第一章②
私立白桜学園。
全校生徒はおよそ三百人。その生徒たちは、全員、簡単に言えば、〝お坊ちゃま〟〝お嬢様〟である。
大企業の息子だとか娘だとか、明治から続く高級官僚の子供だとか、果ては「旧華族で戦前は爵位持ってました」なんて家の生徒までいるらしい。
敷地はかなり広く、東京ドーム三つ分あるらしい。そういわれても、どのくらい大きいのかさっぱり分からない。校舎のほかにも、温水プールだとかプラネタリウムだとか、ミニシアターまである。
中心には、ロンドンのビッグベンを思わせる時計塔が、ドーン! と建っている。
生徒の自主性を重んじるらしく、部活動設立に関しての条件はかなり軽く、また大多数の部活動や同好会が存在するらしい。
というのが、おおよそ入学案内に書いてあった内容だ。
「ど、どうにか間に合ったな……」
正門近くでチャリを下りて、あたかも歩いてきましたみたいな体で門をくぐる。
でもめっちゃ疲れた。押しているチャリが、妙に重く感じる。これだけチャリ早く漕いだのはいつ以来だ? 春だっていうのにちょっと汗かいたぞ。
「そーね」
一方、千影は涼しい顔だ。そりゃそうだ。だってこいつ座ってただけだし。
「これくらいで息上がるなんて、あんたちょっとやわなんじゃない?」
……聞きましたか奥さん。この物言い、完全にケンカ売ってるよね。
「座ってるだけなくせして、偉そうに。立場が逆ならおまえだって息上がってたろ」
「私なら上がらないもの」
「ウソこけゴリラ」
「ふんっ!」
ビュンッ! という、空気を切り裂く音とともに俺の顔面になにかが近づいてくる。
「おわっ!?」
危ういところでそれをかわす。
な、なんなんだ……?
「ちっ。外したか」
千影が残念そうに舌打ちする。
こ、こいつ!
この女、なんて女だ! 俺の顔面に正拳突きしてきやがった!
「なにすんだよ!」
「あんたが舐めたこと言ってくるからよ」
「だからって殴るか!?」
「殴る」
「バイオレンスすぎだろ!」
「あんたが余計なこと言わなければいいのよ」
そう言うと、すたすたと歩きだしてしまう。
なんて奴だ!
ま、わざとだけどな。千影とのこういうやり取りは昔からあったし、結構楽しい。だから自然と煽ってしまう。たまに攻撃を避けきれずに痛い思いをするときもあるが。
正門からすこし離れた場所にローマの休日に出てきそうな噴水があり、その近くに、空中に青白い光が正方形で浮かび上がっている。あれも、例の企業が開発したものだ。どうやら、あれがクラス表みたいだな。
しかし、そこに同志たちの姿は少ない。たぶん、もうほとんど自分たちのクラスに行ってしまったのだろう。保護者の姿もそう多くないな。高校の入学式だから、小中学校ほど来はしないか。最初に言ったとおり、金持ち学校だからな。忙しい人が多いんだろう。うちもそうだし、千影もそうだ。
俺たちも早いところクラスを確認しなければ。いけないんだけど、足取りは軽くない。っていうか、重い。
心配だからだ。はたして、俺は高埜とおなじクラスになれているのか……。
クラス表を見る。俺の名前は三組にあった。高埜の名前を探す途中、おなじく三組に千影の名前も見つける。
心臓がドクンと高鳴る。俺はいま、合格発表を見るとき以上に緊張しているかもしれない。
そして、見つけた。
高埜葵。
その名前を、俺たちとおなじ、三組に。
――あった。
思わず二度見。目をごしごしこすってもう一度見る。
そこにはやはり、その名前があった。
「やった……。あったぞ千影!」
「え? あ、そう」
俺とは対照的に、千影の反応はなんかめっちゃ冷めている。
「クラスくらいで、よくそんなに一喜一憂できるわね。簡単な脳みそでうらやましいわ」
……なんでどいつもこいつも俺にこんな攻撃的なんだ。
「はやく行くわよ。せっかく間に合ったのに遅刻しちゃう」
そう言うと、千影はさっさと歩いて行ってしまう。
うーむこの塩対応……。ま、いいか。高埜とおなじクラスになれたわけだし、多くは望むまい。
それを考えると、俺の足取りは自然と軽くなる。とくに意味もなくスキップもしてしまう。
スマホの中は揺れていないはずなのに、揺れが鬱陶しいとメイに言われ、千影にさっさと来なさいのろまと言われても、俺が落ちこむことはなかった。
結果として、遅刻することはなかったが、俺たちはかなりギリギリになってしまった。
