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1.幼馴染

 あんなにかわいかったのに、詐欺だ。

 私は苛立ちに似た気持ちを隠しながら目の前の男を無感情に見上げた。

 至近距離で睨みつけられたようなものなのに、相手の男――恭平は嬉しそうに笑うだけ。

 余裕たっぷりなところも腹立つ。自分よりも15cm以上高い身長も腹立つ。頭が良いところも腹立つ。友達が多いのも腹立つ。人気者なところも腹立つ。金持ちなところも腹立つ。ああ、挙げればきりがない。

 細くて小さかったのに。女の子みたいだったのに。泣き虫だったのに。瀬名ちゃん瀬名ちゃん、ってちょっといじめられたただけで助けを求めてきたのに。

 今はどうだ。

 背は高く、足も長く。目つきは鋭いのに、笑うと子供のように朗らかで。顔も良い。女の子にはどんなに頑張っても間違えられない。高校に入学してから、肩につきそうな髪を明るめの茶色に染めて、ちょっと軽めのやんちゃなおにいさんみたいに外はねさせている。口には出せないけれど似合っている。

「なあ、一緒に帰ろ」

「帰らない」

「なんで? 居残りできない日じゃん」

「帰るよ。高野君とは帰らないだけ」

 睨み合い――いや、睨みつけているのは私だけで、恭平は優しい眼差しを向け続けている。

 廊下の一角で行われる光景は、入学してから1か月で日常となり、誰も止めない代わりに恭平を庇う声が上がってくる。本当は止めてほしいし、このやりとりさえも日常からなくしてほしいくらいなのに。

「恭平、篠田さんは帰らないって言ってるんだし、俺たちと帰ろうぜー」

「そうそう。篠田さんは嫌だって言ったら譲らないよー」

「今日も振られちゃったな~、元気出せ! 恭平!」

「高野君、うちらと帰ろうよー」

 仲の良いグループの友達たちに囲まれるが、恭平は私から目を離そうとしない。

 いつもなら、これ見よがしに肩をがっくり落として彼らと引いていくというのに。

 ということは、今日は恭平の家――おば様が関わる用事があるらしい。

「母さんが、お前に用事があるって言うんだ。連れて帰ってこないと、お前の家まで押しかけるって」

「…おば様をご招待できるような環境なんてないんだけど」

 恭平はこの地域では大きな会社の社長令息だ。おば様はもちろん社長夫人。

 それに引きかえ、私の家は昔から続く小さな町工場で、決して裕福ではない。先代の時から資金繰りも苦しいと聞いているが、実情を知りたくても、親は口が堅くて教えてくれない。分かっていることは、複数の奨学金がなければ大学進学など夢のまた夢ということ。自宅も何十年単位のローンで建てたということ。通学用の自転車一台をみんなで共用しているような環境ということだ。

 そんな家におば様を招き入れられるはずがない。子供の頃は、恭平を連れていっしょに来てはいたけれど、その時はまだ会社も大きくなかったらしいからできたことだ。

 じーっと、恭平が縋るような目で見てくる。

 おば様は言い出したら聞かない。高級車で小さな家に乗り付けられても困るし、家の中は掃除がまったくできていない。今回は私ががっくりと肩を落として引くことになった。

(高校に入学しても、これはなくならないのね…。普通は疎遠になるんじゃないの?)

 普通は幼馴染であったとしても、高校に入れば疎遠になるものだろうが、おば様や恭平からはそんな素振りが一切見られない。もうそろそろいいんじゃないだろうか。

 正面玄関前で待っていた高級車に乗り込み、恭平の家へと向かう。いつになっても、この車には慣れない。電車でもないのに、どうして車の中で向かい合うように座れるのだろうか。広すぎるし、ソファが良すぎて逆に足腰が弱くなりそうだ。

