第六章①
月曜日が街にやってきた。
はやくこの日が来てほしかったような、でも来なくてもいいような、そんな複雑な気分だ。緊張しているのである。
なぜなら……。
「なあ、今度の祭りだけどさ、一緒に行かないか?」
「え~。どうしようかぁ……?」
「べつに、二人でって言ってるわけじゃないぞ。俺のほかにもいる。男女四人ずつで行こうって話になってんだ」
「それなら私も行こうかな」
「なんだよ、俺とじゃいやだってのか?」
「そういうわけじゃないけどぉ~」
……このクソッタレの陽キャどもめ。そういう会話は日当たりの悪いジメジメ~っとしたところでやってろ。
それはともかく、祭りを一週間後にひかえ、クラスはその話題で持ちきりなのである。
もともと、この祭りは地域の人に鳳橋グループを身近に感じてもらおうとはじめられたものらしい。それを毎年行っていたら、いつの間にか恒例行事になったようだ。
俺はその祭りに、葵を誘おうとまえから思っていたわけだが、いざ誘うとなると、めちゃくちゃ緊張する。
でも、まだクラスに葵の姿は見えなかった。
「よう、なにソワソワしてるんだ?」
軽い声を放ってきた男がいた。ジャイアンの異名を持つわが友人、金剛だ。
「べつにソワソワなんてしてないぞ」
「そうか? さっきから、なんかせわしないぞ」
「そんなことない」
「じゃあ、その貧乏ゆすりはなんだ?」
そう言われて、初めて自分が体を揺らしていたことに気づいた。
「これはその……ただの癖だ」
「それはそれで問題だけどな」
金剛がすこし呆れた様子で言った。
千影だけじゃなくて、こいつにもいろいろ世話になったんだよな。
やっぱり、言っておかなきゃな。
「金剛、俺さ……」
「高埜さんを祭りに誘うんだろ?」
「……そうだけど、もう言ってあったか?」
「聞かなくても分かるっつうの」
「そ、そうか」
俺ってそんなに分かりやすいのか?
「ま、でもよかったよ」
金剛はちょっと笑ったみたいだ。
「まえにも言ったが、おまえがそう思えるだけでもずいぶんな進歩だ」
「悪かったな、ホント。いろいろ心配かけて」
「俺はいいけどよ。あんまり本城さんに心配かけんなよ」
そう言われて、思わず顔がほころんだ。千影にも、おなじことを言われたことがある。俺は本当に恵まれてるんだな。
「なんでそんなに千影を気にするんだ? まさか」
「あほ」
意味ありげな視線をむけると、金剛はあきれた顔になった。
「だれがあほなの?」
と、いきなり後ろから声が聞こえてきたので、びっくりして声を上げそうになった。
上げなかったのは、その声の主がだれなのかが分かったからだ。
「葵……」
「おはよう悠くん」
「おはよう……」
いきなりの天使降臨。葵は手を振ってあいさつしてくれる。……やっぱりかわいい。
「おはよう、高埜さん」
金剛が人懐っこい笑みで言うと、葵も「おはよう金剛くん」とあいさつを返したあとで言う。
「ねぇね、アホってなあに?」
「鳳橋の話だよ。祭りが楽しみすぎて、貧乏ゆすりをしてたんだ」
「うるせー」
その説明だと半分もあってない。それに、自分の家企画の祭りを俺が楽しみにしてるって、なんか変な感じになるだろ。第一、葵のまえでみっともないことを言わないでほしい。と抗議の目をむけようとしたとき、
「高埜さん。こいつ話があるらしいから、聞いてやってくれないか?」
「ちょ……」
いきなり言われて、俺は自分でも分かるくらい狼狽した。
いや、たしかに用事はあるんだけれども。そんな、まだ心の準備が……。これは非常にまずーいぞ。
「うん。いいけど……どうしたの、あらたまって」
「それは、その……」
突然のことに口ごもってしまう。どうしてくれる、と金剛を見るが、
「じゃあ、俺はこれから用事があるから」
あとは若い人同士で、とでも言いたげな様子で、さっさと教室を出て行ってしまった。
「お、おい!」
一度追いかけようと手を伸ばしかけるが、いや待てよと思いとどまる。よく考えろ、鳳橋悠。それはちょっと情けなさすぎやしないか?
どうせ誘うつもりだったんだ。これはチャンスだ。これを機に一気に誘え! 当たって砕けろダメでもともと!
「葵!」
「は、はいっ!」
俺が突然大声を出したからだろうか、葵は驚いたように背筋をピンと伸ばして答えた。
「あのさ!」
「う、うん!」
そこで一度言葉を区切る。いや、区切るつもりはなかったんだけど、つい……。だがここでヘタレるわけにはいかない。
ええいっ、ままよ!
