第六話 クリスティーナ・ルセーヌ・ルブラン
一歩踏み入った最初の感想は、
「すげぇ……」
だった。
エルフたちが住む国パトリフィアは、国全体が強固な壁に囲まれた国で、門を通ってすぐの所から最北にあるという城が見えるため、国土としてはそこまで広くはないだろう。
内壁に沿った国の外側の方は田畑や民家が多く、城に近づくにつれて商店街が広がっていて活気づいているようだ。
「ようこそ、パトリフィアへ! と言ってもフレシアさんは母国ですし、ほかのお二人……おっと失敬、あなたは初めてでしたっけ、アルシオンさん」
「アルで結構だ。 それと、そろそろちゃんと話してくれないか? なんで俺たちのことを知ってたのか、なんで今もアイツが見えるのか、そもそもお前は誰なのか」
アイツとはもちろんヴェネットのこと。
謎の光による神隠し一切無しの全裸幼女幽霊と化した彼女を、一エルフが何ではっきりと視認できているのか。
俺たちは初見にも関わらず、向こうは何故知っていたのか。
ちゃんと教えてもらわないといけないからな。
「まあまあ、慌てなくてもちゃんと話しますよ。ひとまずここに入って下さい」
そう言って彼(?)が指し示したのは、十人ほどで定員オーバーになりそうなほど小さな小屋。
門から続く広いあぜ道を、数分歩いたところにある小屋だ。
屋根や壁の一部の木材が、シロアリに喰われたかのようにスカスカだ。
扉の錠は錆びてはいるが、鍵をかけられないほどでもないので、彼(?)に借りたものを使って中に入る。
小屋の中はちょっとした小窓以外、何にもないうえに少し暗い。
こんなところに何があるというんだ、と問おうとする前に、彼(?)は唐突にしゃがんだ。
「確かこの辺に……あった!」
ガコン、という音を立てて開いたのは、床下に隠された通路だった。
蓋は床の木材風にカモフラージュされていて、よくよく見ると指を引っ掛けられる程度に蓋が加工されていた。
「この道を行った先にあたしの隠れ家があるわ。そこできちんと話すわよ。さ、付いてきて」
石を丁寧に削って作られた階段を、彼(?)は先陣を切って下り、すぐ見える長い通路を歩き出した。
俺とフレシア、そして霊体のヴェネットも、おそるおそる彼(?)の後を辿っていく。
道中に等間隔の位置で灯っているカンテラが二十個を数えた頃、ようやく彼(?)に追いつき、ついでに行き止まりにぶつかった。
そこには人一人通れるだけの大きな扉があった。
小屋にあったものと違い、施錠のしくみも単純に扉の手入れ具合もこちらの方が真新しい。
「さあここが、あたしの隠れ家よ!」
フック状のドアノブを傾け、彼(?)がゆっくりと開けたその扉の向こうには────
────大量の衣装が並べられていた。
「お、おおぉ…………」
もうちょっとメカメカしかったり、ハードボイルド感ある部屋を何となく想像していたため、これには面を食らった。
派手めな内装の広い部屋に、キャスター付きのドレッサーの一つ一つにつき、それぞれ十数着の女物を中心とした様々な衣服が所狭しと並んでいるのだ。
ドレスはもちろん、俺がどっかで見たことあるような学校の制服や、職業ごとに決められた制服、ネタだろうけど股に白鳥の頭があるバレリーナの衣装とか、頭まで覆う真っ黒全身タイツなど、多種多様すぎて目が競泳選手並に泳ぎまくる。
フレシアとヴェネットも、この光景には口と目を開けずにはいられないようだ。
「まあ見ての通りここは衣装室。あの階段の上が普段住んでるところよ」
彼(?)指で指し示したのは、部屋の中央から天井に向かって伸びている螺旋階段。
少しだけ開いている隙間からは、繋がった先の部屋の白い天井を望むことができた。
衣装の壁を掻き分けて進む彼(?)に俺たちも続き、真っ赤な螺旋階段を登ると、そこは窓から光が差し込んでいる、壁や天井が白い生活感のある部屋。
中央には見たことない模様のモノクロの絨毯が敷かれ、その上に座面の柔らかそうなソファが向かい合っていて、間に低いテーブルが置かれている。