「母さんの我がままに付き合ってもらって悪りーな」

「おば様の用事ならね。具合はいいの?」

「変わんねーかな。元々、めちゃめちゃ丈夫な人じゃねーし。いつも通りな感じ」

 恭平の言うことも一理あり、私は頷いた。

 おば様は身体が丈夫ではないが、年齢不詳の美しい女性だ。高校生の息子がいるなんて全く感じさせない細身の美女だ。生活感がなくて、フリルやレースなど花が好きで、おとぎ話を夢見る節もあり、メルヘンの住人といってもあながち間違いではないだろう。

 豪邸のような恭平の家に入り、こっそりため息をついた。スリッパが、家のと全然違う。金持ちはどこにも金をかけるのだろう。

 階段を上がって、恭平がおば様の待つリビングに入っていく。会釈をしながらそれに続くと、最近セレブを中心に流行だとテレビで言っていたワンピースを着たおば様がソファに座って迎え入れてくれた。

 おば様が立ち上がろうとする前に、近くに行って膝をついた。いつもながらびっくりするほど、良い絨毯だ。この上で転がってテレビなんて見られたら、ぬっくぬくで幸せだろう。

「ご無沙汰しており申し訳ありません。今日はお招きいただき、ありがとうございます。お加減はいかがですか?」

「瀬名ちゃんいらっしゃい。来てくれて嬉しいわぁ。調子はいつも良いのよ」

 にこにこ微笑むおば様は瀬名の手を握ったまま、嬉しそうに使用人を呼びつけ、テーブルに菓子を並べさせていく。カップの数は3つなのに、ケーキやクッキー、ゼリーなどの菓子は20種類を超えている。

「えーっと、おば様。本日の御用件は…?」

「今日は瀬名ちゃんとおしゃべりがしたいの。だって、全然会いに来てくれないんだもの…やっぱり女の子との会話は楽しくて元気になれるのよ」

 手を引かれ、おば様の隣に腰掛ける。その向かいに恭平が座り、瀬名は頭を抱えたくなった。

 今回はおしゃべりだったか…! 頑張れば断れたかもしれない。

 前回ははまっていたキルトのお披露目会だった。その前はポプリ、その前はお茶、その前は…。

 おば様とお話するのは楽しいし、嫌ではない。だが、最後に行きつく先が決まっているため、できるだけ避けたいのが本音だった。今日は何とか、その話題にならないように仕向けなければ。

 よし、まずはこのケーキを話題にしてみせようと意気込んだ時だった。

「キョウちゃん。最近は瀬名ちゃんと仲良くしているの?」

「…っ」

 いきなりぶっこんで来た…!

 瀬名はせき込みそうになるのを必死に堪え、フォークを握りしめた。

「フツー」

「なによぉフツウって。キョウちゃん、女の子はあっという間に大人になっちゃうのよ。うかうかしていると、他の人に取られちゃうじゃないの! 頑張ってちょうだいね。ごめんね、瀬名ちゃん。キョウちゃんももうちょっとしたら、格好いい男の人になれるから、もうちょーっとだけ辛抱して待っててね」

 花がほころぶような笑みを浮かべて、おば様は私の両手を包み込む。

 いやいやいや! 違うって!

 しかし、全力で否定したところで、この御方には通用しない。人の話を聞かないのは、昔からのことで。否定すればするほど、おば様の心は燃え上がってしまうのだ。

 仕切り直しと言わんばかりに咳ばらいをし、おば様の目をじっと見つめる。

「おば様。私は恭平君とは幼馴染であって、おば様が思い描くような青春は存在しません。あるのは幼馴染という関係です。恋人にもならず、ただの友人でもない幼馴染。一番良い在り方だと思います」

 何十回と言ってきたセリフは、もう感情もなければ、すらすらと読み上げられる。前は純粋なキラキラとした目を見ながら言うのは緊張したが、今は余裕だ。瞬き一つしなくてもいける。息継ぎも不要だ。

「やっぱり、キョウちゃんの魅力が足らないのね…そうよね、外はね茶髪よりももっと似合う髪型があるはずなのよ」

「いやいや、おば様。そういう問題じゃありませんよ。したい髪型をするのは個人の自由だと思われます」

「もっと細身になればいいかしら? 筋肉質になってきちゃったのよねぇ。小さい頃は私に似ちゃって身体が丈夫じゃなかったし…女の子みたいに痩せぎすだったから心配したけど、ちょっと今は成長しすぎよね」

