第二章③
絶叫系アトラクションからすこし離れた場所に、それは建っていた。
ここは音や映像、役者を使って客の恐怖心をあおる娯楽施設。一般的に、〝お化け屋敷〟と呼ばれている場所だ。
「ここか……」
「うん。そうみたい」
まあ、アトラクションとしてはポピュラーというか、お約束だよな。それにこれは、すこしくらい期待できるんじゃなかろうか。つまりその……吊り橋効果的なアレを。
だがそれ以前に……。
「なあ、葵って、こういう幽霊とかは大丈夫なのか?」
超得意とか言われたらどうしよう。それだと吊り橋効果は期待できない。でもなあ、苦手って言われたらそれはそれでどうなんだ? 葵が苦手なとこに行くってのも……。
「じつはね、わたし、幽霊とかすっごい興味あるんだ!」
「お、おう」
ちょっと剣幕に押されてしまう。でももう慣れてきたな。そういえば、超常現象が好きなんだもんな。どんとこいだよな。
「会ってみたいと思わない? ホントに幽霊がいるならさ!」
まあ、それはたしかに。なんていうか、ちょっとロマンみたいなもんがあるからな。プラズマ的なアレには。
ところで、ここのお化け屋敷には他とは違う要素があるらしい。
最近はやりの、VRを使ったアトラクションになってるんだとか。ゴーグルを目につけた状態で館の中をすすむ。と、パンフレットには書いてある。ゴーグルは半透明になっているから通路は問題なく見える。ただ出てくるお化けがVRで設定されたものらしい。他のお化け屋敷との差別化と、あと人件費節約って理由があるんだろうな。
まだオープンしたばっかみたいだし、試験的に始めてみたってのもあるんだろう。評判が悪ければ何事もなかったように普通のにする腹積もりなのかもな。
屋敷の中は薄暗い。受付で、係員にゴーグルを渡された。とここで、また気づいた。俺たちのすこし前に、姉貴がいた。その隣には、さっきも見た男がいる。なんかよく会うな……と思っていたら、その男と目が合った。……気がする。ニコリと、柔和な、でもすべてを見透かすみたいな笑顔で、笑いかけられたような……。まさか、見てたことに気づかれたのか? そんなわけないよな。
「ふーん、これをつけるんだ……」
葵は物珍しそうにゴーグルを見ている。
「ぶいあーる? なんて、わたし初めて聞いたよ」
「そうなのか?」
「うん。悠くんは?」
「俺も似たようなもんだよ。名前は知ってたけど、実物を見るのは初めてだし、ゲーム自体あんまやらねぇからな」
「わたしもね、ゲームとか全然やったことないんだぁ」
えへへと笑う葵。俺は全然やったことがないってわけじゃないんだが、それはまあいいか。とか思っていると、
「だからさ、一緒に楽しもうね」
……なんつうか、もうすべてがどうでもよくなった。俺はなんて幸せ者なんだろう。
「そ、そうだな! 楽しもうぜ! 一緒に!」
あはは、うふふ、と笑いあう。いや、実際に笑いあったわけじゃないんだが、なんていうかこう、雰囲気的にね。
来てよかった、と心の底から思う。が、
『ちょろっ』
メイの言葉で現実に引き戻された。……なんでこいつはこう、すぐにチャチャを入れたがるんだ。まあいい。メイの言葉なんて無視だ無視。
姉貴たちが中に入っていき、それからすこし待つと、俺たちに順番が回ってきた。
入るまえ、俺たちは係員のお姉さんに営業スマイルとともにこう忠告された。
「じつは、この館は呪われているんです。心にやましいところがある人が入ると、出られなくなってしまうので気をつけてくださいね~。自分自身を見つめなおさないと出られませんよ~」
「どういう意味だろうね?」
「迷路みたいになってんのかな」
などと話しながら、俺たちはいよいよお化け屋敷の中に入る。
当然といえば当然だが、中は薄暗い。用意されたセットは墓地だ。だが、整備されてないみたいで、草は伸び切ってるしゴミも落ちている。空き缶や雑誌、姿見なんてのも落ちている。いまにもヒュードロドロドロ、みたいな音が聞こえてきそうだな。
「おおー、なんかお化けとか出そうだねー」
ま、お化け屋敷だからな。
「よし、行こっ!」
明るい声とともに、葵が歩きだした。……お化け屋敷ってこんな堂々と歩くようなとこだったっけ。
でも、それもいまだけかもな。お化けが出てきたらいくら葵でもびっくりするに……。
「あはははっ! 変な顔ーっ!」
と思っていた時期が俺にもありました。
俺たちの目のまえに突然出てきたのは、不気味な暗い肌が白く、目の瞳孔が開き、キバの生えた、刺青を入れたお化け? だった。
突然目のまえに出てこられたので、俺はかなりビックリしたんだが、葵はそんな様子はまったくなかった。お化けを見て無邪気にケラケラ笑っている。
それからも、井戸から出てくる白装束を着た黒髪ロングの女とか、鎧を着た、体や頭に矢の刺さった落ち武者なんかが出てきたが、葵はそのたびに楽しそうに笑っていた。
あれ? これ俺の反応が間違ってるのか? そんなことないよね?
