第二章①
その日の夕焼けは、いつもと違って見えた。
夕焼けだけじゃない。いつも歩いている道……おなじ景色も見慣れた空も、なぜか違って見えた気がした。だから、たぶん気のせいだったんだろう。
そう見えていた理由は簡単で、その日の俺は浮かれていたからだ。だから、のんびり犬の散歩をする人、元気に走りあっている子供、楽しそうな家族連れ、幸せそうなカップル、なにを見ても、自然と顔がほころんだ。
今日は、春祭り。
公園には、俺以外にも、待ち合わせをしているらしい人がちらほらいる。そこから会場に向かうカップルと、自分たちとを、なんとなく重ね合わせてしまっていた。
そうして、俺は、一時間前から、公園のベンチに腰かけていた。
気づけば、日はすっかり落ち、公園からも人はいなくなっていた。
(……もう、こんな時間か)
時刻は午後九時前。約束の時間を、二時間近く過ぎている。
雨宮真里菜。
入学式で見た時から気になってた。二年になって、クラスは違ったが、たまたま委員会がおなじになり、すこし話すようになった。三年生になって、クラスが一緒になった。それからは、努力した、と思う。すくなくとも、自分ではそう思う。
金剛にも協力してもらって、今日の計画を立てた。千影には女子が喜びそうなプレゼントを訊いたりして……。
(がんばれて、なかったのか……?)
それとも、いままでのことは、全部俺の妄想だったのか?
そのほうがまだいいな。笑い話にはなるかもしれない。
でも……。
そんなはずはない。だって、いままでのことは、全部、ハッキリと覚えている。一目ぼれしたことも、 何気ない会話に緊張したことも、あの二人にいろいろと協力してもらったことも……。
妄想なはずはない。
月並みな言葉だが、俺はフラれたってことなんだろう。
どうしてだ? ちゃんと約束したはずなのに。誕生日のプレゼントを贈った時だって、喜んでくれてたはずだ……。
会って確かめたい。理由が知りたい。じゃないと、千影と金剛に申し訳ないし、合わせる顔がない。
でも、会ってどうする?
話せるのか? 彼女と?
そもそも、なにを話す?
訊こうと思えばすぐに訊ける。スマホで電話をかければいい。それだけだ。
でも、理由を訊いて、それに耐えられるのか……?
ダメだ。やっぱり訊けない。そんな勇気、ない。
(帰るか……)
これ以上ここにいても仕方がない。もう、帰ろう。
歩き出したとき、遠くでなにか音が聞こえた。
花火を打ち上げた音だ。彼女と、一緒に見ようと思っていた花火……。
それで思い出し、ポケットから取り出す。千影に助言をもらって買った、今日渡すはずだったプレゼント。
(持ってても、仕方ねぇよな)
無造作に、ごみ箱に捨てる。
ゴトン、という音が、むなしく響いた。
唐突に目のまえが暗くなり、かと思ったら見慣れた天井が目に入った。
あれ? 俺は一体なにを……。公園にいたはずじゃ……。そこで、すこし頭の靄が晴れた。
違う。さっきのは、俺の記憶だ。忘れもしない、去年の春の出来事……。どうやら、俺は夢を見ていたらしい。
時計を見ると、時刻はすでに九時過ぎだった。
…………。
やべっ! 完全に遅刻じゃねぇか! 千影は? 今日は来てないのか? と思ったが、考えてみれば今日は土曜日だった。
そういえば、昨日千影に明日は朝早くから委員会があるから行けそうにないとか、ちゃんと起きろとか、ご飯も食べるようにとか、口やかましく言われたような気がする。
寝るか。せっかくの休日だし。二度寝万歳。
『おはようございます』
枕の横から急に声をかけられて、かなりビックリした。ビックリしすぎて、俺はベッドから落ちてしまう。
「な、なんだぁっ!?」
裏返った声であたりを見回す。しかし誰もいない。え? なに? 幽霊?
