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老いた龍とその息子


 幼い頃の夢を見た。

 公園の遊具の上にいて下には吼えている犬がいる。

 俺の後ろには同い年くらいの少年がいて怯えていた。

 だから、俺はこう声を掛けたんだ。


「俺が囮になるから、その隙に逃げてくれ」


 遊具から飛び降りて犬の気を引き、思いっきり走ったのところで目が覚める。

 たぶん、この直後にドラゴンの襲撃にあって街が焼け落ちたからだろう。

 詳細を思い出したくないんだ。

 でも、一つだけはっきりと覚えていることがある。

 それは両親の最後の言葉。


「生きて」


 その一言だった。


§


「ふあぁ」


 目が覚めて藁を敷き詰めたベッドから起き上がる。


「またあの夢か」


 何度も夢に見る。

 あの少年とはあれが初対面で、あれ以来会っていない。

 生きていればいい友人になれたかも、なんてことを偶に思う。


「――起きたか、空人くうと


 声に釣られてそちらを見ると、巨大なドラゴンが横たわっている。


「あぁ、起きたよ。親父」


 自身の肉体から幾千の刃を生やす斬龍。

 しかし、ドラゴンも老いには逆らえない。

 刃は錆び付いて刃毀れし、かつての輝きを失っている。

 額から一角のように生えた刃も、今や半ばから折れてしまっていた。


「なんの夢を見ていた」

「親父に拾われるすこし前の夢だよ」

「……そうか」


 そう返事をして親父はゆっくりと瞼を閉じる。

 ここ数年はずっと寝てばかりだ。もう長いこと動いている姿を見ていない。

 十年前は俺のために魔物を狩ってくれていたのにな。

 今じゃ立場が逆転している。


「じゃ、罠の確認に行ってくる」


 ベッドから立ち上がって巣穴を出る。

 石の天井より先にある青空は、切り立った谷によって狭まっていた。

 ここは渓谷の最下層。

 上から流れ落ちる綺麗な水で作られた池と森が広がる閉鎖空間。

 この十年間、一度もほかの人間に会ったことはない。


「ふー」


 池で顔を洗い、ついでに仕掛けた罠を引き上げる。

 筒状の罠の中には今日も大量の魚が捕まっていた。


「お前らも学習しないな。助かるけど」


 その中から小さい個体を優先的に逃がし、必要最低限の魚だけを手に取って絞める。

 そして俺自身が持つスキルを発動して魚を補食した。

 捕食スキルによって魚が栄養となって肉体に取り込まれる。

 腹も膨れるし、あまり美味しくない食材を食うのに向いていた。

 あと腐った奴とか、病気の奴とかも、このスキルなら安全に食える。


「――さて、どうかな」


 朝食を済ませ、その足で森に仕掛けた罠を巡回する。

 三つ目の罠に魔物が掛かっていた。

 巨大な角を持つ、体格の大きい鹿のような魔物。

 仕掛けた魔法陣を踏んで、それから伸びた鎖が右脚に絡みついている。


「あぁ、折れてるか」


 逃げようと藻掻いたからか、右脚があらぬ方向に曲がっていた。

 鬱血もしているようだし、右脚の肉は質が落ちている。

 まぁ、その部分は俺の捕食スキルで処理しよう。


「悪く思うな」


 すこし離れた位置から右手に魔力を宿す。

 その輝きを見て魔物は怯えた様子を見せるが容赦なく魔法を放った。


「――」


 だが、その瞬間、視界の端から巨大な影が目の前を横切る。

 魔法が何もない地面に着弾し、ようやく事実を認識した。

 そこ居たはずの魔物が姿を消し、鎖に残っていた足の先だけが地面に落ちている。

 横から獲物をかっ攫われた。


「くそっ、なんだってんだ」


 影を追って視線を動かすと、二叉に別れた獣尾がまず見えた。

 そこから蛇のような鱗の胴体、獣のような四肢を視認し、最後に魔物を咥えた狐のような頭部を認識する。


狐龍こりゅう……」


 親父が言っていた特徴に合致するそのドラゴンは、悲鳴を上げた魔物を捕食した。

 丸呑みにし、邪魔な角を粉々に噛み砕く。

 そして、標的をこちらに移した。


「不味い、不味い、不味いッ」


 地面を蹴って駆け出し、木々を躱しながら逃走する。


「ギャァアアァアアアアッ!」


 狐龍は咆哮を上げて、逃げる俺を追い立てた。

 奴の言葉がわからない。

 会話をする気がないからだ。

 ハンターが獲物の命乞いに耳を貸すことはない。

 対話は不可能。

 このまま逃げて、それから――


「待て待てッ! あぁ、くそッ!」


 無意識に逃げていたのが、親父がいる巣穴の方向だった。

 そうと気がついてすぐ、踏み止まって方向転換する。

 老いて動けもしない親父のところに逃げ込んだら両方とも食い殺されてしまう。

 それだけは避けないと。

 二度も親を奪われたくない。


「ギャアァアアアァアアアアアアアッ!」


 木々を薙ぎ倒して突進する狐龍は痺れを切らしたようにスキルを展開する。

 それは札のような形状が取られ、達筆な文字が綴られていた。