壁際には小物や文庫サイズの本が置かれた戸棚や、青々とした観葉植物、ダイヤル式の電話のようなものが置かれ、その一角には玄関と思しきスペースと、大きめの靴棚が置かれていた。
螺旋階段はここで止まっているが、それとは別の普通の階段が二階と思われる場所に繋がっている。が、今はそんなことはどうでもいい。
「そんな警戒しなくていいわよ。ささ、座って座って」
彼(?)に促されるままに、俺たちは一人用のソファに腰掛けた。
ヴェネットはソファの肘掛けの間を陣取り、うつ伏せで腕を組んだまま俺たちを見下ろしていた。
彼(?)も向かいの三人ほど座れそうなソファに腰掛け、膝を交わらせ、ふぅとため息を吐いてその爽やかな表情が曇り始めた頃、ようやく口を開いた。
「────で、何のことだっけ?」
ズコー
オノマトペとしては拍子抜けなほど、蹴り飛ばす勢いでソファから前方に滑落した。
フレシアは、女の子の姿勢としてはあってはならないほど股を開いた格好で刮目していて、ヴェネットは空中で何度も開脚後転を繰り返している。
「おいおいおいそりゃないだろ……ほんの数分前のことだぞ……」
「ああ、そうだったねーごめんごめん。忘れっぽくて……」
彼(?)は恥ずかしそうに後頭部を掻きながら、少しだけ舌を出した。
その表情はいくらイケメンの顔でやっても、男目線からすると気持ち悪いので、俺はどうしても受け入れられなかった。
ひとまずおっぴろげ状態のフレシア共々ソファに座り直し、彼(?)の言葉に耳を傾ける。
「まずはあたしのことをちゃんと話さなきゃね。ヴェネットはそろそろ思い出しなさいよ。何故ならあたしは────」
言いながら、彼(?)は右手で自らの顔を思い切り掴んだ。
その際、握った指に沿って顔全体にシワがより、声もハスキーなものより更に高い女の子のそれになった。
そしてビリビリと破ける音を奏でながら、彼の顔を型どった布のようなものが、髪の毛ごと右手で剥ぎ取られた。
剥ぎ取ったそれを横に置いて、襟の中に隠していた長髪をバサッと広げてから首を振って、
「ふぅ────あんたの幼なじみなんだから!」
彼女は、口を開いた。
「あああああああああああああっ!」
「うるさいぞヴェネット!」
俺は奇声を発している幽霊を一喝した。
マジでうるさい。耳元だから尚更。
「いやいや、私はてっきり私以外全員殺されたとばかり……」
「あーもう失礼しちゃう。あたしはあの戦火の中を必死に逃げて来たっていうのに。大変だったんだからね」
「クリス…………クリスだ……ホントにクリスなの…………!」
「クリス『お姉ちゃん』、でしょ?」
「お姉ちゃあああああああああああああんっっ!」
あの生意気で身勝手でウブで一途でチョロいヴェネットが、某アニメ映画を彷彿とさせる号泣を披露しつつ、飛び掛るような格好で(重力を感じない霊体状態だからかも)、クリスと呼ばれた彼女に抱きついていた。
「よしよし、いい子にしてたかな?」
「うん!」
抱きつかれながら頭を撫でるクリスと、それを満面の笑みで喜んで受けているヴェネット。
この絵面は幼なじみとか姉妹とかより、母娘と言われた方がしっくり来る。
ほとんど幼児体型のヴェネットに比べてクリスは、横でもらい泣きしているフレシアより控え目とはいえ、それでも随分と大人びた体格の持ち主だ。
幼なじみなのに『お姉ちゃん』と呼ばせるあたり、クリスの歳は大体十二、三歳と見た。
男に化けることができてしかも堂々としていたことから、それなりに肝は据わっているはずだ。
その若さであんな大それたことが出来る度胸、俺も少しは見習うべきだろうな。
それにしても…………。
「ほらほらもう泣かないの。ヴェネットったら、昔っから変わらないんだから」
「だって……だってぇ…………」
いつまで続くんだ、あの茶番は。
実像と虚像とじゃ触れ合えないのはヴェネット、お前が言ったんだろうが……!