『朝からずいぶん騒がしいですね』
また声が聞こえてきた……枕の横に置いてあった、スマホの中から。その画面には、ダウナーな瞳をした少女が映っている。
『まだ朝なんですから、静かにしてください』
「メイ……」
声の主は、プログラムの少女、メイだった。
「驚かさないでくれよ」
『私はただ挨拶をしただけです。悠さんが勝手に驚いたんじゃないですか』
そりゃそうだが……まあ、いいか。寝起きにケンカっていうのもアレだしな。
なんか目も覚めちゃったし、そろそろ起きるとするか。
紹介が前後してしまったので、改めて自己紹介しようと思う。
俺の名前は鳳橋悠。
今年、高校に入学した。あの学校が金持ち専用の学校ってことは前述したと思う。つまり、嫌味な言い方になるが、俺もその金持ちの一人ってことだ。俺がっていうか、正確に言えば、俺の家が。
俺の家……鳳橋家は、世界でも有数の財閥、鳳橋グループである。俺はそこの長男。
自分で言うのもなんだが、俺はインドアだ。アニメやドラマ、映画なんかを見るのが好きだ。まあ、ドラマと映画はミステリとサスペンスくらいしか見ないけどな。
ちなみに、メイのことで予想できるかもしれないが、俺はパソコンに結構強い。プログラム人格を作れるくらいには。それができるのも、鳳橋グループがコンピュータ関連で急速に発展した財閥だからだ。普段使われているパソコンや、外で使われている信号機、クラス発表に使われていた、あの青白い光は、ぜんぶ鳳橋が開発したものである。要するに、設備がすごい。そこをちょっと借りて、作ったのがメイだ。
そんな、いわゆるお坊ちゃまな俺だが、俺たちが住んでいる家は普通である。というのは、無駄にでかいとか、マンションのワンフロアをくりぬいているとか、そんな家じゃないってことだ。なんの変哲もない、二階建ての一軒家である。
これは俺の両親の意見で、〝組織は三代目でダメになる〟という言葉を危惧してのことだ。三代目は苦労を知らないから、っていうやつだが、その三代目が俺と、鳳橋家長女であるわが姉・茜である。ま、それは建前で、俺たちには普通の生活をさせたいという両親なりの計らいだ。とはいえ、それでも普通の家よりは立派だとは思うけど。
その両親も、十年前、飛行機事故で死んでしまった。
現在は、姉貴がグループの会長職を引き継いでいる。
仕事が忙しいようで、ほとんど家には帰ってこない。最後にあったのは先月だったっけ。
俺がこうしてのんきに学生してられるのも、姉貴のおかげってことだ。一応感謝はしてる。鬱陶しいと思うこともあるが。
いま家になにあったっけ。朝だし、パンでもあればいいんだけどな。とか考えていると、ぎゅむ、となにかを踏んだ。
「べぇっ」
床がしゃべった。と思って下を見ると、床じゃなかった。床の上に、人が倒れている。
「うぅん……」
うなり声とともにもぞもぞと動く。そいつはちょうど階段を降りたところに倒れていた。
そいつは亀みたいに緩慢な動作で上体を起こすと、ゆるゆると手を伸ばしてきて、
「み、水……」
と言った。家の中で行倒れているのだった。
家の中だというのに、まるで砂漠で倒れているかのような態度だ。
リクルートスーツを着ているが、シャツが乱れている。髪を下ろしており、化粧も崩れているため、お化け屋敷から飛び出してきたかのようだ。
「さ、ごはんごはん」
無視して歩きだす俺。軽くジャンプして障害物をかわす。どうだこのスルースキル。我ながら見事だなぁ。
とか思っていると、いきなり足首をつかまれたので、俺は危うく転びそうになった。
「な、なにすんだよ! 危ないだろ!」
「弟のくせに姉を無視するなんて、いい度胸してるわね……」
顔に垂れている黒い髪。血走った赤い目。真昼間だというのに悲鳴を上げそうになってしまった。ホラー映画なんかで流れるBGMが脳内再生される。中途半端に化粧が崩れてて超怖い。このままノーメイクでお化け屋敷で活躍できそうだ。いや、メイクはしてるのか……じゃなくて!
