第一章③
今日は入学式だけだから、いまは校舎に人はすくない……なんてことはなく、部活動が盛んなせいか、その勧誘や見学の生徒たちで賑わっている。
そんななか、勧誘をすべて断って俺と高埜がたどり着いたのは、一年生の下駄箱の横にある自動販売機だった。その横には、さっき高埜の机にあった袋が下がっている。これに入れて教室まで持ってきたらしい。
「これだよっ!」
と高埜は、まるで万有引力でも見つけたみたいに言った。
「おう……」
俺はといえば反応に困ってしまう。これ以外どういえばいいのか分からん。
「そ、それで、これからどうするんだ?」
「ちゃんと数字が揃うか、何度目で揃うか、それをたしかめるの!」
たしかめてどうする? って質問はしちゃいけないんだろうな。
俺をしり目に、高埜はウキウキした様子で小銭を投入。グレープジュースを買った。
その後、例のルーレット的なアレ、数字が揃うかどうかを見る高埜だが、
「あぁ……」
残念そうな声を出す。ルーレットは途中までそろっていたが、最後の最後で数字がズレてしまった。ま、こういうのはいつもそうだから、別段がっかりもしないが……。
「もう、惜しかったのにー!」
高埜は本気で残念そうにしている。
「ね、いまの見たよね? すっごく惜しかった!」
「そ、そうだな」
「さっきもそうだったの! もうこんなのばっかり!」
だろうな。
「これはもう詐欺だよ! なにかのインボーだよ!」
「インボーって……なんのだよ」
「例えば数字がなにかの暗号になってるとかさ! フィボナッチ数列とか!」
なんか、急に刑事ドラマみたいになってきたな。
「ね、鳳橋くんもそう思うでしょ?」
「そうだな!」
ちょっとなに言ってるか分からないが、とりあえず同意しておく。こういうのはその場のノリが大事だよな。
「さっすが鳳橋くん! 千影ちゃんとは大違いだね!」
「まあな! あいつは頭が固いから……」
「ホントだよ! 千影ちゃんは話が分からないんだから!」
すまん、千影。悪いとは思ってる。
高埜は自動販売機に小銭を入れ、ルーレットを見る。しかし、揃わない。入れる、見る、揃わない。入れる、見る、揃わない。どんどんペットボトルや缶が増えていく。
「なあメイ」
声を潜めて胸元に訊く。そこのポケットにスマホを入れているからだ。
『なんです?』
「これはいつまで続くんだ?」
『私に訊かれても困ります』
そりゃそうだ。
「俺はどうすればいいんだ?」
すると、メイはそれはそれは大きな、クソデカため息とでもいうべきため息をついたではないか。なんかイラっと来るぜ!
『すこしはご自分で考えたらどうです? 脳が腐りますよ』
この言いようはどうだ。なんて口の悪いやつ(?)だろう。
「そ、そんなこと言わずに……」
言いかえしたいところだが、立場上、下に出るしかない。
『仕方ないですね。では、〝メイさま教えてください。お願いします〟と言ってください。そうすれば……』
「調子のんなてめぇ!」
「鳳橋くん?」
つい大声を出してしまった。高埜が不思議そうな顔でこっちを見てくる。
「い、いや……なんでも……」
手を振って否定する。スマホの中の女の子と喋ってましたなんて言ったら、ドン引きされること請け合いだ。
くそっ! どうする!? 俺は一体どうすれば……。
『彼女とおなじことをされてはどうです?』
メイが高埜に聞こえないよう配慮してだろうか、ちいさな声で言ってくる。
「おなじこと?」
『さっきご自分で仰っていたでしょう? 〝その場のノリが大切だと思う〟と』
「まあ……」
言ってはないけどな。心の中で思っただけで。
『さ、流れに身を任せましょう』
……多分、俺を元気づけつつ助言をくれてるんだろう。……多分ね。ただもうちょっと言いかたを考えてほしい。
「た、高埜っ!」
「? なあに?」
ちょっと上ずってしまったが、名前を呼ぶことができた。
「それ、俺にも手伝わせてくれないか?」
「え?」
「ひょっとしたら詐欺かもしれないからな! もしそうだったら大変だ! だから俺も手伝うよ!」
「ホントっ!?」
突然のことで、思わず声を上げそうになった。上げずにすませた自分を褒めたたえたい。た、高埜が、高埜が俺の手を握ってきた……っ! その目はキラキラと嬉しそうに輝いている。……っていうか、ち、近いっ!
