第十七話 十六夜に識る、死語の魔法と勇気の星
「さて、と。そろそろヴェネットたちと合流しないとだな。もしかすると、あいつらもう戦い始めてるかもしれねぇし」
両手を組んでうーんと伸ばし、もう出ていく気満々で呟くと、待ったをかけたのは妄想……ではなく焦燥気味に声を張った王女様だ。
「お待ちください! あの男は危険です! 確かに、【あのおまじない】を唱えられるようになった今のアルシオン様なら、絶対に勝てないということはないと思いますわ。ですが、あの男からは、不気味な気配を感じましたわ。ただの恐怖とは違う、気味の悪いおぞましさ、とでも言うのでしょうか」
まあ俺も初見で、なんだこのキチガイは、とは思ったよ。
オーバーリアクションに定評のある知り合いが近くにいたせいで、驚くほど冷静に観察できたけど。
「それに、あの男は私を攫う時、朧気な記憶ですが帯剣していたと思いますわ。戦うとなると、自ずとこちらも剣で応戦しなければなりません。アルシオン様は、剣術の心得はありますでしょうか?」
「ギクッ! い、嫌だなぁ……ととと、当然じゃないかぁっはっははは……」
「明らかな図星ですわね。正直に申し上げましても、残念ながら想定内だったということが皮肉ですが」
すんません。ゲームでボタン連打したコンボの中で生まれる剣術でイキっててすんません。
剣道すらやったことないからって、傘や箒を振り回してそれっぽいことしてドヤってすんません。
「……んま、そう都合よく俺にも戦える力があるなんて考えないよな、普通に考えても。剣術の知識なり所作なりが書かれた本でもあれば話は別…………そうだよ本だよ!」
ここは図書館だ。夜のため暗いが、見渡す限りの山のような本棚に所狭しと並んでいる書籍の数は、数百数千は下らないだろう。
いや待て。それだけ本があっても、一冊一冊調べていたら日が暮れる……じゃない、夜が明けてしまう。
王女様ならどこにあるか知ってるだろうか。望みは薄いが。
「なあ、この図書館のどっかに剣術指南書みたいな本ないか? いや、この際だから武器は問わねえ。なんなら格闘技みたいなんでもいい。とにかく戦うための情報が載ってる本、知ってる限り教えてくれ! 頼む!」
そしたら即記憶してやる! 今の俺なら、多分どんなもんでも使いこなせるはずだ。【ユリイカ】の力で!
「……生憎ですが、この『国立レンテ書籍館』には、その手の武術や武器術を載せた資料も、指南書の類もありませんわ。さっきの話を聞いた限りアルシオン様もご存知なはずです。我が国が武力を好まず、兵士も居らぬと。その風潮は、この館にも如実に表れておりますわ。ほとんどが学問書、歴史書、庶民的なものでも料理本や大衆小説、絵本など、いずれも内容すら縁遠いものばかりです」
っ! そういやそうだったな。忘れてたぜ。
武力持ってない国の図書館に、剣術にしろ武術にしろ、戦うための本がある方が不自然だな。…………ん?
だとしたら、防具屋にあったあの本は何なんだ?