◇ ◇ ◇
「えーというわけで、このスレンダーぺちゃパイガリガリロン毛の貧血ババアことお姉ちゃんのいったああああああい!」
「いやいやごめんねー。このクソ生意気な妹っぽいツラした鬼畜生で幼児体型の精神年齢三歳児が世話焼いたみたいで」
「あ、頭が……頭があああああああああああああ!!」
「ハ……ハハ…………」
改めての自己紹介をしようとした矢先に、仮面を取って元に戻ったヴェネットが彼女に対し、やけに言い慣れた罵倒をドヤ顔で言った後、目が笑ってない笑顔の彼女に頭頂部をアイアンクローされつつ罵られている、という地獄絵図である。
もう何を言えばいいか分からない俺が、無意識的にしていたのは苦笑いだった。
数年か数日かは知らんが、感動の再会的な一幕の後で、よくそんなに割と的を得た罵倒が出来るなと思うわ。
「……反省する?」
「しますします! するからぁあああああああああ!」
「ホントにぃ?」
「するから……お願い……」
嘘泣きだな。俺でも分かるぞ。
涙目で訴えるヴェネットに、彼女は天使のような微笑みで、
「よし。じゃあそこに正座してね。あ、爪先重ねるのNGだから」
「鬼いいいいいいいいいい!!」
悪魔のささやきのような命令を淡々と吐き捨てるのであった。
こんだけ叫んで近所迷惑を理由に、他のエルフが押しかけてこないのが逆に不思議だ。
原因は謎だが変に質が高いこの家の防音効果に感謝しつつ、結局しおらしくなって素直に床に正座したヴェネットを、視界の外に弾き出してから、俺は改めて『お姉ちゃん』をガン見────いや、注視した。
恐らく彼女も俺より若い。そう思いたいが、それでもなお同い年なのではと思わせられるほどに、彼女からは大人びた謎の魅力を感じられる。
座っていてもフレシアよりは等身は低く見えるが、比較的脚の方が長いからそう見えるのかもしれない。
加えて、今彼女が着ているものはヴェネットとほぼ同じ、頭と顔と身体の一部を覆わない全身タイツみたいなもの。
色も黒と同じだが、唯一の違いはヒールの高さ。
二人が着てる謎タイツは、脚の部分だけがタイツとブーツが合わさったような構造をしていて、ヴェネットはローファー程度の、彼女の場合はハイヒール並みのヒールがあるのだ。
今座りながら交差しているそのハイヒール状の脚が、昔見ていたバラエティ番組でスーツ姿のセクシー女優が時たまやる、パンチラ防止のために肌色ストッキングを纏った脚を交差して履いている艶めいたハイヒールにそそられた記憶を────想起する前に、今横で足が痺れて苦悶の表情もとい顔芸を浮かべている幼児体型ガールを見て、本能を鎮めた。
続いて目を向けたのは顔である。
黒髪で肌は真っ白、唇は真紅に染まっている点はヴェネットとも同じ。
違いはその髪が腰まで届く程の長髪で、目と眉が少し細くて鼻が高く、輪郭がシャープで整った顔立ちをしている。
また、今俺のことをウフフと妖艶な笑みを浮かべている顔で、一番変化があるのは口角が上がっている唇だが、タラコっぽいヴェネットよりは薄く、口裂け女の普段の笑い方と言われても気づかないかもしれない。そもそもそんな可能性ないけど。
「あっれぇ〜さっきからずっとあたしのこと見てますけど、もしかして惚れた? 惚れたぁ?」
煽りタイム襲来。
「そ、そんなんじゃねえっての。つーかそろそろ名乗れよ。君ともあんたとも呼びにくいし、何より待ちくたびれたわ」
っ、不覚! まさか自分の口でツンデレ常套句を言わされようとは!