「やっぱり鳳橋くんは話が分かる人だと思ってたよ!」
「あ、ああ! 俺に任せてくれ! 俺は千影とは違うからな!」
す、すまん千影。本当にすまないと思っている。
俺はゆっくりと歩をすすめる。考えてみれば、これは戦いである。高埜との仲が進展(?)するかどうかは、この自動販売機にかかっているといっても過言じゃない!
「がんばって、鳳橋くんっ!」
「!」
た、高埜が……高埜が俺を応援してくれている……だと……?
そのとき、俺は胸が熱くなるのを感じた。心臓がドクンと高鳴る。
好きな子の応援に答えられずして、男と言えるだろうか? いや言えない! 是が非でも期待に応えてみせる!
「おう! 高埜! 俺がんばるよ!」
なにをがんばるかはさっぱり分からないけどな!
財布を取りだし、小銭をつかむ。それはさながら、騎士が剣をつかむかのような動きだったに違いない!
……ところで、なにを買おうか。カンの炭酸飲料でいいか。安いし。
運命のルーレット。しかし、それは揃わない。
「がんばって鳳橋くんっ! まだ始まったばっかりだよ!」
「ああ!」
もう一度やってみるも、やっぱり数字は揃わない。
いまさらだが、これ絵面的にかなり地味じゃないだろうか。っていうか、はたから見たらかなりバカっぽくないか?
自動販売機でひたすらジュースを買っている生徒二名……しかもルーレットの数字が揃わないたびに「これは詐欺だ」とか「インボーだ」とか言っているのだ。頭悪すぎるだろう俺たち。
「本っ当に揃わないね!」
高埜がちょっと怒ったように言った。
「まったく困ったやつだな!」
と言って、俺は自動販売機をバンバン叩く。
それにしても……。
「本当に当たんねぇな……」
思わずポツリと言ってしまう。すでに三千円(!)くらい使ったが、一っっ回も当たらなかった。これは一体どうしたことだろう。このままいけば、自動販売機のおつりがなくなる勢いだ。これ本当に詐欺じゃね? なんて考えていると、
『私が自動販売機を操作して、数字が揃わないようにしていますからね』
などと、「今日はいい天気ですね」くらいに気さくな調子で言われた。俺の思考は停止し……。
「はぁ!? どういうつもりだてめぇ!」
『面白いかなと思って』
「なにしてくれてんだボケコラカスゥ!」
俺の三千円返せ!
『すぐに数字が揃ったところで、高埜さんは納得しませんよ。引っ張って引っ張ってから揃わせ、もっともらしい理由をつけるのが一番でしょう』
「それはまあ、そうかもしれないが……」
『もう一度買ってください。つぎで数字が揃うよう、私が操作します』
「んなこと言ったって……」
「鳳橋くん?」
高埜が後ろから声をかけてきた。
「どうかしたの?」
不思議そうに首をかしげている。か、かわいい……じゃなくって!
「なんでもないなんでもない!」
スマホをポケットにしまい、手を振って否定する。し……仕方ない! こうなったらもう、破れかぶれだ!
「高埜!」
「? なあに?」
「これは予想なんだが……」
「うん」
「つぎで数字は揃うと思う!」
「え……どういうこと? どうしてそんなことが分かるの?」
「そ、それは……」
ま、まずいぞ。完全に見切り発車だったからな。なにを言うかなんて全く考えてなかった。どうする? ……仕方ない! こうなったら、口から出まかせでごまかせ!
『俺には全部分かるからさ!』
……待ってくれ。いまのは俺じゃない。ち、違うっ! メイが勝手に……!
しかも、なんだ〝全部分かる〟って! 全然分かんねぇよ!