店主のババアの私物にしてはバカでか過ぎるし、元々はここにあったんじゃなかろうか。
でも最近手に入れたような磨り減り具合じゃなかったしなぁ確か。
防具がしこたま載ってるあの本なら、なんとなく役立ちそうだとは思うが、今の青透明な幽体状態でこんな時間に押しかけたら、どれだけはた迷惑なのかと考えると、まあないな。
「…………もしかしたら、あの本なら……」
いよいよもってどうしようもなくなった時、物思いにふけていた王女様が、何かを思い出した顔をした。
「どうした? 何か思い出したことでもあんのか?」
「あ、いえ。そういえば、攫われる数日前にもここに来ていて、その時のことを思い出していたんです。あの時、受付にいた司書様が、何やら黒く煤けた本を訝しげに見ていたと思います。表題や著者名らしきものもなく、各頁毎の羊皮紙は破れやくすみ、それに印字不良なども相まって、とても保存状態が芳しいとは言えなかったとも思います。もしまだその本が受付に保管されているとしたら……」
ガシッ
会話の途中にも関わらず、俺はぶっきらぼうに王女様の腕を掴んでいた。
理由は単純。
「ち、ちょっと! まだ話は終わって────」
「なんだよ、早く行こうぜ。どんな本なのか気になって仕方ねえよ。なあなあ」
その本の中身を知りたくてたまらないからだ。
もしそれが、目的の指南書かそれに近しいものだったら、即手を翳し、唱え、中に綴られた技術のあれこれを網羅するつもりだからだ。
即戦力レベルの技能に期待はない。とりあえず、最悪護身術程度でも戦うための術を持ってないと、この先俺はフレシアやヴェネットの足を引っ張るかもしれない。
特にヴェネットには散々コケにされるだろう。やなこった。
アイツに嗤われるくらいなら、むしろこっちから笑い飛ばしてやる。
「……何でですか?」
「……はい?」
急に小さく呟く王女様。ちょっとグイングインと引っ張りすぎたか。
「何でそこまで……私のために……フレシアのために、いいえ、ひいては我が国のために、アルシオン様が必死になって奔走する必要はないんですのに。これ以上の無理をなさらずとも、救いの手はいつか必ず────」
ブワッ
空気を急速に裂く音が、王女様の頬を撫でる。
彼女の顔のすぐ横で、俺が振るった右手を止めたからだ。
突然のことに驚いたのか、反射的に目を瞑る王女様。
しかし寸止めされたと分かると、一気に緊張を解いて俺に当たる。
「い、いきなり何を……! 私はただ……!」
「ほっとけねえんだ」
「えっ?」
何を言われたのか分からない調子で王女様の驚きの声がもれるが、俺は構わず言葉を続けた。
「何で必死になってるかって? 誰も必死になってねぇからだよ。必死に足掻いて戦っていれば勝てたかもしれねえ。必死に血眼になって探していれば、もっと早く助けられたかもしれねぇ。なのになんだ? 救いの手はいつか必ず差し伸べられる? ドアホ。何にも行動してねぇ奴に、救いの手なんて誰も出すわけねえだろうが!
それにだ。少し私情を挟むが……世の中にゃどうしたって届かないやつはいる。どんなに運動したって、そいつの足の速さには勝てねえし、どんなに勉強したって、そいつのテストの点数を見て絶望することだってある。だけどな、そのために必死になってやってきた努力は、決してその差を広げたりはしなかった。そして、向こうだっていつまでもお高く止まっていられるわけでもねぇ。いつかは必ずボロが出る。その一回のチャンスのためだけに、今までやってきたことを反故になんて出来るかよ。
話を戻すが……確かに行動もしねぇ、努力もしねぇ奴には、誰も手を貸そうとはしないだろうし、何の結果も伴うはずもねぇ。でもな、俺はそんな奴がどうしようもないくらいほっとけねえんだ。宿敵を前に逃げおおせて挙句死にかけているような金髪エルフも、救ってくれとは言い張るのにまるで何にも教えてくれねえクソババアも、こんな辺鄙なところで誰かの助けを待つだけの一国の王女様も、みんなみんなほっとけねえ。それだけで必死になってる超弩級のお人好しさ。ほっとけないから、いくらでも突っ走れる。ほっとけないから、いくらでも面倒見きれる。ま、それでも結果がいい方に転がってくれないのが、世の中の嫌なとこなんだけどなっはっは」
途中から、見間違いかもしれないが、王女様の顔が笑っていた……ような気がした。
実際には、話し倒して疲れた俺が溜息混じりに様子を窺ってみた彼女は、泣き笑いに近かったような微妙に感情の読めない顔つきをしていた。
「私がこんなことを言うと、らしくないと思われるかもしれませんが……アルシオン様って、馬鹿なんですね」
「あぁ……正真正銘、それこそ救いようのないほどの大馬鹿者さ。納得したか?」
「いいえ。ただ、憑き物が取れた気がしますわ。もう心配ご無用です。……さて、本でしたね。受付はこちらですわ」
