第十八話 ウルティマ・ラグーナ・ラフレシアの純情な感情
「ダッサ」
瑞樹による一世一代の渾身の見栄を、いとも容易くえげつないほどに木っ端微塵に破砕したのは、敵であるギースではなく、味方であるはずのヴェネットであった。
「あの星ってどれのことよ。星の数なんて、それ自体が喩えになるほどたくさんあるわ。それに、何それ? あんたの名前名乗ってるようで、なんか別の意味に聞こえるんですけど? この数時間どこで何してたかは知らないけど、あんたいつの間にそんな中二病拗らせたの? フレシアの姿で、よくそんな醜態晒せるね。あーあ、変に期待のハードル上げすぎたかしら」
情けも容赦も一切ない、怒涛の罵倒の口撃。既に大理石の彫刻のように真っ白になっていた瑞樹は、人魂が抜け出る前に自身が原子レベルで粉々になったかのような幻覚を認識した。
「ヴェ、ヴェネット……それ以上はアルがかわいそ────」
「いいえ、この際だからハッキリ言わせてもらうわ!」
クリスがこの場を諌めようとするが、ヴェネットは彼女──の胸──を突き飛ばし、瑞樹に更に追撃を加える。
「アルシオン! 初めて会った時からずっと思ってたけど、あんたものっすごくキモイんだよ! いきなり私をババア呼ばわりするかと思えば、瀕死のフレシアの顔見て鼻の下伸ばしてるし、自分にできたおっぱい揉みしだいてえろい声出してんじゃないわよ! あんたなんか、あのキチガイトカゲ男に八つ裂きにされてギッタンギッタンのぐっちょぐちょになってしまえばいいわ! こんの、世界遺産級のむっつりスケベ!」
時に身振り手振りを大袈裟に行い、ヴェネットは噛むこともなく罵る。
しかし、言われ放題の瑞樹も黙り続けられるはずもない。
いよいよ我慢の限界がきて、頭にもきた瑞樹はヴェネットの方へ振り向くやいなや、見下すような視線を突き刺した。
「はああああああ!? 人の口上を一撃で貶しといて何様のつもりで言ってくれちゃってんの? 俺があの頭パッパラパージェントルマンに負ける? はっ! あんなやつ【アウトオブ眼中】だし! 歯牙にもかかんねえし! 擬似的な精神と時の部屋で強くなった俺が負けるわけねえっつの! それに、初対面のヴェネットがババアだったのはマジだろうが! あん時お前の口臭すぎて駆逐されるところだったぞ! この……口臭街道女!」
「カッチーン……」
謎の擬音を呟いたヴェネットが、額に血管を迸らせて瑞樹の元へ詰め寄る。
「あぁあぁあぁあぁ! あんたにっ! 言われなくてもっ! 分かってるっつの! 男のくせにっ! こんなっ! 贅肉ぶら下げてっ! 偉そうなっ! ことっ! 言ってんじゃっ! ないわよっ!」
瑞樹と対峙するなり、いきなり頭突きを繰り出したヴェネット。身長差故に胸に阻まれ、瑞樹はあまり怯まなかったが、ヴェネットはその後、何故か瑞樹の──元々フレシアの胸を殴り始めた。
「ふんっ!」
「きゃあっ!」
無言で小ぶりの拳を受け続けていた瑞樹は、呆れたように鼻で笑うと、ヴェネットが殴ったタイミングに合わせて胸を張り、彼女を弾き飛ばして尻餅を着かせた。
「……フレシア様は何をしておられるのだ……?」
噴水広場の外側で、二人の様子を窺っていたエルフの誰かが口にした言葉に、近くにいた他のエルフたちは激しく首肯する。
たまたまその言葉が聞こえたクリスも、苦笑しつつ頬を掻く。
しかし、この状況でただ一人、大きめの声で笑っている人物がいた。
「アルシオン……と言ったか…………キヒッ……キヒヒッ……てめぇ…………よくも……!」
ギースだ。顔を伏せて、肩で笑っている。
だが、名指しされた当のアルシオン──瑞樹は、奴に背を向けているためか、その奇妙な仕草に気づかない。
「な、何すんのよ!」
「何って、お前があんまり胸触りまくるから、嫌がるフレシアに代わって俺が応えたのさ。何でお前がそこまで巨乳が憎いかは知らないがなヴェネット、この胸のせいで肩が無茶苦茶凝るの知らねえのか? 俺がどんだけ苦労して、マッサージして、綺麗な形を保って、凝りにくいように揉み続けてきたか、傾斜ゼロの山道の崖にしがみついてるお前には一生分かんないだろうな」
ため息をつきつつ、呆れたように両手を挙げる瑞樹。
その後おもむろに右手で韋駄天を鞘から抜くと、ヴェネットに見せつけるかのように胸の前に持ってくる。
「ただでさえこんなでっかいおっぱいのせいでしんどいのに、その上でこれぶん回して戦うんだぜ? 他にも腰に数本帯刀しながら。身体バッキバキになるぜ、いっつも。だからたまにさぁ────」
「────よくもこのオレをコケにしてくれたなあああああ!」
咆哮。
それは、闇夜の空に虚しく響くある男の魂の叫び。
ギースは自らの絶叫を皮切りに加速した。
その顔に満ち溢れるは、怒り。
蚊帳の外で聞いていた会話は互いの罵倒であるはずが、いつの間にかギースにもその一部が飛び火していた。
火種はひたすらに小さいが、それが投じられた燃料の容積は計り知れない。
怒りの焔を滾らせるギースの刃が、瑞樹の背中に強襲する。
「きいいいいいいいひゃあああああああああああっっっ!」
「こうやって────」
しかし瑞樹は、予備動作もなしにのんびりと、韋駄天を持つ右手を背中に回すと、後頭部を一寸先にまで捉えかけていたギースの剣を軽そうに受ける。
韋駄天を傾けることでその刃をいなすと、右肩に振り落とされるように剣閃をずらし、そのまま韋駄天ごと肩で喰らった。
だが、瑞樹の右肩には傷一つない。両刃である韋駄天を回し、刃の腹がぶつかるように捌いたからだ。
