5
宿屋二階・ゲオルクの部屋
グレンさんからのノルマを何とか終えた俺は夕食を流し込んだ後、すぐに床についた。
今日は無茶な仕事を押し付けられた。だが、よく眠れそうだ。
――わざと借金を返し切らず毛刈り羊になれば、ここらで一番安いこの宿に泊まれる。
削れるとこは全部削って、ケチれるとこは全部ケチって金を貯めてきた。
グレンさんの機嫌を損ねないように期日は守るが、そろそろ借金を返し切りそうになったらまた借りて、そうやって少しずつ貯めた。
そして目標金額の金貨一枚を貯めることが出来たら。
…あの人の墓を作ってやるんだ。
俺を山賊から一人の真人間にしてくれた、彼の墓を。
俺は生まれた時から山賊だった。
ある山を根城とする山賊団で、どこかから攫ってきた女と山賊団の男の間に生まれた俺は、同じように生まれた兄弟分たちと日夜、大人たちが出払ってる間は洞窟の奥深くでしのぎを削って来た。
俺ら子供は、オヤジさんやオジキたちが稼いできた酒・飯・女に触れることは許されず、自力で外から盗ってくるかあるいは残飯をかっ食らうしかねェ。そんな厳しい社会。
追い剥ぎやら商人の荷車を襲う強盗やらで団を成り立たせていた折、ある奴隷商人とコネを繋げてきてからは人攫いもするようになった。
人は攫って奴隷商に売り、持ってた金品は丸ごといただくことで大金を手にした団は更に成長・増強した。
俺たち子供は、両手に裸の女を侍らせながら酒を飲んで出来上がったオヤジさん・オジキ達の自慢を聞いて褒め称え、大人がいないときは子供同士で殴り合う。
子供の中で誰がボスかを決めるためにな。
誰かを持ち上げるか、誰かと殴り合うか、そうでなければ隅っこでうずくまるか痛みに震えるしかねェのが団の子供の一日だったんだ。
…その日、奴隷商に流す人間を押し込める牢からオジキ達が十何人かを連れ出した後、何人か牢の中に残った。
牢番として俺が見張っていたんだが、その内の一人の男。
彼が俺の運命を変えた。
俺より五つ年上の冒険者の男だった。
洞窟から大人が出払って子供だけになった時だけは話が出来た。俺が牢番になった時、彼は小声でこの洞窟の外の世界の話をしてくれた。
これまで俺たちがしていたことは外では犯罪になることも知った。
俺がいるこの団が外でどんなことをしていて、どう思われているかも知った。
その他にも次々と語られていく知らない世界の話に俺はのめり込んだ。
外の話を聞くのが日々の楽しみになっていった。
そして彼の話を毎日のように聞いていくうち、いつしか俺の目が一気に覚めてしまったような感覚を覚えた。
それまでは当たり前だと思っていたオヤジさんたちの教訓や決まりがこの世界の常識から外れている。
その事を完璧に思い知らされた俺は、この団が吐きそうなくらい気持ち悪く思えた。
外では男と女が愛し合って家庭を作り、望んで子を作る。
生まれた子供は周囲に愛され守られ、未来を期待される。
他者と助け合って認め合いながら成長した子供は大人になったらまた誰かと愛し合ってその子供へ繋げる。
常に希望を持って、夢や理想を語り合う友と一緒に。
それに引き換え、この洞窟は悲鳴とすすり泣く女の声と、下卑た笑い声と怒鳴る男の声ばかりが聞こえる。子供たちは大人に怯えながら褒めちぎり、子供同士で居場所を奪い合う。
夢も希望もなく、彼の言葉を借りると、『退廃的で刹那的』だ。
完全に洗脳から解き放たれた俺は行動に移した。
次の奴隷商に引き渡す日、俺も同行して彼と抜け出そうと。
縄で両手首と腰を縛り十数人を数珠つなぎとして縦一列に歩くその最後尾を彼、その真後ろの見張りとして腰縄を持つ役目を俺になるように。
日々牢番として忠実に働く俺を買ってくれたオヤジ…山賊団のリーダーたちは、俺の望み通りの配置に回してくれ、二人で練った脱走作戦は決行となった。
あらかじめ、縄で縛られているように見せかけながら彼だけは手首を縛っていなかった。
腰縄も俺が強く引っ張ればすぐ解ける結び方にしていたから、彼の合図を待って。
吊り橋から二人同時に川に飛び込んだ。
俺は助かった。
