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4.キョウちゃん

 朝から慌ただしく、家の中を使用人や医療職が歩き回る。

 入院先で悪化してはいけないとの判断で、医師が往診に訪れ、同行した看護師が点滴をする。そして数時間おきに状態を見に来ては、点滴を追加したり、外したりと、ほぼ入院と変わらない扱いを受ける。

 全身がだるくて、水分もいらない。食事も入らない。そのせいでベッドで見上げる点滴の量は多い。ここまで悪化したのは何年ぶりだろう。

 心配する両親は、部屋に入るのも止められている。医師に言わせると、お互いにうつす心配はないが、まずは水分がとれるようになるまで一人きりで安静にしていた方が良いとのことだった。

 入れるのは医療職と、今入室してきた連絡を取り合える父親の秘書の男性一人だけだ。

「恭平さん、体調はいかがですか?」

 口を開くのも億劫で、首を横に振る。

「ほしいものがあればお持ちいたしますが…そのご様子だと本もつらいでしょう。音楽はいかがでしょう?」

 それもいらない。首を振る。

「この状態がもう五日も続いて…。医師からは少しでも気力が出るものを、とは言われていますが…」

 何もない。この家にいたって、部屋にいたって、気力なんて出ない。

 ガキの頃は、具合を悪くしても嫌なことばかりじゃなかった。休んだら、あの子が来てくれたから。心配で泣きそうな顔をして。キョウちゃん大丈夫、とベッドで身動きが取れない俺の顔をのぞきこんでくれた。

 ここ何年も、大好きなあの子は、会いに来てはくれないけど。

 お見舞いの品が代わりに届くだけだ。全然、彼女の代わりにはならないけど。

 今回も、きっとそうなるだろう。

 目を閉じた俺は秘書が思案顔をしているのに気づかなかった。

 次に目を開けた時、カーテンから差し込む光はオレンジ色に変わっていた。秘書が来たのは9時ごろだったはずだから、だいぶ眠ってしまったらしい。点滴も外されている。

 トイレに行こうと体を起こそうとしたが、ぐらぐらして、うまく起き上がれない。ベッドに肘をついて、傾いた身体を支えようとした時、背中を細い腕に支えられた。

 いるはずがない。来てくれるはずがない。でも――。

「大丈夫? 起きたいの?」

「せな」

 枯れた喉から出た声は、酷いくらいに掠れていた。

 信じられないが、間違いなく瀬名だった。呆然と彼女を見つめるしかできなくて、気付いた時には瀬名に身体を支えられて起き上がっていた。

「歩ける?」

「うん」

 寄りかかりながら歩くが、だるくて身体が重くて仕方がない。でも、廊下に出て、手すりをつかえば、遅くても一人でも歩けそうだった。

「一人で、だいじょぶだから」

 部屋の外まで付き添ってもらい、そこからは自分で歩く。

 用事を済ませて、部屋に戻る途中、急に不安になった。

 戻ったら、いなくなっているかもしれない。熱が見せたまぼろしだとしても、おかしくない。それくらい、瀬名は自分から遠くなっているから。

 行く時よりも足取りが重くて、遅くなる。途端に、だるさが一気に押し寄せてきて、俺はその場にしゃがみこんだ。

「きっつ…」

 ぐらぐらする。点滴で食事や水分を補っているとはいえ、感じないだけで空腹状態なのだ。気持ち悪いし、立ち上がるのも億劫だ。

 前だったら、治ったら瀬名と遊べるから、頑張ろうって、頑張れていた。大嫌いな病院も点滴も瀬名と会えると思えば、必死に耐えたものだ。

 でも、今は頑張れない。このまま点滴を続ければ、勝手に治る。だから、頑張らない。早く治ったって、体調だけ戻って、また学校に行くだけ。彼女との距離は開いたまま。

 深いため息をつく。このままここにいるわけにもいかない。折った膝に手をついて、立ち上がる。ぐらりとするが、廊下の手すりにつかまって、その場を乗り切った。

「――大丈夫!?」

「! …せな、だ」

「遅いと思ったら…やっぱりつらかったんでしょ? 呼んでくれれば……って、大きな声が出ないから無理だよね、ごめん」

 瀬名に手を引かれ、部屋に戻り、ベッドに座らせられる。

 いつの間にか持ってきたらしい飲み物とカップに入ったゼリーがテーブルにあった。

「何か食べられそう? 飲み物は?」

「……いらない」

「じゃあ、何したら身体は楽? 横になる?」

 首を横に振る。

「こうやって話すのもつらい?」

 それは絶対にないと、首を横に振る。

「そうそう、忘れないうちに。高野君に渡してほしいって、学校からプリントを預かってきたの」

「……」

「高野君?」

 瀬名は俺の目の前で膝をついて、心配そうに見上げてくる。具合を悪くするたびに、彼女はこうやって、心配してくれた。

 ――これは、熱が見せたまぼろしだろう。

 だったら、少しくらいはわがままを許してくれるはずだ。

「いやだ」

「何が嫌?」

「高野君はいやだ」

 瀬名はぽかんとした。だが、病人相手に怒るような様子はなかった。

「恭平君? 恭平?」

「……うーん?」

「違うの? じゃあ、キョウちゃん?」

「…うん」

「キョウちゃん」

 優しく呼ばれると、塞いでいた気持ちが軽くなるのが分かった。

 たかのくん、キョウちゃん、恭平君、恭平…一緒に成長していくごとに、呼び名も変化していった。周りからうるさく言われたせいもあった。ちゃんづけはおかしい、とか。でも、一番仲が良かった時はキョウちゃんだった。

