第二章④
最後の暗号は、ゴーカートでのレースに勝利したほうに教えられる。
ということで、俺と葵、対戦相手である姉貴と浅倉さんは仲良く列に並ぶ。二十分くらい待つと、順番が回ってきた。
話し合った結果、運転は俺がすることになった。
「やあ、悠くん。お手柔らかに頼むよ」
運転席に座った浅倉さんが、軽く手を上げて言ってくる。その顔には相変わらずやさし気な笑顔が浮かんでいた。なんか、普通にファンクラブができそうな笑顔だ。
「こ、こちらこそ」
柔らかい物腰なのに、なぜか恐縮してしまう。なんていうか、一種の威圧感というか、一筋縄じゃいかない感じがする。ちょっと、苦手なタイプかも。
ここのゴーカートは、四列に並んで走る。ゴーカートは左右のタイヤの間に黒いレールが敷かれているから、車同士がぶつからないようになっているみたいだ。
それにしてもレースとか。これでもし負けたらいままでのことがおじゃんってことかよ。よく考えたら責任重大だな。勝てるかな? もし負けたらどうしよう……。どんどん悪いほうに考えがいって……。
「がんばろうね、悠くんっ!」
「ああ! 頑張ろうな!」
我ながら、簡単なやつだと思う。でもめちゃくちゃテンション上がってきたゾ!
『ちょろっ』
メイのチャチャなんて、もう気にもならない。
信号が赤から黄色に変わる。そのあと何秒か間をおいてから青に変わった。
それとほぼ同時、俺はアクセルを踏んだ……と思ったんだが、進まない。どうやら間違えてブレーキを踏んでしまったらしい。
……。
『ダサッ』
くそったれが!
急いでアクセルを踏むも時すでに遅し。当然っちゃ当然だが、もうみんな走りだしている。姉貴と浅倉さんが乗っているゴーカートとも、なかなか距離が縮まらない。
このままじゃ負けちまう! どうすれば……。
こうなったら、メイに頼んでハッキングで速度を落とさせるか? いや、でもいくらなんでもなぁ。それずるじゃん。
だがもし負けたら、残りの暗号が分からない。ってことはだ、いままでやってきたこともムダになって……。
「あははははっ」
いきなり笑い声が聞こえてきた。一瞬、またメイが俺を小ばかにしてるのかと思ったが、どうもそうじゃないみたいだ。
葵が、俺の隣に座っている葵が、楽しそうに笑っていた。
「なんかすごいねっ! いつも乗ってる車世は全然違うや!」
そりゃまあそうだろうが……。
ふと葵と目が合った。俺の視線に気づいたのか、葵はにこりと笑ってくれる。思わず目をそらしてしまった。いや、恥ずかしかったとかじゃなくて、いちおう運転中だからね。よそ見はよろしくないものね。
でも……。
「そうだなっ!」
勝ち負けとか、いまはいいか。葵が楽しんでるんだ、一緒に楽しまないと損だよな!
「よしっ。じゃ、もっとスピード上げるぞ!」
「おー!」
俺はグッとアクセルを踏みこんだ。……今度は間違えなかった。
結論から言うと、俺たちは負けた。
結局最後まで距離は縮まらなかった。
「負けちゃったね」
「そうだな」
ゴーカートを下りて、アトラクションからすこし離れたベンチの傍で俺たちは笑いあった。
「ちょっと残念だけど、仕方ないよね」
「悪い。俺がアクセルとブレーキ踏み間違えなければ……」
「いいよべつに! 十分楽しかったもん」
やさしさが身に染みる。でも、葵はたぶん、これを本気で言ってるんだろうな。
「あらら、負けたのにずいぶん楽しそうね」
姉貴が挑発するみたいに笑って言った。
「俺たちは遊びに来たんだよ。楽しむのが目的なんだ。姉貴と違ってな」
「あら、生意気言うじゃない」
そう言うと、今度は意地の悪そうな顔になった。
「せっかく暗号教えてあげようと思ったのに。もう教えてあーげない」
「い、いいよべつに。なあ葵」
「う、うーん……でも、教えてくれるなら教えてほしいなぁ」
あ、あれ? おかしいな。なんかいい話ふうになってたのに、急に現金になったぞ。
「いいよ。教えたげる」
「ちょ、ちょっと待て!」
本当に教えようとしているので、俺は慌てて待ったをかける。相手はあの姉貴だ。下手に借りを作ったら、あとでなにを要求されるか分かったもんじゃない。
「なによ」
「いったいなにを企んでんだ?」
「失礼ね。なにも企んじゃいないわ」
信用できん。
俺が疑わしげに見ていると、姉貴の隣にいた浅倉さんがあははと笑った。
「本当になにも企んでないよ。ただ、僕たちも遊びに来てたわけじゃないってだけさ」
「? どういう意味ですか?」
「こういうことよ」
姉貴はスマートフォンを取りだすと、一言、
「みんな、お疲れ様。もういいわよ」
と言った。
なんだ。もういい? どういう意味だ?