「かああああああああっっっ!」
「肩叩かないと────」
今度はやや鋭角に、明らかに首を狙った太刀筋で空に線を描いているギースだが、またも瑞樹は直接見ずに捌き、そして左肩に着地するようにいなし、韋駄天ごと攻撃を受ける。
「しゃああああ、しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃーっっ!」
「頻繁に…………凝り固まって…………ダルいの…………なんの…………」
ギースが剣を振り、瑞樹が韋駄天で受け、いなし、肩で喰らう。
それが左右の肩で交互に行われた。涼しい顔で攻撃を受ける瑞樹の様子に、ヴェネットも我が目を疑う。
「きしゃああああああっっっ!」
「────ってあれ? 何だよ、もう終わりか? しゃあねえなっ!」
一瞬攻撃が止んだことに気づいた瑞樹は、迫り来るギースへ振り返って、再三襲いかかってくる奴の剣と韋駄天を衝突させる。
弾かれることもなく、互いの刃が接触したまま顔を寄せ、ギースは言った。
「何故だ! 何故オレに背を向けておいて、攻撃が来るところが読める!? あの時のてめぇにゃあそんな芸当出来るわけが!?」
「ああ、あん時はな。洞窟の前で戦った時は、俺は自分の弱さを思い知ったさ。だがな、ほんのちょっとのラッキーと、アンラッキーがあったから、俺はこうしてここにいる。それに、言ったはずだぜ? お前なんか、眼中に無いってなぁ!」
瑞樹はギースの剣を押し返し、何度目か分からないほどに互いの距離を置いた。
そして追撃するのではなく────なんと、韋駄天を納刀して自らの胸元に手を置いたのだ。
これには、いよいよ殺してやろうかと息巻いていたギースも出鼻をくじかれた。
「てめっ! いい加減に────」
しかし、瑞樹はただ胸を触りたかった訳じゃない。
知りたいのだ。スプリガンの可能性を。
「【ユリイカ】」
◇ ◇ ◇
「ここは、どこ……?」
虚無。
視界に映る景色がただの黒一色しかない空間を、フレシアはさまよっていた。
移動しているつもりではあるが、地に足が着いておらず自分が宙に浮いているような感覚が、いまいち掴めずこそばゆい。
「アル君……」
彼女の心にわだかまりのように暗い影を落とすのは、まさに死を覚悟したその瞬間に、颯爽と現れて代わりに身体を操ったアルシオン────瑞樹の存在。
そもそもフレシアは彼がいなければ、真犯人のギースと対峙することも、ミノタウロスのザヤルとスピネルの二人と和解することも、何より今生きていることも出来なかったかもしれないのだ。
感謝の思いはとめどなく溢れ出そうなほどたくさんある。そんな大恩はあれど、フレシアにはまだ一つ心残りがあった。
「私……まだ君に何も返せてないよ……」
それは恩返し。フレシアは、自分から瑞樹に何か行動したことがないのだ。
いや、あったかもしれないが、それが思い当たる節もない。
しかしこのままでは、自分の代わりにギースと戦っている瑞樹に、せっかくの恩を仇で返してしまう。
そんな一抹の不安が頭をよぎった時、何も無い世界に突然光がさした。
「なっ、何!?」
急転直下の出来事に理解が追いつかないフレシアは、咄嗟に腕を伸ばして顔を覆うことで精一杯だった。
しばらくして光が収まると、フレシアは目の前に現れたものに驚愕する。
「これって……」
見たことも無い模様の四角形が、幾つも宙に浮いている。
共通して、右上に同じ模様のボタンのようなものが付いているが、縦横の長さは様々で、それぞれ全く違う文字が書かれているのだ。
しかも、それらを近くで見上げる人物が腕を薙げば、四角形はそれに合わせて移動し、拳を開けば四角形が拡大され、逆に握ると消滅している。
だがそれ以上に、フレシアの視線は四角形を操作する人物の方へ奪われる。
「やぁフレシア。さっきぶり……って変な言い方だけど、やっと、また逢えた。何より……無事でよかった」
「……アル君……!」
振り返りながら話しかけてきたその人物は、アルシオン────瑞樹だった。
操作する手を止め、完全にこちらに振り返った瑞樹。
彼に言いたいこと、伝えたいことがたくさんあるのに、喉元まで出かかっているそれらが、まるで口に出すことができない。
────アル君に……いきなり好きだなんて言っちゃった……。もっと他に言うべきこと、あったのに……。これじゃあ私、恋人……みたいじゃない…………。
あまりの恥ずかしさに、穴があったら入りたいとさえ思えてくる。フレシアの心は、振り子のごとく揺れ動いていた。
しばし何も言い出せず、かといって向こうから話しかけてきてくれるわけでもなく、二人の間を不思議な沈黙が走る。
奇しくも、それは突然破られることになる。
「あ、あの!」「あのさ!」
全く同じタイミングで、瑞樹とフレシア、二人ともに口を開く。
「「あっ……」」
そしてまた、沈黙。今度はやや短い間であったが。
「フ、フレシアから……先に言えよ……」
「いや、アル君からでいいよ……」
互いに自分から切り出したくなくて、相手に譲歩し合う二人。
余計に話しづらくなり、ますます顔を赤らめてしまう。
「じゃ、じゃあ俺から言うわ……」
しかし、押し問答になると優柔不断になるのが瑞樹の悪癖である。
多少の羞恥心を覚悟の上で、瑞樹は話を切り出した。