目元を拭い、くしゃくしゃになっていた髪を手で梳いてから、ゆっくりと本棚の間を縫うように移動し始めた王女様の背中は、筋肉ムキムキの男よりも逞しく写った。
さすがは一国の王女様。心はしっかりしてるじゃないか。すっかり立ち直りやがって……。
まるで自分の娘を見ているような気分に浸ってしまい、首を振るってその幻想を無下にすると、それでも抑えきれない笑みを浮かべつつ俺は王女様の後を追うように床を蹴った。
互いに裸みたいな幽霊の姿で、堂々と捲し立ててしまったと我に返ったことは、彼女が気づく前に忘れてしまわないと。
ものの一分足らずで俺はそこへ辿り着いた。
受付というからには、家の近所の図書館で見かけていたような、物があまり置いていないシンプルな風体を想像していたが、さすがに異文化だらけのこの世界においては司書さんの感性も異なるらしい。
カウンターテーブルの素材や形こそ、俺の世界のそれのように木製で角ばってなく天面の広いものであるが、精々図書カード置き場や受付待機用の番号を精製するプリンタしか置いてない現代的な様式ではなく、山のように積み上がった千冊はくだらない大量の本ただそれだけであった。
相当本が好きで、気づいた時には手遅れなレベルで館内中の読みたい本を積んでいたのだろう。小さなベレー帽を被り、眼鏡とそばかすの似合うエルフの女性が、ヨダレといびきを垂らしながら、本に埋もれた状態で伏して爆睡していた。
上半身にだいぶ重圧あるだろうに、よくもまあ気持ちよく寝れるなとこっちが損した気分になる人だ。
しかし、目的は彼女の観察──もいいかもしれないが──ではなく、王女様が見かけた謎の本についてだ。
当の本人は、目の前の本の山に上半身を突っ込んであれやこれやと探している。余程夢中になっているのか、生まれたままのプリっとしたお尻が露わになっていて……あーいけません王女様! 困ります! あー! あー!
「んしょっと! だめですわ! 何にも見えない上に本を掻き分けられないのでは、探しようがありませんもの。アルシオン様は何か見つけましたか?」
山の頂上からズボッと顔を出した王女様は、振り向きながら俺に問いかける。
しばし心ここに在らずだった俺は、我に返るやいなや、
「……生命の神秘二巻……男女の身体の違いに関する調査報告書……第三版……」
と、有りもしないような書籍名を言って適当に誤魔化した。
首を傾げつつ怪訝そうに俺を見つめてくる王女様を無視して、彼女が探している場所の向かいにある、もう一つの受付カウンターに目を向ける。
天井から吊るされている小さな書き置きを見るに、山積みの本がある方が本を貸出する側で、俺が見ている方が本を返却する側のようだ。
すると、いつ誰が置いたのかは分からないが、二冊の本が返却側のカウンターテーブルに置いてあった。
しかもよくよく見ると、片方は星空のようなイラストが表紙の絵本だが、もう片方は黒一色で統一されている。また、閉じた状態でも一目瞭然なほどに破損や汚れが多く、とてもじゃないが手に取って読みたいと思える本ではない。さっきの話を聞いていなければ、間違いなく避けていたはずだ。
だが、黒い本を【ユリイカ】で手に取るためには、まず上に重なっている絵本の方を先に触ってどけなくてはならない。
その際に絵本の中身も記憶してしまうのは、仕様だから仕方ない。
「アルシオン様? 何か見つかりまし…………あー! その本です! その黒い本! あれ? でも何故受付の返却側にあるのでしょう? 私は確かに貸出側で見たはずなのですが……」
俺の様子が気になったのか、王女様は覗き込むなり大仰に叫んだ。
「さあな。王女様が見かけた後に誰かが借りて、今日の明るい内にでも返しに来たからじゃないのか? …………【ユリイカ】」
適当に相槌を打ってから、気を取り直して絵本をどけるために一度、【ユリイカ】を発動する。
(ふん、熟れたものだな。二度目にしてもうそこまで瞬時に切り替えられるとは)
発動して早々に感心した様子のユリイカ。一回目はよく分かってなかったから色々ゆっくりやっていたが、今は単にヴェネットやフレシア達に急いで合流するべく、のんびりしてはいられないのだ。
「うっせーやい。今度は二冊連続だ。まず上の絵本から。で、その後下の黒い本。やるぞ」
彼女にすら雑に返すと、早速左手で絵本の角を持ち上げる。
と同時に、頭の中では【ユリイカ】の記録媒体、【記憶の篇帙】が起動し、絵本のありとあらゆる情報をバソコンのデータのごとくインストールし始めた。
タイトルは『勇気のお星さま』。作者名、発行日は不明。
ストーリーは…………『記憶の刷り込みが完了しました』。
おい! そこ大事なとこだろ! 秒で終わっちまったぞ!