 そして、それらが狐火となって蒼白く燃え盛り、雨のように降り注いだ。


「冗談だろッ!」


 着弾と共に爆ぜるそれが地形を抉り、木々をへし折って焼き尽くす。

 その最中をどうにか駆け抜けていたが、ついに近くで爆風に煽られて宙を舞う。

 腕に走る痛みは火傷によるもの。

 背中に走る衝撃は崖に叩き付けられたもの。

 全身にありとあらゆる痛みが走り、手足が上手く動かず、立ち上がれそうにない。

 眩む視界の真ん中に狐龍の姿が映る。


「はっ……ここまでか」


 せめて親父は見つからないでくれ。

 そう願いながら迫る牙を受け入れた。


「――空人ッ!」


 名が呼ばれ、錆び付いた刃が弧を描く。

 それは狐龍の胴体を斬り裂き、老龍の突進が若い狐龍を吹き飛ばした。

 不意打ちを受けて地面を転がった狐龍が直ぐさま体勢を立て直して吼える。


「ギャァアアァアアァァアアアアアッ!」


 対する親父も、聞いたこともないような怒号を上げた。


「ガアァァァアアアァァァァアアアアアアッ!」


 互いに睨み合い、同時に駆け出して牙と刃が交差する。


「おや、じ……!」


 軋む体に鞭を打って立ち上がり、激しく傷つけ合っている親父を追う。


「ギャアァァァアァアアアッ!」

「ガァァアアァァァアアアアッ!」


 振るわれた刃が狐龍の鱗を斬り裂いて赤く染まる。

 だが、それは錆び付いて刃毀れした老いた刃。

 深く裂くことは出来ず、致命傷にはいたらない。


「親父ッ! もう、無理だ! 逃げろッ!」


 声は届いているのか、咆哮に掻き消されているのか。

 親父は一向に逃げようとはしない。

 老いた刃では若い牙には敵わないとわかっているはずなのに。


「親父ッ!」


 そして燃え盛る狐火の雨が降り、すべての刃が打ち砕かれる。

 怯み、後退り、その隙を狙って狐龍が喉元に噛み付いた。

 取り返しの付かない致命傷。

 狐龍は親父を振り回して投げ飛ばし、俺の目の前に親父が転がった。


「そん……な……」


 すべてをかなぐり捨てるように駆けて、親父の元へと向かう。


「ギャァァアァァアアアァァアアアッ!」


 狐龍は勝ち鬨を上げるように天に向かって吼えていた。


「親父! 親父! しっかりしろよ! おいッ!」


 必死で呼びかけると瞳が微かに開く。


「空人……我を、喰え……」

「なに言ってんだよ! しゃべれるなら立ち上がれ! 逃げろ!」

「わかっているだろう……もう無理だ」


 狐龍が鳴き終わり、近づいてくる。


「あれに喰われるくらいなら……空人、お前が喰ってくれ」


 地面を蹴り、駆けた。


「忘れるな……ずっと一緒だ」


 そう言い残して親父は死にいたる。

 もう二度と目覚めない。


「……あぁ、ずっと一緒だ」


 目元を拭い、親父の亡骸に触れ、捕食スキルを発動した。

 親父の大きな体が消えてなくなり、この身に斬龍の力が宿る。

 老いた刃は輝きを取り戻し、研ぎ澄まされ、迫る獣を一太刀のもとに斬り裂いた。


「ギャアァァァァアァァアアアアッ!?」


 狐龍は片目を潰されて大きく怯む。

 振り下ろしたこの右手には、一振りの刀が握られていた。


「一緒に戦ってくれ、親父」


 刀から溢れ出した魔力が身を包み、和装となって顕現する。

 それはさながら侍や剣客のような装いだった。


「ギャァァァァアァァアアアアアアアッ!」


 片目を潰された恨みを隻眼に宿らせ、狐龍は狐火の雨を降らす。

 身に降り掛かるそのすべての札を、斬龍の刃が断ち切って消滅させる。

 先ほどは届かなかったこの刃で、今度こそ狐龍を討つ。


「親父の仇だ」


 振り上げた刀身に魔力が集い、刃はより研ぎ澄まされる。

 その剣気に気圧され、一瞬怯んだ狐龍はそれでも吼えて牙を剥く。


「――」


 突進した狐龍に向けて、一刀を振り下ろす。

 その剣閃は魔力を乗せて飛び、触れるものすべてを斬り裂いて馳せる。

 一切の区別なく、大気も、木の葉も、龍でさえも、両断してみせた。


「ギャァアァ……アァ……」


 親父が付けた傷をなぞるように狐龍は二つに分かたれた。

 断末魔の叫びを上げ、首が地に落ちる。

 仇は討った。


「本当は龍を喰らう力だったのか……俺のスキル」


 魔物を喰っても、こんなことは起こらなかった。

 でも、親父を喰ってはっきりした。

 この捕食スキルは龍喰らいのスキルだ。


「……皮肉だな」


 狐火によって焼けた森を消火するように渓谷に雨が降った。

 声を枯らした泣き声は雨音に紛れ、流した涙は雨に混ざる。

 誰にも気づかれないのなら泣いたっていい。

 ずっと一緒だとわかっていても、涙を堪えることは不可能だった。

 今日、俺はまた親を失ったのだから。

 でも、止まない雨はない。

 この雨が上がったら前を向こう。

 そして二度と泣かない。

 そう心に決めたのだった。

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