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評価・いいね・ブックマークありがとうございます。

日々の執筆の励みになります。感想もお待ちしております。

 一か月後。

 ようやく俺の事務所の屋根と二階が修復完了した。


 倉庫一階に仮設移転してた業務を事務所一階に全て戻し、倉庫二階に置いていたベッド他の家具も事務所二階の俺たちの寝室に引っ越した。


 ついでに少しリフォームした。

 一階に金庫スペースを新たに確保。ついでにナディアの希望でキッチンの調理台を身長に合わせたものにした。

 二階は広めのリビングダイニング・広めの寝室・物置にしてもらった。

 デカい倉庫があるから収納力はそこまで追求しなくてもいいけどゆったりとした住空間と寝室の防音だけは外せない。


 ほら、俺、いびきかくから。



 あとは俺の手持ち現金と龍涎香をどうにか安全なところに保管したいということで、金庫を置けるスペースと隠し床下収納を一階の奥に作ってもらった。


 床下収納に龍涎香を収めた箱を安置。その床下収納のフタの真上に新規購入した大きめの金庫を設置した。


 前までは龍涎香を小型金庫にしまってたせいで、一緒に入ってた金やら重要書類に甘い匂いが染み込みまくってた。


 木箱に入れてたのにあっさりと突き破るなんて。龍涎香の匂いをナメてたぜ。

 匂い消しに相当の手間と時間がかかったんだよな。


 しかしもう俺はあんなミスを冒さん!

 龍涎香はユージンがまとめて購入するだけの金を用意するまで地下で眠ってもらおう!



