第五十話
「……もう、旅立たれてしまうのですね」
「ええ。余りのんびりしてはいられそうにないんですよ」
パトリフィア城の前で俺達を見送るシュプリム女王の目は、どこか儚げだ。
レンテ書籍館での情報収集から三日後の今日、ついにパトリフィアを飛び出して、別の国へと旅立つ日がやってきたのだ。
思えば初めて来た日から数えて、今日で通算十二日目になるのか。最初の二日間で濃密な時間を過ごしたせいか、気分的には一ヶ月くらい経過したんじゃないかと思うほど、時の流れが早く感じていたのだが、実際にはあまり大したことはなかったようだ。
「ウルティアがまさかああも乗り気だとは思いませんでした。やはり血は争えないようですね。一体どこの誰に似たのかしら」
「あはは」
愛想笑いで冗談を流した。
ただ、ウルティアがすごくやる気満々だったのは本当で、何なら次に行くところも彼女の提案で決まったのだ。フランさん達に話を聞いた限り、昔は絵に描いたような箱入り娘だったそうで、今の明るく活発で天真爛漫を地で行く性格に心底驚いているそう。それでいて王族育ち故の礼節も重んじていて、この前のような真面目な話でも冷静に自分の意思を語れる度胸。どこぞの誰かさんにも見習って欲しいくらいの出来た子だ。
「全くもってその通りですわね奥様。いやぁ、ほんっとに一時はどうなることかと思いましたよほんとにねぇ。あろうことか娘さんが焼却炉に向かってシューーーーッ! ってして超エキサイティンな感じで出かけられた時は『出ぇたぁ!』ってなりましてねぇ! どーしようもないバ────」
「はいはいクリスさーん。あんまり出すぎたことを言いまくると後が怖いので自重しましょうねー」
「────っ! ち、ちょっろフレヒアさん!? いひなひんな乱暴────ひや、ヘネッホほ前! やへろ! 離せ!」
「私だからアイアンクローのお返しで済んでるよー。もしもこれが本人だったらどうなってたのか、明日までに考えておいて下さいねー」
全身黒タイツの変なお姉さんが、井戸端会議のオバサンのノリで女王に悪絡みしていたが、無事に業務上過失発言の容疑で娘さんに鷲掴みにされたようだ。なんと顔を掴んだまま、容疑者の背中を肩にかけて歩いている。成長したな、フレシア。
人間やじろべえを背負ったまま歩き去っていくフレシアを、微笑みながら見送ってから、俺は女王に向き直る。
「でも本当に、この国を救えて良かったです。またいつか、この平和が奴らの手によって脅かされるかもしれませんが、その時は必ず、何度だって俺が駆けつけて救ってみせます!」
「ありがとうございます。貴方様の存在は、この国にとってかけがえのないものになりました。この御恩は一生忘れません。再び相見える日を心よりお待ちしております。最後に…………娘の顔を見たいのですが、頼めますか?」
「はい、分かりました」
女王の頼みを聞いて、俺は懐からウルティアの仮面を取り出す。
まだ子供のように丸みを帯びた幼い顔つきだが、仮面故にくり抜かれてるとはいえ、大人びた力強さを持つその目は、王族に相応しい立派な勇ましさも兼ね備えている。
自分で語るのも変な話だが、フッとニヒルに笑ったまま、俺はその仮面を被った。
俺自身が彼女の仮面を被るのは今日が初だが、フレシアになった時のような全身に走る熱も痛みも伴うことはなかった。一度でもそれを経験していれば、後は誰のどんな仮面を被ろうが起こらないのだろう。
そんなことを考えている内に変身は完了した。
本人との体格差はずっと見ていたので知ってはいるものの、やはり頭一つ分は低身長だったため、その分世界が広く感じられる気がして興奮冷めやらない。目の前に立つ女王の顔の位置も、ヒール込でほぼ同程度だったものが、彼女の胸元越しに見上げる程にまで上に見える。
それに当たり前だが、今着ている服は一般成人男性サイズの私服なので、元の世界なら平均的な女子中学生サイズ(主観)であろうウルティアの体格には、余りにも緩すぎだ。ダボついてマトモに行動出来ないので、ウルティア用の装備もどこかで仕入れないといけない。
そういえば、やじろべえを振り回しているフレシアが着ている装備、シカリウス・コンバルテシリーズを購入したあの防具屋で見た本。確かミュゼウム・アルミス……だったか。それを【ユリイカ】で登録しておくのも悪くなさそうだ。この後顔出してみるか。
などと色々考えていると、突然女王が俺を────ウルティアを抱きしめてきた。
おいおい、気持ちは分かりますがちょっと待ってくださいよ。まだ本人と入れ替わってないんです。
と言っても、抱きしめられた状態じゃ霊体化に集中できないし、気が引けるけど演技して誤魔化すか。
「ちょっとお母様!? こ、こんな所では、恥ずかしいです…………!?」
気づいた。気づいてしまった。
俺を抱きしめる女王の後ろで浮いている存在に。
何であなたがそんな所にいるんですか、シュプリムさん?
