第二十一話 太陽の涙、究極の選択、翡翠の慟哭 後編
「……うっ…………ううんっ…………あれ、私は確か…………」
閉じた瞼の上から照りつける、天頂を青くさせる原因たる恒星の煌めきを浴びて、ミュリンは数刻ぶりに意識を覚醒させた。
碧空と白雲が入り交じる視界を下にずらすと、パトリフィアの煉瓦造りの建物の連なりが景観に映り込む。
ミュリンの視線の先にあるものだけでも、屋根の一部が剥げていたり、壁の煉瓦が欠けていたり、誰かの血飛沫が飛び散っている様が見て取れる。
しかし、彼女はそれらを見ても特に悲愴的な感情が湧いてくることはなかった。
むしろ、更に目線を下げて映り込んだものに驚愕し、己の姿を見て恥辱に塗れてしまう。
「!!」
身体を縦に分かつような裂かれ方をした自らのメイド服と、その隙間から覗く、これまた綺麗に分かたれた下着の下に存在する長大な切り傷。そして、誰かに添えられたかのように手を翳した腹部に座する、丸みを帯びた謎の物体。
いつもより遥かに重量感のある上半身を、偶然近くにあった噴水の淵を使ってゆっくりと起こしつつ再度見直したその物体は、初めて目にするものなのに、ミュリンには既視感があった。
それに象られたのは、この国で彼女が最も慕う人物の顔。
整えられ、優雅に結われ、何時たりとも崩れることを知らない髪形。毎度数時間を費やして完成される、宝石と見まごうほどに艶やかで純白の肌模様。時に厳かに、時に朗らかに大衆を見定める目元。誰もが羨むほどに整然とそそり立つ鼻。
薔薇の華に意思が宿ったかのように紅く、歪みもない弧を描く唇。そして、我らの種族の象徴たる部位であり、しかし他の追随を許さないほどに類を見ない鋭利さを誇る耳。
「女王さ────グハッ!」
ミュリンは、その人物が誰か確信を得て、思わず呼び掛けようとして、喉元にせり上がっていたものを吐く。
本能的に、咄嗟に受け止めたそれは、白い長手袋の掌底を深紅に染めた。
手首から腕へと、決して隠滅出来ない轍を残して滴り落ちる、自らの鮮血。
それが、女王シュプリムを模した物体に垂れないようにずらすこととは別に、ミュリンはその赤い液体に視線を注ぎ続けた。
今までなら、出来ることなら見ることすら拒んでいたそれを、何故か火照っている顔を緩めながら見続けていた。
──何で……私ったら、どうしたというの? 血なんて見たくないのに……ましてや…………どうして……血を欲しているのよ……私は! …………ダメっ、嫌なのに……嫌なのにぃ…………!
理性の限りを尽くしてミュリンは抵抗を試みるが、もはや深層心理に焼き付いて離れない、血に飢え、渇望する、抗い難いほどに純粋な感情に踊らされ、自然に手袋に近づけていた口許から伸ばした舌で、余すことなく絡めとらんとする。
口に含んだ血液が喉を唸らせる度に、空前絶後の濃密な味に至福のひとときを覚え、鼻腔を幾度も右往左往するありえないほど芳醇な香りに、脳漿が炸裂するのではないかと感じるほどの、甘ったるい刺激が脳髄を逆撫でする。
──何、この感覚……ああっ、美味しい…………もっと、欲しい…………もっと…………!