「今度の祭り、俺と一緒に行かないか!?」
葵はちょっと黙った。その時間は、俺にとって永遠ともいえる時間だった。
「それは……千影ちゃんと三人でってこと?」
思わず、反射的にああと答えそうになった。ので、舌を噛んで無理やり中断する。めっちゃ痛い。ひりひりした舌のまま、俺は勢いに任せて言う!
「いや、違う! 俺と葵二人きりでだ!」
すると、葵は驚いたように目を見張った。
すこしの間、ぽかんと口を開けていたものの、すぐにいつもの天使のような笑みを浮かべる。
「うん。いいよ」
「え」
その言葉の意味を、とっさに理解することができなかった。
今度は俺がぽかんと口を開けてしまう。そんな俺を見て、葵はにこりと笑う。
「いいよ。行こっか、一緒に」
「……い、いいのか?」
「? ダメなの? 悠くんが誘ってくれたのに」
「い、いや! ダメじゃない、全然! 行く行く! 行こうぜ!」
慌ててブンブンと手を振る。ちっともダメじゃないです!
「そう? よかった。じゃあさ、待ち合わせの場所と時間はどうするの?」
「そうだなぁ……」
祭りは一週間後。正確には、今週の土曜日だ。祭り自体は午前中から始まるが、本番は午後、日が暮れてからだ。
「時間は午後四時、場所は……学校近くの噴水公園っていうのはどうかな」
ちょっと考えたが、結局そう答えた。
噴水公園……中学三年の夏休み。俺が、ずっと片思いの相手を待っていた場所。
あえて、そこを選んだ。
「うん。分かった」
葵は、またにこりと笑って答えた。
「楽しみにしてるね」
「あ、ああ……」
そう言って、葵はまた笑った。
なんだか、誘えたみたいだ。
……誘えたよな?
行くって、言ってくれたもんな。
それに、楽しみにしてるって、言ってくれたよな。
楽しみにしてるって。
葵が、俺と、一緒に、祭りに行くのを。
――よっしゃ。
心中でガッツポーズ。
「なにひとりでニヤついてんの? キモ」
ちょうど近くを通りがかったらしい千影の暴言は聞かなかったことにした。
それから俺は、いつもとおなじように過ごした。
いつもとおなじように学校へ行き、そこで葵と部活動をする。
なんの変化もなかったのだ。
金曜日……祭りの前日までは。
「ごめんね」
金曜日のHRまえ、葵が言った。
「私、明日のお祭り行けなくなっちゃった」
「え……?」
突然そう言われて、しかし俺は言葉の意味を理解することができなかった。
「用事ができたんだ」
葵は、なんでもないことみたいに、言うのだ。
「その日、うちに大切なお客さんが来るみたいで、私もご挨拶しなくちゃいけなくなったの。だから、私は行けません。本当にごめんなさい」
俺はその言葉を、どこか遠くに聞いていた。まるで、ここにいるけど、べつの場所にいるような、そんな変な感覚がした。
放課後になっても、俺はその感覚をぬぐえないでいた。
その日、どうやって学校で過ごしたのか、よく覚えていない。高埜は、HRが終わると、すぐに帰ってしまった。
千影は委員会、金剛は部活に行くため、俺は一人で帰路についていた。
「なあ、メイ」
呼びかけてみるが、どうでもいいときには、どうでもいいことをごちゃごちゃと言っていたくせに、いまはなにも返事をしてくれなかった。
スマホの画面を見ても、真っ暗で、なにも映ってはいない。
これからどうするか。
どうせ帰ってもすることはない。すこし散歩でもしてから帰るとするか。
適当に歩いて回ろうと思っていたんだが、俺の足は、自然とある場所へとむかっていた。
噴水公園。
中学三年生のとき、片思いの相手だった雨宮を待っていた場所。
そして、明日、葵と待ち合わせをするはずだった場所だ。
公園にはだれもいなかった。夕焼け空が妙に物悲しく感じる。
ちいさくため息をつく。意味もなくセンチメンタルになってしまった。
葵を見て、一目で好きになった。だから、もう一度頑張ってみようと思った。
それで、ようやく誘えたと思っていた。それなのに……。
今度は深くため息をつく。
なにをするでもなく、しばらくボーっとしていると、不意に誰かが近づいてくる気配がする。その人物は、俺のまえに足を止めた。
「……?」
顔を上げると、そこにはある人物が立っていた。
「ここにいらしたのですね」
黒髪のショートヘアー。小作りな顔に、フチなし眼鏡をかけた、メイド服を着た女性。この人は……。
「羽透さん」
葵の家にいたメイドさんだ。その格好でここまで来たのか……?