「ここに飛んでくる時に、突然離れ離れになったのはあの男が作ったであろう結界みたいな空間に差し掛かったせいなんだ。どうもあれはスプリガンの、特に霊体状態に強力に作用するみたいでな。フレシアじゃなくて俺だったのは、外見の人物の一致する魂だけは通すからなんじゃないかな。もしスプリガンそのものに作用してたなら、ヴェネットたちも落ちてただろうし」
「あ……うん……」
「それで、レンテ書籍館ってところに落ちたんだけど、そこでめっちゃ面白いことが起きてさ。なんと、本触っただけでそこに書いてあることが分かるっていうスゲー能力手に入れちゃってな! それで片っ端からいろんな本触ってたらな、これまたすごいことに、いつの間にか剣技が使えるようになってたんだよ! それにだ! ちょっと変わった魔法も使えるようになったんだぜ! 魔本なしで! あんまり言いたくない言葉を一回言わなきゃならないんだが……扉を触らずにバーンって開けたりできてすごいんだぜ!」
「そう…………」
話すにつれて熱を帯びていく瑞樹とは対照的に、フレシアの心は段々と冷静になっていく。
「で、それの力でなんとか脱出できたんだが、噴水広場、あそこから遠すぎだろ。ここに来るまでに、人一人連れて来たせいで無駄に疲れ────」
バチンッ
渇いた音の後に、瑞樹の頬が紅葉のごとく腫れ上がる。
話に夢中で気づいてなかったが、いつの間にか近づいていたフレシアが左手を振り終えていた。
「最っ低……!」
静かな怒りに満ちた声でフレシアは呟く。
「アルシオン……あなた最低よ! あいつと戦っている時、私はあいつが憎くて、殺したくて仕方なかった! お母さんを、ミュリンさんを、妹を…………ウルティアを殺したあいつを! 私を絶望の谷底へ突き落としたあの男を!
……やっと正体を現して、全ての合点がいった時、私は嬉しかった。あの男に……ギースに、復讐ができる。あいつを倒すことで、私は復讐を成し遂げられる。そう思ってた。
でも倒せなかった! 勝てなかった! ……とても……怖かった。私の力じゃ、どうやったってこいつには敵わない。それを思い知らされた。そうして心が折れかけた私の前にアルシオン、あなたが現れた。
あの言葉は、私の中で勇気になった。あなたがああ言ってくれなかったら、私は絶対に立ち直ることなんてできなかった! あなたになら、あとは任せてもいいとさえ思った!
なのに…………その口振りは何? 私の復讐の相手は、あなたにとってただのお遊びなの? ここに来るまでの時間は、探し回ったせいじゃなくて、単なるおふざけで潰していたの? ……馬鹿よ。大馬鹿よ。あなただって、ギースほどでもないにしろ、最低最悪の大馬鹿者よ! 底意地も悪くて……私の気も知らないで、人の心を踏み躙って! こんな気持ちになるんなら……あんなこと、言うんじゃなかった! 何より…………こんなことなら、あの時死んでた方がよかった! キスなんて…………するんじゃなかった…………」
「…………」
それは、フレシアがおそらく初めて瑞樹に吐露した本音。
フレシアにとって、瑞樹────アルシオンという存在は、他に類を見ないほどかけがえのないものへと昇華していたのだ。
たった二日間、初めて会った昨日の昼間から、ほんのわずかな時間でここまで大きな存在となったのは────
「恋愛なんて…………するんじゃなかった…………」
────瑞樹が、フレシアにとっての初恋だからだ。
◇ ◇ ◇
記憶の片隅に薄らと残っている、今は亡き父エルダートとの思い出。
齢九つほどのフレシアが、父に連れられて初めてパトリフィアの王城を訪れた時のことである。
「お、お待ちくださいエルダート様! 殿下から貴方様の王城への立ち入りは固く禁じておられ────」
「邪魔をしないでもらいたいな、ヴィエラ。僕はただ妻の顔を見に来ただけだ。別居してるとはいえ、夫の気まぐれをシュプリム以外が止めてくれるなよ。それに、君が僕に勝てたことが一度でもあるか?」
「し、しかし…………」
正門を潜り抜け、エントランスをゆっくりと歩いていた二人を、まだ髭が生えてなく若かりし頃のヴィエラが止めにかかる。
エルダートとヴィエラは、王城暮らしをしていた頃に木剣を用いた剣術の師弟の関係を築いていた。
当時既に武力を持つことを禁じる考えがあったにもかかわらず、エルダートの剣の腕はどこか秀でるものがあった。
その才を見越して、彼は王家に婿入りを頼まれ、やがてヴィエラの方から弟子入りして、毎日のように剣を振るっていた付き合いだ。
そんな二人だからこそ、信頼関係は誰よりも固く強いものであった。
「……分かりました……殿下によろしくお伝えください。ですがエルダート様。貴方様にもしものことがあったら私は──」
「心配すんなって。自分の身体のことくらい、分かってるつもりさ。間違っても、僕は堕ちたりはしない。この娘に誓って」
言いながら、フレシアの頭を大きな手で鷲掴みにして、髪の毛をくしゃくしゃと弄りだす。
首を振るって拘束を解くと、フレシアは顔をムスッと膨らして反抗の意を見せた。
「おーごめんよウルティマや! 父さんが悪かった! 謝るこのとーり!」
途端に童心に帰ったように感情表現を大仰にし、合掌してフレシアに首肯するエルダート。
遠巻きにその様を見ていたヴィエラは、安心したように嘆息すると、腕にかけていたハンカチーフを一瞬で畳み胸ポケットにしまって廊下の奥へと消えていった。
二人が城を歩くことわずか二百歩余り、眼前には煌びやかな紋様の両開きの大扉が屹立していた。
エルダートが両手でゆっくりと開けると、石柱のある広間を貫くレッドカーペットの先に、優雅に茶を嗜みながら佇んでいる女性がいた。