すると、ここで初めてのことが起きる。別のウインドウがすぐさま現れ、そこには『解析中……』と表示されていた。
絵本の何を解析しているというのか。
暫く待っていると、解析が完了したのか、YESとNoのボタンと共に『解析結果』と題したウインドウが出現した。
『この書籍には暗号が隠されています。解読のため、再度記憶の刷り込みを行います。よろしいですか?』
「暗号……? 何の変哲もないただの絵本だぞ。どこにそんなもんが……」
(ほう。どうやら妾の言葉を優先的に記憶させておくべきじゃったようだな。言ったであろう、この呪いの能力は『物事の本質を見抜くことにある』と。見かけが絵本とて鵜呑みにしているようでは青二才であるぞ)
「一言多いなぁ。でも……そうか。何の暗号かは知らねえが、わざわざ用意するってことは、隠し通しておきたい重要な情報があるってことだよな。なら、もちろん『YES』」
辛辣だが丁寧なユリイカのアドバイスを受けて、一度は押すのを少し躊躇したYESボタンを押した。
『了解しました。過負荷による記憶喪失の可能性がありますので、複数冊の同時解析はご遠慮ください。それでは始めます』
二冊同時に刷り込めたら効率的に情報を取得できるのではないか、と考えていた俺は、まさかこんなところで釘を刺されるとは思っていなかったので、反射的に黒い本にも伸ばしかけていた腕を止めた。
(ふっ。お主が見抜かれているようではまだまだぞ)
「うっ、うっせーな! だからいちいち余計なこと────!」
その時、暗号の解読が済んだ絵本の内容が、続々と記憶として刷り込まれ始めていた。
だが、実際に刷り込まれている内容が、絵本のイメージとはかけ離れすぎているほどに固い言葉の多い文章で、イラストというよりも丁寧な線画の図なのだ。
そして、解読されたこの絵本……いや、絵本だったものは、衝撃的な一文で幕を開ける。
『遠い未来に後継者が現れることを願って、我が生涯で編み出した全ての剣技を、母国の言葉に乗せてここに書き留めんとする』
「剣技……だと……! うそだろ……じゃあこの絵本こそ俺が探してた本だってのか!?」
(妾も驚いた。よもや武力を持つことを棄てたこの国に、このようなものが暗号化されて残っているとはな。本心か、あるいは先人のくだらぬ戯れか……いずれにせよ、今となっては迷宮入りではあるがな)
ユリイカもあまりの事実に目を疑っているが、さらりと流された一節を俺は聞き逃さなかった。
「ちょ、ちょっと待て! 『武力を棄てた』……? パトリフィアは『最初から武力を持たない』平和的な国じゃなかったのか!?」
(先程お主が【記憶の篇帙】に刻みつけた【パトリフィア国史】には掲載しておらんからな。あれに書かれている直前までの時代、パトリフィアには確かに存在したんじゃ。【勇星騎士団】という名の武力がな)
そうか……だから今必死こいてレコード漁っても出てこないわけだ。
(過去の事実が御伽噺になって残っていることも驚いたが、それを暗号化しているこの文字。お主には馴染み深かろう?)
