第五十八話 落胤と嫡子と卸売市場と(ヴェネットside)
アナスタシアは話す。
「外から来られた人達はみんな『聞いていた話と違う』と言って、数日で諦めて出ていってしまうの。その理由は、外を見れば分かるわ」
言いながら、彼女は外の景色に目を向けた。ヴェネットもそれに倣って────しかしクリスとは反対の窓から外を見る。
そこには、入国前には予想だにしない光景が広がっていた。
「これは…………」
「……虚しいわね」
二人は入国するまで、中の様子については、殆どの国民が様々な魔法を操り、生活に取り入れながら日々の暮らしを豊かに過ごしているものだと思っていた。
だが目の前に見える国民の様子は、豊かさとは程遠いくらい貧相な暮らしぶりをしている。
国土の大半が山の斜面となっており、それを大胆に平坦な土地に均した場所が、さしずめ棚田のような段々とした構造で、頂上に向かって伸びている山道に沿って点在しており、人々はその平地で暮らしていた。
山道には一定の間隔で煉瓦を積んだアーチが建っており、地面も丁寧な整地を施されてはいるものの、人々の住む平地は岩盤が剥き出しの不毛地帯で、そこに布切れ一枚のテントがいくつも並んだ集落となっている。
ヴェネットたちの目に映る人々だけでも、満足に食事を取れていないような痩身の大人が多く、ましてや今にも餓死してしまいそうな子供達も見られた。またやはりと言うべきか、明らかな殺人はないにしても、身に余る暴力や狡猾な窃盗など、少し視線を移すだけですぐ目につく程度には治安が悪い。
今ここで仮面を被って、ウルティアにこの光景を見せるわけにはいかないと、ヴェネットは深く肝に銘じた。
「…………見ての通り、この国はとても異常よ。苛烈なまでに強いられる魔法至上主義のもと、国民は二分されてしまったわ。すぐ外で暮らしている彼らは、元々魔法の素養がない、もしくは素養があっても魔本が読めないからと、学院を退学させられた者達からなる国民達で、学院では皮肉を込めて【魔法の落胤】と呼ばれているわ。逆に現役の学院生の中で、特に優れた才能を開花させた者達は【魔法の嫡子】と呼ばれ、国から優秀な人材として重宝されて、いずれは国の中枢で働くことになる者達。故に学院生達は、退学処分の末にノートスになるのを嫌い、プアースとして認められるための勉強に固執するようになったの。そうすれば裕福な暮らしも担保されて、一生を安泰して過ごせる。そう信じている生徒達が余りにも多い現状が、私にはとても…………」
アナスタシアは、俯いた姿勢になって両手で顔を隠す。
話を聞いた二人は、すぐには声を出すことができず呆然と外を眺めていた。馬車が山道を登っていく度に、何人かのノートス達がこちらを見つめ、ある者は陰鬱な態度を取り、またある者は怯え震えている。
「ここだけの話で恐縮だけど、今の魔術学院は、私の知らないところで何かしらの陰謀が渦巻いている気がするの。中でも特にプアースの生徒達は、試験での成績が筆記も実技も優秀な代わりに、一般の学院生達に対するいじめや嫌がらせをしているという報告が、ある時期から格段に増えているわ。もちろん、教員の方々が見つけて対処した事例も多いけど、まだまだ取りこぼされたものも少なくない。もっと根深いところまで調べたいけれど、私の立場上、表立って行動していると却って目立つから警戒されるかもしれないの」
頬杖を解いたクリスは、気だるそうに溜息を吐いて呟く。
「……物理的に貧しいか、精神的に貧しいか……【貧民】とはよく言ったものね。笑い草だわ」
「ちょっ、クリス! いくらなんでもそんな言い草はないでしょ!」
「思ったことを口にしただけよ。なんてみみっちい国民性なんだなぁと思ってね」
「だーかーらー! 一言どころか発言そのものが余計なの! アナスタシアさんの気持ちも考えなさいよ! この人が今までどんな風に────!」
情が薄い故に淡々と話すクリスに対し、情に厚い故に感情的になったヴェネットが詰め寄ろうとする。
だが、あわや襟首を掴みにかかるかと思われた彼女を鎮めたのは、すんでのところで顔の前に腕を突き出したアナスタシアだった。