手袋の繊維に染み付いてしまった赤すら剥離させてしまう勢いで、ミュリンは無我夢中で自らの血を舐め続けた。
その都度訪れてくる甘美な味を求め、更に舌を動かすという半永久的な依存性。
人目を気にも留めず、ひたむきに手袋と向き合っていたミュリンは────突然、我に返った。否、返らされた。
「ミュリン!」
誰かに、大声で名前を呼ばれたから。
それは誰か。ミュリンは最初の一音を聴いただけで把握した。
しかしそれは、彼女がエルフ特有の────ヴァンピーナ特有の地獄耳を持つからではない。
それが、ほとんど毎日会話していた人物の声だからではない。
僅か数刻前に聴いたばかりの同一人物のものより、明らかに声音が優しく、逞しく、それでいてなお厳かなものへと変わっていたからだ。
「…………ウっ……ウルティア様…………なのですか…………?」
「…………ええ。随分と、見た目が変わってしまったようだけれど…………泣き虫なのは、相変わらずね」
「ぐすっ……そ、そんなこと…………」
未だ血の滲む手袋で涙を拭い、更には垂れかけた鼻水をすするミュリンの顔は、昨夜までのものよりも見るに堪えないほど崩れてしまっていた。
だが今のミュリンが、今までの彼女とは比べ物にならないほど成長していることに、ウルティアは内心大いに喜んだ。
なぜならミュリンは、幼い頃のウルティアに拾われてこの国に来たからだ。
アモルゴ大森林の西端、ネモーズ平原との境界線近くの木々で、煤けた顔を俯かせて、煩雑に足を伸ばして黄昏ていたミュリン。
捨て子だという自覚が生まれる前からこの辺りに根を生やしていた彼女にとって、当時一番の天敵は夜。
一度睡魔に唆されては、どんな野獣に魘われるかも分からない。喰われてしまえば最期、骨すら砕かれるかもしれない。
だから、ミュリンは寝ることを放棄した。
幹に背を預け、座り込んだままひたすら一方向を凝視する。
同時に、聞き耳を立ててどんな些細な音も逃さず、一定の間隔で匂いを嗅ぎ取り、一つでも異物・異臭・耳障りを感じたら、すぐさまその場を離れ寄り掛かる木を変えて、また同じことを繰り返していた。
しかし、待てど暮らせど誰一人として、彼女の前を過ぎ行くものが現れることがないまま、昼夜を呆然と過ごしていた。
そして、それが日常となりかけていたある日、非日常がミュリンの視界を塞いだ。
「だーれだっ!」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
視覚外からの刺客が、もし隠れていた獣であれば、彼女の生きる資格は剥奪されていただろう。
しかし隠れていたのは、彼女と近しい形の耳を持つ、エルフ種の幼気な少女であった。
「お姉ちゃん、こんな所で何してるの?」
これが、ミュリンとウルティアの出会いである。
◇ ◇ ◇
「ウルティア様!」
ウルティアのやや後方から、彼女の名を叫ぶ声が聞こえた。
振り返って見れば、実母のフランに肩を借りてなんとか立てている状態のエルトが、空いている方の手を握り締めていた。
彼女らの側に立っている、胸元のハンカチで顔を隠しているヴィエラからは、紳士的とは言い難いほど嗚咽混じりの泣き声が耳に障りだす。感極まって号泣しているようだ。
「よく……ご無事でした。あたしなんかより、ずっと気丈で在られて…………いいえ、多くを語るよりは、あたしらしく一言で済ませます」
わなわなと震えていた拳を、再度握り締めると、それは自然と収まっていた。
その拳をウルティアに向けて突き出して、エルトは笑顔で激励する。
「負けんじゃないわよ!」
普段からは想像もつかないほど、ひどく落ち込んだ顔をしていた彼女だが、そんな健気な本音に感化され、ウルティアの目元に涙が浮かんだ。
しかし、悪夢はまだ醒めてはいなかった。
ドクンッ
突如、心臓を握り潰されるかのような激痛が、ウルティアに襲いかかる。
「うぐっ! うああ…………うああああ…………!」
その後、炎で炙られたような高熱が全身を駆け巡るが、ウルティアの両手は、ゆっくりと上へ上へと移っていく。
その手は、顔の前────左半分を目前にして、なかなかどうして動くことがなくなってしまった。
しかし、左手だけは躊躇なく覆い隠すように手を伸ばした。
だがこれは、ウルティア本人の意思ではない。
彼女が、思わず見えもしない自分の顔を見ようと真左を見るくらいには、開いた口が塞がらない出来事だ。