「怖い怖い怖い! なんだよ! なんなんだよ!」
「水ちょうだい」
「分かったから放せ!」
「よー! こー! せー!」
放せって言ってんのに、なぜか放してくれない。結局、足首をつかまれたまま、リビングまで引きずっていくことになった。
弟とか、姉、という単語で分かると思うが、こいつは俺の姉貴だ。名前は茜。年齢は今年で二十六歳になる。腰まで伸びた黒髪に二重瞼。見た目は美人だ。一応。昨日テレビのインタビューに答えていたときも、テレビ映えはしてた。
「そらよ」
水をコップに注いで渡してやると、姉貴は一気に飲み干し、
「もう一杯!」
青汁か。空のコップを俺に突きつけ、はやく持ってこいと目で訴えている。
めんどくさいから二リットルのペットボトルをそのまま持ってきてやった。
文句言われるかと思ったが、ゴクゴクゴクとダイナミックに飲んでいる。
「あー」
というおっさんみたいなだみ声とともに、ドン! とペットボトルをテーブルに置く。しかも、シャツで口を拭きやがった。その直後、ソファーの上に長くなる。
「あー疲れた……」
深いため息とともに、一言。
「おい、そんなとこで寝たらカゼひくぞ」
シャツのボタンは第三ボタンまであき、右足はソファーから投げ出されてるから、両脚は大きく開いている。だから、パンツも丸見えである。
これが他人なら、なにか思うところはあったかもしれないが、あいにく相手は姉弟である。だらし姉ぇなぁ。くらいしか思うところがない。
「いいでしょ~。昨日……っていうか、今日帰ったの日付変わってからなのよ」
「またパーティーだっけか?」
「そ。父さんたちが懇意にしてた代議士先生のね。もう退屈で退屈で、ずっと愛想笑いしてたし、おかげで顔が筋肉痛よ」
姉貴は結構パーティーに呼ばれるし、逆にときどき開いている。前に一度、いやなら開かなきゃいいだろ、と言ったことがある。そしたら「人づき合いがある」んだそうだ。
「あーもうホントむり。ホント疲れた。私は今日、ここから一歩も動かない」
ぐでーとソファーに寝そべっている姿は、とてもじゃないが財閥の人たちにはお見せできない。
さっきも言ったが、姉貴はいま、鳳橋グループの会長を務めている。姉貴がパーティーに呼ばれたり開いたりといった理由はそれだ。
大学卒業後、すぐにグループに入り、会長職に就いた姉貴は、同じ年ごろの人たちとはまるで違う毎日を送っている。外じゃ常に気を張っているだろうし、家の中くらい気を抜きたいんだろう。ま、仕方ない。
「じゃ、今日は寝てろよ。掃除洗濯くらいいつもやってるし、食事はまあ……いざとなったら千影を呼ぶ」
ため息まじりに言ってやる。すると姉貴は、ウルウルと目を潤ませ、口元を手で覆って、感極まったように俺を見ている。
「な、なんだよ……」
ちょっと身を引いていると、
「悠ぅ~!」
い、いきなり抱きついてきやがった!
「ちょ、なにすんだよ! 離せって!」
引き離そうとするがなかなか離れてくれないし、頭までなでてきやがる。なんだろう、なんていうか、「この子ったら立派になって」的な、親が子の成長に感動したみたいな感じだ。なんかウザい。
「おお悠、わが弟よ! 父さん母さん、悠は元気に育ったわ!」
「なに言ってやがる! キャラ統一しろ!」
酒と香水の匂いが混ざってなんかすげぇ変な匂いする! HA☆NA☆SE!
「あんたが立派に成長してお姉ちゃんうれしいよ!」
「分かったから放してくれ! 暑苦しいしうぜぇ!」
すると、ようやく姉貴は離れてくれた。
「あんたが家のことやってくれるなら、私は一日ゆっくりさせてもらうわ。じゃ、手始めにマッサージでもしてもらおうかしら。それが終わったらご飯作って。あと……」
「おい、家のことをやるとは言ったが、姉貴のお守りをするとは言ってないぞ」
姉貴は「なによぅ」と口を尖らせた。
「べつにいいじゃない。どうせ、暇なんでしょ? ねぇ、少しくらいいいでしょ~? 体中がこってるのよ~っ!」
そう言って、プールで泳ぐみたいに足をバタバタさせている。まるで駄々っ子だ。こんなところを人に見られたら、株価が下がってしまう。
「ガキみたいなことしてないで、さっさとシャワー浴びてこい! あと化粧落とせ! さっき見たとき、落ち武者かと思ったぞ」
「だれが落ち武者よだれが!」
姉貴は起きあがって俺の首に腕を絡めてきた。い、いてぇ! 千影といい、なんで俺の周りには、こうバイオレンスな女が多いんだ!
