言った。
「あと、俺はお前の保護者兼雇用主だ。俺が庇ってやったから今生きてんのを忘れるなよ。歳は上だが立場は下。あんた呼ばわりするな」
「……旦那はどうだい」
「ああ、旦那でいいから早く掃除しろ。槍はまとめて倉庫に運んでおけ」
「はい旦那…」
おちおち休んでもいられない大荒れの朝で幕が開いた。
ラッカラは朝から厳戒態勢を布いた。
壁の外から投げ槍やバリスタのような兵器を放っての攻撃と見た領主はすぐに部隊を派遣。
東西南北四か所の門から出撃し周辺の索敵を開始した。
特に東の帝国方面は念入りに調査したものの、敵影は終ぞ見えず、朝方の謎の襲撃の真相はようとして知れない。
部隊が出撃した後の市内は槍がもう降ってこないことを伺い外に這い出た人々が多くいた。
二階建て以上あるいは地下にいた住民は難を逃れたが、平屋一階建てに住んでいたり遮蔽物のない外を歩いていた市民は少なからずダメージを負い、犠牲者も出た。
大量に発生した負傷者は無事だった家族友人周辺に居合わせたご近所さんに担がれ、一路教会へ向かう。
昨日の“ラッカラ教会の奇跡”にすがるべく、教会の正面扉には負傷した市民たちの長い行列が生まれていた。
教会のシスターが事務所に走ってやってきてその情報を聞くと、俺は片付け途中のバーバラを引きずって教会に向かい、治療にあたらせた。
「分かるかバーバラ。傷付いてるみんなが」
「……」
「お前が冗談で槍が降るって言ったせいでこうなってる」
「…っ」
「もう分かってるだろ。今のお前は、<噓から出た実>は、軽い気持ちで言った出まかせが真実になっちまうって恩恵だ。前までの自分じゃねえってのを自覚しろよ」
次々と教会の中に運ばれてくる怪我人は、全員痛みに顔を歪め、悲痛なうめき声を上げている。
グレンの指示通りに『この場全員の怪我は今すぐに完治します』と治療を始めた。
すぐさま回復した市民たちから感謝される。
発端はバーバラ自身なのに。
感謝されても喜べるはずもなかった。
治しても治しても、次から次へ苦しみながら血を流す人たちが入ってくる。
その度、バーバラの胸は締め付けられた。
やがて、バーバラはグレンの指示を待たずとも自発的に治療するようになり始めた。
何度も言い慣れた言葉を、一秒でも早く痛みが過ぎ去るようにと積極的に参加し始めたのである。
それを見たグレンはこの場をバーバラに任せ、見知った大工と見知った闇商人たちに協力を取り付けに走った。
棟梁の所に行ったが、残念ながら留守にしていた。
俺と同じように、家に槍が降ったから修理してくれと依頼が殺到しているらしい。
大工たちも出払っていてすぐには頼めなさそうだ。
ユージンは別件で留守にしていた。
ゲオルクも不在だったのを見ると、早朝槍が降る前からラッカラを出発したのかもしれない。
俺宛の書置きもないのは不便だが、ユージンに倉庫の地下を貸しているのは俺たちだけの秘密だから、接点や証拠を作らないようにって配慮なんだろう。
棟梁もユージンも頼れないとすると他にどうするか。
俺の知ってる奴らで余裕ある奴なんて…
いたわ。
あいつらがいるじゃねえか。
宿屋・二階
「俺だ。暇してる奴いたら出て来い」
「「「はいグレンさん!!」」」
バタバタンとドアを一斉に開け放ち、熱意充分の駆け足で俺の前に直立した男たち。
こいつらは俺の顧客であり、先日俺の倉庫建設・事務所の内装に携わった連中だ。
それに十秒ほど遅れてやってきた男たちは、元信者で俺が新しく金を貸すことになった独身男だ。
「早速だがお前らに仕事がある。事情はもう分かってると思うから説明は後だ。まずは森で木を切り出してもらう」
宿屋に寄ったのはこいつらを雇うためとばあちゃんの安否確認。
ばあちゃんは一階にいたから大丈夫だったが宿の五階はボロボロになっちまった。