「なんだか、死にそうな顔をされていますね」
羽透さんは眼鏡の奥の切れ長の瞳を細めると、すこし呆れたような声を出した。
「……俺、そんな顔してます?」
「はい。死んだ魚のような目をしています」
たしかに、葵の話を聞いてから、俺は気が抜けてしまった。千影や金剛に心配されたような気がするが、それすらよく覚えていない。
「そんなことでは、あなたの周りの人たちまで気落ちしてしまいますよ」
「それは……すみません……」
たしかにそうかもしれない。
でも、どうして羽透さんがここにいるんだろう。
「そのご様子を見るに、姫さまから事情は聞いたようですね」
そう言われて、胸が締めつけられるような気持になった。
「姫さまは、お祭りには、行けません」
羽透さんは、一字一句、言い聞かせるように言った。
「大事な、お客さんが来る、って言ってましたけど……」
「ええ」
と言って目を伏せた。
「とても大切なお客様です。姫さまも、高埜家の長女として出席せよとの、ご当主様からのご命令です」
ご当主……つまり、葵の親父さん、ということだろうか。
「あの、そのお客さんのことなんですけど、その人が帰ったあとに出かけるってことはできないんですか?」
「不可能です」
羽透さんは切り捨てるように言った。
「その日は、一日屋敷にいるようにとのご命令ですので」
命令って……。
さっきも、父親からの言葉を〝命令〟と言っていた。なんだか、ひどく冷たい言いかただ。
「あの」
「なんとおっしゃろうと、無理なものは無理ですよ」
俺の言葉を先取りするように、羽透さんが言った。
「……そんなに、命令っていうのが大切なんですか?」
「当然です」
そう言って、羽透さんは切れ長の瞳を細める。
「高埜家において、ご当主様のご命令は絶対。なによりも優先されるべきものですので」
この間家に行ったとき、葵もおなじことを言ってたな。俺がまだ納得していないのを察したのだろうか、羽透さんはちょっとため息をついて続ける。
「高埜家……姫さまの曾おじい様は、旧清華家当主であり、〝侯爵〟の爵位を持っておられました。明治維新後に作られた〝新華族〟ではなく、千年の歴史を誇る〝旧華族〟の名家です。
したがって、姫さまも高埜家にふさわしい人間になっていただくために、幼いころより様々な教育が施されました。それは勉学や運動に限った話ではありません。今回の件も、その一環なのです」
そういえば、まえに葵から聞いたことがあったっけ。
昔から、いろいろ教えられてきたから、と。いま思えば、あのときの葵の目はどこか遠くを見ていた気がする。
「高埜家には、多くの先達の方々が築き上げてきた千年分の〝しきたり〟が存在します。それは、決して外部の方には見えず、また理解もできないでしょう。そういうことですので、今回は諦めてください」
羽透さんには、撮りつく島もなかった。
でも……。
「羽透さん。あなた、どうしてここに来たんですか? いったい、なんのために……」
すると、羽透さんはちょっと黙った。それから、ふっと笑う。
「私は、ただ話をしに来ただけですよ」
「話?」
「最近の姫さまは、本当に楽しそうでした。あんなに楽しそうに、学校でのことを話す姫さまは初めてです。あなたと会ってからですよ。だから、せめて事情くらいは話しておいたほうがいいと思いましてね」
そこで一度言葉を区切ると、今度は至極まじめな表情になる。
「姫さまは、幼いころより様々な教育を受け、行動を制限されてきました。だから、外で受ける刺激は、とても魅力的なものだったのだと思います。
ここ最近の姫さまは、本当に幸せそうでした。鳳橋悠さん、ありがとうございます。お礼を申し上げたいと思い、ここまで来た次第です」
羽透さんは、きれいにお辞儀をした。
彼女の言葉はどこまでも真摯なもので、心から葵のことを考えていることが伝わってきた。だから、気になって訊いた。
「羽透さんは、それでもいいんですか? 葵は、俺といるとき、とても楽しそうに笑ってくれました。だから俺も楽しかった。なのに……」
「当然です」
羽透さんは、また切り捨てるみたいな口調で言った。
「わが羽透家は、千年も昔から高埜家にお仕えしてきたのです。たとえどんなものであれ、ご当主様のご命令とあらば従うのみ」
能面みたいな顔で言ってから、口元をすこしだけ緩めた。
「では、失礼いたします」
またきれいにお辞儀をして、彼女は静かに立ち去った。
だが、俺にはまるで現実味がない。ただ、そこでじっと座っていることしかできないでいた。
目を覚ましたとき、時刻はすでに正午になろうとしていた。