「良いのよヴェネットさん。元はと言えば、私が不甲斐ないからよ。学院内の事情なのに、学院の外の人に問題を報告しても意味ないわね。今度、短期留学に来られるという隣国のお姫様なら何とか…………いえ、過度な期待はよしましょう。ごめんなさいね、辛気臭い話に付き合わせちゃって」
「い、いえいえどうぞお構いなく! こちらこそ、乗せて貰えてるだけで感謝感激ですよ! 流石にあの行列に並んだ上でこの傾斜の坂道は、どうしたって身体がもちませんし……」
ヴェネットは手振りで謙遜しながらも外を流し目で見るが、抉り取られたような山肌の平地からほぼ垂直に伸びる崖の上にある山道を現在進行形で通っており、そのあまりの高低差に息を呑んだ。山道は平地の空間を避けるように、右に左にと大胆に曲がりながら上へと伸びているため、時折遠心力で左右に揺られることが多くなっている。
「今下に見えているのが、ノートスの方々が住む平地で最も広い場所よ。その分この道の傾斜も凄まじいのだけど、引いてくれている二頭の【無垢馬】がいるから大丈夫。私が魔力を与える限り、地面に沿って浮遊しながら駆けてくれるわ。本当は直接飛んでいっても良かったのだけれど、あれだけ注目を浴びちゃったし面倒事は避けないと」
馬車も山道に沿って傾いており、当たり前だが中に座る三人も、その影響を大いに受けている。特に、後ろ向きに座っているヴェネットとクリスは、背もたれが進行方向である前側のため、ほとんど下を見下ろすような体勢になっているが、特別落ちてくるような気配はない。
「あ、そうそう。そういえば、まだあなた達の名前しか聞いてなかったわね。やだもう私ばっかり喋っちゃって。本当にごめんねぇ、ついうっかり」
「はぁーっ。やーっと本題に入れそうね。んー……はぁっ。流石に肩が凝ってきたわ」
「あたしが言えた口じゃないけど、クリスも大概人の話はちゃんと聞くべきだし、礼儀はしっかりするべきよ」
「ホントにどの口が言ってるんだか」
頬杖のまま大きな溜息を吐いた後に背伸びをし、退屈そうなクリスにヴェネットは釘を刺した。
「で、どうなの? こんな辺鄙なところまで、一体どういうご用件かしら?」
「それなんですが…………ここで見た事を口外しない前提でなら話しますが、よろしいですか?」
「え、ええ……分かったわ」
「では、遠慮なく」
(私も、そろそろ会話に混ざりたいと思っていました。それに、言いたいこともいっぱいありますし)
アナスタシアに断りを入れてから、懐から取り出した仮面をヴェネットは被った。
音もなく顔に密着すると、その変化は瞬きする間もなく一瞬で完了する。
黒いショートカットの髪は、ウェーブのかかった金色のセミロングに。真っ白い肌は、やや血色のこもった明るいものに。ふっくらした輪郭の大人びた顔は、少しシャープになった子供じみたものに。成長期の育ち盛りな膨らみとささやかな括れを併せ持つ胴体は、着ている穴あき全身タイツ含めてあまり変わらないが、心做しか変身前よりは身体の線がよく分かりやすい。
そうして、一人の小柄なスプリガンはそこにはもうおらず、歳相応の好奇心旺盛な感情が、真面目に繕おうとしている表情から隠しきれていないエルフの少女が現れた。
「お初にお目にかかります。私は隣国のパトリフィアより短期留学に参りました、第二王女のウルティア・ラ・パトリフィアと申します。学院長アナスタシア様。まずは同道していた従者達の非礼を詫びさせてください。この度はお二方がご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ございませんでした」
謝罪の勢いで頭を下げて、そこで繕っていた表情をかなぐり捨てて、両手で顔を覆った。
──もう! お二人がもう少し真面目に話を聞いて下さっていたら、こんな事しなくて済みましたのに! 我ながらなんと情けない……。
顔だけは隠したものの身体は正直で、感情が溢れ出てしまいうつ伏せた姿勢のまま身悶えてしまっている。これには先の詫びの言葉もあって、視線を外から中に戻していたクリスの顔も渋る。
