5.来て早々、早速衝突
「…それにしても」
部屋一帯を、ぐるりと見渡してみる。
まずは明かり。ハダカの白熱電球は弱々しくと部屋を照らし、その様は古く使われていない秘密基地を彷彿とさせる。
中央の大きなテーブル。行儀の悪いスオウの足が、ドスンと豪快に乗せられている。
部屋全体。元々狭い部屋には私物と思わしき色々な品々が無造作に置かれていて、より一層狭くなっている。
唯一小綺麗に纏まっている、カーテンに仕切られた奥の部屋は二つに分けられていて、カーテンの左側からは鍵盤のタイプ音のみがただ黙々と奏でられている。
その隣には、奥まった部屋に続く廊下がある。ルリの悲鳴と、いくつかの書類がバラバラと音を立てて崩れる音が聞こえてきた。
…一通り見終えた上で吐き出した大きな溜め息が、自分の抱いた感想だった。
「君達は、本当にこんな状態でやってきていたのか」
「その通り。これがワタシたちのスタンダード」
「………」
愕然とした。…上手く形容する言葉が出てこない。今の自分の立ち位置は、子どものお守りと何処が違うのだろうか?
戦地に赴き、理由はどうあれ自分は生き恥を晒した。多くの未来を奪い、悲しみを生み出した戦犯だ。その汚名を晴らす罰として与えられたのが、無秩序…というよりは無気力なこの部隊への編属なのか。
━━それで自分の散らしてしまった命が報われるのか?
そんな訳があるかと唇を噛み締める。噛み締めたそばから肉が引き剥がされ、口の中に入りこんだ血液は鉄の味で口腔内を埋め尽くす。
この屈辱も、自分に与えられた罰なのだろう……とでも考えなければ平静を保てそうにない。
「ウスズミ、血が出ている。痛いのはよくない。かなしくなる」
「…別にこの程度、微塵も悲しくなど無い。僕は第6防衛部隊でもっと人を悲しくさせた愚か者だ。……よりにもよって…僕のミスで…」
「それはかなしい事だと、ワタシは思う。血が出ているのとかなしくなるのは、同じことだと思うんだ」
彼女の発言の一つ一つを、自分は無意識に『不快』だと受け取っていた。
二等兵、しかも自分よりも一回り小さな子どもに、自分の何が分かると、純粋無垢な表情の彼女を睨み付ける。反抗的になる自分自身も「人のことは言えないだろう」と考える余裕が今の自分にはない。
もう既に、ウスズミとしての自分と『宇涼』としての自分の記憶に、殆ど齟齬はないと確信した。この怒りにはつい数時間前まで感じなかった実感が、現実的な質感が間違いなく在った。……その質感はザラついてしまっているのだが。
「……かなしいね」
「え━━?」
予想外の言葉を残し、彼女は表情を変える事なく踵を返す。
それは投げ付けられる罵倒や侮蔑ではなく、ただ愛玩動物を両手で包容するような優しさで手渡された返答だった。
「大人げないぜリーダーさんよ。トクサが怖がっちまってる。悪気がある訳じゃねぇんだからそこまでにしておいてやってくれよ」
今、この部屋に居るのは自分とスオウだけだ。痺れを切らしたのか、彼女の大きな声は部屋に強く残響した。鼻に付く物言いからは、自分に対しての嫌悪が感じられる。
…彼女を自分自身に置き換えて考えれば当然だ、外部からやってきた部外者が唐突に愚痴を吐き始めれば良い気分にはならないだろう。
「…上官に事を具申するなら、まずは態度を改める事だな。形だけでもリーダー呼ばわりするのならば尚更言葉遣いにも気を付ける事だ」
しかし、それを考慮する余裕はない。自分の心の狭さに呆れ返りそうになる。ザラついた感情を処理する間もなく、擦れた言葉は刃となってスオウに突き立てられた。自分の感情を感情のままに、暴走しているかの如く自尊心を振り回すように。敢えて傷の付く物言いを選択して吐き捨てる自分の気分は最悪の極みだった。
━━しかし、すぐだ。それどころではなくなった。
「……っっ」
「じゃあリーダーなんて呼んでやらねー。唐突に出張ってきた新米だと思って、徹頭徹尾可愛がってやる事に決めた。たかだが一兵卒に毛が生えた程度の輩に、ロクな指図が出来るとも思えねーからな」