 先月、バーバラの軽はずみな冗談に端を発する槍の降り注ぐ現象のせいでラッカラ全域で建造物が軒並み損壊した。

 当初の予定では町の大工たちが他の建物の修理に全員駆り出されるだろうからうちの工事に着工するまでかなりの時間を待たされることが容易に想像された。


 自前で木材を調達しそのまま修理しようとしてたけど、その前に棟梁たちがやって来て、間に合わせの木材での仮工事じゃなくきちんとした木材で本工事してくれた。


 隣町から来た木材でやってくれたので自前の乾燥途中の木材は不要となったのだ。

 それらは処理が終わったら売りに出すことにし、あとはプロの棟梁たちに任せたって訳だ。


 お陰で前よりも事務所は一階も二階も住みよい空間になった。


 領主館で座った良いソファも買ったぜ。ナディアが気に入ってたやつと完全に同じとはいかねえが、町で買える中では上等な方だ。


 自宅用と一階応接スペース用に揃えておいた。


「おおお沈むうう」

「沈むね~」

「これは……仕事出来ねえかもしんねえな」

「眠くなっちゃうねぇ」


 全身を包み込むソファの座り心地。

 新品おろしたては気分が最高に良い。

 やる気を吸い取り眠気を満たしていくような魔力がある。



 バーバラはしばらくばあちゃんの宿屋に住まわせてたが、ばあちゃんの心温まる癒しの宿を欲望まみれのババアで汚すわけにはいかねえから別の家を用意しておいた。


 事務所の近くに売りに出されたアパートがあり、それを一棟買い取り棟梁の知り合いの別の大工たちに改修してもらった。

 言ってみれば社員寮のようなもんだな。


 バーバラの元信者の数が想定したよりも多く、ばあちゃんの宿屋に収まり切らなくなった。

 ばあちゃんの宿屋に債務者を多く住まわせるとその人数分が割安料金になっちまうからばあちゃんの実入りが減っちまう。

 ってことで、バーバラと余りの顧客・元信者たちを寮に押し込んだって訳だ。


 寮の家賃は一日銅貨二十枚。

 三階建てのワンルーム・計十八部屋。共用トイレは地上の離れに三つある。

 当然宿じゃねえから飯はねえ。素泊まり料金ってことだな。


 寮の毎朝の家賃回収業務と共用廊下・階段の清掃はバーバラの担当にした。それが終わってから事務所に出勤し、事務所でも掃除などの雑務を()()とやってもらう。

 差し詰め大家か寮母ってところか。



 そんな状況の俺たちだが、一階の応接スペースでナディアとソファでぐだぐだしていた時、事務所のドアベルをカランカランと鳴らして来客が入ってきた。


「ごめんくださーい」

「はーい…店長?」

「ん、店長?」


 ソファから立ち上がったナディアが受付カウンターに向かって応待しようとしたところ、店長と口にした。

 誰が来たのかと俺もソファからカウンターに向かうと、以前会ったことのある顔がいた。


「あ。店長。ご無沙汰」

「どうもグレンさん。ナディアも元気そうですね」

「はい。とてもよくして頂いています」


 そこにいたのは、ナディアが以前まで所属していた夜の店の店長。

 髪油ワックスでピッチリ八二分けにした髪型の中年男性、鼻髭が特徴的なルックスだ。

 ナディアを身請けするにあたって贈り物をしたことがあり、知らねえ関係ではねえ。


「店長、今日はどういったご用向きで」

「近くに寄ったから少しナディアの様子を見に来たのだ」

「お上手ですこと。でも店長がわざわざその為だけに足を運びます?」

「ふふ、お見通しか。そうだな。実は…」


 身綺麗な店長だが、今日は融資の依頼に来たとのことだった。


 贈り物を売った金でゆとりは生まれたが、他方では最近新規出店した近所の競合に少なくない数の指名客を取られ、このままではまずいとテコ入れのために人員拡充と設備投資を検討。


 今の建物を改築してリニューアルオープンすることを主軸に考えていて、その間の営業は店舗を仮設移転してやるとの事。

 すると改装費の他に仮設店舗の賃料もしくは土地・建設費用が発生し、総費用は膨大になる。


 しかしこのまま手をこまねいていてはいずれ潰れるのは目に見えている。なんとか持てる限りの資金を投下して起死回生の一手を打ちたい。と店長は力説した。


「出来れば金貨二十枚、いや十五枚でも貸してもらえればと思っているのですが」

「金貨十五枚…」



 大口融資依頼。


 大きなリターンが見込めるが一歩間違えると貸し倒れの可能性も見える融資だ。

 その競合がどんな営業をかけているのかにもよるが、融資した結果、店が一定以上に繁盛すると安心材料を見せてくれなければ難しい。

 ある程度の勝算がなきゃ乗れねえ。


「改築以外に本当に手はないのか?」

「…情けない事ですが」

「――ナディア」

「はい」

「ナディアの目から見て、あの店はそんなにガタが来ていたか? ヒビが入ってるとか修繕箇所が多いだとか、改築しなければいけない程に劣化は差し迫ってたか?」

「いえ、そんなことはなかったわ。長く使ってたらしいけど、特に不便なく使えてたし」

「うん…そうか」


 俺とナディアの会話が融資しない方向に傾きかけたのを感じた店長は慌てて、


「いっ、今のままでは競合に勝てません。あちらは新築で店も女の子も若さに溢れています。このまま古びた店では太刀打ち出来ません。同じ土俵に上がるためには店を建て直してこちらも綺麗な店となって戦うしかないのです」


 と食い下がった。



 店長はそう言ったけど、俺個人の感想としては店の新しい古いはそこまでの問題じゃねえんだよな。

 店の子が可愛いかとか、若さとか、スタイル、あとは()()()()のレベルとか。


 店が長く続くと女の子も固定しちゃうから新しく出来た店に流れてるのもお口直し・珍しいもの見たさだと思うんだよな。

 そっちで満足すればそっちの固定客になるし、そっちが期待を下回っていれば結局こっちに戻ってくると思う。


 もし競合に満足して客が帰って来ないって場合だと、店を改築したところで根本的な解決にならないんじゃねえかな。

 客は物件の内見に来てんじゃねえ。女の子に会いに来てんだよ。

 愛と希望に溢れたブルーシャングリラを手繋ぎして歩きてえんだよ。


 店を一新しても理想の女の子に会えねえんだったら意味ねえの。



 むしろむやみに変えるとブランド価値が落ちる可能性すらある。


 競合の強みは若さ・新しさだ。

 それに対して店長の店の強みはこのラッカラで五指には入るほどの老舗の歴史に裏打ちされたノウハウだ。


 これまでの歴代の嬢の技術と歴代の店長たちの知識の蓄積は競合には存在しない物だ。

 ここを生かす方向で融資しないと俺も店長も共倒れだ。


 知らねえ仲じゃねえ。

 店長の為に、いっちょ一肌脱いでやるか!