でも、どこかで腹に流木が刺さったせいか彼は腹から大量の血を流していて、二人揃って下流に漂着した時、無事脱走出来たと安心し、街に帰り着くことなく河原で息を引き取った。
生前彼から聞いてた、住んでた町の話に出てくる町に何か手掛かりがあるんじゃねェかと直接向かったが、その町は彼の故郷ではなく、いくつかある、数度立ち寄っただけの活動拠点の一つに過ぎず、彼の死を家族や近しい人に伝えることは出来なかった。
彼の死を知るのは俺だけ。
本当の世界を見せてくれた彼が眠る場所を、俺だけしか知らねェ。
でも、彼のおかげで俺はこの明るくて笑顔にあふれた世界を歩けるようになった。
子供の頃、無自覚のうちに犯した罪は消えねェけど、せめて、彼の墓を作ってやりてェ。
その辺の河原の石を乗せただけの粗末な物じゃなく、しっかりと彼が生きていた証を。
本当の『ゲオルク青年』が生きていたことを、刻みてェんだ。
多分、俺の人生はそこからまた再スタートなのかも知んねェから…。
◇
グレンの事務所
倉庫を作ることにした。
今の事務所は物がありすぎて手狭になってきた。まあ、何かはもう分かるだろ。
ゲオルクに切らせた木を元に事務所から遠くない場所に作る予定だったが、ちょうど近所の事務所用の物件・庭付きに空きが出た。
そこは今の事務所より大通りに近く、宿へのアクセスも良くなった。
建物のすぐ隣に広い庭…空き地があるから、そこにそのまま倉庫を建てることも出来る。
手元に纏まった金があるし誰かに取られる前にすぐにそこを借りて、引っ越しすることにした。
今より広い事務所だから、これら全部入れても大丈夫だろう。
と、業者に頼んで業務に関係ない物を先に運んでもらったが。
「…無理だな」
やっぱり倉庫を作ることにした。
先週までなら入りきったんだよ。
なら、なぜ入りきらなかったか?
それは、貴重品を持ち込んでくる三人の悪魔の仕業だ。
もう一度言うが、俺は商人じゃなくて金貸しだ。
何を思ったのかは知らねえが、もう俺の顧客でもないのに採集で見つけた不思議な物は全部俺に見せに来る。
そのまま冒険者ギルドで買い取ってもらえばいいのに、キラキラした目で俺に見せに来るもんだから無下には出来ねえ。俺の甘い所だ。
でもな。あいつらが持ち込んでくる素材がちょっと良いくらいのレベルなら良いんだよ。流せるから。
それが下手に流せねえレベルの希少素材だったらどうよ。
持ってるってバレたら社交界の沼に引きずり込まれかねない程の品だったらどうよ。
Fランクの何も分かってねえ新人冒険者に持たせる訳にはいかねえだろ。
こっちで預かるってなっちゃうだろ。
でもあいつらは『預ける』じゃなくて『あげる』って言ってくんだ。
『売る』でもなく、『貸す』でもなく、『あげる』って。
俺に世話になったからって。
この商品の価値をちょっとでも分かってればそんなことは絶対出来ねえもんだが、あいつらは善意百パーセントでこんなことしてくるんだよ。
で、俺は下手にこの素材の価値を知っちゃってるからどうしようもなくて、小遣いを渡した後はただ事務所の中に隠すことしか出来ねえと…。
まあそれもこれもゲオルクのせいだからな。
木を切らせるだけのつもりだったが、あいつにも倉庫作りを手伝わせよう。
「と言うわけで、今日から工事な」
「ええ…終わりじゃないんすか…」
「当たり前だろうが。お前のせいで引っ越ししてんだからな」
他で雇い入れた大工たち―――ガラの悪い風体と常時睨みつけるような目つきで肩を揺らして歩く、すれ違うのにやや緊張する連中―――の他、体力がありそうな数人の顧客とゲオルクに内装工事と倉庫の建設をやらせることにする。
まだ事務所は移転していないから、通常業務は前の事務所で行う。
工期は一か月半の予定だ。
「今日から一か月ちょい、よろしく。お前らも頑張れよ」
「「「ウッス」」」
暇してる顧客たちは俺がこの案件を振ると二つ返事で引き受けた。
実に素直で良い債務者たちだ。
「皆さんもよろしくお願いします」
「おうよ」
「さあ、まずは腹ごしらえだ。しっかり食ってしっかり働いてくれ」
「「「ありがとうございます!」」」
「いいのかい?」
「ええ是非」
弁当を始めた例の大衆酒場から買ってきた人数分の弁当。