廊下でクラスメイトらしき生徒とすれ違った。クラスには一人の生徒もいない。机の場所には名札が置いてあったのですぐに分かった。鞄を置き、花付きの名札を胸につけると、体育館へ直行する。
入学式というのはなんとも退屈なもので、俺は何度も欠伸をかみ殺す羽目になった。白状すると、何度かしてしまった。だって校長だとか来賓だとか、在校生だとかが、定型句をひたすら述べるだけの退屈な時間なんだもの。
はやく終わってくれと思っていたが、つぎの瞬間、俺はハッと目が覚める。
俺の視線は、スッと、ある一点に引き寄せられる。
――天使降臨。
長い黒髪をなびかせ、堂々とした足取りで壇上に登った女生徒。
彼女が、こっちを向く。長いまつげに凛々しく引き締まった表情。ま、ここからじゃ細かいところなんて見れないけどな。多分そんな顔をしてるんじゃなかろうか。
生徒、教師、親族、来賓、その場の全員から視線を受けても、彼女はじつに堂々としている。
伸びた背筋といい、彼女の一挙手一投足はとてもきれいで、洗練されたもののように思える。
彼女――高埜葵は、ゆっくりと、入学生代表の言葉を話し始めた。
入学式を終えた後、俺たちはふたたび教室へと移動した。
クラス担任は佐藤っていう若い女の人だった。長い髪に眼鏡をかけた人だ。担任を持つのは、今回が初めてらしい。簡単に自己紹介し、入学案内に書いてあり、入学式で校長が言っていたことを、簡単に説明した。
今日は入学式だけなので、高校最初のHRが終わると、生徒は少しづつ減っていく。席が近くの生徒同士はどこかに遊びに行くようで、グループで出ていく場合もあった……のだが、俺はといえば、机に頬杖をつき、考え事をするふりをして、ある一点に耳を傾けていた。
「それでね、本当に当たるか気になったから、わたし、試してみたの」
「へー」
「当たったことは当たったんだけど、結局三十本も買っちゃったよ。お財布が薄くなっちゃった」
「災難だったね」
「ほんとだよ! 三千円以上の出費だよ! これはもう詐欺だよ! なにかのインボーだよ!」
表情豊かに、身振り手振りで語るのは高埜。空返事をしているのは、わが幼馴染、千影である。
「だからね、まだジュースはいっぱい残ってるんだ。だからこれはおすそ分け」
「ありがと葵ちゃん」
二人の会話は背後から聞こえてくるため、高埜がなにを渡しているのかは分からないが、会話の流れ的にジュースを渡しているのだろう。
いいなぁ……。高埜のジュース、俺も欲しい。……高埜のジュースって、なんか背徳的な感じがするな。いやいや、こういうことを考えるのは止そう。
でも、無理だろうなぁ。そう考えると、深いため息をついてしまう。
ところで、二人が〝葵ちゃん〟〝千影ちゃん〟と呼び合っているのは、昔からの友達だかららしい。なんか、ちいさいときのパーティーで会ったんだと。
そういえば、俺も昔、パーティーでおない年の女の子と仲良くなったんだよな。でも、そのときの記憶はなんだか曖昧で、よく思い出せない。あの子は、元気にしてるんだろうか……。
しかし、こうしてさっきから、なんとかして、こう、自然に会話に混ざれないかタイミングを窺ってるんだが、全然入れん。どうしよう。懲りずにため息をつくと、
「なにため息ついてんだ?」
急に話しかけられたので、びっくりした。情けない話だが、うわっと声をあげてしまった。
「すまん。驚かせたか」
「い、いや、大丈夫だよ……」
大男がそこにいた。
本当に、そうとしか形容しようがないのだ。身長は百九十くらいある。それに、ガタイも結構いい。とてもおなじ高一とは思えない。こいつクマと戦っても勝てるんじゃね、というような、謎の安心感がある。
「高校でもおまえとおなじクラスとはなぁ。知ってるやつと一緒になれるか不安だったからよかったよ」
などと、本当に安心したように言っている。
金剛猛。
冗談かと思うくらい、名前と外見が一致している。名は体を現すなんて格言が日本にはあるが、これほどその言葉がぴったりくる人間を、俺はほかに知らない。
「そうだな。俺もうれしいよ」
べつに冗談とかではなく本心だ。友人とおなじクラスになれたことは、素直にうれしい。
「でも、一番うれしいのは、このことじゃないだろ?」
金剛がニヤニヤと笑っている。
「よかったなー。高埜とおなじクラスになれて」
「あ、ああ……まあな……」
たしかに、なれた。なれて、浮かれた。でも考えてみれば、なれたからなんだっていうんだ。行動しなきゃ始まらないじゃないか。しかし行動できるのか? そもそもなにをすればいいんだ?