ちなみに、魂魄の仮面を装着したことで霊体化したヴェネットは、瑞樹と違って物理的な干渉をする手段を持たない故に馬車にしがみつけず、霊体行動範囲の限界である見えない壁に全身を押し付けられた状態でいる。女性にあるまじき凄まじい顔をしているが、それを見ている人が今いないことがせめてもの救いか。
「あなたが……いや貴方様が、我が校に来られるという隣国のお姫様でしたか! お噂はかねがね……どころか話に聞くよりも聡明で、なんとご立派なことでしょう。というか、その変身はどういった魔法なのでしょう? 【十三の魔導書】の中では、【イゲオルムの正典】の【エンチャント】系統が近いかしら? いや、でも魔本の類いはなかったし、仮面……のようなものを被ったら……一体どういうことでしょう?」
「え? あ、失礼致しました。この変身魔法は、我が国に密かに伝わっておりました魔本に記されたものでして、限られた者しか使用することができないのです。申し訳ないですが、詳細なことは私もよく分からず…………それと、できる限り伏せておきたいことですので、先に従者の方が仰っていたように他言無用でお願い致します」
ウルティアも、スプリガンの能力によるものということは身をもって体験しているが、ヴェネットや瑞樹がパトリフィアの国民に周知させていないことも知っているため、アナスタシアにも同様に忠告をする。また、パトリフィアに伝わる魔本があるというのも、ユリイカの存在から全くの嘘ではないこともよく知っているため、ある程度の説得力はあるだろうと考えている。
「分かりました。込み入った事情がおありなのでしょうから、私からも詮索はしません。これは教師陣の皆にも伝えなくてよろしいですね?」
「はい。この場限りで、お願いします」
「……では、堅苦しい話はこれでお終い。そろそろ街が見えてくる頃さね。外を見てごらん」
「うわあ…………これが、魔法の国!」
ウルティアは言われるがままに馬車の車窓をせり上げて、外に顔を乗り出した。そこに広がる景色は、入口から続く長い山道に見られるような、無骨で殺風景なものと打って変わって、マギアゼテラを魔法の国たらしめる摩訶不思議な光景が散見される。
大理石のタイルが国中に敷き詰められており、建ち並ぶ建物も色とりどりな形や配色の屋根が多い。行き交う人々はヒュムノス種が大多数だが、時折その他の種族の者が街中を闊歩している。
軒先に平積みされた魔本を訝しげに眺めるドワーフ種や、ふわふわと浮かせた魔本を読みながら魔法を練習している様子のリザード種。両肩に大量の魔本を担いだ状態のミノタウロス種や、ウルティアに気づいて手を振ってくれるエルフ種など多種多様だ。
そして視線を上にやると、なんと小さな舟が何艘も街の上空を悠々と飛んでいる。
山道で見かけたノートスたちの集落とは活気がまるで違うせいか、クリスも少し当てられてしまった。
「ここはマギアゼテラの中心街、通称【魔本の卸売市場】。主に国外から来られた人が魔本を仕入れをしたり、観光に出向いたりする、国で一番栄えてる場所だよ。後はノートスでもプアースでもない学院生はここらに住んでたりするね。馬車の往来も多いから、昼間はあまり出歩きたくはないけどね。うふふふ」
「すごい……すごいです学院長様! まさかここまでの大都市だなんて…………驚きすぎて首が疲れそうですわ。今からもう既に魔法の授業が待ち遠しいです!」
「将来セントルークやアディルケイアにまで辿り着いたら、あなたきっと腰を抜かしそうね。昔の私のように」
「えっ?」
「……なんでもないわ。さぁて、もう着くわよ」
アナスタシアの一言に気を取られている内に、馬車の外の景観が変わり、石造りの橋の上を走っていた。その下は見下ろすのも憚られるほどの谷であり、比較的近くで女性の甲高い絶叫が轟くも山彦には至らない。
かくして橋を渡り終えた馬車は、石畳の分岐を曲がらずに直進し、二つある巨大な建造物の内の手前側にある建物の正門を抜け、円形の遊歩道を減速しながら進み、遂に正面入口の前で数十分に渡る旅程を嘶きと共に終えた。
杖を着きながら一足先に馬車を降りたアナスタシアが、ウルティアに手を差し伸べながら告げる。
「ようこそ、【シェルミブイオス魔術学院】へ」
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