それと、最近俺が飲み始めているニジイロタケ茶を振る舞う。
「さあさあ」
「あ、ありがとうございます」
「これから頑張ってくれよ」
「いただきます」
手ずからニジイロタケ茶をコップに注いで回る。
こういう些細な事で士気がブチ上がりだからな。
「これからも時々顔出すから、頑張ってくださいよ!」
「「「はい、グレンさん!」」」
…くっくっく。
風味なんてほとんどない薄い三番煎じのニジイロタケ茶だってのに、それをありがたがるなんてどうしようもない奴らだな。
顧客の弁当代はもちろんタダじゃねえぞ。呑気に受け取りやがって。
ま。言うまでもなく、元本に上乗せしておくけどな。
いやあ、俺ってワルいなあ~。
情け容赦もねえ。さっすが俺だなあ~。
◇
今回の現場は施主がなかなか気が回る男だ。
材料人件費・工費・若ぇ奴らの食費も料金に入ってるんだが、それとは別にあちらさんで昼飯を差し入れしてくれる日が時々ある。
施主の紹介で来た手元手伝い達もそこそこやってくれるし、なかなか割の良い仕事になっている。
「ようし、作業終わりー」
「うーす」
「お疲れしたー」
いつもの現場より、終業時の余力が違う気もする。
作業量が少ないってより、飯のせいかもしれん。
飯? いや、茶のせいだ。
あの茶を飲み始めてから便通・睡眠・寝疲れ・倦怠感が目に見えて改善されてる。
仕事終わりは俺も若ぇ奴らも黙って帰って飯食って寝るんだが、まだ体力が有り余ってる。
「ちょっくら飲み行くかな…」
「あれ棟梁、飲みスか?」
「俺らもいいスか?」
「ああいいぜ。だが一人エール二杯までだ」
「「ありがとございやーす!!」」
節制したつもりだが、それにしても寝たら翌日に酒が一滴も体に残ってる感じがなかったんだよな。
やっぱりこれはあの茶のせいだな。
「どうもお疲れ様です~」
「グレンさん!」
「ああどうもこんにちは」
「今日も弁当と茶の差し入れに来ましたよ」
「いつもすんませんね」
「いえいえ」
時々と言ってたがここんとこ毎日顔を出して弁当を差し入れてくれる。
飽きが来ないように肉たっぷりの弁当、魚たっぷりの弁当、野菜たっぷりの弁当を日替わりで持ち込んでくれる配慮が地味にありがたい。
そしてなんといってもこの茶が――、
「んっ!?」
「なんだコレ」
「濃っっ!」
これまで飲んでた茶の五倍は味と香りが強かった。
深みと出汁のような味わいもあり、後味がいつまでも鼻と口に残るような芳醇で濃厚な余韻。
甘味や酸味も遠くから感じる。複雑な風味が絡み合いすぎて、どんな味がどれほどあるのか分からないし、分かってもそれを俺の語彙では説明出来ないくらいこの茶は…スゴすぎる。
「あっ、間違えた! すいません皆さん、これ薄めずに原液で出してしまいました」
慌てた施主は、『これは本来割って飲むものなのに』と言い、急いで回収しようとしたが。
「ああいいよこれで」
「口付けちまったし」
「割るの面倒臭ぇし」
「生きてりゃ人間失敗もあるさ、ハハ」
と言って俺も若ぇ奴らもやんわりと辞退し、
「グレンさんのお手を煩わせるわけにはいきません」
「こちらできちんと割りますから」
「いつもお世話になってますし、これくらい大丈夫ですよ」
「それくらいこっちで全部やりますんで。グレンさん忙しいでしょう、あとは俺たちに任せてください」
と、紹介で来た男たちは熱の入った風に施主に言った。
そう言うんなら仕方ないか、と施主は配ってしまった茶についてはそのままにし、二言三言挨拶を交わして次の仕事に向かった。
施主がこの場を去った後、
ゴクゴクゴク…
「「「「「うめえ………!!」」」」」
誰も薄めず、そのまま飲んだ。
◇
新事務所の内装工事は三日で、隣接する倉庫の建設は一か月程で終わった。
他の顧客の所に行って取り立て業務を済ませた後、時々現場に顔を出して薄い茶と高い弁当で労ってやったら作業スピードとやる気が上がり、予定していた工期より大分短縮して完成。仕上がりもまずまず納得のいく形となった。
着工前に一か月半くらいかかるかもと棟梁に聞かされてた。
それを考えれば、差し入れのふりして連日監視に行ったのが地味に効いたんじゃねえかと思う。