玉座に居を構えるその人物こそ、エルダートの妻にしてフレシアの実母、シュプリム・ラ・パトリフィア女王殿下である。
「やあハニー。今日は実に清々しいほどの快晴だ。こういう日こそ、夫婦水入らずで街へ繰り出して、新鮮な命の恵みに敬意を払って最高の食事を────」
「どちら様でしょう。今の私にはそんな軽薄でそそっかしい無精髭の伴侶など居らぬはずですが」
「ぐっ……あ、相変わらず切れ味が鋭いなぁ。痛い所をついておられる。一時パトリフィア最強と謳われた僕の女房として、君を超えるような逸材は金輪際現れないだろうさ。何せ君は、国にとっても僕にとっても女王様だからね」
「剣の腕は業物級でも、言の刃はなまくらですものね。負け惜しむとすぐに下卑なことを軽々しく口にする……だからあなたは嫌いですわ。たとえあなたが【アルブ・パラドクス】を患っていなくても、足蹴にして城から追い出したでしょうよ」
「おお! それは素晴らしい! シュプリムちゃんの御御足に蹂躙して頂けるなんて、至極光栄後悔無片に尽きる所存! 僕の背筋は、君の土踏まずの窪みを長時間堪能するために日々鍛えているようなもの! ならば尚早の極み! 我が五指で君の靴を脱がすところから────」
「フラン。そこの淫らな輩を国外へ追放しなさい。責任は私が負うわ」
「はい、奥様」
シュプリムに茶を与していたメイド──若かりしフランが、虚空の鍵盤で演奏しているかのように滑らかに指を動かすエルダートの背後をとり、近くで静観していた他のメイドたちと共に彼を持ち上げると、大扉の方へ向かい部屋を後にしようとする。
「お、おい! よさんか! 僕はただ妻に会いに来ただけだ!」
「存じ上げております。ですが私共も、奥様の命令には従わねばなりませんので」
「よ、よせええええええ!」
エルダートの必死の叫びも虚しく、フレシアを室内に残してメイド達は大扉を閉めてしまった。
広間には、嵐が過ぎ去った後のような静けさが、若干の喪失感と余韻を誘っていた。
しかし、急な静寂がいつまでも続くはずもなかった。
何かに耐えきれなくなったように、閉口を解いて吹き出す人物がいた。
「ふふっ、うふふふふふふふふふふ……」
フレシアだ。
「……フラン、あなた、もういいわ。戻ってきて頂戴」
彼女の様子を見たシュプリムは、苦笑いしつつ顔に手をあてがうと、大扉の方へと呼びかけた。
「ふぅ、やれやれ。ウルティマお嬢様にも困ったものです。ご両親の仲を戻したいからと、『初対面の時のよく分からない口喧嘩を、会う度に再現して欲しい』などと…………子供心にお二人を慮る気持ちは分かりますが、もっと別の方法もあったのではございませんか?」
「いいじゃないか、フラン殿。僕にとって、ハニーは未来永劫いつまで経ってもハニーなんだからさ。それに、ウルティマが喜んでくれるなら、父親冥利に尽きるってものさ。君のところのエルトちゃんも、何か考えてくれてるかもしれないよ?」
「うちの娘とお嬢様を比べないでくださいまし! 生意気の限りを尽くすあの子には、むしろお嬢様のことを見習って欲しいものですのに……」
付き添いのメイド数人が大扉を開ける中、フランとエルダートは仲睦まじそうに談笑しながら入ってきた。
だが、当人達はそれに気づくのに少し時間を要した。
玉座に居座るシュプリムの腕が、込み上げてくるものを抑えようとしてはいるものの、耐えきれずに震えながら持ち上げている様を。
そして────ダンッ
「ああああなあああたああああああっ!」
手すりに拳を振り落としたシュプリムは、苦虫を複数噛み潰したような鋭い表情でエルダートを牽制する。
「何のためにあなたをこの王城へ招き入れたと思ってるんです! ウルティマを喜ばせるために来たのでしょう! あなたが現を抜かして嬉しそうにしてどうするんです! このためだけに今日の公務を全て断ってまで時間を割いたというのに、あなたという人は…………!」
「ち、違うんだハニー! フラン殿には前々から世話になってるし、同じ娘を持つ親同士、気が合う部分があったんだよ! それに、ウルティマの時は側にいてあげられなかったから、今度産まれる子には寄り添ってあげたくて、彼女に意見を求めて…………」
「同じ娘を持つ親同士……ねぇ…………その中から私は外れている、と。そう言いたいのね、あなた…………」
「違うんだハニー……これは……」
「何が違うと言うのです! 往生際が悪いですよ! だからあなたは────!」
瞬間。
何かを察知したシュプリムは、強まりかけた語調を急激に弱める。
が、時すでに遅し。それは、突如として決壊した。
「うう……ううああああああああああああああああっ! うわあああああああああああああああああん! あああああああああああああああっ!」
広間中に谺響する癇癪。フレシアが声の張れる限りを尽くし、号泣しながら大絶叫していた。
「おとうさまがあああああ! おかあさまをなかしたああああああああああ! おかあさまがああああああああ! おとうさまをおこったああああああああああああ! なかよくしてっていったのにいいいいいいいいい! おとうさまも…………おかあさまも…………だいきらいいいいいい! うわああああああああああああああ!」
両親ともに宥めようと思考を巡らすも、言葉にする前に言うだけ言ってフレシアは広間を飛び出してしまう。
「ウルティマぁっ!」
