114.終局(13)
それはクロガネの渡した引導によるものか。それと肉体の限界が近付いているが故の危険信号か。抱擁した違和感の感触は先刻よりも弱々しいモノだった。
裏面を敷き広げたような世界。視界に映る光景にクモの巣のような神経を張り巡らせれば、キナリ以外が『背景』にあるような感覚を覚える。
━━気づきと同時、キナリの身体がふと、『重なって』見えた。
「ッ……!」
彼の読み通り、キナリは継承記憶体に干渉している。だからこそ、二つの人格を保有するウスズミは裏面でも動く事が出来る。
触れようとするキナリの腕を避ける。今、ウスズミは『どちら』が主なのか。この裏面においてそれは曖昧だと具象化するかの如く、『引っ張られる』ような動きは朦朧としたウスズミ自らを少しばかり混乱させた。
「ははは……全く。毒がまさか…この身体に対しての弱点だったなんてねぇ…
お陰で煩わしくて仕方がない……ッ!!」
━━再び、動く。殺意が迫る。今度の視界には、ハッキリと二人となったキナリの姿が映る。
「(……二人に見えてるのは僕と俺の二人の視界が適応されているからか…。なんで冷静なんだろうな……僕)」
身体に根付いた精神や神経の類いは、きっともう驚く事すらも忘れる程に崩れてしまっているのだろう。磨耗しているのだろう。曖昧というのは形容ではなく、事実としてこの空間に取り巻いていた。
現に、此処まで鬼気迫る表情のキナリを彼は見た事が無い。怖気立つ程の悪辣が込められているのに、身体と気立ては冷静に対処しようとしている。その一手も、その次の一手、二手、三手も。キナリの攻撃は空振りに終わっていた。
「当たれよウスズミ……既に死に体同然じゃないか……何故、どうして、なんだってそこまで僕に殺されたがらない?」
問い掛けるキナリの顔色も、次第に悪くなっていく。余裕そうな表情はとうに失せ、キナリは一刻の無駄も許さない焦りに駆られている。
「━━『答える義理は無い』ってコトかい……!!」
攻撃の手は弛めない。回答が『沈黙』である事を察したキナリは間合いを広げる。
空中からの一手、『斥力』の流れに乗せた金属の雨が降り注ぐ。
地上からの一手、『流動金属』が地を穿ち、剣山を形成してウスズミへと襲い掛かる。
「僕を馬鹿にするのも、大概にしろよ格下ァ!!!」
ウスズミに避けられる術は無い。既に強化外骨格は無い。武器と共にもぎ取られ、出血も未だに止まる事がない。先のような動きが不可能なのは、誰が見ても明らかだった。
「(あぁ……やっぱりダメか…)」
近接攻撃だったから避けられたと、ウスズミは思った。単純な対人格闘術の応用で、キナリの動きや軌道をなんとなく予測出来たからこそ、避けられたのだと思った。
しかし、これは『兵器』の一撃。人の身体で弾丸は避けられない。ましてや爆轟等の面での攻撃ともなれば、逃げる事すらも許されない。
裏表からの攻撃は早くも展開、残酷にもウスズミの視界を覆った。
「(…………生きてる、それに目の前の影は……)」
既に今際の際にあるとしても、先に見えた攻撃が自身に向けられていた事はウスズミも分かっていた。けれども死なない。鉄が身体を貫く痛みも、感じている重力も変わらない。
白んだ雲海に広がる鋼とは裏腹に、彼の視界を再び覆ったのは別の、何かの、誰かの影。詳細も分からぬまま、ただ分かるのは、自分が受ける筈だった攻撃はその影によって塞き止められたという事。
ウスズミは誰なのかは分からない。けれども、それを外側から見つめるトクサは、痛い程にそれが『誰』なのかを理解した。
━━その巨体に傷を刻んだのは、己自身なのだから。
「………ワカバ」