距離にしておよそ5m程度。平坦なテーブルは遮蔽物としての役割を果たしていない。むしろ足場になり得るだろう。だから、女性一人位が自分に向けてダッシュすれば、届いたとしても納得出来る事だ。……しかし、そんな物理法則・常識の範疇では覆せない出来事が、自分の目の前で発生した。
彼女は自分自身の胸元へと『跳躍』してきた。文字通り。一直線に。
テーブルを足場とする事もなく、一瞬空気圧が歪んだ上で弾けたかのような、破裂音にも似た効果音が耳に走ったと思えば自分の身体は強く蹴り飛ばされていた。今は、彼女の腰に携えた黒刃が頸動脈に突き立てられている。
奥の方に目を向けると、椅子がまるで『押し潰された』様に、材木と化していた。
「…?!」
「おーおー、目ェ見開いて驚いちゃって。…そういえば、お前アマテラスからの編属だよなァ? これはアタシのカンになるんだが、多分お前『戦犯』ってヤツだろ? だったら今、此処で殺されても惜しくはねーんじゃね?」
彼女の身体と、あどけない顔が、唯一の照明を視界から隠す。首に突き立てられた刃は冷たく、今か今かと血液の飛沫を欲している。僅かでも動く素振りを見せれば、彼女の得物は求めている物を与えられるだろう。
切迫し、文字通りの首の皮一枚の状況。緊張は視界を明滅させ、脈打つ鼓動は自身の呼吸を狭める。……こうなってしまっては、戦場でも無為に行動は出来なくなる。
「…申し訳ない。口調に関しては自分にも思う所があった。トクサにも、八つ当たりに近しい対応をしてしまった。…早々に空気を悪くするのは、上官として恥ずべき行動だ」
「へー。…で? それでお前の評価が今から引っくり返ると思うか?」
スオウの視線は、変わらず自分の命を見据えている。好戦的な野獣の牙は、既に首に突き立てられている。彼女にとって今の自分は『敵同然』とでも言うべきか。しかもその撃鉄を起こしたのは自分自身ときた。彼女の怒りは然るべきモノで、自分が洗礼として受けなければならない咎だ。
…ならばと、自分の口を開かせ、怒りの赤色が灯る彼女の瞳を見つめる。
「引っくり返るとは思わない。…が、矛を収めなければとやかく言われるのはお前かトクサだぞ。スオウ・ガエボルグ二等兵」
「…何だって?」
「僕は編属されたばかりだ。まだ軍に籍を置いている、この国の軍人だ。第8戦獣調教班にどのような意味合いがあるのかは知らないが、仲間同士の共食いを望む程、上もこの部隊を捨てているとは思えない。仕事も振られているのがその証明だ。
怒らせたのは僕だ。…その怒りは別の形で宛がわせてくれ。それを班長としての初仕事とする。名誉なことだとは思わないか?お前は初めて任命された班長に、一番最初の仕事を振る立場になれるんだ」
我ながら良く口が回った物だと、慣れない言葉の羅列に深呼吸をする。ゆっくりと説明した分、彼女には伝わっている筈だが、どうだろうか。
「…………………………」
考える彼女を前に、息を飲む。
「んーー…それなら悪くないかなぁ…。よしっ、気分が変わった。アンタをリーダーと認めるぜ! ウスズミ!」
…伝わったようで安心した。胸を撫で下ろすと、より一層の安堵が全身を駆け巡る。
彼女の手元に携えた刃は、大きな鞘に仕舞われると、空気の冷却ガスらしき白いモヤが排気口から放出される。兵器は確か、アマテラスとスサノオにしか支給されてなかった筈だが、その辺りを今の彼女にツッコむのは、それこそ再び地雷原を踏み抜く行為だろう。
埃の匂いと、充満する獣臭さを嗅覚が再度認識すると同時に、自身の言葉の責任が、薄い絹のように全身にまとわりついてきた。
「(…何指示されんだろ…)」
「…よし、決めた。んじゃ、これをウスズミ班長の初仕事として、アタシから直々に伝えるぞ!!」
「(不安しかない)」
彼女の無邪気な、ワクワクとした笑顔から、ロクでもなさそうな気配を感じた。