第三章①
「ぐっふっ!?」
突然、体に痛みを感じて飛び起きた。
い、いったいなんだってんだ!? 寝ぼけた頭であたりを見回すと、脚があった。細すぎず太すぎず……いい脚だなぁ。
いやいや、そうじゃない。いったいなんだ? 視線をあげると、見慣れた顔と目が合った。
「おはよう」
ジトっとした目で俺を見てくるのは千影だ。相変わらず制服を着崩している。っていうか、着崩し度合いが高くなっている。前回はスカートをちょっと短く穿いていたくらいだったが、いまはさらに丈が短くなり、ブレザーは着ておらず、カーディガンを腰に巻いていた。
なんか、ギャルって感じの着方だ。偏見かもしれないけど。頭が悪く見える。本当はいいのに。
「お、おまえ、なにしたんだ……?」
「べつに大したことはしてないけど?」
まあ、大体分かる。ベッドで寝てたのに床に落ちてるし、こいつシーツ持ってるし。シーツを思いっきり引っ張って、俺を床に落としたんだ。
つーか、ちっとは申し訳なさそうにしろよ。
「もっと穏やかに起こしてくれよ」
「だったら、一回で起きればいいでしょ? だいたいね、たまには自分一人で起きて、なにか手伝おうかの一言があっても罰は当たんないっつうの」
俺の抗議に、千影はため息交じりに文句を返してきた。
まあ、たしかにそうかもしれない。でもこればっかりは仕方がない。だって、俺は早起きが苦手なんだもの。人には得意不得意があるんだ。千影にはそれが分からんのですよ。
「仕方ないだろ。俺朝苦手なんだよ。低血圧だから」
すると千影は、諦めたみたいな、虫を見るみたいな目をむけてきた。
「アッハイ。すいません起きます」
流石にいたたまれなくなって、起きてしまった。正直もうちょっと寝ていたい。眠い。
「まあ、いいわ。ご飯食べる?」
「食べる食べる」
コクコクとうなづいてみせる。あまり千影を刺激すると、半殺しにされる恐れがあるからな。
とはいえ、こういうやり取りも嫌いじゃない。千影とは幼稚園ときからの中で、俺は昔空手教室に通ってた時期があるが、そこでも千影と一緒になった。もう腐れ縁である。
「じゃ、さっさと下りて手伝って」
「イエス、サー!」
俺はビシッと敬礼するのだった。
朝食を食べ終えたあと、俺たちは一緒に家を出た。律儀な俺は後片付けも手伝ったので、入学式とは違い、余裕をもって登校できる。
その途中でのことだった。
「それで、昨日、葵ちゃんとはどうだったの?」
千影が、いきなりそんなことを訊いてきた。
「どうせろくに話もできなかったんだろうけど」
「失敬なやつだな。そんなことないぞ」
「メイ、そうなの?」
なぜそこでメイに訊く。
『一応は』
口調から察するに、またアメリカ人みたいな仕草で肩をすくめている気がする。ムカつくからスマホは見ない。歩きスマホはよくないしね。
『二人でおなじことをして、結構盛り上がってましたよ』
すると千影は黙った。隣から、なにか驚いたような雰囲気がしたので見てみると、なんか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「な、なんだよ」
「べつに。驚いただけよ。あんたもやればできるのね」
本当に失礼なやつだな。
『そう言わないであげてください。これでも、悠さんだってがんばってるんです』
メイ……。なんだ、たまにはやさしいところも……。
『これじゃ、私の助言のおかげだなんて、口が裂けても言えませんね』
「言っとる」
舐めてんのかこいつ。
「そんなことだろうと思った」
千影は千影で、拍子抜けしたような声を出している。……どいつもこいつも。
「いいだろべつに。結果的に仲は進展したんだからさ」
「ま、いいんじゃない? あんたがいいなら」
……なんでこんな攻撃的なのこいつ。
そんなことを話しているうちに、学校についた。ちょうど通学の時間帯だから、入学式のときとは違い、校門前には生徒たちがたくさんいた。みんな立ち番の教師にあいさつをしてはいっていく。
俺たちもあいさつをして入ろうとしたときだった。音もなくは知ってきた一台の車が、校門近くに止まった。見るからに高そうな車……黒塗りの高級車だ。
車で送り迎えか。楽でいいな。だれだろう。と思って見ていると、運転席から降りてきたのは、なんとメイドさんだった。
だって思いっきりメイド服着てるし。カチューシャまでつけてるんだもの。見間違えようがない。黒髪のショートヘアーに、縁なし眼鏡をかけた、若い女の人だ。
彼女が後ろの席のドアを開けると、そこから一人の女子生徒が降りてきた。腰まで伸びた黒髪に、色白の肌……我がクラスメイト、高埜葵だった。
葵はメイドさんからかばんを受け取る。二人はすこし言葉を交わすと、葵は学校にむかって歩きだす。その途中で、俺たちの存在に気づいてくれたらしい。小走りで駆けよってきた。……なんか、子犬みたいでかわいいな。
「おはよう、悠くん、千影ちゃんっ!」
「あ、ああ……おはよう。たか……葵」
「おはよ葵ちゃん。……なんか、二人とも呼びかた変わってるね」
「うん。わたしが名前で呼ぼって言ったんだ」
「ふーん」
千影は意味ありげな視線を俺にむけてきた。
「な、なんだよ」
「べつに。葵ちゃん、教室行こ」
千影は葵を連れてさっさと行ってしまった。……なんなんだ?