ギブギブ、と腕をたたくが緩めてくれる気配がない。や、やばい……。お、落ち……。
『おはようございます、茜さん』
薄れゆく意識の中でメイの声が聞こえた。俺のシャツのポケット、そこに入れたスマホからだ。
「あら、メイ。元気だった?」
姉貴はパッと腕を離したかと思うと、ポケットからスマホをひったくりやがった。
『私には元気もなにもありません。プログラムですから』
「つれないなぁ。悠のつまらなさが伝線したんじゃない?」
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ」
姉貴がどうでもよさそうに言った。
「悠の調子はどう? 迷惑かけてないかしら?」
『場合によりますね』
画面の向こうで、メイはアメリカ人みたいな仕草で肩をすくめた。……なんか腹立つなこいつ。
『私や千影さんと話す分には問題ありません。どころか、千影さんには時々セクハラをしています』
「へぇ」
姉貴はあやしく目を細めて、ちらと俺を見てくる。な、なんだよ。
「あんた、千影ちゃんに変なことしちゃだめよ。逮捕されても、保釈金は払わないからね」
「うっせ!」
それに、べつにセクハラなんてしてないぞ。反応が見たくて、目の前で着替えはしたけどな。
『しかし、肝心の高埜さんの前では、借りてきた猫みたいにもじもじしています。正直キモいです』
「キモいっておまえ……」
なんて口の悪いやつだ。いまに始まったことじゃないが。
「高埜さんってだれ?」
不思議そうな顔で姉貴が訊いてきた。俺はなんでもないといって手を振るも、
「ひょっとして、あんた好きなの? その〝高埜〟って子のこと」
「姉貴には関係ないだろ」
「あるわよ。姉だもの。それに気になる」
要するにただの好奇心じゃないか。
「ねぇ、どういう子なの? 教えなさいよ」
「べつになんでもねぇって」
「なんでとぼけるのよ。いいから教えなさいっ!」
また腕を首に絡めてきやがった! 痛いっつうの!
「やめろっ! 離せって!」
なんか妙に絡んできやがる。し、しつこいっ!
「おい、メイ! おまえが余計なこと言ったせいでもあるんだから、このおっさんなんとかしてくれ!」
「だれがおっさんだって!?」
ギギギギ、と俺の首を絞めてくる。あ、ヤバい。これ今度こそ落ち……。
『茜さん』
ふたたび薄れていく意識の中でメイの声を聴いた。
『今日は外出するご予定があったのでは?』
「?」
腕の力がちょっと緩んだ。そのすきに脱出する。あ、危なかった……。むせながら息を整える。
姉貴は何事か考えているふうだったが、やがて、あっと声を上げた。
「そうだった! もう、すっかり忘れてた! ね、いま何時!?」
「あん?」
わけが分からず訊きかえすと、
「時間よ時間! そのスマホで見れんでしょ?」
じゃリビングにある掛け時計見ろよ、と思ったが言わない。言ったらまた絞められる。
時間は九時半だった。それを伝えてやると、
「やばっ! 完全に遅刻じゃない!」
バネみたいに立ち上がったかと思うと、すごい勢いでリビングから飛び出していった。その途中、ひざが見事に俺のあごにクリーンヒット。俺が床に座って、というより、尻もちをついていたためである。
めっちゃ痛い。なんか最近、こんなんばっかりだ。
「いったい、なんだってんだ?」
あごをさすりながら言ったから、ちょっと声がしゃくれてしまった。
『お急ぎみたいですね』
メイが妙に他人事な口調で言う。
「みたいですねって、おまえ、理由知ってるんじゃないのか?」
『さあ。ご友人とお約束があるのでは?』
わざとらしく首をかしげるメイ。……なんかムカつくなこいつ。こいつが芝居がかった仕草をするときは、うそをついているときだと最近知った。
でも、俺に教えるつもりはないみたいだ。……ま、いいだろう。姉貴がどこに行こうとそれは勝手だ。俺が気にする必要はない。どうせ、友人とどっか遊びにでも行くんだろう。たまには息抜きも必要だし。
それからテレビをつけ、適当にチャンネルをぱちぱち回していると、
「悠っ!」
せわしなく準備をしていた姉貴が、これまたせわしなく半身だけをドアからのぞかせ、またまたせわしなく言う。
「私ちょっと出かけてくるから! 遅くなるからご飯はいらない! じゃっ!」
……なんなんだ。なんてせわしないやつ。我ながら嵐のような姉である。
あんなに慌てて、いったいどこへ行くつもりなのか。ちらっと見ただけだったが、結構めかしこんでたな。それに、友達との約束に遅れそうだからって、あそこまで慌てるものか?
いや、まあ、べつにいいんだけど。俺には関係ないし。
……遅くなるって言ってたか? これはどういう意味なんだ。いや、文字通りの意味なんだろうが、その……なんで遅くなるんだ?
『悠さん』
「なんだよ」
『またなにか、下世話なことを考えていますね』
「か、考えてないぞ」
っていうか、またってなんだよ、またって!