「店長、分かった。微力ながら力にならせてもらおう」

「…という事は――!」

「融資はしよう。ただし、改築は認めない」

「なんですと!?」

「改築なんかしなくても店長の店は生き返る。生き返らせてみせるよ」


 不安げな店長の肩を叩き、出口を示す。


「これから寄るところがある。一緒に行こうか店長」






 大衆酒場


「いらっし―――グレンさん…」

「おう。いつもぶりだな。奥の部屋空いてるかい?」

「え、ええ」

「じゃあ入るぜ。五人な」

「は…はい。五名様ご案内!」


 元顧客でありしばしば弁当の持ち帰り注文で世話になった馴染みの大衆酒場の奥の個室に俺と店長と後三人を連れて入店。


「とりあえずエールで軽くつまもう」


 五人分のエールとスピードメニューのおつまみセットを注文し、間もなく出揃った卓上で乾杯した。


「…でグレンさん、こちらの方々は」

「そうだな。じゃあまず自己紹介だ」

「革細工店を営んでいるエディと申します」

「服飾店のベンです」

「デザイナーをしておりますサーシャでございます」

「“夜蝶”の店長のブランドンです」

「“夜蝶”!」

「「お世話になっております」」

「こちらこそご贔屓ありがとうございます」


 酒を酌み交わしながら互いに名乗り合う。

 エディとベンは俺の元顧客だった奴らで、サーシャはベンの紹介で以前知り合った。


 エディ・ベンは男なだけあって夜蝶は知っていたようだが店長は知らないようだった。そりゃそうか。贔屓の女の子はいても店長とまで顔なじみにはそうならねえよな。

 サーシャはそんな男たちの会話を仕方ないわねとでも言いたげに鼻を鳴らした。


「で、グレンさん、私の店の件なんですが…」

「焦るな。忘れちゃいねえよ。集まってもらったのは他でもねえ。この店長の店を立て直す策を一緒に考えてもらいたい」

「俺たちが? なんでです」

「店主だからって経営に強いって訳じゃないんですがね…」

「いやいや。お前らに経営のアドバイスを求める訳じゃねえ。案ならもうココにある」


 と俺のこめかみを人差し指でトントンと叩く。


「この三人を集めたのは俺の頭の中のイメージを具現化するにはうってつけな人選だと思ったからだ。サーシャさんはこれから言うことを要点を抜き取ってメモしてくれ」

「分かりました」


 サーシャは持ってきた蝋板と鉄筆を、おつまみの皿やエールを少しずらして作ったテーブル上のスペースに広げた。


 そしてまず始めに店長の意識改革、俺の認識との摺り合わせから入る。


「店長としては、ライバル店に取られた客を取り返したい。それに、可能ならもっと売り上げを伸ばしたい。その為には店を建て替えてライバルに食らいつきたいと考えてたってことでいいかい?」

「大体その通りですね」

「目的は経営状態を回復させたいって事。で、建て替えるってのは目的達成の為の一手段に過ぎないって事だ。繁盛店にするには何も改築がマストじゃねえってこった。改築には金も時間もかかりすぎる。出来れば今回この手段は封印したい」