首をひねっていると、俺たちの周りにいた人たち。パークの客と係員、その全員が姉貴にむかって一礼した。
ゑ……? なに? なにこれなんか超怖い。
「こういうことよ」
「いやどういうことだよ」
ちょっとなに言ってるか分からない。俺の隣じゃ、葵も目をぱちくりとしている。
「じつはね、今日はまだここは開園してないのよ」
「え? でも……」
してるじゃん。現に、俺たちはいま入園してるし、アトラクションにも乗ったじゃないか。
「今日はね、テストなんだよ」
今度は浅倉さんが言った。
「テスト?」
「そう。アトラクションがちゃんと動くか、安全上の問題はないか。予定してるゲームはきちんと機能するか、そういうのを確かめるためのね」
「そのゲームっていうのが、今日あなたたちにやってもらったことよ」
「じゃあ私に送られた来たメールは……」
「あれは私たちが送ったものよ」
姉貴は葵に軽くウィンクした。
「うちが企画してるミステリーサイトに先行登録してくれたでしょ? その人たちの中から抽選で招待させてもらったのよ。どう? 楽しんでもらえたかしら」
「はいっ! すっごく楽しかったです! ありがとうございます!」
葵は姉貴の手を握って言った。
「ならよかったわ。分かった? こういうこと」
今度は俺にむけて言う。まあ、それは分かったけど……。
「じゃ、この人たちはなんなんだ? 係員はともかく客は……」
「エキストラの人たち。劇団員を雇ったの」
……mjky。
「ちなみに、あんたたちが乗ったバスはうちの貸し切りよ。乗客もエキストラ。メイがあんたのスマホの時間をいじって、乗るように仕向けたの」
そういえば、葵が俺のスマホと時間が合わないとか言ってたな……。
つまり今日の企画のために、〝本日オープン〟の情報を葵に流して、メイが俺のスマホの時間をいじって貸し切りバスに乗せ、ここまで来させて、エキストラでウソがバレないようにして、開園したように見せかけてテストをしてたってことか? ……どこまでも手間のかかることを。忘れがちだけど、うちってかなり金持ちなんだよな。財力にものを言わせた力業じゃねぇか。
「でも楽しめたでしょ?」
また顔に出ていたのか、姉貴がそんなことを言った。
「そりゃまあ、そうだけど」
「じゃあいいじゃない。まったく、ウジウジと。これだから童貞は」
「それは関係ねぇだろ!」
なんてこと言うんだこの女!
まあ、でもいいか。楽しめたのは事実だからな。葵の嬉しそうな顔も見れたことだし。
「そういうことだから、暗号を教えてあげる。一度しか言わないからよく聞いてよね」
「いいかい悠くん」
と前置きしてから、浅倉さんは暗号を教えてくれた。
「最後の暗号はね……『う』と『よ』だよ」
「『う』と『よ』?」
「他には? まさかそれだけですか?」
「うん。これだけさ」
浅倉さんは、例のやわらかな微笑を浮かべて言う。
「これで、もう解けるはずだよ」
「そう言われても……」
いま分かっている四つの言葉と合わせてみても、まったく意味が通らない。ってことは、これもまた暗号ってことか? それならどこかに解くカギがあるはずだが……。
ダメだ、全然分からん。
「悠くん、もう一度よく考えてごらん。いままで行った場所に、なにか共通点があるはずだ。それが分かれば、この暗号は解ける」
「楽しそうね誠義さん」
「まあね。自分が考えた暗号で人が頭を悩ませるのを見るのは、結構楽しいよ」
なんか見た目に反した黒いことを言われた気がする。
「共通点……?」
葵は首を傾げ、一生懸命暗号を解こうとしている。悩んでる顔もかわいい。
最初に行ったのは観覧車。つぎに行ったのはお化け屋敷。最後がゴーカート……。
「あっ」
と、突然葵が声を上げた。見ると、その目は輝いている。なにかに気づいたってことか?