「またため息か? まったく、こっちまで気が滅入るぜ」
「す、すまん」
「そういえば、おまえ、部活はなに入るか決めたのか?」
俺のため息のせいだろうか、金剛は唐突に話題を変えた。
「いや、まだだけど。なんでだ?」
「この学校、部活動は必須だろ? なにかには入らなくちゃいけないって先生も言ってたろ」
そういえば、入学案内にも書いてあったし、校長も言ってたな。
部活見学は今日からだから、HR後に見学に行った生徒もいるんだろうか。
「金剛は決めたのか?」
「まあな。俺は合唱部に入ろうと思う」
「合唱部……」
ちなみに、こいつのあだ名はジャイアンだ。国民的マンガのガキ大将に似ているだからである。体がでかいっていう点だけだけどな。
ジャイアニズムを振りかざしたりはしないし、なによりこいつは歌がうまい。ボエ~とかホゲ~みたいな擬音が聞こえてきたりはしない。
この見てくれで美声て。スーザン・ボイルか。
「一緒に見学行くか?」
「いや、俺はやめとくよ」
せっかくだけどな。俺はここで高埜の話を盗み聞きするという使命があるのだ。
「そっか。じゃ、俺は行くわ」
じゃあなと言うと、ジャイアン……もとい金剛は教室を出ていこうとする。その途中、おな中の女子生徒に呼び止められていた。「あ、ジャイアンだ~」とか「これからリサイタル?」とか言われている。ジャイアンは「うるせー」と返していた。
話は変わるが、金剛は女子人気が高い。背が高くガタイもいいし、よく見ると、意外に端正な顔立ちをしており、笑うとじつに人懐っこい笑顔になる。そりゃ人気も出る。
以前、女子と話すのうまいよなと言ったら、
「そういわれてもなぁ。俺は女子と話すの苦手だし……」
と言われた。
これはどうしたものか。ひょっとして、俺はいま、からかわれてるのか。それともケンカを売られているのか。
「お大臣め……」
思わずつぶやく。
「なあ、メイ」
『なんです?』
「俺は高埜と仲良くなれるかな? これからなにをしたらいいんだろうか」
ポケットからスマホを取りだして訊いてみる。
『なにをと言われても……』
メイは面倒くさそうな声をだした。
『話しかけてみてはどうです?』
「そう言われても、緊張して……」
『話しかけるだけでしょう。ちょうど千影さんもいることですし、まずは彼女に話しかけて、その流れで自然に会話に加わればいいだけです』
「ま、そりゃそうだけど……それができれば苦労はないよなぁ……」
「なにが苦労はないの?」
「!?」
瞬間、突然聞こえてきた声にびっくりして、椅子からひっくり返ってしまった。
いってぇ……。頭を押さえながら痛みにうめいていると、
「だ、大丈夫っ!?」
――天使再臨。
高埜が、心配そうに俺の顔を覗きこんできた。
腰まで伸びたサラサラの髪。肌は雪みたいに白く、まつ毛はけぶるように長い。身長はそれほど高くないが、小顔のための八頭身。その顔は不安げで、俺を心配してくれているのが分かる。
高埜はその細い手を、俺に差し伸べてくれた。
しかし、俺はどうしていいかわからず硬直する。
手……なんだ、これは……とっていいのか? とって大丈夫なのか? とった瞬間悲鳴を上げられたりしないだろうか。そもそも、これは俺に対してのものなのか? なにか他の……!?