「本当っ!?」
しかし高埜、メイの戯言をすっかり信じてくれたらしい。素直ないい子だ。でももうちょっと疑う心を持ってほしい。俺はそこまで頭の悪いことは言わないぞ……多分。
だが、言ってしまったものは仕方ない(俺はなにも言ってないが)。これはもう引き下がれない。小銭を握り締め、俺は高らかに宣言する!
「もちろんだ! 見てろ高埜! つぎで数字は揃う!」
「おおー!」
パチパチパチパチ、と拍手。……いったい、なにをしてるんだ俺は。まあいい。つぎで最後だ。ジュースを購入。回るルーレット。
いまさらだが、これ本当に大丈夫なんだよね? 揃うよね? もし揃わなかったら、俺バカみたいじゃん!
数字が止まりはじめる。数字は全部で五ケタ。一つ、二つ、三つ、四つ……たしかにそれはおなじ数字だ。
はたして五つ目は……。
思わず目をつむる。数字が止まった音。そして……。
「やったよ、鳳橋くんっ!」
うれしそうな高埜の声。そして、なにやら明るい音楽……。恐る恐る目を開く。すると……。
「おおっ!」
歓声を上げてしまった。
俺の目のまえでは、数字が揃っていた。いままで何度やっても揃うことがなかった数字が、ついに……ついに……。
「やったぞ高埜! ついに揃った!」
「? うん。でも分かってたんだよね?」
「あ、ああ! もちろんだ!」
舞い上がって忘れてた。あったなそんな設定。
「でもすごいよ鳳橋くん! 本当に当てちゃうなんて!」
「い、いやぁ、それほどのものだよ」
なんか褒められた。ちょっと後ろめたさもあるが、素直にうれしい。思わず顔もほころぶというものだ。
こうして、自動販売機との謎の戦闘は幕を閉じた。
「やー、ずいぶん買っちゃったねぇ」
放課後の教室にて、高埜がなぜか満ち足りた笑顔で言った。
「そうだな……」
本当にずいぶん買ってしまった。おかげで教室に持って帰るだけでも一苦労だった。横にあった袋のおかげで、多少は楽だったが、それでもちょっと腕が痛くなったゾ。ゴリラ並みの腕力を誇る我が幼馴染なら楽にできたかもしれないが、人間である俺たちにはちょっとムリだ。
結構時間がかかったと思ったんだが、そうでもないな。まだ昼過ぎだ。それもそうか。今日は入学式だけだったし。
「でも、これで解決だな」
ちゃんと当たったわけだし……不正だけど。
「なに言ってるの! なにも解決してないよ!」
「え?」
「だって、あれだけ買って一本しか当たらないんだよ!? これにはやっぱり、なにか裏があるんだよ!」
「あー……」
そういえば、そういう話だったな。買うことが目的になってすっかり忘れてた。
「な、なんでだろうな……なんでだ?」
つーか、なんでもクソも、メイが自動販売機を操作して当たらないようにしてたんだよな。だが、そんなことを言えるはずもない。
ちなみに、後半のセリフはメイに対するものだ。かなり小声だったんだが、メイはちゃんと聞いていたらしい。
『さあ、なぜでしょうね』
しかし、なんてことだ。当の本人はこれである。
「おい! それはねぇだろ! おまえが操作したから外ればっかりだったんだろ!?」
『ええ』
「じゃあ、なんとかしてくれ!」
『ムリです』
「ケンカ売ってんのかてめぇ!」
「鳳橋くん?」
背をむけてメイと言いあっていると、また高埜が後ろから訊いてくる。今回だけで何度も見た光景。いまさらだが、結構かわいい。後ろに手を組んで、ちょっと体を曲げて首をかしげている。胸も強調されているし、垂れている黒髪も妙にエロい。
「な、なんでもないよ」
「そう?」
俺は高埜に向き直る。
「ね、どうしてだと思う?」
「な、なんで俺に訊くんだ……?」
「だって、鳳橋くんさっき言ったじゃん。俺には全部分かるって! それなら、これも分かるかなって」
「……」
そうきたか。……ど、どうする!? なんて答えたらいい!?
「だって今回も結構お金使っちゃったし! これはもう謎を解くしかないよ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭に天啓がひらめく! 頭の上で電球が光るなんてもんじゃない。稲妻だ。稲妻に打たれたかのような衝撃! これだ! もうこれしかない!