 彼女からしてみれば、図体ばかりが大きくなった男が、呼び名にこだわって、わがままを言う姿など、滑稽でばからしくうつっているだろう。見損なっているだろうが、これはまぼろしだ。許されるはず。

 折角だ、普段聞けないことを聞いてみればいい。怖くて聞けないことを。

「……瀬名、俺のこと、嫌いになった?」

「!」

「俺のこと、嫌い?」

「嫌いじゃないよ。嫌いじゃない。……本当だよ」

 俯いていると、瀬名が両手を握ってくれた。俺よりも小さいけど、自分だけの俺と違って、人のために頑張れる手だ。

「じゃあ、どうして。俺といてくれないの? おさななじみだから?」

「幼馴染だからいっしょにいられるんだよ。キョウちゃんはもっといろんな人と関わった方が良いんだよ。友達もいっぱいいるし、みんなに好かれて、人気者でしょう?」

「でも、瀬名いてくれない」

「幼馴染はそばにいなくても、いっしょだよ」

「……いっしょじゃないよ。他のいなくていいから。瀬名、俺のところにいてよ」

「キョウちゃん」

 瀬名の手を握る力が少しだけ強くなる。怒ったのかな。

「……あのね、キョウちゃん。うまく言えないけど、キョウちゃんはいつも頑張ってて、偉いよ。私はね、キョウちゃんといっしょにいられるほど、頑張っていないから。だから目立ってそばにいられないけど、でも、でもね。いつも心配しているんだよ。そういう意味ではいっしょにいるんだよ」

「よく、分かんない」

「言ってる私もよく分からない」

 ふふ、と困ったように笑う瀬名に、顔が熱くなる。

 久しぶりに至近距離で、笑顔が見られた。嬉しくて、笑い返すと、なぜか彼女は瞬時にうつむいてしまった。ぎこちなくしか笑えない自分が情けない。

「キョウちゃん、本当に格好良くなっちゃったね」

「……全然。まだ、全然」

「今より格好良くなるの?」

「うん。瀬名が、好きになってくれるまで。がんばる」

 言った途端、彼女は身体を震わせて、涙をこぼした。慌てて涙を拭おうとしていたが、俺に手を握られている以上、拭うこともできず困っていた。

「どうして、泣くの。俺、嫌なこと言った?」

「違う、違うの。……キョウちゃん、ありがとう。でも、私はキョウちゃんにそうやって好きになってもらえるような人間じゃないんだよ。ごめんなさい…」

「……でも、俺は好きだよ。ずっと」

 涙にぬれる頬に口づけると、彼女はまた泣いた。

 ごめんね、ごめんなさい。泣きじゃくる彼女の声が遠くに聞こえ――俺は意識を失った。

 ああ、もうまぼろしは終わりか。幸せな時間だった。

「――恭平さん。体調はいかがですか?」

「あー…まあまあ、かな」

 今度の目覚めは部屋の蛍光灯の光の中だった。外はもう真っ暗で、秘書が戸の前で立っていた。時計を見上げると、21時を回っている。

「朝よりも表情がしっかりされましたね。お食事や飲み物は?」

「食事はまだいらない。飲み物だけ、もらおうかな」

「どうぞ。飲めるようになったなら喜ばしいことですね」

 秘書はほっとしたように笑い、常温のペットボトルを渡してきた。

 冷たいのはきつそうだったからちょうど良さそうで、ゆっくり口に含む。

 部屋の中を見回した後、ごくりと飲み込んだ。彼女がいた形跡が何もない。持ってきたはずのプリントも、飲み物も、ゼリーもない。

 やっぱり、まぼろしだったか。そりゃそうだよな。

「そういえば恭平さん。学校のプリントは引き出しに。ゼリーは容器を変えてそちらの冷蔵庫に入れてありますので。食欲が出たら、ばれないように早めに召し上がってくださいね」

「ゼリー…?」

「はい。リンゴのゼリーがお好きだとうかがいましたが…違うのですか?」

「ああ…子供の頃、よく食べたかも」

 すりおろしたリンゴと、売っているリンゴジュースを混ぜた手作りのゼリーが好きだった。熱を出すたびによく食べたものだ。そういえば、ここ何年も食べていなかった。

「……ん?」

「では私はこれで。いいですか、くれぐれもばれないようにお願いしますよ。面会が許されない奥様や社長にばれたら一大事になりますので」

 念を押すように言って、秘書は去って行く。

 この家で料理をするのは、雇っている料理人だけ。母は俺が保育園の時以来、料理をしていない。でも、あの味は手作りのもので――。

 急いでベッドから降り、もたつく足で冷蔵庫の前に向かう。中にはドリンクに埋もれるように隠されたゼリーが入っていた。カップのふたを開けると、子供のころと同じ、懐かしいゼリーの匂いがした。

「…瀬名」

 他のものは何も食べたくなくても、これだけは食べた。母や料理人が真似して作ったけど、やっぱり瀬名が作ってくれるのが一番おいしかったのは覚えている。

 来てくれたんだ。あれは、本物の瀬名だったんだ。

 ということは。

「やっちまった……」

 思い返せば恥ずかしいことをやってしまった。身体をタオルで拭うぐらいのことしかしていないのに、密着した。汗臭くなかっただろうか。チャラい見た目のままで、子供よりも性質の悪い甘え方をして。嘘はついていないが、何を言っても信じてもらえない。

 後悔で頭が痛くなり、冷蔵庫にゼリーを大切に仕舞い込んだ。

 ――目立ってそばにいられないけど、でも、でもね。いつも心配しているんだよ。そういう意味ではいっしょにいるんだよ。

 うん、何となく、分かったよ。

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