ようこそ霧の町へ
グロテスク表現があります。
苦手な方はご遠慮ください。
「ねえねえ。知ってる?」
「なになに~?」
「霧の町の話」
「えー?なにそれー?」
「なんでも、ある日突然、気が付いたら全然知らない町にいるんだって。
で、その町は全体が霧で覆われてるの。
しかも、それは数メートル先が見えないぐらいに濃い霧らしいよ」
「え~!こわっ!」
「ふっふっふっ。
このお話の怖いのはこれからなのよ」
「やだー!」
「その町は死者の町でね。
廃墟のその町をさまよってたら、前を歩く人影が見えるの。
人がいる!って嬉しそうに近付くと、その人は体がぼろぼろで、千切れたりしてるところもある死人だったのよ!」
「こわ~い!」
「しかも、そいつらは迷い込んだ人を見ると追い掛けて来るのよ!」
「ひえ~!」
「その恐怖から解放される方法は1つだけ」
「ふんふん」
「その町に1つだけある鏡を見つけるのよ」
「鏡?」
「そう。
もしも鏡を見つけられなければ、その人は永遠にその恐怖から抜け出すことはできないのよ!」
「やだ~!!」
「ん?」
あれ?
どこだここ?
たしか、仕事を終えて家に帰ろうとしてたはず。
「……全然知らない場所だ」
周りを見渡すと、なんだかボロボロの廃墟が立ち並ぶ町中にいることが分かる。
でも、分かるのはほんの数メートル先だけ。
あとはものすごく濃い霧で全然見えない。
なんで?
さっきまで普通に過ごしてたのに。
ちょっとまばたきしてたぐらいの時間で、気付いたらここにいたって言うの?
どういうこと?
私は訳も分からす、とりあえず道を進んでみることにした。
でもやっぱり、霧が濃すぎて前が全然見えない。
「ここは、商店街かな?」
左右に商店らしきボロボロの建物が並んでるし、地面はアーケードだ。
車が通ることがないような小さい商店街みたいだ。
「きゃっ!」
コンクリートの地面が割れていて、つまずきそうになる。
前も見えないのに足元にも気を付けなきゃいけないの?
「なんなのよ、もう」
私は独り言で文句を言いながら、商店街を進んでいく。
なんでこんなことになったんだろう。
たしかに今日は忙しくて、バタバタしてて、おまけに寝不足で疲れてたけど、こんな所に迷い込むほどボーッとしてはいなかったのに。
その後もしばらく商店街を歩いていると、あることに気が付いて足を止めた。
「……鏡がない」
そう。
本来、そこにはめられているはずの、窓や鏡といったガラス製のものがまったくないのだ。
割れたとかじゃない。
たぶん、もともと取り付けてないみたい。
本当はそこにあるはずだった空間には、ぽっかりと穴が空いているようだった。
タバコ屋さんの窓も、洋服屋さんのショーウインドウも、四角く縁取りされているのに、そこには中と外を仕切るべきものがなかった。
「……なんで?」
そんなことをする意味が分からない。
それなら、その部分を壁で塞いじゃえばいいのに。
なんで、わざわざ窓用の空間を作るの?
私はその何もない空間の奥の、明かりのない暗闇に薄気味悪さを感じながら、再び歩を進めた。
「それにしても長いわね。
この道」
さっきから歩いているのに、なかなか道路に出ない。
お店とお店の間には細い道があるけど、ただでさえ濃い霧で暗いのに、明かりのない真っ暗な路地には入る気が起きなかった。
「待って。
鏡のない霧の町って、どこかで聞いたことある気が……」
あれはたしか、私が高校生の時だっけ。
ある日突然、霧に沈む廃墟の町にいて、数歩先も見えなくて、1枚だけ存在する鏡を見つけるまで出られないとかいう。
「……まさか、ここが?
ふふっ。
まさかね」
私は嫌な予感しかしていなかったけど、それを受け止めたくなくて、思い出したその話をなかったことにした。
「あっ!」
そして、またしばらく歩くと、私の前を歩く人を見つけた。
やった!
人だ!
私はようやく助かる。
少なくとも、事情を聞けると思って、嬉しくなって駆け出した。
その人はゆっくりゆっくり歩いていたから、すぐに追い付くことが出来た。
「あの!
ここってどこなんですか!
私、迷っちゃって。
気付いたらここにいたんですよ!」
私はその人の前に回り込んで話し掛けた。
「…………」
でも、その人は聞こえていないのか。
うつむいたまま、その場に立ち尽くしていた。
「あの~」
私は不安に思ったけど、立ち止まってくれたってことは話をしてくれるつもりなんだと自分に言い聞かせて、再び話そうと、ぐっと一歩近付いた。
すると、その人はバッ!と顔を上げてきた。
「え?
あっ!ひいっ!」
その人には、顔がなかった。
いや、正確には、顔の表面が削れてなくなり、凹凸のなくなかった顔は、剥き出しの肉からポタポタと血を滴らせていた。
目玉のない空洞が、虚ろにこちらを見つめている。
そして、その人がこちらに近付こうとしてきた。
「いやぁぁぁぁーーーー!!!」
私は逃げた。
少しでもその人から遠ざかろうと、走って走って走り続けた。
走りながら思い出していく。
霧の町の話を。
ここは死者の町。
死んだ人間が跋扈する濃霧の世界。
私は迷い込んじゃったんだ。
霧の町に!