『気になるなら、あとで直接訊いてみてはどうです?』
訊くったって、なんて訊くんだ? だれと、どこに行ってたんだって? そんなこと訊いてみろ。一ヶ月はからかわれるぞ。やれ、そんなに私に興味があるのかだとか、かわいいところあるじゃないだとか、そんなことを言ってくるに違いない。
そもそも、俺は気になってない。……気になってなんてないぞ。
ちょっとだけそわそわしていたせいか、危うくピンポーン、というチャイムの音を聞き逃すところだった。
いったいだれだろう。この家を訪ねるものはそう多くない。宅配は頼んでいない……千影か? でもあいつ今日は委員会があるんじゃ? そもそも、あいつ姉貴から合鍵貰ってんじゃなかったっけ? と思いながらドアを開けると、
「あ、おはよ、悠くん」
瞬間、俺はフリーズした。
――なんてことだ。
「おはよう……」
天使が、高埜葵が、そこにいた。
「な、なんでここに……」
「んーとね」
と高埜……もとい、葵はちょっと考えるしぐさをする。
「千影ちゃんに訊いたんだ。ほら、おなじ部活に入ることにしたじゃない? だから、悠くんと仲よくなれたらと思って。よかったら、わたしとお出かけしない?」
なん……だと……。
俺は葵の言葉を、信じられない気持ちで聞く。っていうか、うまく理解することさえできずにいる。開いた口が塞がらないというか、多分このときの俺は、金魚みたいに口をパクパクさせていたに違いない。
『もちろん! すぐ準備してくるから、ちょっとだけ待っててくれ』
突然聞こえてきた自分の声に、思わずぎょっとなる。いまのは俺じゃない。またメイである。
『じつはいまパンツ履いてなくてな! 履いてくるからちょっと……』
「ふんっ!」
メイの戯言をさえぎるように、俺はスマホをぶん投げる。し、しまった! つい反射的に……。
「悠くん。スマホ投げたら壊れちゃうよ?」
「あ、ああ、そうだな。すまん、ちょっと待っててくれ!」
ドアを閉め、床からスマホを取りあげメイに詰めよる!
「おい、おまえいったいなにを言ってんだ!?」
『なにって……』
メイはさも意外そうな顔をしてる。
『悠さんがしゃべれそうもないから、私が代わりにしゃべってあげたんじゃないですか。まったく、世話のかかる人ですね』
「だったら余計なこと言わないでくれ!」
『余計なこととは?』
「パンツ履いてないとかくだらないことをだ!」
『ま、べつにいいじゃないですか』
「ちっともよくねぇよ!」
こいつ開き直りやがった!
「変に思われたらっていうか、思われるだろうが! 大丈夫だよな!? 聞こえてないよな!?」
『ま、どっちでもいいじゃないですか』
「よくねぇっつってんだろポンコツプログラム!」
開口一番セクハラ発言とかもうダメだろ! 絶対売りに出せねぇよこいつ!
『やれやれ』
メイがまたアメリカ人みたいな仕草で肩をすくめている。ムカつく。めっさムカつく。だがこれ以上投げたらスマホ壊れる。
『さんざん人の世話になっておいて、なんて身勝手な言い草でしょう。まったく、これだから人間は』
なんかSF映画みたいなこと言い始めやがった。
『私がこれだけ悠さんに尽くしているというのに、肝心の悠さんときたら……』
よよよ、とハンカチで涙をぬぐいながらさめざめ泣いている。
……ムカつくが、まあ、一理ある、よな。
「悪かったよ。感謝はしてるんだ、これでも。でも、変なこと言うのはやめてくれ。高埜……いや、葵に、その……」
『嫌われたくない、と』
「……ああ」
メイの言葉に、しかし俺は顔をそらす。なんだこれ、なんかめっちゃ恥ずかしい!
『でしたら、もうすこし成長してもらわないと。好きなこと満足に会話もできないとか、幼稚園児でももうすこしうまいことやりますよ』
……。
なんていうか、一言多いというか、単純に口が悪いというか……それはともかく、言ってることは間違ってない。俺だって、話くらいまともにできるようになりたいし、もっと仲よくなりたい。
「それはその……頑張るよ……」
顔を背けて言ったんだが、自然と、視線がメイに吸い寄せられていく。彼女は、じっと俺を見つめていた。観念して俺は言う。
「だから、あとちょっとだけ、力を貸してくれないか」
『……分かりました』
メイはため息まじりに言った。
『協力しますよ』
「本当か? ありがとう、助かるぜ」
『まったく、私がいないとなにもできないんですね。ああ、手間のかかる』
礼を言ったことを二秒で後悔した。