「……キッヒッヒ……まさかあの結界を抜け出して、本当にやってくるとは、微塵も考えやしなかったぜ。ましてや逃げも隠れもせずに、白昼堂々乗っ取り返そうとするんだから大した度胸だ。だがっ!」
意図せず喋る自らの口に戦慄すると、ウルティアはまたしても勝手に動く自分の身体になされるがまま、ギースの口を更に広げてそのまま地上へ飛び降り、生まれたままの姿を恥ずかしげもなく完全に晒した。
「まだ返す訳にはいかねぇな! オレの大切な最高級のお姫様なんだからなぁ!」
見かけは誰が見てもウルティアその人だ。だが実際は右半身は、と前提される。
野心を滾らせた鋭い視線。狂気で湾曲していく口角。
五指が見えない鍵盤を奏でるほど滑らかに舞い踊る左手。
彼女の左半身は、未だにしぶとく抵抗を続けるギースの支配の影響が垣間見えていた。
とはいうが、ギースがどうにか侵食しているのは、ウルティアの上半身に留まり、彼女本人の意志の強さが優勢だが、それ以上は拮抗していて、予断を許さない状況へと流転している。
「ギース・サクロム! 私は、あなたという存在を決して許さない! あなたがこの国でしでかした罪…………それが如何程の大罪か、死よりも重い罰をもって思い知りなさい!」
「キヒッ、やなこった! 王女様よぉ……しばらく話さねぇうちに随分とお高くとまりやがってよぉ…………ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああムカつくんだよォ! てめぇら一家のそういう所が、全くもって気に食わねぇんだ! こうなったら、てめぇにもオレと同じ気持ちにさせてやる!」
ギースはおもむろに、唯一動かせる左腕を高々と空へ伸ばすと、ウルティアの声音で荒んだ声を上げ、不気味な言葉を詠唱する。
「【エイブ・ヴェラム・ヴォッコ・ドゥ・サクロム】!」
すると、ウルティアは自分の身体がドクンと脈打つのを感じ、膝の力が抜けてしまった。
倒れた身体を右手で支えようとすると同時に、ウルティアの全身を身を焦がすような高熱が駆け巡る。
「くっ!」
あまりの熱量に歯噛みするが、変化の波は留まることを知らない。
続くようにして、今度は彼女の身体そのものが肥大化し始めた。
大きくなるに連れて、それと同時に皮膚が軟質化していく。
薄らとした体毛を纏う肌が、淡い水色の鱗へと変質していく。
胴が伸び、四肢は屈曲し、手足の指が三叉へと収束する。
股から尾が伸び、鞭のように靱やかにしなる。
顔は……もはや人の形を捨て、エルフであることも放棄し、時折癖のように口元から伸びては縮むを繰り返す長い舌が、完全に変身を遂げたことを意味していた。
「お嬢様…………!」
「嘘……でしょ…………ねぇ! 何とか言いなさいよ!」
ヴィエラとエルトから驚嘆の声が漏れるが、殆どを皮膜で覆われた双眸から覗く目に、怒り以外の感情は感じられない。
『残念だが、てめぇらが何を言おうが王女様には全く聞こえねぇんだよなぁ! まずは耳障りなてめぇらから弄ろうってのも一興だが、それよりも…………!』
それぞれの声色が重なって聞こえてくるが、ギースの人格が口調に現れている。
『そこで立ち竦んだままの、愚かな女には…………引導を渡してやらねぇとなぁっ!』
ギースは眼球運動だけで後ろを見遣り、立ったままのフレシアを確認すると、身体を急旋回させて振り向き、その遠心力を用いて細長い舌を突き出した。
曲がりうねりを繰り返し、猛烈な勢いで迫る舌の一撃。
果たしてそれは彼女の胴を────貫かなかった。
止められた訳では無い。胸元僅かに手前の虚空で、自らの意思で止まったのだ。
『こんの…………くたばり損ないのクソ王女がああああっっ!』
「フッ……いよいよもって本性現しやがったな、化け物め」
途端、一筋の冷や汗が滴り落ちるのを錯覚したギースは、文字通りの意味で勢いよく舌を巻いた。
その余りの動揺ぶりに、狼狽えていたミュリンも、抱えていたシュプリムの仮面をうっかり落としそうになって────なんとか持ち直して安堵する。
すると、背後から話しかけてくる声があった。
「ミュリンさん。お母さんを守ってくれてありがとう。もう、終わらせてきます」
「フレシア……様…………?」
「いいえ。私は────」
そよ風に靡く金色の結髪を携えたエルフの声に、ミュリンの血に染められた右眼から垂れた、血の気が抜けた涙滴が頬を撫でた。