「健康になったのは、幼馴染としても喜ばしいことだと思います。ああ、おば様、お茶が冷めます。ケーキをいただいても?」

「あら、いけないわ。どうぞ召し上がって」

 おば様は唇を尖らせつつ、良い香りのするカップに口を付ける。

 よし。今日はここまでだ。心の中でガッツポーズをして、目の前のケーキにフォークを入れる。

 向かいに座る恭平も、ようやくフォークを握った。食べづらかったのだろう。いや、そんな遠慮をするくらいなら、この不毛の話題を止めてくれないものだろうか。

「キョウちゃんが頑張ってくれないと、瀬名ちゃんがお嫁さんになってくれないじゃない。こんなかわいい娘がほしいって、ずーっと、ずーっと思っているのに」

「もったいないお言葉です。恭平君には、おば様が娘にしたいと思うくらい素敵なお嫁さんがすぐにでも現れると、幼馴染の私も思いますよ。学校でも男子だけじゃなく女子からも人気があって、幼馴染としても鼻が高いです」

 ちょいちょい幼馴染というワードを入れるのを忘れないようにする。

 おば様はしばし不満げだったが、徐々に機嫌を直して、20分も経つ頃には楽しいおしゃべりを始めていた。家族のこと、料理のこと、テレビのこと、昔のこと。おば様とのそんな話は楽しくて好きだ。

 あっという間に真っ暗になり、そろそろお暇しようと思った頃、おじ様が帰宅した。

 おじ様はおば様と違って、外見もちゃんと年を重ねているが、できる男という雰囲気を漂わせる隙のないナイスミドルだ。仕事も家庭も守る男。そして、何よりも家族を溺愛している。

「おや、瀬名ちゃん」

「ご無沙汰しております。今日はおば様にお招きいただいて、お邪魔させていただきました。そろそろお暇させていただこうかと思います」

「ええっ! 晩御飯食べて行ってちょうだい」

「ありがたいお言葉ですが、そこまでお世話になるわけには…。家で用意してもらってますので。また、機会がありましたらお願いします」

「そんなぁ…」

「さつきさん。瀬名ちゃんを困らせちゃいけないよ。また機会があるじゃないか」

「申し訳ありません。それでは失礼します。おば様、おじ様、お元気で。恭平君もまた学校で」

 ぺこりと頭を下げて、足早にリビングを後にする。

 玄関までの道はちゃんと覚えているし、迷うことなどない。見送りも必要ないというのに、気付けば玄関まで恭平が付き添っていた。

「なんでいるの」

「ここ、俺の家だから。好きなところ行っていいだろ」

「それもそうね」

 何を言っても無駄と思い、急いで靴を履く。

 おば様に、きっぱりと言えれば良いが、精神的なショックを与えるのは控えたい。丈夫でない身体に心労は不要なものだ。

 昔、私が恭平と喧嘩しただけで、泣き出して気を失ってしまったこともあった。気付いたおば様は、謝る私たちに「お願いだから仲良くしてね」とうるんだ瞳で訴え、二人でこくこくと頷いたものだ。周囲にも心配をかけ、おじ様はその日の予定をすべてキャンセルして、おば様の下へと駆け付けた。今では笑い話だが、もう繰り返す勇気はない。

 しかし、恭平と私がおば様の思い描く関係になることはないのだ。

「今日はありがとな……気を付けて帰ろよ」

 頷いて、私は玄関から外へ出て、一気に駆け出した。

 恭平の家が小さくなるまで走り、立ち止まる。息が、胸が苦しい。

 早く、恭平に彼女ができればいいのだ。

 周りの女の子たちは一体、何をしているのだろう。みんなは可愛いよ。大丈夫、ちゃんと恭平とお似合いだから、自信をもって。恭平は優しいよ。今すぐ勇気を出して。

 だから、早く、早く、お願いだから。

 これ以上、私に嘘をつかせないで。

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