空室だから被害者はいねえらしいが当面四階客室までの営業を強いられる。
伐採ならゲオルクに頼みたいのが正直なところ。
あいつがいないのは不便だがこいつらでも十分にやれる。
板で屋根の葺き替えなら問題ないだろう。
「グレンさん質問なのですが」
「おう、何だ」
「何でわざわざ木を切り出すんです?」
「今、大工と木材の需要が供給を大きく上回っている。となりゃ自分で木を切った方が早い可能性がある。伐採した木を製材して使い物になる木材にするには最短で一、二か月くらいかかるが、木材不足の中自力調達出来れば早く修理出来るかもしれねえ。隣町から木材が届くんなら取り越し苦労だが、これはあくまで備えとして考えている」
「分かりましたグレンさん。すぐに取り掛かりましょう」
「「「すぐやりましょうグレンさん!」」」
「…おう。頼むぞお前ら。分からないことはこいつらに聞いてくれ、経験があるから」
「「「お任せあれ!!」」」
事務所と倉庫の屋根に必要な木はおよそ三本分。
多めに切ってもいいが今は早さを優先する。
男たちは俺が融通した斧で次々に木を切り倒し、貸した鋸で大まかな長さに丸太を切っていく。
この丸太は皮むきした後は製材に送られる。
製材した板材木材は充分な乾燥を経てから建築現場に運ばれるが、急を要する場合、後々本工事することを見越している場合は急拵えとして灰汁抜き・乾燥が十分でない木材で屋根を仮に作ることも視野に入れている。
仮で作った屋根は廃棄処分または二次使用されるから工事を二回分する手間が増えるけど、野ざらし状態は一刻も早く解消したい。
自分たちで手配しているが本職に任せた方が結局一番早くて安心出来る。
大工が先に間に合うなら良いんだが…。
◇
ラッカラ・ハーベスター領主館
対策本部が設置されている領主館会議室。
長テーブルの左右には老若の文官武官が居並び、中央奥にはこの領都・ラッカラを治めるハーベスター子爵が議長席に掛けている。
次々に会議室に飛び込んでくる速報に頭を悩ませていた。
「伝令! …東、敵影なし!」
「敵影なし?」
「どういう事だ…」
「どこにも帝国軍がいないだと」
「そんな馬鹿な…」
東西南北に派兵した部隊からの伝令が次々に領主館に飛び込んでくるが、どこからも帝国軍を視認したとの情報が来ない。
「東はどこまで」
「ディプシー平原手前まで進出しました」
「平原まで行って何もないのか」
「はっ」
帝国と国境を接するここハーベスター領は、帝国からの侵略を防ぐ目的の為分厚く高い防壁で囲まれたラッカラを最前線における防衛拠点とした経緯があり、今ではここを領都としている。
この東側、いくつかの小さな町や村を過ぎた先には両国を跨ぐように広がる平原が存在。
その平原は大軍を動かすにはうってつけであるものの相手国に早期から発覚しやすくもある視界の開けた地域であった。
平原中央には大まかな国境線があり、この周辺には町や施設は一切ない。
警戒地域に設定されているので軍を動かせば山中の監視塔から狼煙が上がるはずだが今回は狼煙が上がっていない。
敵拠点を攻撃してそのまま逃げ去るにしては速すぎるし、敵軍が駐屯・通過した痕跡がどこにもないのだ。
この数十年戦争らしい戦争はなく、現ハーベスター子爵に代替わりして以降初めての対外事案に迫られ。
迅速かつ有効的な襲撃をみすみす許してしまったまだ見ぬ敵に、領主館は対策に追われていた。
「やはり帝国軍しか――」
「しかしどこにも帝国軍はいないではないか――」
「野党山賊の類の仕業では――」
「賊風情にあの攻撃の精度は出せるはずもないだろう――」
ああでもないこうでもないと言い合う会議室は騒がしく、具体的な解決策も上がらない。
それなのに伝令はひっきりなしに来る。
「――領主様、負傷した市民たちが教会に長蛇の列を作っております。何やら手当てを受けている模様!」