そのとき、思い切りグイっと、とてつもない力に引っ張られた。すごい力で無理やり体を起こされた。
「あんたなにやってんの? だっさ」
呆れたみたいに言われた。この怪力に毒舌……わが幼馴染、千影だった。
「うるさいな……」
迷っているうち、千影に起こされたらしい。しかしこれはどうしたことだ。打った背中より腕のほうが痛いんだけど。人に触れるときはもっと力をセーブしてほしい。
イスを起こして、改めて座る。
「ね、鳳橋悠くん、だよね?」
急に天使に名前を呼ばれ、危うく天に召されそうになった。
「ああ……」
「やっぱり!」
高埜は嬉しそうにパンと手を合わせた。やっぱりもなにも、さっきHRで自己紹介したはずだが。
「中学三年生の夏休みに会ってると思うんだけど、わたしのこと覚えてるかな?」
――なんてことだ。
忘れるはずもない。中学三年の夏休み、俺は初めて高埜と出会った。
高埜と出会って、俺は変わろうと思うことができた。
「覚えてるよ。公園で……会ったんだよな」
「そうそう! ありがと! 覚えててくれて!」
忘れるわけないだろ、と言いたいが言わない。というか言えない。そんな気障なこと、言えるわけがない。
「ひさしぶりだね! 一緒のクラスになれてうれしいよ!」
うれしいよ。……しいよ。……よ。……。
高埜の言葉が、反響して聞こえる。
うれしい。いま、うれしいって言ってくれたか? 俺とおなじクラスになれて、うれしいって……。
「なに笑ってんの? キモ」
……さっきから「だっさ」だの「キモ」だの、口が悪すぎだろう、この女。俺はそろそろ泣くぞ。
「うるせぇ。それと、べつに笑ってない」
「千影ちゃん、ダメだよそんなこと言ったら」
高埜がちょっと怒ったふうに言った。かわいい。なんていいやつなんだ。
「大丈夫よ葵ちゃん。どうせ、すぐに忘れるから」
それに比べてこの物言いはどうしたことか。なんでこいつは俺へのあたりがこんなにきついんだ。
「人を鳥頭みたいに言わないでくれ」
抗議しても、千影はつんと顔をそらすだけだった。
ま、それはもういい。いつものことだ。いまさら言っても仕方ない。
そんなことより……。
これは夢か? 高埜が……高埜が俺の目のまえで笑って話している。千影と。でも、さっきは俺と話してくれた。あと心配もしてくれた。
それなのに、俺は高埜と会話をすることができない。言うまでもなく、緊張してる。さっきから心臓がドクンドクンうるさい。
しっかりしろ! 決めただろ、もう一度頑張るって! でも緊張するものは緊張する……。
『なあ、高埜。さっきなんの話してたんだ?』
と、これは俺じゃない。メイだ。メイが俺の声で高埜に話しかけたんだ。ナイスだメイ。
「そうそう! 聞いてよ鳳橋くんっ!」
机に手をついたかと思うと、高埜はズイっと身を乗りだしてきた。
「私ね、このあいだ自動販売機でジュース買ったの」
「お、おう?」
話が見えずに顔をしかめる。だからどうしたっていうんだ。
「あのさ、自動販売機に、ルーレットがついてるのってあるじゃない?」
「あ、ああ……」
たしかにあるな。数字がそろったらもう一本てやつ。
「あれがあったからね、本当にそろうのかなって思って、わたし試してみたの」
『そろったのか?』
またメイだ。
「うーん、当たったことは当たったんだけど……」
高埜は口をへの字に曲げたあと、ちょっと怒った顔つきになる。
「当たるまで三十本も買ったんだよ! 三千円以上の出費だよ! ほかにもお菓子とか買いたいものもあったのにぃ!」
本当に、心の底から悔しそうに言う高埜。そういえば、さっきそんなこと言ってたな。
「途中でやめりゃよかったろ」
だから、つい言ってしまったのだ。しかし自然に言うことができた。ナイスだ俺。
「なに言ってるのっ!」
すると高埜はまた怒ったような口調で言った。
「もしも数字がそろわなかったら、これは大変だよ! 詐欺だよ! なにかのインボーだよ!」
そう言う高埜は、さっき壇上であいさつしてた時とはまったく違う雰囲気だ。どっちにしてもかわいいけど。つーか、さっきもおなじこと言ってたな。なにかってなんだよ。とは言えずに、今度は言葉につまる俺。
「それでね、わたし、いまいっぱいジュース持ってるんだ。だからね、これは鳳橋くんにおすそ分け」
「……いいのか?」
「? もちろん」
……なんてことだ。
高埜が、高埜が俺にプレゼントをくれるなんて……。
感極まって泣きそうだ。うやうやしく、それはもう騎士が姫から剣を受け取るかのように恭しく、オレンジジュースを受け取る。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして! のどが乾いたら私に言ってね? まだジュースいっぱいあるから」
見ると、高埜の机の上には袋が置いてある。コンビニとかスーパーでもらえるようなアレだ。半透明だから中身も見える。その中にはジュースが入っているようだった。