つーか、仮にも男女でお化け屋敷に入っているわけだし、なんていうかこう、怖くて抱き着かれてやわらかい感触がみたいな、なんかそういうのないのか!
じつはちょっと期待してたんだけどな。いや、実際その場面になったら緊張で固まってそれどころじゃないと思うが。
「楽しいね悠くんっ」
「そ、そうだな」
楽しみかた間違ってる気がするが。
それから、俺たちは墓地を歩いた。脅かしに来るお化けに対し、葵は毎回楽しそうに笑っている。……まあ、楽しんでるんならいいんだけどな。
ふと、ここであることに気づく。
(あれ……?)
違和感にちょっと首をかしげる。
気のせいか? ここ、さっきも通らなかったっけ。出てくるお化けも、一度見たものばかりになったような……。
まあ、気のせいだよな。葵もめっちゃ楽しそうだし、変なこと言って水を差したくない。
俺たちはそのまま歩いたんだが……。
いや、やっぱここ一回通ったところだ。
だってさっき覚えておいた『田中家之墓』って墓石があるし。他にも一度見たことのある墓石ばっかりだ。
「ねえ、悠くん。ここ、さっき通らなかったっけ?」
葵も気づいたらしい。小首をかしげて不思議そうな顔をしている。
「ああ。やっぱ通ったよな?」
「迷ったってことかな?」
「いや、いくらなんでもそれは……」
ない、と思う。進行方向に矢印が表示されて、それに沿って進んできたからな。道に迷たってことはないだろう。矢印に沿って進んだ結果、おなじ場所をぐるぐる回ってきたってことだろうな。
でも、じゃあ、どういうことなんだ?
「そういえばさ、受付の人が言ってたよね。心にやましいことがあると館から出られなくなるって。これって関係あるのかな?」
「そういえば……ある、かもな」
でも待ってくれ。やましいところ? やましいところってなんだ? それはひょっとしてアレか? 怖がった葵が俺に抱き着いてやわらかいものが云々的な、そういうアレか? 俺がそんなことを考えてたせいってことか? いやいやいや、そんなことないよね?
そうそう、ないない。ここはテーマパークのアトラクションなんだ。ってことは、このおなじところを回るっていうのも、このアトラクションの一部ってことだ。なにか、出るための条件があるはず。
その条件がなんなのかを考えなきゃいけないってことか。
「葵、そういえばさ、今回はさっきみたいな暗号も送られてきてるのか?」
「それがね、今回はなにも送られてきてないの」
「そうか……」
「あ、新しいメールが来てる……無事に館を出られたら暗号をメールする……だって」
「無事に出たらねぇ……」
ってことは、今回は暗号は必要ない。言い換えれば、出るための手掛かりは、全部この場にあるってことか?
「とりあえず、出られるかどうか、もう一回試してみよっか?」
「そうだな」
さっきとおなじように、俺たちは矢印に沿って、墓石や伸びた草むらの横を歩く。が、やっぱり出ることはできず、元居た場所に戻ってきてしまった。
「ダメかぁ」
葵ががっくりと肩を落とした。
「ぶいあーるが壊れてるってことはないかな?」
「それもないんじゃないか? さっきの係員さんの話からするに、やっぱこれもアトラクションの一環なんだろ……たぶん」
「そっかぁ。あっ」
葵はなにかを思い出したように声を上げた。
「そういえばさ、さっきお姉さん言ってたよね。なんか、自分を見つめ直すとかなんとか……」
たしかに、そんなこと言ってたな。
でも、どういう意味だ? 自分を見つめなおす……?
「あっ」
そのとき、俺に電撃はしる。そうか、もしかしたら……。
「どうしたの?」
俺の考えが正しければ、ここから出ることができる。
できるが……本当に大丈夫だろうか? 間違ってたらどうしよう。したり顔で説明して、もし見当違いだったら超恥ずかしいぞ。と言って、いつまでもここにいるわけにもいかんしなぁ。
えぇい、ままよ!