「あ、あなた! 責任とってウルティマを探してきなさい! それと、もう今日はここに来ないで!」
届かない腕を伸ばして愛娘の名を呼ぶエルダートを、シュプリムは面倒事とばかりに押し付けつつ、メイドに指示を出して広間から追い出した。
廊下に尻餅を着いたエルダートは、長髪を伴う頭を掻き毟り、大きく溜息をついた。
「はぁ……とんだ迷惑だなこりゃ。ったく、世話焼きはどっちか一人にしてくれよな!」
自分の顔を両手で叩き自らに喝を入れると、大扉から踵を返し、人の少ない王城内の廊下を疾駆する。
エルダートの足音が遠ざかるのを傾聴していたシュプリムは、扉に添えていた耳を離し、玉座に戻ろうとして──踏み止まる。
すると、纏っているドレスのスカート部分をつまみ上げ、顔を紅潮させながら地団駄を踏み出した。
「ああああああ駄目ね私ったら。ヴィエラや、他の男性を見ても靡くものはないのですが、あの人を見ていると…………こう、何と言うのでしょう。私の心臓の、心臓でない部分が脈打つというか。あなたと言えど、他の女性と話している様を見ると、寿命が縮んだのではと錯覚するの。ヒュムノスの数倍の寿命を誇るエルフの現女王であるこの私が。それが嫌になって頭にきて…………ごめんなさい。あなたにはいつも愚痴を聞いてもらってるのに、今日は何だか嫌味みたいよね、フラン」
「いいえ奥様。私のことなど、いくらでも罵って頂いて構いません。ですが、私は奥様を大変羨ましく思います。私の主人は、エルトを授かる少し前に逝ってしまいましたから。あの人も、御主人様のようにエルトと、私を愛してくれていたかなどと、烏滸がましい考えも時折過ぎるものです。奥様は、御主人様の愛を素直に受け止めるべきだと存じますわ。そして、きちんと奥様の愛も伝えるべきだと存じます。あの方が、向こう側に堕ちる前に……」
諭すようなことを心配そうに話すフランに、足を止めたシュプリムは目元から雫が落ちたことを認識した。
「ぐすっ……そうね。ありがとうフラン。また今度、秘密裏に呼んでみようかしら。ウルティマも…………この子も一緒に」
流れた涙を手で拭うと、シュプリムは少し膨らみかけのお腹を優しくさすった。エルダートとの間に授かった、待望の第二子である。
しかし、後にウルティアという名を授かり、逞しく育つことになる妹の姿を彼が拝むのは、だいぶ先の話になることは、この時はまだ誰も想像してなかったのである。
雲一つない空の下、頂点にまで登り詰めた太陽が、重力に抗おうとするも勝てずに散開する水滴を、一直線に貫いて水面に無数の虹を描く場所で、フレシアは止まらない涙を流していた。
「うあ…………うああああああああっ…………」
今日のためにと、慣れないながらも頑張って施したお化粧も、エルダートから貰うなけなしのモルを貯めて買ったドレスも、何度も手を擦りつけたり、膝元までの深さがある水溜まりに腰を落としていたりするせいで台無しだ。
「おとうさま……おかあさま……なんで……ですか……」
「ウルティマっ!」
突然、名前を後ろから叫ばれてフレシアは目元を拭う手を止めた。
振り返って見ると、水流のカーテンの向こう側に体格の大きな男性の姿が映った。
特徴的な髭などで誰か分かった。エルダートだ。
「まさかここにいるとはな……はぁ……もう、とっくに家に帰ったもんだと……ふぅ……探したぞ……」
顔中が汗だくで、両膝に手を添えて肩で息をしている。
どうやら相当な距離を探し回ったらしい。中々膝から手が離れることがない。
「さぁ、こんな所にずっといたら風邪引くぞ。早く家に帰ろう」
ようやく落ち着いたのか、エルダートは噴水の堀に足を踏み入れ、内側にいたフレシアに向かって手を伸ばす。
しかし、フレシアはその手をとることはなかった。
「なんでなの……おとうさま、なんでおかあさまとなかよくできないの……?」
フレシアは、幼い頃から別居を続ける両親の関係に、子供心に疑問を持っていた。
シュプリムについては、王城で仕事をする偉い立場の母という認識で、まさか女王だとは考えていなかった。
エルダートも、他の農家とほとんど変わらない量を畑で栽培し、日々土と向き合っている印象しかないのだ。
二人の接点がまるで思い浮かばない。でも、夫婦である。
どのような出逢いがあって二人は結ばれたのだろう。そんなことを思いつつも、しかし幼いフレシアにはまだ『恋愛』の概念が分からないが、それでもなお聞きたかったことを自分の語彙の範疇で、エルダートに口にするしかなかったのだ。
当の本人は、娘の珍しく核心をついた問いに対して一瞬我を忘れるが、その後まるで疲れを感じさせないほどにこやかに微笑みかけつつ、より一歩前へと踏み出した。
「……ウルティマも、あと数十年すれば分かるさ。ハニーの────恋する乙女の気持ちってやつがな。ほうら、無理矢理にでも連れてくぞ! これ以上は父として看過できないんでな!」
そうしてフレシアの身体を両手でひょいと持ち上げると、肩で背負うようにして帰路につき始めた。
エルダートを正面から見ると、フレシアのお尻が突き出して見える。
「やああああああ! おとうさまやああああああ! 下ろしてええええええ!」
「ダーメーだ。今下ろしたら逃げるだろ。嘘泣きしても許さん! せっかくウルティマの大好きなアレを夕飯にしようと思ってたのになぁ。食料無駄になっちゃうなぁ」
「それもやああああああああああ!」
じたばたと暴れて肩を叩くフレシアを、エルダートは髭を窘めながら大声で笑い飛ばしつつ、噴水広場を後にした。
◇ ◇ ◇