「ええい、そんなことは今どうでも――」
「待て」
毛色の違う情報を持った伝令が飛び込んできた。
今は敵の対処に追われているのだ、と武官が伝令を追い返そうとしたのを領主が止める。
「詳しく聞かせてくれ」
「はっ…先程の騒動で発生した多数の負傷した市民は全て教会で手当てを受けております」
「町医者が総出で治療に当たっているのか」
「いえ、そうではなく…」
伝令は言い澱んで顔をやや伏せた。
それに対して先程の武官が急かす。
「何だ、申せ!」
「何者かが何某かのやり方で手当てをしており…」
「…」
「市民たちが考えられない程の早さで回復しているのです」
「何だそれは、皆目分からんぞ!」
誰がどんな治療をしているかも分からず報告しているのか! と伝令を怒鳴りつけた。
「詳細は不明ながら、市民たちが次々に回復しているのは事実であり、教会に続く負傷者の列は急速に解消されつつあります」
「何と…」
「一体全体何が起きているのだ…」
領主は思索に耽った。
どうやっているかは皆目見当も付かないが、傷付いた市民をすぐさまたちどころに治して見せるなど未だかつて聞いたことがない。
「誰か、教会に様子を見に行ってくれ」
「ではこのゼイガンが見て参りましょうぞ」
「ああ、任せた」
日焼けした如何にもな武人の大男が己の胸を叩いて名乗りを上げるや、全身を覆うプレートアーマーをガシッガシッと鳴らしながら会議室を後にした。
◇
ラッカラ・教会
グレンがこの場をバーバラに託してからも負傷者の列は途切れることを知らなかった。
ラッカラの町全体に槍の雨が降り注いでバーバラがそれを取り消すまでの一分少々で、これほどまでの負傷者数が出た。
軽い気持ちで言った冗談で、たった一分でこれほどの騒ぎとなったのだ。
申し訳ない気持ちと泣き出してしまいたくなりそうな自分を何とかこの場に踏みとどまらせ、次々にやってくる負傷者の団体を治していく。
『この場全員の傷は今すぐに完治します』
人数制限があるのかはわからないが、教会の中に入る三十数人程度しか一度に治せない。
教会の外の列に並んでいる人全員を一度に治せればいいのにと歯がゆい気持ちになるが、そんなことを言っている暇さえ与えてくれない程の忙しさ。
バーバラの奇跡をこの目で見た神父様やシスターたちは皆、バーバラの最大効率を引き出すように動いてくれている。
バーバラの“治療”を巻き添えで受けるシスターたちは疲労を感じさせないキビキビとした動きで要救助者を次々に運び入れ、治した者は次々に送り出していく。
その行列に割り込むように、一人の銀騎士が教会に乱入してきた。
「ハーベスター子爵家守護騎士・ゼイガンだ。これはどういう事か説明してもらおうか」
居丈高に言った男はすぐそばにいた神父様に『これはあなたが?』と問いかけると『いえ…』とバーバラの方へ視線を移す。
紫のベール・首飾り・指輪はグレンに預かられているので黒のドレスだけとなったバーバラ。
休みなく治療し続け疲労が隠せぬ様子の彼女の方へガチャガチャと鎧を鳴らしながら詰め寄る。
「これは貴様の仕業か」
そう訊いたゼイガンを見上げ、バーバラは言葉もなく立ち尽くした。
これほどの騒ぎとなっては領主側が動くのも当然か。
懸命の治療に当たってきたがそもそもの原因は自分自身。
事が露見してしまってはもうどうしようもない。
そんな諦めのような感情がバーバラを包んだ。
「…はい」
「そうか。ならば…館まで来てもらおうか」
バーバラの腕を掴むと、来た道をすぐに引き返す。
「ちょっと待ってください!」
「まだ怪我人が――!」
神父様やシスターたちの制止を無視し、ゼイガンは無抵抗のバーバラを領主館の方へ連行していった。
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