2.うそつきはおじ様
――恭平は身体が弱いのは知っているね。心もそれほど強くないんだ。恭平が家族以外に初めて好きになったのが君のようでね…恭平は毎日君の話をしているよ。将来、君と結婚するんだと嬉しそうに話してくれる。だが、それを真に受けてはいないね?
夕暮れ時、小学校卒業間近の帰り道。恭平と別れて歩き出して数分後、瀬名は大の大人の容赦ない鋭い眼光に射すくめられていた。恐怖だった。いつも笑顔のおじ様が、得体の知れない何かに変わってしまったかのような恐怖を覚えた。
「恭平が活発になっているのは良いことだが、君といっしょになるのは、こちらとしては全くもって喜ばしいことじゃない。あの子には、相応の女性と将来を添わせる予定でね。君じゃないんだ。分かるだろう? 君の家はうちの取引先の一つに過ぎない。いつだって切れる程度の関係なわけだよ。いくらでも代わりはいるんだ…君と同じようにね。そんなどこでもいるような相手とうまくいくわけがないんだ。恭平に苦労させたくない。反対するのも親心というわけだね」
「え…」
頭の中が真っ白になって、何を言われているのか、正直よく分からなかった。ただ、おじ様は自分のことが邪魔で、嫌いで、恭平に近づくなと言いたいことだけは伝わってきた。
怖いのか、悲しいのか分からないけど、涙がこぼれてきた。
会うたびに「仲良くしてくれてありがとう。これからも恭平をよろしく頼むよ」と優しく笑いかけてくれたおじ様も、おば様も嘘だった。
「釣り合わない相手と一緒になることは不幸だよ。今、君はつらいかもしれないけど、僕の言った言葉が間違いじゃなかったとすぐに分かる。二人のために言っているんだ」
おじ様は少しだけ悲しそうに表情を暗くし、ハンカチを差し出してきた。それを使いたくなくて、反抗するかのように私は自分の手で涙を拭った。
「君のご両親が経営する工場は、うちの取引会社の一つだが、本当に小さな下請けなんだよ。最近は経営が不振でね、うちとの取引で経営できているといっても過言じゃない。そして、君の家はローンで、君も春には進学で、お金がかかる時期になるわけだね。君の兄弟も、進学を目指していると聞いているよ。もしも会社が潰れたら、どうなるだろうね。すぐに再就職が決まるようならいいけれど。この県内でうちの会社が全く関わっていない就職先を見つけるのは難しいんじゃないかな? もし今はうまくいっても、この先もお金はかかるだろうね」
「……私に、何をしろって、言うんですか」
「何をしろとは良くない言い方だね。僕は命令するつもりも、指示するつもりもないよ。でも、君は物分かりが良いね。……今のまま恭平とはよい幼馴染でいられるかな。本当は君を遠ざけたいところだけど、また恭平の体調が悪くなってしまったらいけない。万全ではないからね」
保育園の頃は、休みがちだった恭平も、小学校で学年が上がるごとに体調も格段に良くなっていった。しかし、万全ではない。風邪を引きやすく、あっという間に悪化する。何度も何度もお見舞いに駆け付けた。先月も短期間ではあるが、入院しているほどだ。
「今の恭平は君を中心に毎日を過ごしていると言ってもいいかもしれない。君がいるから学校が好きなんだそうだ。その君が小学校卒業と同時にいなくなったら、あの子は精神的な支柱をなくして、悲しみに暮れるだろう。妻も気落ちしてしまう。そんなかわいそうな目には合わせられない」
小学生の女の子を本気で脅している男が、可哀そうだなんだとよく言える。
「そうだな。高校卒業するまで頑張って、よい幼馴染で居続けられたら……君も周りも何も変わらないでいられるよ。僕も取引を変えないでおこう。その頃には、恭平も他に目を向けているはずだし、婚約者も用意しておくからね。とっても難しいことじゃないだろう? 恭平に気づかれないように、遠ざかればいいだけの話だね」
「……」
「僕は家族を守りたい。君は家族を守りたくないのかい?」
守りたいに決まっている。
私は何も言えなかった。答えは出ているのに、声に出せなかった。
(お父さんも、お母さんもみんな大事…。だけど、キョウちゃん…)
大好きな幼馴染。いっしょにいると楽しくて、たまに困らされることもあるけど、好きだった。でも、もう仲良くしちゃいけないんだ。本当の理由も言えずに。
項垂れる私の肩を、力強い手でぐっとつかまれる。恐る恐る顔を上げると、真剣で悲痛な顔をしたおじ様と目が合った。
「瀬名ちゃん。頼むよ。僕はね――」
最終的に、私はおじ様の頼みに、頷いた。
優しく肩を抱かれ、ありがとう、と言われても、全然嬉しくなかった。
「さあ、内緒話はここまで。気を付けてお帰り」
いつもの優しい笑顔を浮かべ、おじ様は手を振った。
この笑顔の下に、いつもどんなことを隠していたのか。考えただけでぞっとして、私は家まで全力で走りぬいた。家族には絶対に言えなかった。おじ様の言葉を真剣に伝えたとしても、信じてもらえないのは子供でも分かった。
おじ様からの圧力はその一度きり。でも、絶対の命令だった。逆らえば、何の音沙汰もなく壊れてしまう。倒産、ローン、就職先、進学、生活、多くの状況が自分一人に圧し掛かっている。
それから、卒業式を終えて、一気に疎遠になるように距離を置いた。
できるだけ中学校で知り合った女の子と行動するようにして。同じ小学校出身の人たちとは関わらないように。
進んだ中学は男女別学で、棟も違うから、恭平とは滅多に会うことはなかった。だから最初は安心していた。
それなのに、学校の行事で会った時、恭平は変わらない態度で、「瀬名ちゃん」と呼んできて、悲しかった。
「中学校に入ったんだし、幼馴染でもいっしょにいるのも変に思われるから。もう瀬名ちゃんって呼ばないで」
わざわざ声を掛けてきてくれた恭平に素気無く言うと、彼は訳が分からないという戸惑った表情を浮かべていた。しかし、翌週懲りずに玄関で待っていた彼は甘い笑顔でこう言い放った。
瀬名、帰ろ。と。
昔から大事だった幼馴染にそう言われてときめかない子がいるだろうか。
仕方ないから、私は好きなところも良いところも全部、嫌いだと思うように努力した。嫁いびり、小姑根性というやつか。それは今でも続けているが、あんまり効果はなさそうだ。だって、どこも嫌いじゃないのに難癖付けて嫌いになろうとしているんだから。無理がある。
恭平を好きだと思う気持ちは、今も恋なのか分からない。もしかしたら、全く違う感情だったかもしれないが、それは恋か友情に成長する前に、取り上げられて止まってしまったから。
宙ぶらりんな感情を持ち続けたまま、私はようやく高校一年生になっていた。残念なことに恭平と同じ高校だ。うちと違って余裕のある彼ならば私立に行けるはずなのに。
しかし、始まってしまったのだから仕方がない。あと三年の我慢だ。中学の時のように、定期的に会うおば様とのティータイム以外、関わらないように頑張ればいい。会うたびに恭平と結婚をすすめるおば様は、おじ様と違うから、おしゃべりは嫌じゃない。嘘つきはおじ様だけ。
この高校生活を乗り切れば。私は重荷から逃げられる。