9.いじめっこといじめられっこ
来週からよろしく! と笑顔で職員室の中へと消えていった保坂君。
性格が一段と悪くなって戻ってきてしまった印象だ。よく見ると、まだ顔の輪郭はまるっこい。でも、身長はほとんど私と変わらないのに、柔道か何かやっているらしく、身体はがっしりしていた。
松本さんの時は別れが惜しかったのに、保坂君は何で戻ってきたの、と頭を抱えたくなった。保育園を卒園してから家の事情で他市へ引っ越したと聞いていた。また事情があって戻ってきたのだろうが、私と恭平のことは触れないでほしい。そこさえ避けてくれれば、多少の嫌がらせは我慢できそうだ。
と、考えていたのに。
「なんで、隣の席になるの!」
「ほら。転校したばかりで不安な俺を、先生が心配してくれてさあ。知り合いの隣の方が早く馴染めるだろうからってさ!」
余計なことをして!
にやにや笑う保坂君に腹が立って、持っていた下敷きでぺちっと軽く頭をはたく。
「うっわ、暴力だー」
「暴力じゃありません。うるさい人には何も貸してあげないから」
「それはマジかんべんだって。ほらほら、アメあげるから。斜めのご機嫌を直してごらん、せなちゃん」
「い、ら、な、い!」
「あー、マジでお前の反応楽しい。からかい甲斐があっていいなあ。ここに戻ってきたって実感するわ」
転校初日から一週間。彼と喧嘩のような言い争いをしているせいで、周りから生暖かい目で見られるようになってしまった。マジの喧嘩っプルだ、なんて声が聞こえるたびに、じろりと睨みつけてはいる。
「仲良いねー。保坂君とは幼馴染なの?」
前まで隣の席だった小林さんがくすくすと笑いながら声を掛けてきた。
「幼馴染じゃないよ。保育園だけ一緒なの」
「ちなみに俺はいじめっ子~。こいつは先生に言いつけっこ~」
「威張って言わない! 反省してよ! 小林さん、気を付けてね」
「俺がいじめてたのは、せなちゃんとキョウちゃんだけで、他は普通にしてたって。言いがかりはやめろよなー」
反省するそぶりは全くない。
「じゃあ、篠田さんの幼馴染は高野君だけなの?」
「ん? 小林さんだっけ? きょうへいのこと、知ってんの?」
「うん。高野君は6組にいるよ。この廊下の突き当りの教室」
「マジ? おい、篠田。なんで教えなかったんだよ」
「知りたければ自分でどうぞって言ったでしょ」
ここ一週間、恭平の姿は見ていない。学校には来ていて、自分のところに顔を出さないだけらしい。仲の良いグループでいろいろ遊んでいるらしい。
それで良かったと思う気持ちと、少しだけ、ほんの少しだけ寂しい気持ちがあった。自分勝手な感情に、自分を叩きたくなる。
このいじめっ子が今の恭平をいじめるとは思えないが、心配が胸をよぎる。昔のように表立って庇ってあげられない。ああでも、自分はその役目にいないのだ。
「よし、篠田。行こうぜ!」
「……どこへ?」
「この話の流れで分かんねえって、マジねぇわ。昔の幼馴染を紹介してくれよ」
「嫌。無理」
きっぱりと断るが、立ち上がった保坂君に腕を引かれ、引きずられるように連れて行かれる。力が強くて振り払えない。足に力を入れて止まろうとしても、私の体重など何の抵抗にもならない様子で、どんどんと廊下を進んでいく。
「ちょっと! やだって言ってるでしょ!?」
「なんで? 喧嘩でもしてんの?」
「……まあ、そんなところ、かな」
「じゃあ、きょうへいに謝らせればいいじゃん。ごめんね、せなちゃん、許してってすぐ言うだろ」
「そんな簡単な問題じゃないの! それに、どうして高野君が謝る設定になってるの?」
「はあ? せなちゃんときょうへいだったら、きょうへいが悪い方が圧倒的に多かっただろ。いっつもべったりくっついてたのに、きょうへいが癇癪起こして…ってばっかだったの覚えてないのか?」
呆れたように言われ、そんな昔のことをよく覚えているものだとこっそり感心した。
気付けば恭平のクラスの前で、彼がクラスを覗き込んだ隙に、さっと身を翻して元来た道へと駆け戻る。
「あ! 篠田!」
「会いたければ自分で挨拶して!」
これで逃げられると思った時だった。
前方から来た恭平たちに出くわしてしまった。彼らはこちらに気づくと足を止めたが、私の慌てぶりに何の反応もできない様子だった。それに加えて、後ろから男子に追いかけられているのだから、彼らも何が何だか分からないだろう。
「待てって!」
「待たない! ごめんなさい、そこ通して…!」
通してくれと言っているのに、恭平は隣の男子に目配せして私の前に立った。前後をはさまれることになるなんて。邪魔しないでほしいのに…!
結局恭平に会ってしまうし、追われるし、逃げたいし、二人を会わせたくないし。頭の中はパニックだった。
恭平は私を背に隠すように立ち、保坂君を睨みつけた。10㎝以上も高い人間から見下ろされ、さすがの彼も勢いをなくしたようだった。
「お前……瀬名に何の用? 嫌がる女を追いかけるってサイテーだな」
「待った待った、誤解しないでくれよ。俺はそこの篠田さんに、昔馴染みに会いたいから紹介してくれって頼んだだけ。転校したせいでさ、会うのって10年ぶりくらいなんだよ。相手の顔も分からないんじゃ不安じゃん? それで頼んだってわけ」
「へぇ、それで相手の名前は?」
「高野恭平」
「あっそ」
「知ってる? たぶん、ガリガリでさ。女みてぇだと思うんだ。あと、つまんねー奴で」
ああもう! 目の前の人が誰か分からないの!?
嫌な汗が背中を伝うのを感じ、私は恭平の身体を横に押しのける。これ以上、酷いことを言わせるわけにはいかなかった。折角、元気になってきたのに、また元気をなくさせたら、可哀そうだ。病弱だったことを多くの人に、わざわざ知らせる必要なんてない。恭平が自分で言うならまだしも、周りが勝手に言いふらすのはいけないことだ。
「勝手なこと言わないで! そんなこと言うから、会わせたくないんだって!」
「えー、だって気になんじゃん。せなちゃんのキョウちゃんが、どうなったのか。あの泣き虫が」
「だから黙っ――」
「瀬名。喧嘩を売られてんのは俺だから。あんがと」
彼は私の唇に指を押し当てて、余裕たっぷりに笑った。
そして、保坂君の前に一歩進み出て距離を詰める。口角は上がっているのに、目は笑っていなかった。風向きが変わったことを察知したらしく、保坂君は顔をひきつらせている。もう、気付いただろう。
身長は180㎝近くあり、身体も筋肉質でありながら細い。目つきは鋭く、顔も良い。少し軽めでやんちゃな雰囲気を漂わせる見た目になっている。パッと見は怖いが、笑えば幼さの残る表情が人を惹きつける。成長期で落ち着いた高さの声に変化を遂げた。
幼少期の彼とは大違いなのだ。
「初めまして? そんで、久しぶり? 俺がせなちゃんのキョウちゃんだけど?」
「……マジ?」