「はぁはぁはぁはぁ」
どれだけ走ったか分からないぐらい走って、私はようやく足を止めた。
「ここは、どこだろう」
さっきの顔のない人がいないことを確認して一息ついてから、また周りを見回してみる。
どうやら、住宅街のようだ。
めちゃくちゃに走ってきたからあんまり覚えてないけど、たぶん、賽の目状になった住宅街だ。
当然、玄関や庭から見える部屋にも窓はない。
「ん?」
その家から、子供の声が聞こえる。
声、といっても、きゃっきゃっと聞こえるだけで、なんて言っているのかまでは分からない。
「うそ。
こんな所に子供が?
迷い込んじゃったのかな?」
だとしたら助けなきゃ。
そう思っていると、玄関から子供が出てくる。
全部で3人。
「うっ!」
その3人は、一目で生きていないことが分かった。
だって、首がないんだもの。
みんな、自分の頭の髪をつかんで振り回しながら、楽しそうに走って家から出ると、そのままどこかに駆けていってしまった。
「うっ!
おげぇっ!」
私は溢れてくる吐き気に勝てずにその場にくず折れた。
でも、何も吐き出すことは出来なかった。
ただただ苦しいだけの嗚咽の時間をしばらく過ごし、ようやく落ち着いて顔を上げると、
裂けたお腹から飛び出た内臓を引きずっている男がこちらを覗き込んでいた。
「きゃぁぁぁーーー!!」
私はバッ!と立ち上がり、その場から転がるように逃げる。
すると、その声を聞き付けて、家々から次々と死者たちが出てきた。
そして、彼らは私を捕まえようと追い掛けてきたのだ。
「やだぁぁーー!!」
私は再び走った。
足はとっくに限界だった。
それでも無理やり走り続けた。
彼らは足が遅くて、私が全力で走れば追い付けないみたいだった。
希望はある。
霧の町から脱出する方法だ。
脱出した人はいる。
でないと、霧の町の噂なんて生まれないはずだから!
町に1つだけある鏡。
それを見つければ!
「ひゅー、ひゅー」
また、どれだけ走ったか。
もう足はガクガクで、肺は疲れて変な呼吸の音がする。
「もう、やだ……」
私は公園にいた。
必死に走って、気付いたらここにいた。
ベンチに腰を下ろして、ふぅーと深く息を吐くと、少し落ち着くことが出来た。
「ん?」
その公園の中心に、何かを感じる。
霧が濃すぎてよく分からないけど、あそこに何かがある。
そう感じる。
私は導かれるように、そこに向かった。
「あ、あ、」
そして、見つけた。
「鏡!!」
公園の中央に、大きな一枚鏡があった。
なんの装飾もされてない。
どうやってそこに立ててあるのかも分からない。
でも、そんなことはどうだって良かった。
鏡があった!
私は、元の世界に帰れる!
そう思って、喜んで鏡に近付くと、
「ひぃっ!」
鏡の周りには、大勢の死者たちがいた。
みんな鏡を囲んで、呆然と立っている。
私を帰らせないつもり?
「どうしよう」
私が思わずそう漏らすと、近くにいた死者がぐりん!と顔を向けてくる。
「ひっ!」
ヤバい!
気付かれたっ!
私は焦って再び逃げようとした。
ここまで来て、鏡から遠ざからないといけないなんてっ!
「あ、あれ?」
と、思ったら、鏡の周りにいた死者たちがいっせいに道を開けてくれた。
そして、私と鏡との間に遮るものはなくなった。
「逃がして、くれるの?」
死者たちは私の問いには答えず、皆フラフラとどこかに消えてしまった。
よく分からないけどチャンスだ。
鏡を見れば帰れる!
そして私は、ついに鏡を覗き込むことが出来た。
そこには、私が映っていた。
え?
これ、私?
私には、顔が半分しかなかった。
抉れたように、頭のてっぺんから左耳の下にかけてがすっぽりとなくなっていた。
私には、左腕がなかった。
文字通り、肩から先が千切れてなくなっていた。
そして、私は霧の町の話を間違えて覚えていたことを思い出した。
鏡を見つけても、元の世界に戻れるんじゃない。
鏡を見つけたら、恐怖から解放されるんだ。
もう、誰が霧の町の噂を伝えたかなんて、私には関係ないし、知らない。
「はは、ははばば、あ、ア、ヴぁ、がー」
死の自覚。
それに気付いた途端、声も出なくなる。
体も重くなる。
でも、心は軽くなった。
そして、同時に心は死んだ。
もう怖くなんかない。
私を追ってきた死者たちは、私がまだ自分が死んだことに気付いてなかったから、教えてくれようとしてたんだ。
でも声が出ないから、この鏡の元まで誘導してくれた。
ごめんね。
怖がって。
思い出したよ。
私はあの時、疲れて赤信号を歩いてることに気が付かなくて、トラックに轢かれたんだ。
「……ヴ、あが、」
大丈夫。
もう怖くないよ。
私はたしかに鏡によって、恐怖から解放されたんだ。
「きゃぁぁぁーーー!!」
あ、叫び声が聞こえる。
可哀想に。
まだ自分が死んだことに気が付いてないのね。
大丈夫。
私が教えて上げる。
ようこそ。
霧の町へ。