「つ、つり銭だよ高埜!」
「つり銭?」
「そう! 自動販売機って、一日に何人もの人が使うだろ? だから、つり銭が足りなくなると、わざとルーレットが揃わなくなるようにして、小銭を使わせようとしてるんだよ!」
んなわけない。つり銭くらい頻繁に確認するだろうし、仮にそのとおりだとしても、必ず小銭を使ってくれるとは限らない。札を使われれば、さらに小銭が足りなくなるわけだしな。
だが……だがもう、俺に残された答えはこれしか……。
「鳳橋くん……」
高埜がうつむいている。くそっ! やっぱり無理があったか……。
「それだよ!」
「え?」
急に顔を上げたかと思うと、俺の手を取った。
「それなら説明がつくね! すごいよ!」
せやろか。
「そっか! そういうことだったんだ!」
ま、まさか乗り切れるとは。バ……いや、素直なやつで助かった。なんかちょっと罪悪感。
「な、なあたか……」
「葵でいいよ」
高埜が俺の言葉に割りこむように言った。
「高埜じゃなくて、葵って呼んで。うぅん、呼んでほしいな」
予想外の言葉に、俺は言葉を失ってしまう。
それと引き換えに、俺の頭の中に、なにかが浮かんだ気がした。どこか大きな会場で、ちいさな女の子の顔が……ダメだ、思い出せない。なにかが、のどまで出かかった気がしたんだが。
「で、でも……」
うろたえる俺。だって女子を名前で呼ぶなんて、千影以外にしたことはない。
でも高埜の目は真剣で、まっすぐに俺を見てくる。
高埜が歩みよってくれてるんだ。……俺も、一歩踏み出さないとな。
「あ……葵……」
なんとか、名前を呼ぶことができた。なんか、顔が熱い。
「うん。悠くん」
やさしく、そう微笑みかけてくれた。そのとき、また心に何か引っかかるものを感じた。俺に微笑みかけてくれる少女……なんだ?
「わたしね、不思議なこととか、謎とか、超常現象っていうのがすっごい好きなんだ。付き合ってくれてありがとう。これからも、これからよろしくね」
手を出してくる。これは、ひょっとして握手ってことか? 手を握るのか? 俺は反射的に手を出そうとして、慌てて制服で拭く。いや、べつに汚いってことないと思うが、なんとなく、つい……。
「あ、ああ……。こっちこそ、よろしく」
おっかなびっくり、手を握る。高埜と……いや、葵と名前で呼び合うなんて……。
いや、ここで引いたらダメだ。
決めただろ。もっと、葵ともっと仲良くなるって!
「な、なあ葵!」
「うん? なあに悠くん!」
葵が楽しそうな顔で返事をしてくれた。……か、かわいい。
「その……」
しかし、肝心の話の内容を考えていなかったという痛恨のミス。や、ヤバい。どうし……。
『提案があるんだが、いいか?』
唐突に俺の声が聞こえた。なにを言ってるか分からねぇと思うが、まあ、メイが俺の声で話したんである。
「提案って?」
「そ、それはその……」
どうする? なんだよ提案って。そんなんないぞ俺。
そこで急に耳に飛びこんできた部活勧誘の言葉……。そ、そうだっ!
「その、おなじ部活に入らないか!?」
「部活に?」
「あ、ああ。ほら、この学校って部活に入る決まりだろ? だからおなじ部活に入らないか?」
「おお、いいね! でも、なにに入るの?」
「それは……」
俺はちょっと考え、妙案を思いついたのでそのまま口にする。
「超常現象研究会ってのはどうだ? 超常現象とか、そういうのを調べるんだ」
「? そんなのあったっけ……?」
「だから、俺たちで作るんだよ!」
すると、葵はまた楽しそうに笑った。
「なるほど! いいねそれ! すっごく楽しそう!」
「そ、そうか?」
「うん。ありがとう悠くん!」
「お、おう!」
元気よくお礼を言われて、思わず俺も引っ張られてしまった。
「じゃあ、改めてよろしくね?」
「こ、こちらこそ……」
これが、俺と葵の奇妙な関係の始まりだった。