毎日見てるから進んでんのかサボッてんのか一目で分かるしな。
サボッてたらそこに付け込んでクレームガンガン入れるつもりだったが、どうやらこの大工たちは真面目に仕事をしてくれたようだ。ゲオルク以下数人も、この一か月誰一人欠ける事なく完走した。
真面目に頑張る奴は嫌いじゃないぜ。
一度だけうっかりニジイロタケ茶の一番煎じを差し入れしちまった時は焦ったが、これは薄めて飲むものだと言い張ったのでなんとか誤魔化せたかなと思っている。
その後三番煎じにシレッと戻したけど何も言われなかったし。
差し入れに行くときは常に愛想よくしてたから、まさか騙されてたとは思わねえだろう。
さて、この二階建ての新事務所だが、高さを合わせるように新築した倉庫は地上二階・地下一階の三フロアの間取りで、余計な壁は極力作らずとにかく収納力を追求する空間に仕上げてもらった。
この工事期間中も贈答品を受けながら増えて行った不良在庫の山だが、充分なゆとりをもって倉庫に入り切った。これでまた入り切らなかったらどうしようかと思ったぜ。
ところで、工期より半月~十日程度も早く仕上げるなんて無茶をしたのに、なんで大工たちも顧客も全員肌ツヤが良いんだ?
火を焚いての夜間工事はたまにあったとは言え、徹夜はしていない。
それは俺がよく知ってるけど、ぶっ続けの工事期間が終わったにしてはまだ余力がありそうだし、最初会った時の悪い目つきが誰からもなくなってとてもパッチリした目をしている。猫背も改善されてる。どうしてだ?
…まあそれは置いといて、これで気兼ねなく引っ越しが出来るって訳だ。
前事務所を引き払って新事務所に完全に移転する。
あそこは手放すから、一切の忘れ物をしないようにしよう。
「どうですかい。こんな仕上がりだけども」
「いやあ満足です。すっきりした空間でとても気に入ってますよ、良い仕事をしてくれたって」
「そう言ってくれりゃ大工冥利に尽きますぜ」
棟梁は綺麗な汗を流しながらシャッキリと笑った。
が、『それで、あのう』とやや歯切れが悪い調子で聞いてきた。
「何だったら引っ越し作業まで請け負おうかと思うんだが、どうかね」
「良いんですか」
「それでよ、その代わりと言っちゃなんだが…あの茶を少し分けてくれねえか」
「ええ…?」
「無理な頼みとは分かっちゃいるんだが、あんなに旨い茶はそう無くてよ」
処理困難だからやむなく茶にして飲んでるけど、くれと言われるとちょっと話が変わる。
モノがモノだけにおいそれと売れないってだけで、タダでやれるほど安いものでもねえんだ。
「実はあの茶は高級品でさ。引っ越しとそれとじゃちょっと見合わねえと――」
「分かってら。もちろんタダでとは言わねえ。ちゃんと加えてそちらさんの得になるようにするぜ」
「得?」
「ああ。例えばそうだな…そちらさんがここを借りてる間の修理は全部タダ、とか」
「うーん…」
「……あとはそうだな、あーっと…、格安の物件を紹介するってえのは…いらねえよな」
「ここ借りたばっかだからな」
「だよな。じゃあ…どっかに渡りをつけるってのはどうだい。あんた金貸しなんだろ」
「ああ」
『これでも俺ぁ顔が広い方でな』と棟梁は鼻の下をこすりながら得意気になる。
「新規事業を始めようとしてる奴、新商品を売り出そうとしてる奴、研究を始めたいが研究費用が足りなくて暗礁に乗り上げてる奴。あとは設備投資したい漁師、農家、商人、職人、闇商、奴隷商――」
「おいちょっと待て、今なんて言った?」
「設備投資したい漁師――」
「もっと後」
「奴隷商――」
「その一個前」
「闇商」
「そう、その闇商は?」
「店を持たん商人だ。町から町へ渡りつつ、酒場の地下や貸倉庫の奥を一定期間だけ借りて、決まったお得意さんとだけやり取りする夜の人間だ。奴隷以外はほぼ全部扱ってる。その代わりに出所不明の商品しか扱ってねえから偽物も多いがな」
「そいつだ!!」
「!?」
いきなりの大声に驚いた棟梁。
その両肩を掴む。
「そいつを紹介してくれ。そしたらあの茶の原料の乾燥粉末を二包、いや三包やろう」
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