「もしかして、円じゃない?」
「円?」
うん、と葵はうなづいて、
「観覧車のときはさ、円をグルって回るときに、暗号が見えたんでしょ? お化け屋敷は閉じこめられて、おなじところをぐるぐる回っちゃったじゃない? それでゴーカートのレースコースは丸だったし……ひょっとしたらそうかなって」
「なるほど……」
たしかに、そうかもしれない。だが、カギが円だとしたら、どう解ける……?
「あっ」
今度は俺が声を上げてしまった。分かったかも。
「これ、シーザー暗号なんじゃないか?」
「シーザー暗号……? それってたしか、言葉を前後にズラして解くっていう暗号のことだよね?」
「ああ」
「でも、これは一文字ズラしても意味が……」
「そこで円が重要になるんだよ」
葵がまた首をかしげた。
「つまり、円周率だ。見つかった順に、円周率の数字に合わせて文字をズラしてくんだよ」
「あ、なるほど」
葵がポンと手を打った。
この暗号を解いていくと、『け』は『か』、『を』は『ん』、『よ』は『ら』、『り』は『ん』、『う』は『し』、『よ』は『や』となる。つまり……。
「「観覧車だ‼」」
俺たちは声をそろえて言うのだった。
『見ろ、人がゴミのようだ!』
「ゲフンゲフン! なんか埃っぽいなここ」
「そう? きれいだと思うけど……」
暗号を解いた俺たちは、観覧車に乗っていた。
すでに日は落ち、エキストラの人たちは帰ってしまったようだから、下を見ても人は全然見えなかった。まあ、正直さっきのセリフを言いたくなるのは分からんでもない。
係員の人たちは残ってくれているようで、こうして俺たちは観覧車に乗れていた。
「奇麗だね……」
つぶやくみたいに葵が言った。ゆっくりと動く観覧車から見る夜景はたしかにきれいだ。こういうとき「君のほうがきれいだよ」みたいなことを言えればいいんだが、俺にはそんな気概はない。こういうときに限って、メイもなにも言ってくれないし。
なんか気まずい。よく考えたら、俺たちはいま二人きりだ。しかも、狭い、逃げ場のない、密室で。これはちょっとまずいんじゃないかしら。
「ねえ悠くん」
「な、なんだっ?」
「わたしね、じつはちょっと今日不安だったんだ」
「不安?」
「うん。じつを言うと、こういうとこに来るの初めてなんだ」
「そうなのか」
なんか、それはすごい意外だ。なんていうか、葵はこういうとこには何度も来てる印象だし。
「だから、不安だったの。ちゃんと楽しめるかなって。悠くんに迷惑かけたりしないかなって」
葵はそこで一度言葉を切った。それから、手を胸に当てて続ける。
「でもね、わたし、今日すっごく楽しかったよ。初めてのことばっかりで、ホントに楽しかった」
それはちょっと、お外で言ってほしくない言葉だな。
「悠くんと一緒に来れて、ホントによかったよ。だから、今日は付き合ってくれて、ありがとね」
「い、いや……」
なんというか、うまく言葉が出てこない。こういうとき、なんて返せばいいんだ?
『思ったことを、正直に言えばいいんですよ』
メイがボソッと、言った。たぶん、俺にだけ聞こえる声で。
思ったことを、正直に。
俺は……。
「俺も……」
絞りだすように、声を出した。
「俺も、楽しかったよ……今日……葵と一緒に回って、一緒に暗号考えて、楽しかった……だから……」
「うん。また来ようね。一緒に」
ニコリ、と葵が笑いかけてくれた。淡い月明かりに照らされて、とても幻想的に見える。思わず見とれてしまう。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
こうしていると、なんだか時間が止まったかのような、そんな錯覚に陥ってしまう。
なんだか、夢の中にでもいるような感覚に……。
「悠!」
いきなり名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
「あ、あれ……?」
俺なにしてたんだっけ……? っていうか、ここはどこだ……?
