第三十八話
「はて、ほろほろヒエスヒラひ戻っへほらうあへあへと」
「アヘ顔ダブルピースがなんだって?」
無言の腹パン。しかも横スマッシュ攻撃だ!
「ぐはぁっ!」
「さっき外したおかげで、偽おばあちゃんの仮面はなくなってしまったわね。その影響は、向こうにいる幼い私にも与えてしまっていて、恐らくなくなってしまっているはずだわ。ただそのままだと、『あなたが向こうで幼い私が変身した老婆に会った』という因果律が狂ってしまうのよ。このままだと何が起きてしまうか分からないわ。だからまた、新しく作り出さなきゃいけないんだけど…………」
おいおい、アレだけ俺に聞いておくなと言っといて、自分はベラベラそれっぽいこと宣うのかよ。
大した根性だ。もう何も言えねぇ。
「アルシオン、今すぐ私とキスしなさい」
「おえっ」
鳩尾にクリーンヒットして、あまりの痛みに吐き気を催した俺に、ヴェネットが頭上からそんなことを言ってきた。
そして弁明しておこう。
ヴェネットとキスするのが嫌だから吐き気を催したんじゃない。純粋に腹が苦しいからなのだ。
大事な事なので二回(略)。
「何よそれ。私とするのが嫌だってこと?」
「そんな訳ないだろう!? むしろ一向に構わない! 思いっきりブチューとやってくれ!」
「うわぁ……マジ引くわ……」
「何か目的があんだろ!? ドン引きされるとこっちが辛いわ!」
やめて! アルシオンのライフはもうゼロよ!
次回、アルシオン死す? デュエルスタンバイ?
そんなのブッブーですわ!
よし、ここらで一発俺がバチクソイケメソムーブメントで、ヴェネットのハートをズッキューンと────。
「────!」
それは、世界を跨ぐ恋。なのかもしれない。
断言しよう。
俺は、これから先いくつものキスを交わすことになる。
種族を問わず、年齢を問わず、性別を問わず。
そして、生物であることすら問わず、ずっと。
だが今、ヴェネットと────ヴェネツィア・レジーナ・マスカレードとしているキスは、特別だ。
今まで、フレシアやウルティアはもちろん、子供ヴェネットと数回交わしたキスよりも、特別なんだ。
何故なら、今していなければ、二度と会えなくなるから。
また、繰り返してしまうから。
世界を、救えなくなってしまうから。
ヴェネットに、好意を抱いていることに気づくことすら、なかったかもしれないのだから。
永遠にすら感じられた時間を過ごした俺は、思わず閉じてしまった瞼をゆっくりと開ける。
これまでに経験したことがないほど、至福のひとときを与えてくれた相手は────ヴェネットは、まるで最初からいなかったかのように、忽然と姿を消していた。
キス、していた時のことを思い返す。
あどけない面影は残しつつも、凛々しく大人びた顔。
抱きしめたくなるほど愛くるしいのに、年相応に成長した体。
そこに、残酷なほど刻みつけられた数多の傷跡。
知らないところで過酷な人生を辿ってきたであろう女性の生き様を、俺が慮るのは無遠慮かもしれない。
ただそれでも、道無き道に残してきた思い出という名の微かな轍を、辿ってみたいと思うのは自分勝手だろうか。
「…………あんがとな。出来る限り、頑張ってみるよ」
誰に聞かせるでもなく呟くと、話し相手を求めてユリイカを呼んでみる。
そういえば、なんでこの空間……【世界の控え室】でユリイカが可視化、なんなら実体化出来ているのだろう?
店舗スペースに来る前、裏の部屋にいた時の彼女は、格好こそ精神世界の時と変わってないが、宙に浮かずに素足で立っていた。
今更だが、現実とディエスピラの狭間だからか、ユリイカの存在もある意味イレギュラーなのではないか。
「なぁユリイカ。運命だとか未来予知とかって言葉を、あんたなら信じるか? それこそ、神のみぞ知るって感じの極論みたいなもんだが…………どうした?」
(…………ん? なんじゃアルシオンか。お主こそどうしたのじゃ?)
「いやぁ。何か坂本竜馬みたいに寄りかかりながら物思いにふけてるから、何考えてんのかなぁって」
絶妙な高さの位置に店のカウンターがあるのと、その寄りかかり方の姿勢も相まって、本当にそう思った。
(いや何、この空間には妾とお主の二人しかおらんはず。だが何故か、もう一人いた気がするのじゃが、心当たりはないか?)
「……やっぱり、そう感じるのか…………あぁ、居たよ。甘酸っぱい想いを抱いた、恋する乙女が、な」
ユリイカが、何かを言いたそうに顔を歪めるが、結局声になることはなかった。
俺の中のこの感覚は、この想いは、決して届くことはないだろう。
もし届いてしまえば、俺は必然的に、四度目の後悔との二律背反を迫られてしまう。
フレシアとも、ウルティアとも、究極の選択の末に俺自身の気持ちを押し殺して、助け出すために「好き」だと言ってきたんだ。
アイツを────ヴェネットを好きになってしまうなんてな。何も知らない子供の頃のアイツに合わせる顔がないぞ。
俺の初恋は…………俺の本当に好きな人は、もう遠くに行ってしまったというのに…………。
そういえば、最初にこんな気持ちになった相手って誰だったんだろう。
まだこっちに来るよりずっと前だし、現実で知り合った女の子のはずだけど……思い出せない。
微かに覚えているのは、俺を呼ぶ時の変なあだ名。
確か────。
────カワセミくん!────
「────ぐあっ!」
その時、俺の頭に感じたことのないほどの痛みが走った。
初めて魂魄の仮面を着けた時とも違う、脳髄の奥深くに直接響いてくる激痛。
記憶が曖昧な俺の過去を、無理に思い出そうとするとこうなるのか。
まるで誰かが、意図的に無理矢理封じ込めたようなもんじゃねぇか!
そいつにとって、恐らく都合の悪いものを見たはずの俺の記憶を!
何だ! ガキの頃の俺は何を見た! 何を聴いた!
「…………くっ……そ、が…………」
いくら憶測を巡らせても、思い出せないままどん詰まり、ついに耐えられなくなってしまった。
そのまま膝から崩れ落ち、俺は店の床にうつ伏せに倒れて気絶した。
完全に気を失う直前、俺が見聞きした事が二つある。
一つは突如倒れた俺を心配して、声をかけてくるユリイカの姿。
(アルシオン! どうした、しっかりするのじゃ! 一体何がどうなっておる!?)
余りの痛みに視界が霞んで、彼女の姿がボヤけて見える。
何故だろう。その不明瞭な輪郭のユリイカが、どこかで見たことあるような人物と重なって見えるのだ。
それともう一つは、視線の先に写っていた骨董屋の入口のドアが、外側から開けられた様子。
開いた瞬間、外から誰かが覗き込んでいたようだが、生憎死角に隠れて誰か分からないまま、俺の意識はそこで途絶えた。