半信半疑のまま、俺は思い浮かんだことを葵に話した。
数分後、俺たちはお化け屋敷の外に出ていた。
「やー、出れてよかったねー」
葵が笑いながら背伸びをする。
「そ、そうだな……」
俺は笑顔で返すが、内心は心臓バックバクである。ああ、よかった。自分の考えがあっててここまでホッとしたことはないゾ。
出口は、鏡の裏にあった。
墓地に捨てられていた姿見。あれは引き戸になっていて、開けると地下に続く階段が出てくる。それを下りて道をすすみ、そのさきの階段を上ると、ようやく外に出ることができた。
入るまえにお姉さんが言っていた、『自分自身を見つめなおす』っていうのは、鏡を調べろっていうキーワードだったってわけだ。
「結構面白かったね!」
「そうだなっ」
相変わらず無邪気に笑う葵。楽しんでもらえたならよかったっス。
「そういや、暗号はどうなった?」
「あ、ちょっと待ってね」
葵はスマホを取りだすと、メールの画面を俺に見せてくれた。
そこには、文字が二つだけ書かれている。
『よ』と『り』だ。
「どういう意味だ?」
「これだけじゃ分かんないね」
二人して首をひねる。『より』? 『りよ』? ダメだ、わけが分からん。
さっきジェットコースターから見えたのが、『け』と『を』だったな。『けをより』? ……なんじゃそりゃ。
ほかにも、まだ知らなくちゃいけない文字があるってことか。
「あ、つぎの場所のメールも来たよ……つぎで最後だって」
本当だ。たしかにメールには、つぎが最後の場所だと書いてある。つぎで、暗号が解けるってことか……? ホントかよ。つぎで『けをりを』が分かるってのか?
俺は半信半疑で、メールを読み進める。つぎは、いったいどこへ行けってんだ?
そこに書かれていたのは……。
「ここ、で合ってるよね?」
「あ、ああ」
俺たちが会話をする後ろで、やかましいエンジン音が聞こえる。
円の形をした道路を、ちいさな車が走っている。
最後のアトラクションは、ゴーカートだった。ここに、本当に暗号があるのか?
俺たちはまた、二人して首をひねる。
「なんかさ、最後の最後でちょっと雑になってない? ネタ切れかなぁ」
「そ、そうだな」
というのは、メールの内容にあった。いままでは、暗号や館からの脱出など、推理要素的なものがあったが、今回、そういうのはなにもないらしい。
最後の暗号は、ある相手とゴーカートでレースして、勝ったほうに暗号をメールする、というものだった。もう暗号もクソもないな。
それに、ある相手っていったいだれだよ。メールには待ち合わせ場所も書かれていた。
「相手、どんな人だろうね?」
「そ、そうだな」
ところで、さっきから俺の返事がそっけないことを疑問に思っているかと思う。
なぜって、俺と葵は……その、手をつないでいるからだ。ヤバいヤバいこれはヤバいマジヤバい。いろいろヤバい。汗とか動悸とか。だってつなぎ方はいわゆる恋人つなぎだしさらに肩と肩が触れ合うくらいに距離が近いんだもの。
なぜかというとメールにそう書いてあったからだ。これが、待ち合わせ相手への目印らしい。
ほかの目印としては、立っている場所だ。ゴーカートからすこし離れた、木立の影。そこが待ち合わせ場所なんだが、これだけで本当に分かるのか?
いや、もうそんなことはどうでもいい。っていうかそれどころじゃない。これ大丈夫かな? 手汗とか出てないよな? キモいとか思われたら俺はもう立ち直れないぞ。いや、葵はそんなこと思うようなやつじゃないよな。いやいや、そうは言ったって、状況が状況なんだからそんなこと思っちゃうのも仕方ないだろ。っていうかヤバい。沈黙がヤバい。でも葵の手温かいな。いやいやいや、なんでもいいから話さないと。でも葵の手すべすべするな。いやいやいやいや、それよりなに話す? あれ? っていうか俺普段どんな話してたっけ? でも葵の手ちいさいな、それに指も細い。いやいやいやいやいや、それより俺どんなふうに喋ってたっけ? やっべ、思い……出せない……。
「悠?」
「へぁっ!?」
いきなり名前を呼ばれて、思わず変な声を出してしまった。
な、なんだ? 葵ではないよな? だれだ?