「はあ…」


 腑に落ちていない様子の店長。


 目新しく新進気鋭のライバル店の勢いを間近で見ているからこそ、あの賑わいっぷりは脅威であると肌でビシビシ感じていた。

 アレに太刀打ちするにはうちも新装開店するしかないと考えていたから、すんなり受け入れられずやや不服を滲ませている。


「でだ。俺が提案するのはブランド力と独創性を前面に押し出していく方策だ」

「ブランド力と独創性?」

「そうだ。“夜蝶”にはラッカラ随一の老舗たるテクとノウハウがある。ナディアが言うには店の使用度劣化具合は内部の人間から見ても全然無視出来るレベルだ。使い込んだ店はガタと形容するよりも老舗店なら味と歴史…つまり無二のブランド力になると思う。長年愛されてきた“夜蝶”のあの店構えだからこそ安心感を求めて新規客が来ていると言っても過言ではない。内装は変えてもいいが改築はかえって悪手だ」

「なるほど」


 ベンは腕組みでふと初めてを思い出す。


「そう言えば俺も初めては“夜蝶”のミミちゃんだったなぁ」

「私も恥ずかしながら“夜蝶”で散らせましたよ。それまでの二か月は店先を通る度に何度も悩んだものです」


 エディ・ベンの言う通り、記念すべき初めてを飾る店や女の子選びは慎重になるもの。

 情報の少ない新規店舗で冒険して大失敗したら、この先四十年ずっと後悔が残る。


 “夜蝶”の強みは長年多くの男たちを満足させてきた実績の蓄積に他ならない。


 知り合いの熱のこもった口コミはかなり強い説得力がある。

 店側の人間のセールストーク、客引きの甘い言葉なんかよりもよっぽど信頼性で勝るのだ。



 エディ・ベンの発言に傾き始めた店長に、具体的な案を提示する。


「あくまで俺の推測だけど、ライバルに客が流れてるのは全部ひっくるめちまうと“新鮮さ”だ。新しく出来た店だから行く、どんな子がいるか気になるから行く。それだけのことだ」

「そうは言いますがグレンさん。あの勢いはただ事じゃ――」

「もちろん黙って見てるつもりはねえ。もう一度言うが“夜蝶”の強みは何だ?」

「ブランド力…?」

「実績…」

「客に寄り添った対応」

「そう、その通りだよ。顧客第一にしてきたからこそ今の“夜蝶”がある。となれば顧客に寄り添った新たなプランを提示して再起を図る」

「新たなプラン?」

「なんですかそれは」


 散々もったい付けた前振りで焦れ始めた店長はやや前のめりになって、俺の言葉を待った。

 俺は深呼吸しながらしっかりと間を使って、全員の意識をたっぷりと引き付けてから喋った。


「夢の具現化だ!」

「夢の具現化?」

「例えば…エディ。子供の時憧れてた近所のお姉ちゃんとかいるか」

「は、はい。八百屋の看板娘で、小さい頃は良く面倒を見てもらったりしました」

「もしも、その憧れの子が手ほどきをしてくれるとなればどうだ?」

「―――!!」


 エディはハッと口を開き、目をくわっと見開いた。


「思い出の中のあの子。教会のシスター。女剣士。奴隷。姫様。自分では叶わないと思っていた相手に瓜二つの子が束の間であったとしても自分の為だけに尽くしてくれる場所があったらどうだ。行くだろう?」


 男達は首をコクコクコクと素早く振った。


「人には言えない趣味嗜好があるとする。それも存分に発散できるとすればどうだ。例えば、魔王を倒し囚われの姫の牢獄に助けに来た勇者が、そのまま熱烈な傾慕と感謝を伝えられながら全身で熱烈な愛を囁かれるのは」


「もしくはその逆。盗賊に捕まった男を助けに来た勇敢な女騎士に、恐怖と安心が入り混じった混乱に任せて抱き着いてしまうが、そのまま頭を撫でられながら全てを受け入れてくれるのは。自分の理想のシチュエーションを最大限叶えさせてくれる顧客第一の極みプラン。お前ら、どう思う!!」

「「「スゴく良い!!!」」」


 店長も首をコクコクコクと素早く振った。


「その為には金をかけてもいいから広く客に受ける衣装のバリエーションを一着でも多く揃える。そして、それを着る女の子には演技指導を行う。完全に役柄になり切れる子だとなお良し。採用にしても一芸に秀でていればとにかく多く受け入れる方向で行け。目が見えなかろうが耳が聞こえなかろうが、客への事前説明とそれをしっかりカバー出来るシチュエーションと空間を用意してやれば、十二分の活躍をしてくれるに違いねえ」


 経営不振に惑い、眉が下がりっぱなしだった店長の目に活力が戻った。

 立て直す為の明確なビジョンが、店長の目の前にくっきりと道となって浮かび上がったのだ!