────やだ、私ったら。なんで今更こんな思い出を……。
ふと我に返ったフレシアは、幼い時の両親の思い出を恥じた。
年に数度しか会えない母親と、毎日会える父親。
そんな二人の、円満の秘訣や馴れ初めを知らぬ間に幾年もの時が経ち、その過程でエルダートと死別、シュプリムと滅多に会わなくなり、いつ授かったかも知らない妹が、次期国王の座を与えられる第一王女として迎えられていた。
農家として大成していくのとは反比例して、フレシアの中で芽生えていたのは、王家の血筋に生まれてしまった自分への、そして妹への嫉妬。
一時期は膨れ上がっていたそれは、あの事件をきっかけに徐々に縮小していき、いずれは頭の片隅からも消えるはずだった。
だが、その蛍火にも等しい小さな炎に油を投じたのは、彼女の左手を頬に押印された人物────
「……ウルティアに、会ったんだ……」
────瑞樹だった。
「レンテ書籍館に落ちた時……急に彼女の方から気づいてきて、近づいていったらめちゃくちゃ驚かれてな……。よくよく見たら彼女も、俺が身体を動かしていない時と同じように、幽霊みたいな姿で宙に浮いていたんだよ。話しててお互いなんか夫婦漫才みたいになっちゃって、てんやわんやだったんだけどな……」
ただ、事実を述べているだけなのだが、それを聞くフレシアの顔は、はちきれんばかりの怒りに満ちていた。
「どうしてよ……」
「……何がだ」
「どうして、私以外の女性とはそんな楽しそうに話せるの……? ヴェネットちゃん……クリスさん……そして、ウルティア…………私の妹とも、何でそんなに楽しそうにできるの……? 私はこんなに心苦しい思いをしてるのに……アル……シオンは、何で私を気にかけてくれないの……?」
「ああ、そのことか……それはな……」
切れる寸前の堪忍袋を握り締めて聞いた質問に、瑞樹はあっけらかんとした口で返す。
あまりの態度に怒髪天を衝いたフレシアは、その勢いのままに感情を爆発させようとした。が────
「フレシア。お前、俺のこと好きだろ」
────瑞樹の、浮かれ気味だった先程までとは違って、冷静かつ核心をついた言葉に、思わず感情の整理がつかなくなる。
「あっ! なっ! えっ……えええええええええっっっ! い、いきなり何を────」
「いきなりも何も、さっき身体入れ替わる時に言ってたことは嘘なのか? 俺にはどうも、本気の台詞に聞こえたんだが」
「えっ、ちょっ、まっ、待って! や、やめて恥ずかしい! ほ、本当はち、違うの! あんなこと、言うつもり全くなくて……」
予想外なほどに大真面目に、「俺のことが好きか?」と問いかける瑞樹に、身振り手振りを繰り返しながらどんどん紅潮していくフレシアは、本心に嘘をついた。
だが、瑞樹の反応は諦めがついたというより、むしろ納得しているかのようなものだった。
「そうなのか。そりゃそうだよな。フレシアには、俺なんかよりずっと好きな人がいるもんな。相思相愛ってほど大好きなやつが」
またもや予想外どころか奇想天外な言葉に、フレシアの顔から血の気が引いていく。
「えっ……それってどういうこと……? 話の脈絡が分からないわ……どうしてそういう結論になるの……?」
「言葉通りだぞ。俺以上に好きなやつがお前にいるから言ってるんだ。俺なんか比べ物にならないくらいの相手だ」
「だ、誰よそれ! 教えなさい! 私は、君以上に誰のことが好きだっていうのよ! ウルティアのこと!? それともお母さん!? お父さんの方!? 一体誰なの!?」
「はぁ……こんなに身近にいるってのに、まだ分かんねぇのか? 自分のことくらい自分で気づけよバーカ」
「んなっ! 何よその言い方! 早く言いなさい! 答えによっては一生恨むわ!」
勿体ぶって煽り続ける瑞樹に、もはや我慢の限界が来て、フレシアは襟首を両手で掴み、鬼気迫る勢いで詰め寄る。
しかし、再び頭に血が上って熱がこもるフレシアに対して、瑞樹は冷淡な視線を浴びせ、極めて淡々と言い放った。
「それはな…………フレシア……いやウルティマ、お前自身だ」
「えっ…………」
自分が一番大好きな人物は、自分。
目の前の人は────アルシオンは、何を言っているのだろう。
今までで一番フレシアの理解を超越した答えに戸惑いを隠しきれず、瑞樹を掴む両手の力がまるっきり抜け落ちてしまった。
一瞬だったとはいえ拘束から解放されると、瑞樹は無言で肩の埃を払うように手を動かしつつ、付け加える形で言葉を添えた。
「正確に言うと、お前が好きになってるのは、昔の自分。農家のフレシアは、エルダートお父様とシュプリムお母様が大好きな、長女のウルティマ・ラ・パトリフィアちゃんと絶賛両想い中だってことだよ。分かったか、セルフレズビアンめ」
皮肉にも、初対面の翌日にヴェネット共々教えた元の世界の言葉は、大体が若者言葉か下ネタか罵倒の言葉ばかりだったためか、瑞樹の言う台詞は難なく理解は出来ているフレシア。
だが、ふとした疑問が頭に過ぎった。
「何でアル……君がその事を知ってるの……! まだ君だけは何も知らないはず……!」
まさかの人物からの事実の供述に、フレシアも一概に呼び捨てできなくなってしまう。
思わず身体を強ばらせるが、瑞樹は先程までとは打って変わって、笑うのを堪えるような口振りで答えた。
「えっ、いやぁだってさ。まずここがどこだか知っててそれ聞くか? 今の俺達、精神世界で会話してんだぜ? しかも、二人共同じ身体の中で。 ここじゃあお互い、考えてることがだだ漏れだぞ。それに、あんなの見せられちゃあなぁ……」