昨日、ベッドに入ったはいいものの、なかなか寝付くことができず、寝てはおきてを繰りかえしていたら、こんな時間になってしまった。
まあいいか。どうせ姉貴は今日も仕事だし、第一、今日は休日だからな。
そう、今日は休日だ。ずっと楽しみにしていたはずの、休日。
でも……。
「葵はさ、用事があるらしくて、今日来れなくなったらしいんだ」
「ふーん」
「なんか、大事なお客さんだから、葵もあいさつしないといけないらしい」
「そう」
「それをさ、父親からの命令だって言うんだ。なんか、冷たい話だよな」
「へー」
「こういう時に限って、メイはなにも言わないし……っていうか、昨日から全然応答がないんだ」
「ほー」
「……聞いてるのか?」
さっきからから返事ばかりなので、ちょっとムッとして訊く。
「聞いてる」
すると千影は、読んでいたファッション誌から顔を上げて、不愉快そうな声を出した。
いつもはサイドテールにした髪を、いまは一束にまとめて肩から垂らしていた。ベッドに腰かけて足を組み、俺をうっとうしそうに見てくる。
「ドタキャンされたんでしょ?」
身もふたもない言いかたをしたかと思うと、今度はあきれたような口調で続ける。
「ねえ、あんたなにしに来たの?」
「それは……」
俺は言葉に詰まった。
なにを、と言われると、ちょっと困る。葵と約束をしていた土曜日、俺はいま、千影の部屋にいた。
「葵ちゃんが来れなくなったのは分かったけど、私のとこに来る理由が分かんないんだけど」
「だからそれは……」
「それは? なに?」
しかし、答えられずにまた言葉に詰まった。
「じゃあ、私と行く……?」
予想外の言葉に、俺は顔を上げて千影を見た。
しかし、その顔は雑誌で隠れていて、見ることはできなかった。
「それは……」
千影と一緒に祭りに。考えてもないことだった。それもいいかもしれない。気心も知れてるから、気を遣わなくていいし。
でも、俺は……。
千影は深くため息をつくと、雑誌を閉じて足を組み替える。
「頑張ってみるとか言っておいて、その程度なの?」
「だって……しょうがないだろ。家の事情で来れないって言うんだから……」
「だから、じゃあなんでここに来たのよ」
また答えられずにいると、千影は「あーもうっ!」と言って頭をかいた。
「あんた、私になんて言ってほしいの? 『あんたは悪くない』とでも言ってほしいの? いったい、私にどうしろっていうのよ!」
「べつに。俺はただ……」
「ただ? ただなんだっていうのよ! なんでさっきからそんなに煮え切らないの!?」
「お、怒らなくったっていいだろ!? 俺はただ、話を聞いてもらおうと……」
俺は、最後までしゃべることはできなかった。
俺がしゃべり終えるまえに、それを遮るように、
「うるっせぇえええええええええええええええええええええええええええええっっ‼」
千影の感情が爆発する。言葉と同時、顔面になにかものすごい衝撃が与えられた。ものすごすぎて、俺は子供みたいに吹っ飛んでドアに激突、それを軽々とぶち壊してしまう。
な、なんだ……? なにが起きた?
混乱する頭で顔を触ると、鼻の感覚がない。代わりに、手のひらには赤い液体がついていた。これは、血か? ということは、俺は顔面を殴られた、ということだろうか。
と、ようやくそこまで考えがいたったところで、千影は俺に詰めよると力任せに胸ぐらをつかんできた。
「いい加減にしなさいよあんた! さっきから黙って聞いてればウジウジウジウジなに言ってんの!? ああきっもい! ホントきっもい! 昔っから困ったときだけ私のとこに来て! そのくせ本音なんて言いやしない! 私はあんたのなんなのよ! いまだってそう! あんたが言ってるのは全部いいわけじゃない! あんたはどうしたいのよ! 葵ちゃんが好きじゃないの!? 一緒にいたくないの!? だったら本人に言えばいいじゃない! こんなところでウジウジしてたって、どうにもならないのよばーーーーーーーーーーーーーーかっっ‼」
頭をガツンと殴られたみたいな、強い衝撃に襲われた。いや、実際殴られたわけだけど、そういうアレじゃなくて、比喩的な意味で。
俺は立ち上がって、千影をじっと見る。
「な、なによ……」
不審な目をむけ、半歩下がった千影に、俺はニッと笑う。
「千影。俺、行ってくるよ」
俺の言葉に、千影はほんのすこしだけ驚いたようだった。
「いろいろ言われて、スッキリした。これから葵と会って、もう一度誘ってみるよ」
スマホで時間を確認すると、時刻は三時過ぎだった。
よし、行くか! と、そのまえに。
「千影、ありがとな」
「え……?」
「いつも助けてくれて、ホントありがとな」
俺は走りだす。
目的地は、たった一つだ。