とはいえ本当に名前も知らないままでは、これ以上会話を持たせられる自信が無い。
そろそろ個人的に痺れを切らす頃なので、一か八か切り出してみた。
すると、タイツに包まれた長細い右手の指先で髪の毛をくしゃくしゃにしつつ、半ば呆れたような様子を見せた後、ソファの背もたれに寄っかかってふんぞり返りながら言った。
「分かったわ。言うわよ。……あたしの名前はクリスティーナ・ルセーヌ・ルブラン。クリスでいいわ。よろしくね」
最後に握手を誘うように右手を差し出してきたので、俺はそれに応じた。
と、突然右手をグイッと強く引っ張られ、俺は間のテーブルの角にスネを打ち付けた。
が、その痛みに顔が渋るより先に、俺はクリスに大胆にも首に腕を回されつつキスをしていたのだ。
声を出そうにもマウストゥマウス故に声にすらならず、舌を頻繁に絡めてくるので息が詰まりそうだ。
彼女がふと横に目を向けたので俺もそれに倣うと、つま先の方を少しうっ血させながら、足の痺れに耐えている+熱烈なキスを目の前にしての驚嘆、そして憤怒に満ちたこの世のものとは思えない表情をしている十歳児の幼女がいた。
「どうよ!」と言いたげな顔で舌なめずりを続けるクリスに呆れつつ、俺はヴェネットの方を見るのを躊躇って、そろそろいいだろと、空いた左手でクリスを突き放した。
互いの口から糸を引いて溢れ出した唾液が、更なる背徳感を醸し出している。
「あーんもうっ、これからだったのにぃ……」
「勝手にやっといてそりゃねーよ! びっくりしたわ!」
これから先、こんなキス魔ともやんなきゃいけないのかと思うと、なんだか心身共に萎えてしまう。
ふと気づいた。こんだけディープにやったのに、クリスが仮面にならない……だと……!?
そのことに気づいた俺があからさまに目の色が変わったことを読んだのか、またしても悪戯な上目遣いでクリスが見上げてくる。
「大丈夫。スプリガン同士のキスなら、その《魂魄の仮面》の力は働かないわ。まあ、あたしのもだけど」
「ど、どういう事だよそれ!」
「あ、ちゃんと説明してなかったのね、ヴェネット。……ああ、もうそろそろいいわね。はい」
パンッ、とクリスが柏手を打って合図を送ると、限界近そうな表情のヴェネットが、緊張が解けたのか一気に横に崩れ落ちた。
「あ、脚が……足裏の感触が…………ない…………」
「まあドンマイ」
その辛さは俺も分かるが、正座の理由は自業自得なヴェネットに同情の余地はほんの僅かしかない。
適当に相槌を打って、俺は話を続けた。
「ヴェネット。もう少しこの能力について、踏み込んだことを教えてくれ。俺は仮面の作り方と人格入れ替えの方法しか聞いてないぞ。キスの相手の条件とか、他にも似たような奴がいるだとか、全くもって知らなかったんだが」
「そ、そうね…………まず、は、足首、を、マッサージ、しないと」
一歩ずつまるでロボットのように力強く床を踏みしめながら、ヴェネットはひとまずフレシアが座っていたソファに腰掛けると、回したり曲げたりを繰り返しながら、うっ血が引くまで足首を動かしていた。
割とすぐに治ったようで、すかさずクリスの横に座り直すと、最初にとんでもないことを切り出した。
「私達、スプリガンの中でも特別な能力を持ってるのよ」
ご一読くださり誠にありがとうございます。
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