そう言いつつ、瑞樹は親指を横に向けて指し示す。
その方向を見たフレシアは、視界に映るそれを視認した瞬間に烈火のごとく赤面させ、喉頭を反射的に超振動させた。
『やああああああああああああああああ!』
「やああああああああああああああああ!」
寸分の狂いもなく奏でられた、ソプラノとメゾソプラノの二重奏。
奇しくもそれは、今昔それぞれの同一人物によるもので、たった一人の観客が笑い転げるほどに素晴らしいものであった。
だが、余程パフォーマンスが気に食わないのか、今の歌手は昔の自分を背にして観客の視線から隠した。
「ア……アアアアル君…………ど、どこまで見たの……?」
「どこまでってそりゃあ……城入るとっから今の件まで、全部」
宣言した以上は嘘をつく理由もないので、瑞樹は正直に言った。
しかし、やはり昔の自分の恥ずかしい場面を見られたことが堪えたのか、言葉にしない代わりに頬を膨らませ、フレシアはムッとした表情で訴えかける。
「そんな怒んなよ。ビンタされて首が向いた方にアレが映ってただけだって。恨むならアレを想い起こした自分の方だぞ。それに……そんなんじゃせっかくの可愛い顔が台無しだぞ。昔のフレシアも可愛いのに……何をそんなにムキになるのさ」
「なっ、かっ、かわわっ、可愛く……なんか…………ない……わよ……」
瑞樹から曇りのない目で真っ直ぐに言われ、延々と螺旋を描く両の眼に翻弄されたフレシアは、空気が抜けたかのように顔から蒸気を発し、膝が内股にしようと接近し始めた。
「おいおい……そこまで本気にしなくてもいいだろ……」
自分が言ったこととはいえ少し罪悪感をおぼえた瑞樹は、償うために、当初の予定から大幅に逸れた話題を引き戻す。
「話を戻すとだな……フレシア、お前は昔の自分を悪い意味で好きすぎるんだ。 人と仲良くしようとする時、昔の自分の話題を振られることを恐れてるんじゃないか? 王家に生まれた自分と農家の自分とを比べられることが嫌だから。知らないうちに、お前は昔とは別の人間になろうとしてたんだろ。だから、王家の血筋の証である『パトリフィア』ではなく、父親の『ラフレシア』を名乗り始めた。もっと言えば、ミドルネームが『ラ』で被るから、フルネームの『ウルティマ・ラグーナ・ラフレシア』をもじって、『ウルティマ・ラ・フレシア』、こんな所か。そして、あくまで自分はエルダートの娘のフレシアだと言い張って、ウルティマという存在は、ウルティアより先に産まれたが幼くして亡くなった女王の娘、そういう様な噂を流す計画を立てたんだろ。他ならぬ女王である母親と」
「!」
「案の定、図星か。これが、『女王の隠し子の真実』の真相ってわけだな。どうやら向こうさんは何だか知らんが、それも込みで色々知ってそうな雰囲気あるぞ。ギース、だったっけか。因縁づけられたこととか何かあるのか?」
「し、知らないわ! まず、アル君を除いて、他にヒュムノスの知り合いが私にいると思う?」
上の空になりかけていた所に、青天の霹靂のごとく質問が投げかけられ、フレシアは慌てて答えた。
「まあ、思わんな。ただ、奴はヴェネットたちの故郷を襲った組織の一員だ。その時奪った仮面の力を応用して、ヒュムノスに化けたエルフって線も考えられる。可能性はゼロじゃない」
しかし瑞樹は冷静に言葉を並べ、決して低くない可能性がありえることを語る。
「それに、まだ奴にはウルティアが人質として捕えられてるんだ。霊体になった本人の意識は無事だけど、隠しているはずの身体を盾にしてくるかもしれん。油断は禁物だぞ」
「そう、ね。肝に銘じておくわ。うん」
フレシアの反応は怒るでもなく、悲しそうでもなく、淡々としたものであった。
瑞樹はそんな彼女を見て、後頭部がムズ痒くなって右手の五指で掻き毟る。
「どうした? 何か気になんのか?」
「うん…………何か、あっさり見抜かれちゃって、拍子が抜けた感じなの。必死に知らんぷりしてきたこの数十年間は何だったんだろうって。そう考えるとね、私、虚しくって」
「それなんだが……割とバレバレだった気がするんだが……」
言いにくそうに話した瑞樹の言葉に、フレシアはもう何度目か分からないほど、両の目を刮目させた。
「な、何でそんな! そこまで私は馬鹿じゃ────」
啖呵を切ろうとしたフレシアだが、鼻先に向けられた瑞樹の人差し指に阻まれる。
「悪いがそういうところだぞ。フレシア、考えてることが結構表情に出てるぞ。ウルティアに関することには尚更な。この二日間、口を開けばウルティアウルティア…………察せない方がおかしいほどには何度も聞いたわ。二人は実の姉妹なんじゃないかってな。も少しポーカーフェイスを身につけた方がいいな。あと、その口の軽さとか、感情の起伏が激しいとことか」
容赦の欠片もなく怒涛の如く捲し立てる瑞樹の言葉に、もはや怒る気力も湧いてこないフレシアは、言われるがままにただただ目に涙を浮かべ、ついには膝から崩れ落ちその場に項垂れてしまった。
「うう……そこまで言わなくたって…………結局、アル君は私にどうして欲しいのよ……」
その時だった。
瑞樹はフレシアに無言で足早に近寄って、右手を振りかぶり────
────ぶたれる!────
────その手はフレシアの頬に、優しく添えられた。
思わずきつく目を瞑ったフレシアは、瑞樹の行動が理解出来ず、彼の顔と右手を視線でシャトルランし、その度に疲労からか頬が上気し、ないはずの心臓の拍動が跳ね上がり、空気のない精神世界で呼吸が荒くなる。