「これは客に夢を売る商売だ。夢が叶うなら客はいくらでも金を落とす。客を一番に考え、客に寄り添い、客の為に尽くす。客が少なくても一人一人に懇切丁寧に尽くせばそれが十を、十が百を引っ張って千にも万にもなって返ってくる。それが“夜蝶”の唯一の活路だ!!」


 ガシッ――!!!


「グレンさん…!!!!」


 俺の大演説に店長は涙を浮かべながら感動した様子で『ありがとう、ありがとう』と強く俺の手を握った。


 話を聞いていたエディ・ベンもやる気に満ち溢れ、サーシャは生き生きと鉄筆を走らせ続けている。


 しばらく黙っていたサーシャが口を開く。


「では、特注のドレスが必要ですね。洗いやすく脱がせやすく、それでいて上品さも失わないものを」

「分かってるとは思うが、扇情的なデザインで頼むぜ。露出多めで頼む。悪いが男はそう言う生き物だ」

「分かりました」


 サーシャは苦笑いしながら、これから設計図を作る服をリストアップする。

 特に男から人気の高いだろう王女風の服は何パターンも作っておいて損はない。

 王女・聖女・女神など、一から作る方がいいと思われる衣装を思い付く限り書き連ねていく。


 俺たちは特注ではなく既製品の服を組み合わせて衣装を作る相談をした。


「払い下げの鎧が手に入れば騎士はクリアだな。奴隷・盗賊は適当な服で良し。シスターは…それっぽい生地の服をそれっぽくまとめよう。正規品は絶対に売ってくれねえ」

「ですね」

「本物だと俄然テンション上がると思いますが」

「まあ、手に入ったら随時追加していくことにしよう。月替わりで新衣装追加するのも面白いかもしれねえぞ」

「あ、いいですね。それいただきます」


 店長は一言一句聞き逃すまいと完全に前のめりで話に加わった。

 そして俺はここに革細工屋の店主であるエディを呼んだもう一つの理由と目的を話す。


「エディ。この話を聞いた上で、お前の腕を見込んで頼みがある」

「な、なんでしょう」

「フフ、それはな――――」




 ◇




 夜のラッカラ歓楽街・夜蝶


 十日後、歓楽街で老舗と名高い“夜蝶”が今日も開店した。

 最近では新規開店した競合の店に客を奪われており客足が減っている夜蝶だが、今日はこれまでとは様子が違う。

 人員拡充・衣装追加以外は内装に少し手入れしただけに留めた夜蝶。

 店の前を五~六往復して、やっと勇気を出して受付に来た緊張しきりの客。


 見た目にして十五そこらの彼にたたらを踏ませるだけの驚きを与えたのだ。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。あなたの理想のプランをお選びください」


