3話
隆はその時、非常に困っていた。隆の目の前には先ほど宅配ボックスから取り出した荷物がある。隆は実家から仕送りが届いたと浮かれながら開けたのだが、その中身はなんと大量のBL小説だったのだ。隆は買った覚えも送られる覚えもないその大量の本を見て動揺を隠せない。身体を強張らせていた隆は、ハッとして恐る恐る荷物の宛名を確認する。……おのれ運送屋! と隆はどこにも当たれない怒りを露わにした。宛名は自分の隣の部屋が書かれていた。宛名を見ずに開けた自分も自分だが、宛名をよく確認せず突っ込む運送屋もどうなのだ。
傍から見れば責任転嫁に見えるが、隆にとっては由々しき事態である。隣の住人の田村とはほとんど面識がない。たまにこのアパートの廊下ですれ違う程度で、挨拶すらしたことがない。その理由は、田村の見た目にある。田村は特別不細工な見た目をしているわけではないが、特別可愛い見た目をしているわけでもない。どちらかといえば地味な見た目をしている。だが問題は、それに加えて髪を恐ろしく伸ばしていることにある。末広がりで腰を覆うウェーブというよりもさざ波の後ろ髪、前髪は顔を包むように目にかかるまで伸びている。隆にはそれがまるで某ホラー映画の幽霊に見えるのだ。ホラー映画の苦手な隆が苦手意識を持つのに十分すぎる理由になった。
しかし、どう転んでもこの大量の本を自室に置いておくわけにはいかない。怒りを収めた隆は荷物を前で胡坐をかいて真剣に悩んだ。荷物を一度開けてしまっているのは、ガムテープを貼り直すしかない。あとは向こうの宅配ボックスに素知らぬ振りして入れておけば、多少怪しむかもしれないが、こちらに聞きに来るほどのことはしないはずだ。よし、そうしよう。思い立ったが吉日とばかりに隆は段ボールのガムテープ――極力跡を合わせるようにして――を貼り、荷物を運ぶために玄関を開けた。
隆はこの時、非常に困っていた。開けた矢先で鉢合わせしたのは、空の宅配ボックスを凝視している隣人の姿。実際に凝視しているのかは隆の視点からは分からない。だが、宅配ボックスに座り込んでいる姿がそう映った。どうしようか一旦戻ろうかいやそれよりもなんていやいやそんなことより。隆が次の行動の脳内会議を始める前に、隣人が隆を見た。隆は息をのむ。視線に全身の意識が集中し、手への力が一瞬抜けていくと同時に、手に感じていた重みも抜け落ちていった。
どすん、という重い音とともに段ボールが廊下に落ちた。ハッとした時には時すでに遅し。隆と田村の視線が段ボールに向かう。しばしの沈黙。先に動いたのは田村の方だった。田村はおもむろに段ボールを抱えると、隆に向かって何度も深々とお辞儀をする。隆もそれにつられて、すみませんすみません、と何度もお辞儀を返す。何度かのお辞儀の応酬のあと、隆はふと乱れ切った髪の間から田村の耳が真っ赤に染まっていることに気付いた。この人も恥ずかしがったりするんだな、と隆は不思議な親近感を覚えた。隆は小さく笑顔になると、田村との目がかち合う。普段は隠れている目が乱れた髪の間から覗いてくる。隆の心臓が、跳ねた。意図せず隆の耳を真っ赤に染まる。しかし、そんな些細なことに気付かなかった田村は最後に深々と頭を下げると、自室に戻っていった。それをどこか虚ろ気に見送った隆は、次からちゃんと挨拶しよう、と決心するのだった。