あわや目玉が飛び出すのではないかというほど瞳孔を全開にし、反応を返すよりも早く開いた、瑞樹の口元に神経の矛先が向けられた。
「改めて聞くが、フレシア。俺のこと好きなんだろ?」
「は、はぃぃぃぃぃぃぃぃイイ!?」
状況が状況なだけに、すっかり気が動転してしまったフレシアは、肯定とも否定ともとれそうなとれなさそうな返事をしてしまった。
しかし瑞樹は、それを肯定と受け取って構わず話を続けた。
「ならさ、俺もお前のことを好きにさせてくれよ! 今はまだ嫌いじゃないってだけで、いつマジで嫌いになってもおかしくないほどにめんどくさいんだよ! これ以上愚痴を並べるつもりはないけど、そんな壊れかけの気持ちをぶつけられたって、微塵も伝わって来ねえんだよ! 自分のことを好いてくれる俺が好きなんだろ!? だったら、俺のことが大好きなお前のことを好きにさせてくれ、フレシア!」
それが合図だった。
とめどないほど溢れ出す涙を流し、整った顔を台無しにするほど鼻水を垂らし、まるで赤ん坊が癇癪を起こしたかのように、フレシアは泣き崩れた。
片膝を着いて近寄っていた瑞樹に自ら手を回し、互いに抱きしめ合いながら、たった二人きりの世界で過ぎることの無い時を過ごした。
────いや、二人きりではなかった。
まるで最初からそこに居たかのように現れた三人目の人物は、互いの胸の逞しさとだらしなさにそれぞれ一喜一憂している二人の後ろから、気遣うことも無く話しかけた。
(ようやく長ったらしい夫婦漫才も終わりかの? 暇がありすぎて眠くなってしまったわい。ふわぁ……)
「どうわああああああああああああっっ!!」
「きゃあああああああああああああっっ!!」
二人してその声のする方へ振り向き、ほぼ同時に驚愕し絶叫する。
見かけの齢はフレシアと同程度か少し歳上の、一糸まとわぬ姿の女性がそこにいた。若々しい顔に似合わず、躊躇いなく大欠伸をかいている。
(何じゃ何じゃあ、二人して。妾のことをまじまじと見つめおって。妾の顔に何か付いておるのか?)
「それはこっちのセリフだ! 誰だか知らないけど、何か全身謎の光に覆われてる知り合いなんていないんだよ!」
事実、瑞樹の視線の先には、黒に塗り潰された精神世界の中では異質なほど、純白に光り輝く空間が広がっていた。
そこから人の声がするので、もはや幽霊なのではないかと思えてしまう。
「あ、あなたは…………いや、まさかそんな…………」
しかしフレシアは、瑞樹とは対称的に別の理由で驚きを隠せずにいた。
「おい、どうしたフレシア。この自家発電女のこと、何か知っているのか?」
「それがどういう意味かはこの際聞かないでおくけど……アル君も会ったことのある人よ。正確には、私の身体を動かしている時に、って言った方が分かりやすいと思うわ」
まるでパントマイムでもしているかのように、顔を隠して正面の光を見ないように手を翳している瑞樹は、神妙な表情のフレシアを窺う。
疑念の拭えない様子の二人を交互に見回して、女性は「ふむ」と納得する。
(どうやら、その疑念を晴らす必要があるようじゃな。こうすればよいかの)
目を瞑り意識を固めると、女性の身体が────瑞樹視点ではより強く────光出した。
しばらくして収束していく光の中から、同じ女性が今度は白い衣を纏って現れた。今度は瑞樹にもきちんと認識出来たようで、フレシアの言わんとすることを理解した。
「あ、あんた……防具屋のおばさん! …………の、若かりし頃? 痩せてるし、色白だし、何より…………何でここにいるんだ!?」
(はぁ……フレシアはともかくとして、よりによってお主が妾のことを忘れるなど、今すぐ死んでもらわないと分からぬのか?)
「いやいやそりゃ困る! だって死んだらユリイカが…………って、まさか、あんたがそうなのか……?」
(やっと合点がいったか。そうだ、妾こそがユリイカ・ラグーナ・パトリフィア。この国の初代女王にして、フレシア────ウルティマの遠い遠い先祖。そしてアルシオン、お主が受け継いだ彼の呪いの、考案者でありそのものである。はぁ……ようやくきちんと言えたぞ。お主ら、回りくどすぎるのじゃ。も少し単刀直入に会話せんかい)
「何……ですって……!? あなたが…………いえ、貴方様が私の御先祖様……?」
「……まあ正直言うと、コレ覚えた時から何となく予想の範疇ではあったけど、改めてすげえな、初代女王様。どれだけの時間かは知らねえが、身体なくしてもなおこの国をずっと陰から支えてきたってことだよな。その行動力と胆力は十分賞賛に値するぞ」
(よ、よさんか馬鹿者! 妾を過褒せども何も出せぬぞ!)
恐らく本日一番の衝撃の事実に、フレシアは自らの頭痛を疑って額に手を伸ばすが、瑞樹は素直に感心し褒め讃えた。
予期せぬ言葉にユリイカは朱色に染まるも、リアクションをほどほどにして話題を戻す。
(……余りにも紆余曲折し過ぎたが、本題に入るとしよう。アルシオン。お主、何ゆえこの場面で妾を呼びつけた? いくら時を選ばぬとはいえ、戦闘中じゃろうに)
「だったらもっと早く現れろ、って言いたいとこだけど、更に拗れそうだからやめておく。理由としては、ちゃんと知りたいからだ。俺の、スプリガンとしての可能性を」
ご一読くださり誠にありがとうございます。
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