 これまで夜蝶では来客に対して指名の女の子と時間のみをヒアリングしてそのまま部屋に誘導するだけのドライなやり取りだった。


 しかし今日からは待合室に向かい、そこでメニューブックが手渡されるようになった。

 今は誰もいない待合室で渡された茶をすすりながらメニューブックを受け取る。


 そこには初めて訪れる彼には驚きの文言が羅列されていた。

 その中から適当に抜粋した項目に指差して訊ねる。


「あ、あのう。この『威風凛々女騎士』ってのは?」

「そちらですか。その文言を見つけてしまうとは――」


 お客さん、ツイてないですねえ。


 とスタッフの男が口にした瞬間、背後の待合室入口のドアから現れた男たちが客の頭に麻袋を被せ、革の手枷足枷で四肢を瞬時に拘束。

 腰に巻いていた金貨袋も奪い取る。


『暴れると命はありませんよ』と脅して大人しくなった客を、そのまま建物内の一室に連行する。


 無理矢理連れて来られたのは捕虜を尋問するために使うような薄暗いじめっとした尋問室。

 部屋の一角にある狭い檻の中に客を閉じ込め、外から錠を降ろした。


「明日の朝、奴隷商に売り飛ばしてやろう。それまで大人しくしてるんだな」


 と下卑た笑いで男たちは鉄の重たいドアを閉めて去っていった。



 ……外の音がほとんど聞こえない静寂。


 手枷足枷で動きを封じられ、麻袋で視界を奪われた客は、無理矢理押し込められた檻の中から助けを求めた。


「誰かあ! 助けてくれ、ここから出してくれえ!!」


 檻にガツンガツンと手枷をぶつけ鳴らしながら助けを求めるが、外から助けが来る気配も、外に助けが聞こえている様子もない。ただ静寂のみが闇に広がる。



 もし、さっき言ってたやつらの言う通り、本当に奴隷商に売り飛ばされでもしたら。

 せっかくはるばる農村から町に出て来て、念願の初任給で来たってのに。なんなんだよこの仕打ちは。


 こんなことなら来るんじゃなかった。

 さっきまでの僕に教えてやりたい。夜蝶はとんでもない所だ。絶対に行くなって。


 麻袋の中でシクシクと涙を流しながら、己の不明を呪っていたら。


「ぐあぁっっ!!」

「大丈夫かっ!?」


 男の汚い悲鳴と、凛々しい女性の声と共に鉄の扉が開け放たれたのが聞こえた。


「今出してあげるからな」


 檻にかかっていた錠を落とし、どこからか奪ってきた鍵で手枷足枷を解き、客の頭にかかっていた麻袋を外した。


「大丈夫か、怪我はないか」


 そこには薄明りに鎧と剣を照らしながら息切らす美女が至近距離から客の頬に手を添えて見つめていた。



「金は取り返してきたぞ」


 そう言って女騎士は納剣しながら客の金貨袋を手渡した。


 なんだか少し減っているような気がするなと思考を巡らせていたが、気がつくと尋問室に何故か置いてあるベッドに座らされていた。


「可哀想に。痛め付けられたんだな。私が癒してあげよう」


 手枷の跡を消すように、両手首にしっとりと優しいキスを何度もしてきた。


「大丈夫。もう安心だぞ。この私が助けに来たのだから」


 キスをしながら巧みに背に手を回しながら客の服を脱がせる。


 妖艶に微笑んだが、何故か不意に彼女の顔は陰る。


「君を助けるために、この剣を血に染めてしまった。君を救い出すために、民を守らなければならない私が、何人もの民を傷つけてしまった」


 沈痛な顔をした彼女は覚悟を決めた様子で、薄闇の中、鼻先が触れるほどの近さで真っ直ぐ目を見つめた。


「おそらくこのあと私は捕らえられ処断されるだろう。その前にせめて…思い出が欲しい。どうか、私の最後の男になってくれないだろうか」

「!?」


 鎧を脱ぎ、引き締まった肉体を露にするよう、肩口をはだけた。

 彼女の体にはこれまで数多くの戦場を潜り抜けてきたであろう古傷があちこちにある。

 傷がないのはその美しい顔だけだった。


 そしてそのまま、彼に跨がるように這い寄る。


 いきなりの出来事が起こりすぎて理解が追い付かない客の脳内。

 自分に乗りかかろうとする女騎士にうんともいやとも言えず黙りこくって固まったままの客に、拒絶されたと感じた女騎士は悲しそうな顔をした。


「…………こんな、ムキムキで傷だらけの女の体は汚い…か。それなら仕方ない、受け入れるよ。……あとの事は大丈夫、君をここから逃がすだけの時間は稼いで見せるから。最期に君を救えて良かった。私の騎士人生、案外悪くなかったよ―――」


