6.懐柔の瞳
…先の自分の行動を振り返ると余りにも醜悪が過ぎるだろうと、肩身が狭くなる一方だ。自分の姿が哀れに見えたか、もし彼女なりの気遣いの一環か。自分に言い渡された『条件』は、意外なものだった。彼女とのやり取りがフラッシュバックする。
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『…よし、決めた。んじゃ、これをウスズミ班長の初仕事として、アタシから直々に伝えるぞ!!』
『(不安しかない)』
『此処の仕事のメインの、『戦獣の調教の仕方』をトクサから教わってくる事! へへっ、なんか先輩っぽいな、これ!』
不安の中にある、一種の期待にも似た気持ちの起伏が自分の中にあったのだろう。決して無茶振りを望んでいた訳ではないが、先程自分に刃を向けて来た者に自身の権利を一時的に譲渡してしまったのだ。
先輩として一体どんな苦行を『仕事』振ってくるのか、ハードルが高くなっていた事は否定出来ない。
『そ…そんな事で良いのか?』
『いやアタシが何言うと思ったんだよ』
故に、余りにも『普遍で当たり前』な指示に愕然というか呆然というか…。拍子抜けな表情を隠せなかったのか、彼女の表情は次第に自身に対して訝し気な目線を送っていた。
『…まぁ良いか。ちょっと天然気質なところはあるけど、アイツ…トクサはこの班のリーダー的な立場だからさ。この班の中じゃ一番戦獣の調教に長けてるしノウハウを教わるのなら申し分ない筈だよ。
班長って肩書きが無くても引っ張ってくれてたんだぜ?』
『…だとしたら…尚更僕の発言は認められる事じゃなかったな…。自分の現状に溺れてなんてことを…』
『まっ、そう思うんならついでに話くらいは聞いてやってくれよ。……じゃっ、頼んだぜ、班長!』
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彼女…『トクサ・アグリース』はこの班の自分の前任者に位置する人物だった。階級はいざ知らず、与えられた任を背負いながらも、此処の班員を今日まで引っ張ってきた功労者だった。
歩を進めれば進める程、彼女が居る戦獣の調教部屋が近づき、同時に何と声を掛ければ良いのか分からなくなる。先程とは異なった緊張は、自分の一歩一歩を重くする。
…獣臭さと、独特の『油』の臭いとでも言おうか。機械油を彷彿とさせる、煉り合せた不純物の不快な臭いが近くなる。実の所、自分の記憶の中には戦獣の記憶は存在する。
用途や形式は似通っているが、戦獣は所謂、彼方の世界でいう所の『警察犬』や『家畜』とは方向性が異なっている。最初から種として登録された動物を繁殖・調教するのではなく、人の手で生き物の情報を掛け合わせる事で生み出される。戦力としての運用が想定された『生物兵器』を運用するのである。
そこには友愛は愚か愛玩すらも存在しない。生命として誕生しながらも愛される事はなく、先に待つのは人を殺す事と自ら死ぬ事の二択だ。
「………生物兵器か、莫迦げてる」
この記憶は宇涼にとっては新鮮なのだろうか。忠義を誓った筈の軍の上層部の、正気を疑う程の身勝手さに、嫌悪が全身に奮う。思わず口から悪態が零れる程に。
狂ってなければ軍人は務まらない。だからといって、此処まで狂ってしまえばそれは真に人でなくなってしまうだろう。だとすれば自分はまだ…
「いッでっ!!」
……到着した様だった。考え事をしていたお陰で、自らの額を鉄製の引き戸に強打する。同時に、それはノック代わりとなったのか。扉は向こう側からゆっくりと開かれ、目の前で『きょとん』とする少女と邂逅する。
「…あ、ウスズミ」
「トクサ・アグリース二等兵。その…」
「いたいのは治った?」
「現在進行形でとても痛い。…いやそうじゃなく。少なくとも自分自身の中に刺さったトゲは、何とか自分で取り除く事が出来た。君の同僚のお膳立てもあってね」
「よかった。かなしいときは、痛い時。ワタシはあまり痛いのが、好きじゃない。あの子達も一緒だって」
事務作業室より気持ち開けた空間の、彼女が指を差した鉄檻の中。三体の戦獣が自分を視界に入れている。
犬、ないし狼の様な生物をベースにした、機動力特化の最も扱われる戦獣。名を『奇襲・掃討作戦投入用汎用戦獣 ライジュウ』。
如何なる戦場でも、彼等は勇敢に、或いは無謀に敵軍に向かってその牙を突き立てる。
彼女は、軍人とも年齢とも、何もかも釣り合わない慈愛に満ちた眼差しでライジュウを見つめている。しかし喜怒哀楽の起伏が偏っているのか、トクサはこの表情を万物に向けているように思えた。
「トクサ二等へ…いや。此処では階級とか立場とか、そういうのは無しにしよう」
「???」
「君は、此処の前任者だとスオウから聞いた。僕は自分の置かれた状況に溺れて、相応しくない対応をしてしまった。だから、謝らせてくれ。…この度は、申し訳なかった」
堅苦しくなってしまうのは悪癖だと分かっているが、彼方の記憶も相まってどうにも拍車が掛かってしまっている。
目の前の彼女は年下だ。ならばもう少しフランクでも良いだろう。……身体の何処かではそう思っているが、失礼を欠いた以上、年齢も立場も無い。謝罪の意を示すのにそのような境界線は必要ないと、宇涼が訴えかけているようだった。
「…ふふ。ウスズミは不思議だ。かなしいことがあっても、自分をあとまわしにするような人は、結構、めずらしい」
「そ、そうなのだろうか? …トクサは、悲しくなっただろうか。僕のその…あの態度で」
振り返って、彼女が答える。
「ワタシも、かなしくなった。でもそれは、ワタシじゃなくてウスズミが、かなしそうだったから」
優しげな言葉を、彼女の本質だと思う。
「『いっぱい死んでしまって、その罪過で、ウスズミがつらそうだった。』だから、ワタシもかなしくなった」
「―――?!」
そして少しばかり、息が止まる。
偶然だろうか。僕は彼女に、『見殺しにした』主旨を伝えていない筈なのに、彼女の口からは…。
「でも、かなしくなくなったのなら…良かった」
彼女は自分の顔を見つめると、再びライジュウに向けたような、柔らかな微笑を向ける。
それは、自分の何処かに存在する不安の種に、『恐れ』という水を撒いた。