「でも葵ちゃん、あれ私たちだけじゃ飲みきれないよ」
千影が言った。たしか、千影もさっき高埜からジュースを貰ってたな。たしかに俺たち三人だけじゃ……いや、ここは俺一人で飲み切れば、高埜の中で株が上がるんじゃないか? いやいや、そんなことはないかな。逆に卑しいやつとか思われそうだ。いやいやいや、高埜はそんなこと考えるやつじゃ……いやいやいやいや……。
とか考えていると、高埜は「それもそうだね」と言って、クラスに残っていた生徒たちにジュースを配り始めた。級友たちは首をかしげながらそれを受け取っている。そりゃそうだ。いきなりジュースの配布活動をされれば誰だってそうなる。俺だってそうなる。
しかし、対照的に高埜はまぶしいほどの笑顔。配り終えた彼女は満足した様子で戻ってきた。
高埜は一仕事終えたかのように額をぬぐう。……汗なんてかいてないのに。
「ようやく配り終わったよ。これで帰りは楽だ。ま、わたし車で送り迎えしてもらってるんだけどね」
言いながら肩を回して、あははと笑っている。なるほど。うちは車で送り迎えしてもらってる生徒も多そうだよな。
しかしあれを一人で持ち帰るのはきついだろうな。俺なら筋肉痛になりそうだ。千影なら平然と持ち歩きそうだけど。ゴリラだし。
「ふんっ!」
いきなり千影が攻撃してきた。俺は危うく躱す。恐ろしく速い手刀、俺でなきゃ見逃しちゃうね。
「なにすんだよ!」
「なにか失礼なこと考えてたわね?」
「……考えてないぞ」
考えてない、断じて。だって事実だもの。
「二人とも仲いいねー」
何気ない高埜の言葉が俺を傷つけた。片思いの相手からこんなことを言われれば落ちこんでしまう。
「べつに、ただの腐れ縁だから」
「そうそう」
千影が言ったので俺も便乗する。
「そういうところが仲いいと思うんだけどなぁ」
「葵ちゃん」
千影が言うと、高埜は口を尖らせて「分かったよ」と言った。……かわいい。
「もうバカなことしちゃダメだよ。私、いまジュースあんまり飲めないんだ。ダイエット中だから」
初耳だ。そんなに太ってるようには見えないけどな。……ひょっとして、さっき俺が痩せろって言ったのを気にしてるんだろうか? だとしたらすまんかった。
「失敬な! バカなことじゃないよ! 重要なことなんだから! だって、もしかしたらなにかの陰謀で、数字が揃わないようになってたらどうするの!」
「なにかってなに」
「学校が廃校の危機にあって、経費を稼ぐために数字が揃わないようにしてるとか! だから私はあんなにお金使っちゃったんだよ!」
「ねぇよ」
とまた、思わず言葉をはさんでしまった。でもまた自然に言えた。やればできるじゃん俺!
「どうして言い切れるのさ! あるかもしれないじゃん!」
「いや、さすがにそれは……」
「だったらさ!」
バンッと両手で机をたたき、ズイッと顔を近づける。ので、俺はまたひっくり返りそうになった。
「私に付き合ってよ! 鳳橋くんっ!」
……。
…………ゑ?
思考停止。高埜はいまなんて言った? 『私と付き合ってよ』? それってどういうアレだ? 付き合ってっていうのはつまり……そういうアレなのか?
なんてことだ。高校生活初日から俺の願いが叶ってしまうとは。勝った! 第三部完! これで俺は高埜と……。
「私、これから自動販売機でジュース買って何回目で当たるか確かめるから、付き合って!」
デスヨネー。まあ、知ってたよ。それでも高埜からのお誘いだ。断る理由なんてない。ないけど……き、緊張して言葉が出ない……。
『分かった。せっかくだし、付き合うよ』
急に俺の声が聞こえてきたので、ビックリした。な、なんだっ? いまの、まさかメイか? メイが俺の代わりに俺の声で喋ってくれたのか……。
「そうこなくっちゃ!」
高埜が嬉しそうに手を叩く。……笑顔がまぶしい。
「ね、千影ちゃんも……」
「ごめん。私パス」
キラキラした顔の高埜とは対照的に、千影は塩対応だった。
「えぇー。ねぇ、そんなこと言わずに……」
「ダーメ。私忙しいの。風紀委員に入ることにしたから」
「えぇ……似合わねー」
「ふんっ!」
直後、千影が攻撃を繰り出してきた。パンチだ。グーパンである。仮にも花の女子高生がグーパンしてきやがった!
「ぐえっ!?」
見事みぞおちにクリーンヒット。カエルみたいな声を出してしまった。
「な、なにしやがる……」
「あら、ごめんなさい。蚊がいたから」
千影はまったく申し訳なさそうに言う。声は平坦だし、目は虫を見るかのようだ。まったくなんて女だ。
「そういうことだから、ごめんね葵ちゃん」
「そっか……じゃあ、しょうがないね」
高埜は残念そうだ。
「鳳橋くん! 私たちだけでがんばろうね!」
「あ、ああ……そうだな……」
でも、なにを? と思ったが、そんなこと、もちろん訊けるはずもなかった。