 と、これから訪れるであろう死を受け入れて笑った彼女のキラリと光る一粒の涙が頬を伝い、客の頬にポタリと落ちた。


 這い寄られるまま仰向けになりながら逃げるだけだった彼は、背が高くたくましく凛々しい彼女のあまりにもいじらしくて愛おしく、女の子らしい姿に、思わず両手を伸ばして激情のままに抱き締めた。


「汚くなんかない…です。あなたの傷は汚くなんかない。頑張った証拠じゃないですか」

「……嬉しい。あなたのお名前は?」

「…チェリー」

「チェリー君。…チェリー君かぁ。私はジュリエッタ。今はただのジュリエッタだ」

「ジュリエッタさん…いいのかい、僕で」

「うん…お願いチェリー。今だけでいいの。お願い」


 お互いの吐息が分かる距離を更に詰めて、そっと唇を合わせた。


 そして、ぎゅっと抱き締めて耳元で止めの囁き。


「今だけ忘れさせて、何もかも――!!」

「じっ……ジュリエッタさあんっ!!」





 それから二人は熱く結ばれた。


 永遠のような、しかし短すぎた二人だけの世界に無情にも終了の刻(タイムリミット)が訪れる。


「――ありがとう。君には沢山大事なものを貰ったよ。これで安心して往ける」

「ジュ、ジュリエッタさん」


 鎧に身を包んだ彼女が扉をそっと開け、廊下の様子を窺う。

 ドア前には倒れた男が一人。きっとこれはさっき彼女がこの部屋に飛び込む間際斬ったやつだ。


 彼女に先導される形で、店の裏口に向かう。


「心配いらない。君だけは絶対に逃がして見せる。ここからは君一人で行ってくれ。この裏口を出て右・左・右・右と曲がって行けば通りに出られる。通りに出るまでは、絶対に後ろを振り向いてはいけないよ」

「だめだ。ジュリエッタさんも一緒に逃げよう」

「…それは出来ない。一緒に逃げたら君まで追われてしまう。君まで共犯にしたくないんだ。私の死に場所はここだともう既に決めている。君だけでも逃げきれたら私の命は無駄じゃなかったって思えるんだ。だからお願い。今日の事は何も知らず、誰にも通報せず、私の事はあなたの胸の中だけにしまって幸せになって。……最期の時間を過ごしてくれてありがとう。忘れないよ、チェリー」

「ジュ、ジュリエッダぁ…!」


『じゃあね』と頬にキスをしたジュリエッタは、口元をぎゅっと閉じながらぎこちなく微笑み、彼を裏口のドアの向こうへ見送ると、ドアを固く閉じた。


「ぢぐじょう…! ぢぐじょう……!!!」


 チェリーはジュリエッタに助けられた命を必死に抱きしめながら、右、左、右、右と彼女の遺言通りに細道を駆け抜け、無事逃げ切ったのだった。



 それから二日後、あんな凄惨な殺人事件があったというのに、“夜蝶”は何事もなかったかのように営業を続けている。

 今日も何人もの男たちが通い、楽しそうに帰っていく。


 でもその陰には、どこにでもいるごく普通の男の為に危険を冒して救出にやって来て、一人で罪を被った本当の騎士たる女性がいたんだ。


 彼女は僕に…いや、俺にいろんなことを教えてくれた。

 愛するとは何かを。大切な人の為にすべきことは何かを。

 誰かの為に自らの命を捨てるほどの思い、気高き信念、志の強さを。


 名はジュリエッタ。

 彼女こそ本当の騎士だった。


 でもそんな彼女の最後の生き様を知るのはもう俺だけしかいない。


 彼女のことを人に話すことも出来ない。

 そう、彼女と約束したから。



 でも、何故か俺の足はあんな恐ろしいことがあった“夜蝶”に向かっていて。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。あなたの理想のプランをお選びください」


 と、俺を捕らえた事なんてすっかり忘れたような態度で受付の男が言った。


 ――どうして生きている。


 あの日、ジュリエッタは店の悪党全員を殺して俺を助けに来てくれたはずなのに。


 ただ似ているだけなのか?