とすると、今抱きしめてきたこの人物は────
「────行ってらっしゃい、ティア。私も後から、必ず追いかけるからね……大好きだよ」
チュッ
それは、愛する娘を思ってのお守りなのか。
それとも、大の親友との友情の証なのか。
意味するところは俺には分からない。
ただ一つ、返事を送るとしたらこれしかない。
「ええ。私もよミュリン。ずっと待ってるから」
「…………ふふっ、相変わらず演技が下手ですね。ティアはそんな事言わないですよ、泣き虫なんで」
「んだよ。気づいてたんなら野暮な事言うなよ。ホントに泣いても知らねぇぞ?」
「嘘泣きは得意そうですし、喜んでどうぞ」
「ちっ、誰がするかバーカ」
(こぅら! 二人ともうるさいですよ! 折角の雰囲気が台無しじゃないですか!)
あははははは、と互いに笑う俺とミュリンを叱るシュプリム女王。しんみりした空気で出立するよりは、これくらい明るい雰囲気の方が俺は好きだ。
笑う門には福来るって言葉があるくらいだしな。
◇ ◇ ◇
仮面を取って元に戻った俺は、シュプリムさんの霊体と、シュプリム女王に化けたミュリンに別れを告げ、恐らく国の出入口の門の近くで待っているであろうヴェネットとクリスに合流する────前に、少し寄り道をすることにした。
家に帰るまでが遠足ならば、国を出るまでは旅立ちじゃないのスタンスだ。あの二人なら分かってくれないだろう。フレシアは……分かってくれ!
もちろん、寄り道の目的は防具屋だ。
フレシアのための装備を見繕ってくれた他、魔法陣を操ったりミノタウロスの事情に詳しかったりと、何かとすごい活躍をしてくれたおばさんにまた会いに行くことになるとは思わなかった。
彼女のサポートがなかったら、間違いなくその後の様々な状況に振り回されて、取り返しがつかなくなっていたことだろう。陰のMVPといっても差し支えない。
二回目の訪問とはいえ、最初の印象で人通りのない裏路地にあったことを記憶していたためか、見覚えのある軒先には迷わず辿り着いた。ただ元々中が見えにくい外観だったのは変わらないが、店の外にあった鎧の目印がなくなっていた。
不思議に思いつつも店内に入ると、そこには誰も居なかった。人通りが少ないとはいえ、不用心にも程がある。
内装も時計くらいしかないが、これは初見の時もそうだったかもしれない。というか、あの時はそこまで意識して見回してないし、覚えてねえや。
でも、見慣れたカウンターには目的のものがしっかりと鎮座していた。
表紙が閉じてはいるが、超巨大な防具と衣装カタログ本ことミュゼウム・アルミスそのものだ。
「ちゃんと置いてあって安心したよ。これさえあれば、防具にも衣装にも困らないからな。では失礼して────【ユリイカ】」
瞬間、ものすごい量の情報が、一斉に【記憶の篇帙】に刻まれていく感覚に苛まれた。
おばさんが唱えていた衣装替えの魔法の防具降臨はもちろんの事、お世話になってるシカリウス・コンバルテシリーズや、ネタ装備疑惑のあるヴォーパルバニー種なりきり防具一式、更にはあの時取っかえ引っ変えした数々の防具に至るまで、現れては消え行くウィンドウで全てが確認出来ていた。中々終わりが見えないのは、恐らく見かけの姿だけ変えるんじゃなくて、本当に物理的に変えられるように実物ごと取り込んでいるのだろう。
流石は明らかに厚さ十センチはある本だ。えげつねぇ。
ただあれだけの情報量も、気づけば十数分程で『記憶の刷り込みが完了しました』となった。
「んー……っしゃ! じゃあ寄り道も済んだし、そろそろ出発しますか! 次なる目的地、魔法の国マギアゼテラに!」
精一杯身体を伸ばしてから、俺は意気込みつつ店を後にした。
◇ ◇ ◇
カランカラーン
閉じられたドアの音が霧散してしばらくすると、誰も居ないはずの店内の奥から、店主のおばさんが姿を現した。
そのままカウンターを見やり、大きな本を一瞥すると、ため息を吐く。
「予定通り、アルシオンはミュゼウム・アルミスを覚えてったよ。パトリフィアでの役目はこれで終わりかい?」
おばさんは目を瞑ったまま、話しかけるように質問を投げる。
するとどこからともなく声が聞こえ、彼女の問に滞りなく答えた。どこか機械的な雑音を含む、くぐもったような女性の声だ。
『はい、ご苦労さまでした。あなたは────もう約束の地に向かってもらって大丈夫です。後の支援はみんなで分担してますので』
「そうかい。なら勝手に行かせてもらうよ。ああ、それと一つだけ……」
『……何でしょうか?』
「…….アイツらに会いたいだなんて我儘言って、悪かったな。それでも、久しぶりに懐かしい顔を見れて、嬉しかったよ。ありがとな」
『いえいえ。これ以上の会話は、世界線に影響が出るのでもう切りますね。それではまた、未来で』
「未来で」
その合図を以て、謎の女性の声は聞こえなくなった。
おばさんは、無言のまま床に錬成陣を描き、それが終わると陣の中心に跪いて、ゆっくりと合掌し唱える。
「転送」
音もなく陣が光ったかと思えば、彼女の姿は忽然と消え失せていた。
防具屋の店内では、閑古鳥が止むことなく鳴いていた。