教室に入った俺を出迎えてくれたのはジャイアン……もとい、我が心の友、金剛だった。
「よう、鳳橋」
「金剛、もう来てたのか」
俺が席につきながら言うと、金剛は俺のまえの席に座りつつ「まあな」と言った。
「それにしても、新学期そうそう妬けるねぇ」
「? なんの話だ?」
「いやいや、おまえが両手に花で登校してくるなんてな」
どうも、俺が葵と千影と一緒に教室に入ってきたことを言っているらしい。でもなあ、千影とは朝が一緒だから登校するのも一緒ってだけだし、葵に至っては校門から教室までしか一緒じゃなったぞ。
と言いかえしてみるが、
「いやいや、そういう物理的な問題じゃなくてな、たとえ短い間でも一緒にいたっていうのが大事なのさ」
なに急に悟ってるんだこいつ。
「二人とも、なんの話してるの?」
俺がちょっと呆れていると、急に話しかけられてちょっとびっくりした。というのも、声の主がいま話に出ていた葵だったからだ。
俺がすぐに言葉を返せずにいると、金剛が気さくな調子で「やあ」と言った。
「おはよう、高埜さん。こないだはジュースご馳走様」
「うぅん。迷惑でなければよかったんだけど……」
「とんでもない。おいしかったよ。ちょうど喉も乾いてたしね」
「そう? だったらよかった」
なんて、流れるように会話をしている。
俺たちは自動販売機でムダにジュースを買ったあと、ふたたび配布活動を開始した。
後者に残っていた生徒に対してだ。上級生に対しても見境なしに。その中には、金剛も入っていた。最初は首をかしげていたが、すぐに笑顔で受け取った。ま、夜になってメールが来たから、そこで事情を説明はしたけど。
「と、ところで、千影はどうしたんだ?」
二人の会話に割りこむようにして訊いてみる。すると葵はちょっと笑って、
「千影ちゃんはおトイレだって」
「そ、そうか……」
まずい。選択をミスったか。ちょっと気まずい……。
「そういえば二人とも、こんな話知ってるか?」
見かねたのか、金剛が言った。
「なあに?」
「俺も昨日先輩から聞いた話なんだけどな……」
金剛の話は、つぎのとおりだ。
最近、体育倉庫に幽霊が出るらしい。性別は分からないが、体格がきゃしゃで髪が長かったことから、たぶん女。出没時間の共通点は、放課後。その幽霊は、壁にスーッと溶けこむようにして消えていったらしい……。
「金剛、幽霊はまだ時期がはやいんじゃないか?」
「そんなこと俺に言われてもな。本人に言ってやれ」
「そんなこと言われても……」
相手は幽霊だぞ。言えるはずない。というか、そもそも幽霊が本当に出たのか? なにかの見間違いじゃ……。
「金剛くんっ! その話本当っ!?」
葵が目を輝かせて言った。
「うん。俺も聞いた話だから、詳しくは知らないけどね。幽霊にビビって、最近じゃ第三倉庫に行く生徒がめっきり減ってるらしいよ」
「悠くんっ!」
「お、おうっ!」
急に詰めよられたので、ちょっとびっくりして声が上ずってしまった。
「幽霊のこと、わたしたちで調べてみようよ!」
「し、調べる?」
……って、どうやって?
すると葵はにっこりと笑いかけてきたのだった。