 それにしては、顔も声も対応も全部同じだ。


 渡されたメニューブックに目を通さず、男の顔を凝視していた。


 そのせいで、気付かれてしまった。



「あなたは………一昨日の!」

「――ヒッ」

「捕まえろ!!」


 後ろのドアからバタンと音がして、手枷足枷麻袋を持って来た男たちにまたも捕まり、金を奪われてしまった。


 そして視界を奪われたまま乱暴に担がれて、またも狭い檻に閉じ込められた。


「次は逃がさねえからな。今度こそ奴隷商に売り飛ばしてやる。最後の夜を楽しむことだな。ヒャッハッハッハ!!」


 分かっていたはずなのに。

 夜蝶ではこんな悪事が行われてることなんて分かってたはずなのに。


 どうしてまた来てしまったんだ。



 一昨日のように、ジュリエッタが助けに来てくれたら。

 ……いや、それはない。


 ジュリエッタは俺を助けるために、何人もの人を殺した。

 そのせいで捕まり、処刑されてしまった。


 俺の知らないところで。遠い所に行ってしまったんだ。


 俺は泣きながら、手枷と麻袋で拭う事さえ出来ぬまま涙も鼻水も垂れ流しながら、悔いた。

 ジュリエッタが命がけで助けてくれたのに、無駄にしてしまった事を。


 でも、あれほど愛し合い恋焦がれたジュリエッタのところに行けるのなら、それでいいとも思った。

 奴隷としてみじめに生きるよりも、いっそ死んでしまった方がいい――。


 そう思った時。


「ぐあぁっっ!!」

「大丈夫かっ!?」


 男の汚い悲鳴と、凛々しい女性の声と共に鉄の扉が開け放たれたのが聞こえた。


「今出してあげるからな」


 檻にかかっていた錠を落とし、どこからか奪ってきた鍵で手枷足枷を解き、頭にかかっていた麻袋を外した。


「大丈夫か、怪我はないか」

「――――っっ!!」



 その時、鉄格子越しの月明かりに照らされて俺に微笑んだのは。


「……ジュリエッタ」


 俺を助けるために捨て石となったジュリエッタだったのだ。


「…な、き、君は」

「―――チェリー。どうして戻ってきたの」

「…ごめん。でも――」


 俺の口を人差し指で押さえて黙らせると。


「あの夜、貴方を逃がしてから私、未練が生まれた…まだ生きていたいって。追っ手を撒いて、何とか必死に逃げて逃げて、やっとで逃げ切ったけど。何か嫌な予感がして飛び込んでみたらまたあなたが捕まったって知った。助けに来ずにはいられないじゃない…!」


 そう言って、ジュリエッタは俺に熱いキスを一方的にし続けた。


「ぷはっ…。ねえチェリー。…抱いて」

「えっ…!」

「私、チェリーに会いたかった。貴方に会うために、騎士も誇りも全部捨ててみじめに逃げて生き延びた。だからお願い。もう我慢できないの。貴方もそうでしょう?」

「ウッ!」


 左手で鎧を脱ぎながら右手で巧みに脱がしてくる。


 俺だって期待してなかったわけじゃない。

 むしろ、たとえあの世であってもジュリエッタに会えることを心待ちにしていた。


 それが今目の前に、ぬくもりを感じる距離に、触れられるジュリエッタがいる。


「……いいんだね?」

「ええ」

「俺が君の最後の男になる。他の何もかもを忘れたって、俺の事だけは来世になっても忘れられないようにしてやる」

「…ふふ。なんだか、一昨日よりも男らしくなったかしら?」

「ジュ、ジュリエッタあ――!!」


 不敵に笑ったジュリエッタを今度は俺が押し倒して愛し尽くした。





 先日までの僕に教えてやりたい。


 夜蝶はとんでもない所だ。


 あそこはとんでもない場所だ。


 絶対に行くなって。


 絶対にあんなところに行ってはいけないって。


 真実の愛を知ってしまうから。


 今までの自分には戻れなくなってしまうから――。

面白いと思った方は、★★★★★押していただけると嬉しいです。

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