周りを見ると、見覚えのあるところだった。つうか、見覚えがあるもなにも、ここ俺の部屋じゃん。
「まったく、ようやく起きたわね」
呆れた顔で俺を見下ろしていたのは姉貴だった。部屋着のトップスにショートパンツというラフな格好をしている……。ここで、ようやく自分がベッドの上で寝ていたことに気づく。
「あれ、俺なんで寝て……」
「ったく、なに寝ぼけてんの? あんた帰るなり部屋に直行したじゃない。この私を無視するなんていい度胸してるわね」
「そうだっけ……」
ダメだ、全然記憶がない。俺いったいなにをして……。
と、この瞬間、唐突に俺に電流走る! 今日あった出来事が走馬灯のように駆け巡った。相馬壮がどんなものか知らんけど。見たことないから。
俺は今日、葵と一緒にうちが経営するテーマパークに行ったんだ。一緒にアトラクションを回って暗号を解いて、最後に観覧車に乗ったんだ……。
「あんたちゃんと高校生やれてるの?」
「うっせ」
大きなお世話だ。
なんか、本当に夢でも見ていた気分だ。でも、あれは夢じゃなくて、俺は葵と一緒に、その……。
『デート、できてよかったですね』
突然メイがそんなことを言ったので、寝起きの頭に衝撃が走る。
「な、なんだ急に……」
『なんだもなにも、労ってあげたんじゃないですか』
「おまえが殊勝なこと言うとすっげぇ不気味だ。バグったか?」
『なかなか失礼なことを言ってくれますね』
メイが珍しく疲れたような声で言った。
「お疲れ様メイ。いろいろありがと。助かったわ」
『いえ、最低限このくらいのお膳立てがないと、悠さんはなにもできませんからね』
と思ったら、これだ。たまには優しいことも言えるんだなと一瞬でも思った俺がバカだった。
「え、なに? なんの話だよ」
「今日のことよ。メイにもいろいろ協力してもらったから。葵ちゃんが登録してくれたサイトだけどね、あれはメイに作ってもらったのよ。それで、彼女のスマートフォンにだけ、それを転送したの。送られたメールは、全部メイに送ってもらったものよ。暗号は本人の言ったとおり、誠義さん作だけど」
「警察庁の長官、なんだっけ?」
「そうよ」
妙に納得のいく肩書だ。当りまえのように人の心読んだり、あの人込みで視線に気づいたり、只者じゃないだろ。俺が分かりやすいってのもあるかもだが。
「メイから聞いたわ。あんた、最近頑張ってるんでしょ?」
いきなり姉貴がそんなことを言った。
「そう思えるようになっただけでも、大した進歩よ。去年の春はセミの抜け殻みたいだったのに」
……もうちょっとこう、なんていうか、言いかたってものを考えてほしい。
「だから、今日のは私からのプレゼントみたいなものね。これからも、せいぜい頑張んなさい」
「姉貴……」
不覚にもうるっと来てしまった。これがアメとムチか。
うっとうしいと思うこともあるが、なんだかんだ言ってやっぱり姉なんだな。考えてみれば、俺が気楽に高校生をやっていられるのも姉貴のおかげなんだ。今回のことといい、たまには姉孝行でも……。
「な、なあ姉貴、メイ……悪かったな色々。ありが……」
「悠~」
「お、おいっ! なんだよ!」
いきなり抱き着いてきたかと思うと、俺はそのままベッドに押し倒された。
「そんなことよりお腹すいた~ご飯作ってよ~」
今朝とおなじような猫なで声で頬をすりすりしてくる。えぇい、うっとうしい! 情緒を安定させろ!
「私疲れちゃったのよ~ねえねえ、なんでもいいからちゃっちゃと作っちゃってよ~」
『悠さ~ん私もなにかご褒美くださいよ~』
メイまで姉貴みたいな声でスマホの中でほざき始めた。
めちゃくちゃうっとうしい。つーか普通にうるさい。
まあ、いいか。いろいろ世話になったし、食事くらいはな。俺が作るものっていったらカップ麺か冷凍食品をチンするくらいだけど。
それでもよければやってやろう。メイにもなにか、俺ができることをしよう。
なんだかんだで、二人とも俺を心配してくれてるんだもんな。
『はやくしてくださいよノロマ』
「そうよそうよ!」
……多分。