『この国のやつらはぁっ! どいつもこいつもカスばかりだっ! だからこそオレがっ! オレがこの国を作り替えて、救ってやろうというのに! それを……てめぇら姉妹は何故否定する!? オレが救世主になることの何が不満だ!?』
前足を数度踏みにじり、感情を露わにする獣と化したギース。
言わせておけば、と罵り返す勇気のない者はいない。
歯噛みをし、拳を握り締め、昂る怒りを琴線に触れるギリギリの所で抑えているエルフが多数だからだ。
それでもいざ行動に移さない。否、移せないのは、闇雲のようでいてしかし確実に、四方八方の反乱因子を然と焼き付けている、独立して動く奴の視線を感じるからだ。
『今だってそうじゃねぇかっ! そんなにオレが嫌ならば殺しに来ればいいだろう!? 文句があるなら口にすればいいだろう!? なのにどうして動かねぇ! 簡単だ。それすらできねぇ腑抜けた奴がっ! 見くびられることしかできねぇ臆病者が、エルフってやつだからさ! そんな軟弱な奴らは皆殺し、根っこからパトリフィアを変えるため、オレはっ! あの男に魂を売って、この力を手に入れたんだ! 生物仮面・最終形態、【野生解放】! こうなったオレは誰にも止められねぇぞ!』
「それはどうかなっ!」
突然降って湧いた声に目を泳がせるも、その人物がいつの間にか頭上へと移っていたことが作用したか反応が鈍り、敢え無く踵の餌食になってしまう。
『ガっ!』
弾かれるようにして、煉瓦の地面に叩きつけられ、僅かな間だが脳を揺らされ怯んでしまった。
蹴落とした本人は、ギースの背中に着地し同時に膝を曲げ、反動を感じさせない滑らかな動きを披露しつつ宙返りを繰り返した。その後再度着地するとともに、今度は腰の両側に携えた剣を交差させた両手それぞれで抜剣し、臨戦態勢へと移行する。
「思った通り、後頭部がガラ空きだったぜ! 御大層な論理破綻口上を長々とご苦労さん! アニマルだかダンディズムだか知らんが、こんな単純な攻撃すら避けられないなんて、大したことなさそうだなぁ!」
余裕が出来るなり、すぐさま相手を罵り、煽る。
もはや常套句と言っても差し支えない、瑞樹の口癖だ。
『……ふざけやがって……! よくもまあ散々コケにしてくれたな……! だがな……この姿になったオレは、動物の能力を最大限まで引き出すことができる。【擬態蜥蜴】の場合、【透明化】と【鞭舌】だ! 見えざる乱舞、てめぇ一人に避け切れるものか!』
「はいはい。露骨なフラグをどうも。それに……この戦いは、俺とお前のタイマンじゃねぇ。お前一人を三人がかりで倒す、一方的な戦いだ! そこだけは履き違えてくれるなよ!」
自分の思い通りに着々と、ギースが墓穴を掘削していく様に、我関せずとした態度で諌めつつ、瑞樹は韋駄天を差し向けて牽制した。
「キヒャヒャッ! 三人だと! てめぇ以外どこにそんな奴がいやがる! あのふざけた真っ黒女どもにでも縋る気か?」
「ふざけた真っ黒女…………」
遠方で約一名、真に受けて体育座りで落ち込んでいる者を見ないようにして、瑞樹は鼻で笑う。
「違う。俺と────私と…………そこに居るんでしょう、ウルティア」
瑞樹の意識が引っ込み、代わってフレシアの意識が顔を出した。
一瞬で高圧的な態度が柔和になり、ギースはその急な変化に戸惑い、たじろいだ。
『ばっ、馬鹿なっ! …………じ、人格が変わったのか……? いやそんなことより…………あの王女がまだいるだぁ? とうとう頭がおかしくなっちまったのか? ここにいるのはオレであって、てめぇの落ちこぼれの妹はとっくにいな────』
「いいえ、居るわ!」
元々頭がおかしいのに、身体までおかしくなった奴が何か言っているが、フレシアはそいつの虚言を食い気味に切り捨てた。
「ウルティア……! こんないい加減な奴に食い下がらないで! あなたは私よりも、お母さんの愛情を受けてきたでしょう! 私より……王族らしく育まれてきたでしょう! いつだって国民のために努力してきたでしょう! あなたの強さは、誰よりも分かってる! 私はあなたの姉として、それを強く信じてる! そんなあなたがっ! たかが飲み込まれたくらいで……たかが乗っ取られたくらいで、諦めるんじゃないわよ!」
フレシアの────ウルティマの魂の叫びに圧倒され、ギースは嘆息一つ零せない。
だが奴の中の、奴自身が確実に消滅したと思っていた何かの残滓が、朧気ながらも懸命に、意識の底から這い上がろうとしている様をフレシアは直感した。
すると再び、フレシアの表情がやや強面に変化する。