目をむけると、そこに立っていたのは……。
「姉貴……?」
わが姉、鳳橋茜がそこにいた。
「なんでここに……」
っていうか、またかよ。本当によく会うな。
「なんでって、あんたメール見てないの?」
「メール?」
スマホを確認するが、なにも来てはいなかった。
なんだってんだ? 内心眉をひそめたときだった。
「君じゃなくて、君の彼女のほうに来てるはずだよ」
今度は聞きなれない声。見ると、やわらかな笑みを浮かべている男が立っている。この人たしか、さっきから姉貴と一緒にいる人だ。
「初めまして。鳳橋悠くん、だよね?」
「は、はい」
どうして俺の名前を……。そもそも、この人いったい……。
「ああ、あんた会うの初めてだったわね」
思い出したように言う姉貴。
「この人は浅倉誠義さん。ここの警備にことでお世話になった人よ」
「どうも、浅倉です。よろしく」
と手を差し伸べられて、反射的に握手してしまった。
俺は改めて浅倉さんを見る。スラリとした長身に整った顔立ち。眼鏡をかけた顔からはやっぱりインテリってイメージを受ける。芸能人ですと言われたら信じてしまいそうだ。
でも警備でお世話になったってことは、警備会社の人、なのか……?
「なに、僕はしがない公務員だよ」
突然、俺の心を見透かしたように言われた。
「警察庁の長官、なのよね?」
姉貴が横からからかうみたいに言った。
すると、浅倉さんは照れたように頬をかく。
「まあ、一応ね。いままでずっと警備畑だったんだけど、つい先日なったばっかりさ」
へ、へー。なんか、すごい人なんだな。
ここでようやく思い出した。そういえば、四十代で長官に就任したって、ちょっとまえにニュースで見たような……。
それで納得いった。やっぱこの人、俺の視線に気づいてたんだ。見事にからかわれたってわけか。
「それでメールのことなんだけど、葵さん、君のスマートフォンに来てなかったかな?」
葵のスマホに? っていうか、葵さんって……。お知合い?
「ただご自宅に何度かお邪魔させてもらっただけだよ」
また心を読まれた。俺そんなに顔に出やすいのか?
『丸わかりです。とくに葵さんのことになると』
と、これはメイである。大きなお世話だ。
「うん。お父さんのお客さんなの。お久しぶりです浅倉さん」
「久しぶりだね。葵さん元気そうだね。お父さんもお元気?」
「はい。……たぶん」
気のせいだろうか。いつもよりも元気がないというか、父親の名前が出たとたん、葵の雰囲気が変わった気がする。
「そっか。それはよかった」
浅倉さんはとくに気にした様子もなく話をすすめた。
「それで、メールはどうかな? 来てるでしょ」
「それって、ゴーカートでレースしてってやつですか?」
「そうそう」
うなづく浅倉さん。
「あれ? そういえば、あんた目印はどうしたの?」
姉貴が言う。なんの話だ?
「メールに書いてあったでしょ? 恋人つなぎで手をつなぐようにって」
「え、あっ」
そう言われて気づいた。いきなり名前を呼ばれてびっくりしたときに、思わず手を放してしまったらしい。
「い、いいだろっ。さっきまでは繋いでたんだから!」
「ま、あんたがいいならいいけどね」
なんだその意味深な言葉。
「それよりメールだろメール! ちゃんと来てたよ、な、なあ葵?」
「あら、あんたが千影ちゃん以外の子を名前で呼ぶの初めて見たわ」
ニマニマと、姉貴はいやらしい笑みを浮かべている。
「ずいぶん仲いいみたいね」
「うるせぇな! 姉貴には関係ねぇだろ!」
「悠くん?」
葵が俺の顔を覗きこんできた。急に大声を出したのも不審に思われたのかもしれない。
俺はゴホンと咳払いする。
「ああ、すまん。一応紹介しとくよ。こいつは俺の姉なんだ」
「姉にむかってこいつとはなによ」
「いてててててっ!?」
首を絞めるな首を! こいつ、いきなり腕を首に回してきやがった!
「そうなんだ。高埜葵です。いつも悠くんにはお世話になってます」
「あら、ご丁寧に。鳳橋茜です。大丈夫? 悠が迷惑かけてないかしら? 変なことしてきたら遠慮なくひっぱたいてやってね」
「おい、変なこと言うんじゃねぇよ! それで、そのメールがどうしたんだよ?」
すると姉貴は、はぁとため息をついてきた。……腹立つなこの女。俺のムカつきを知ってか知らずか、二人はこう続けてきた。
「鈍いわね。あんた自分で言ってたじゃない。〝レース〟って」
「そのレースの相手が僕たちなのさ」