80.来る災害
トクサの黒い腕を包む淡い翡翠色の光が揺らめきを宙に残すと、リンドウの握る軍鉈の真芯を爪が捉えていた。
身体はふわりと浮かび上がり、捉えた真芯をそのままにトクサはリンドウを逃がさない。リンドウも抵抗しようと得物をなんとかして引き抜こうとするが、相手にしているのはアカツキが目的とする『兵器』だ。兵器であり、猛獣であり、対応しようが無い奔流だ。
「ひぁっ……はぁ…!!」
軍鉈が、リンドウの手を離れる。痛みに息を漏らす彼女は馬乗りにされ、四肢を抑えられる。
『知る』と『見る』とでは内包する情報の容量が異なる。得物を引き剥がす、黒く染められた腕はリンドウの瞳にどのように映ったのだろうか。彼女は怯えと楽観の二つを練った顔で、トクサに視線を合わせた。
「……いたいか」
「ええ……とても……!」
「……ワタシは、リンドウがすきだ。だから出来れば、ころしたくない。
━━おねがいだ。ワタシ達と、たたかってほしい。」
それは、自己改造型蹂躙戦獣が自らの選択によって得た答え。『蹂躙』の名を冠する彼女は意思を持った。
兵器が意思を持った行く末、寸分違わぬ人格を保有した。大切な人だからこそ、リンドウに対してトクサは涙を抑えなかった。
「……ダメですよ、トクサちゃん」
「………!」
甘さが露呈した。━━否、いくら涙を見せたからと、兵器の力が弱まる事はない。…根本が揺らがなければ。
届いた。届いたのだ。トクサの訴えは確かに、リンドウに届いた。『ダメ』とトクサに告げたその瞬間、あの時のリンドウが一瞬だけ顔を覗かせた。
リンドウは年長者だ。誰かにとっての誰かであり、個を保有しない情報の塊。全てがペテンで構成された人の形をしているだけの虚。
「ぐぁっ…!?」
「簡単にココロを許しちゃダメですよ?♪
それよりもどうです? 人の身体をしてるなら、無視出来ないでしょう? この痛みは…!!♪」
一瞬だけ出て来たそれが真か偽かも分からない。一転して攻守が逆しまとなる。関節が在らぬ咆哮へと曲げられ、あと少しでも力を入れれば━━
「っぁアアァ…ッあぁウッ…!!!」
肉が鳴る。関節が悲鳴をあげ、痛覚となって神経に警鐘を鳴らす。情緒的にも、戦術的にも、此処でトクサを無力化出来れば、回収は容易となる。
『ミシミシ』と、リンドウはその所業を止める事は無かった。
「━━!!」
だが、リンドウは離れる。
狙われている。相対するのはトクサだけではなく、ウスズミとラヴ。合計で三人。今彼女の紫色の髪を掠めたのは拳銃の弾丸だ。
「好き勝手させる訳ねェだろうが…!!」
「あらあら…随分と勇ましい性格になりましたね? ウスズミさん?♪」
左手に握る拳銃をホルスターにしまうのは、胡蝶の夢からウスズミへと接続されたもう一人の彼。━━しかし、リンドウがそれを知るよしもない。仮に知った所で、彼女はそれ以上の人格で構成されているのだから。
「いいからとっとと……離れやがれッ!!!」
声を張り上げ、迸る電流の残像と共に駆ける。ウスズミの身体を介して……というよりも強化外骨格によって強制的に『磔』にされているも同義故か、それを振るう事に躊躇も抵抗も無かった。
「━━太刀筋が、随分とふわふわとしてきましたね?」
今の彼女が逢丞を恐れる要素はない。ましてや警戒等の必要なく、仕掛けさえすれば制圧出来るだろう。
目的は、遠くへと投げ出された自らの得物。視界にトクサとウスズミを抑えながら、リンドウ探り探り得物を手繰り寄せる。
「もしかしてバテてしまったんです……かっ!?」
強く、強く、地を蹴る。砂利が小気味よく音を鳴らし、リンドウは右腕ごと切り落とすつもりでウスズミへと近付いた。
早く、早く、地を踏む。彼女は『誰か』になるだけで、ルリやスオウのような移動は出来ない。それでも今ならばと思わなかったといえば、嘘になる。
『誰か』になった上で作られた感情の中には、無論『無駄』も含まれていた。
「━━いいや、此処からだ」
『え?』という疑問すらも沸かない。考えに齟齬が発生する。鼓膜を、聴覚を伝って身体が認識出来たのは、『声が変わった』『雰囲気が変わった』『初撃を避けられた』そして━━━
「━━━━ッッッ」
『右腕を、抉られた』。途切れ途切れの慟哭に、彼女は地を這った。決して腕を切り落とされた訳ではないが、露呈した赤色は紛れもなく彼女の内側を、神経を掻き毟り続ける。
絶え間なく、止めどなく、際限無く。流れる血液は痛みと引き換えに地面を染め上げる。利き手を封じられたリンドウは左手に軍鉈をなんとか握るが、痛みと同様で視界が歪んでいた。
「(指が二歩……前腕が断裂……)……降伏してくれ、この場だけでも構わない。僕だって部下が失血で死ぬのは見たくないんだ」
差し伸べる左手。━━しかし、リンドウには聞こえていないかった。何処まで突き詰めても、彼女を襲う痛みは本物の痛覚によるモノ。
錯乱する。狼狽する。言葉を一切整理出来ず、思いのままの言葉が、荒い吐息混じりに押し寄せる。
「まさか……アナタも私と同じだったなんて!! 重大な失態だ……! あの人に……中将に報告してあげなきゃ…!!」
「…………………」
……手を取られる事は無かった。言葉に意を唱える事も同意する事も無く、ただただ無関心。既にウスズミなど眼中に無いかの如く、彼女は譫言を並べて何処かへと歩き去ろうとする。
「━━━あぁ、あぁ! そこに居たのですね!」
彼女が、振り向く。
瞳に灯した光が、何によって照らされたモノなのか。曇天の筈なのに、彼女の目は息を吹き返していた。
「………ウスズミ、くる。 『ナニか』になったアイツが、来る…!!」
彼女が振り向いた方向。ウスズミの全身に取り巻く、虫酸にも似た怖気。『久しく会ってない』というには短すぎる期間、たった数日の数えられるだけの間しか経っていない。
それなのに、此処まで変わるものか?と、ウスズミは反射的に目を見開く。
靴音。
靴音。
靴音が、転がる礫を踏みにじる。
間違いなく、近付いている。たった一人だけの行進が聞こえる。
あろうことか、姿形を変えず、纏う雰囲気だけが異常に変容した━━
『人』の形をした災害が、来る。
「やぁ、随分楽しそうじゃないか。ウスズミ」
「………キナリッッ━━!!!」