「そうだ、ウルティア! お前のそのチンケなペチャパイはそんなまだるっこしい奴にくれていいもんじゃないだろ! いいか、男ってのはなぁ、お前ら女共が思っているその何億倍も、まず真っ先におっぱいを見るんだよ! 見ちまうもんなんだよ! 股の間からえっちらおっちらと這い出てきてから、一番最初に何を飲むよ! 自分のかーちゃんのおっぱいだろうがよっ! 大きさなんか関係ねぇ、男はそこに母性本能をっ! 母の愛情を感じてしまうから目がいってしまうんだ! なら男が一番母性本能を感じるのはどこか? そんなものは決まってる! 尻だっ!!」
「支離滅裂っ!」
と、突然フレシア────瑞樹の左頬に突き刺さったのは、他でもない自らの拳。
もちろん瑞樹自身の意思ではない。僅かに身体を動かせたフレシアによる渾身のツッコミである。
だが、それだけである。他人がすぐに言葉を発せられたのは。
最早自分たちは何を見せられているのか。衆目の元であるエルフ達は、瞳孔が真円を描き、真一文字に閉口する。
そしてそれは、ヴィエラら使用人たちも例外ではない。クリスや、あのヴェネットですら右に倣う始末だ。
しかし、ギースだけは靡かなかった。
むしろ彼の怒りをただ助長しただけに過ぎず、遂に堪忍袋の緒を切らし、怒髪天を衝く勢いである。
『フザけるのも大概にしやがれぇぇえああああぁああああああっっ!! もううんざりだ、その歯が浮くような物言いは! ベラベラと適当なこと吐かしやがって! 今更てめぇに何が出来る!?』
「お前に勝てるッッ!!」
間髪入れない即答。
得も言われぬほど堂々たるその剣幕に、さしものギースも返す言葉を飲み込んでしまう。
「…………おお…………!」
その時だった。
「フレシア様が……あの化け物に勝てると断言したぞ……!」
「口を開けば毒を吐き散らす、あんな奴に……!」
噴水広場の光景を方々から静観していたパトリフィアのエルフたちが、瑞樹の剣幕に感化されて、絶望的だった顔色を徐々に希望に満ち溢れたものへと変えていっているのだ。
「いや待て! あの見た目だが、元はウルティア様の身体だったものだ。フレシア様も、それについては重々承知のはず」
「そうね。下手に攻撃すれば、ウルティア様も殺しかねないわ。でももし、奴が刺し違えるような真似でもしたら────」
「くっ! そうでなくても、自らやられに行くことも考えられる。激昴している今の相手なら、手段を選ぶ余裕などないだろうぜ」
だが、各々が情報と状況を咀嚼する度に、果たしてフレシア様は本当に勝てるのか、という不安の種が伝播する。
そしてそれは、大人達だけに留まらず、まだ無邪気さの残る子供たちもひしひしと感じ取っていた。
「……ママ……フレシア様は、勝てるの? ……ウルティア様を、助けられるの?」
「……信じましょう。あの御方を……」
繋いだ手の指先をか弱い力で引く我が子を、泣きたい気持ちを押し殺して笑顔で抱きしめる母親。
自分の近くでそんな場面を目の当たりにしたヴェネットも、体育座りから立ち上がった直後に足首を捻って、煉瓦の地面と濃密なキスを交わしている。
「むう……このままでは……」
「みんな動揺してるわ……状況も芳しくないし……」
ヴィエラとフランが、僅かながらの希望が国民たちの表情から消えかけているのを目の当たりにし、焦燥の色を露呈させる。
周囲の反応から、所詮はただの戯言、大法螺、世迷言と切り捨て、自分の勝利を確信しつつあったギースが、カメレオンの顔でニタァと笑いかけた時、渦中の人物が剣を持った右腕を天高く突き上げた。
「────絶望を嗤え」
「!?」
「────不幸を祝え。運命に喜べ」
大声ではないが、この場にいる全ての者に届いたその言葉の連鎖は、ある者を鼓舞し、またある者を奮起させ、どんよりとした悪天候の如く沈みかけていたパトリフィアの国民たちを、希望に満ち溢れた清々しいものへと変えていた。
「────挫折を楽しめ。そうすれば────」
笑顔に富んだ国民たちの視線の先は、天頂の星々を紡ぐように、再びフレシアにも────ウルティアにも聞こえるように言葉を紡ぐ、瑞樹が掲げた韋駄天の切っ先を、更にずっと見上げた先に向けられた。
「────勇気の星は、涙を流さずに済むのだから」
対峙する化け物の右眼が、掲げた韋駄天のしなりを写し、そこに流れおつる日の光が、滴り落ちる涙の軌跡に幻視する錯覚を、瑞樹は憶えた。
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