え? とは疑問に思いつつも、ユリイカの真意を探るべく俺は手を動かした。
パソコンのように改変された俺のレコードは、記憶の保存もパソコン仕様なら、それ以外の操作も全てパソコン仕様みたいだった。
右利きの人がマウスを握った時にくる配置と同じように、中指で絵本に触ると、所謂右クリックした時と同じようなメニューが表示された。
その一つである『プロパティ』メニューを開き、『書籍データ』の欄にある『原文言語』を確認する。
一度ここで確認しないと、何でもかんでも日本語に訳されてしまう今の状態では、暗号の理解に欠けてしまうからだ。
パトリフィア国史の場合、原文言語はディエスピラの公用語が使われているが、俺が理解するための『翻訳言語』はもちろん日本語だ。
だがこの絵本は、なんと言語が逆で書かれていた。
「嘘だろ……原文が日本語で、翻訳がこっちの公用語だと……!」
そしてそれを理解するために、レコードが再翻訳していたってことか……! その結果が、元の剣技を納めたものではなく、子供でも理解できる絵本になっていたってことなのか……?
(なるほど。それがこの絵本に隠された暗号の真相ということじゃな。なんと回りくどい。これではまるで、妾の呪いを授かった者しか読めぬような書き方ではないか! しかも、お主と同じ異世界の言語を母国語とするような者しか…………)
ユリイカはそこまで口にして、何か言いたそうに唇を緩ませるが、それを声にすることはなかった。
でも、俺もおそらくだが、ユリイカと考えていることは近いだろうと思われる。
過去の何百何千年も前かは知らないが、国史として記されるよりも前のパトリフィアに、俺と同じ日本人が存在していたという結論だ。
しかも我流で剣技を生み出すほどの達人で、国史前の時代においてパトリフィアの騎士団に関与し、【ユリイカ】を唱える前提の暗号を書き記した人物…………一体どんな奴なんだ?
自分の思考が、答えのない答えを探し出そうと模索していた時、『記憶の刷り込みが完了しました』とのウインドウが表れた。直後に、また新たなウインドウが目に映る。
『複合剣技・【星紡剣】を習得しました』
これを皮切りに、『剣技・○○(多分技の名前)を習得しました』ウインドウがバグを疑うほど一気に表示され、落ち着くまでに五十回以上は×ボタンを押す羽目になった。
その全てがソードスキルであり、まとめた呼称が最初もののようだ。
「これが……昔の人が残したソードスキル……今ならあいつに勝てそうな気がするぜ……!」
(どうやら、捜し物は見つかったようだな。ならばもうここに用はあるまい。お主の言う仲間の元へと赴こうではないか)
「やけに乗り気な所で悪いが、多分そりゃ無理だ」
(何だと! 今のお主とウルティアなら、あの程度の大扉などちょちょいのちょいではないのか! 何を躊躇う必要がある!)
やれ『妾』だの『お主』だのと宣う女性の口から、『ちょちょいのちょい』なんて聞きたくなかった……。
などと突っ込んでいる暇はない。
「冷静に考えて、真犯人は何でわざわざこんなだだっ広い場所に王女様を閉じ込めたんだ? 霊体になると分かってるのに、ちょっとした物陰からでも抜け出られそうなここに閉じ込めたのは何でだ? 答えは簡単だ。この図書館全体を、対スプリガン用の特殊な結界かなんかで覆ってるんだろ。だから中からはもちろん、後で外からここへ来ても為す術もないんだろうな。ハッ、都合の良すぎる嫌がらせだこと」
(むぅ……適当に吐かした法螺にしては、筋が通っている……。俄には信じ難いが、そういうものがあると仮定しよう。して、お主にはそれを破る手段に心当たりはあるのか?)
「ねぇよ。だがな、その可能性を見つけ出すんだよ! コイツから!」
言うが早いか、俺は一度解除するために両の眼を刮目させ、絵本の下にあったもう一つの本────ウルティアが探していた黒い本に手を伸ばし、再び目を閉じ集中して、起句を唱える。
「【ユリイカ】」
視界の隅に一瞬映ったウルティアが何かを話しかけていたが、すぐさま暗転した空間に戻ってきた俺には聞き取ることは出来なかった。
通例通り、本の一字一句がレコードの中に保存されていき、それと同時に、不明だったこの本のプロパティが明白になっていく。
タイトル、『罪と罰』。作者は……不明。ドストエフスキーじゃなくてよかった。
本というより冊子に近いくらいに薄いからか、例のウインドウが絵本の時よりも早く表示された。
さて、この本に暗号みたいなものは…………なさそうだ。
解析してくれている様子もない。
その代わり、またもや新たなウインドウが表れた。
『複合魔法・【死語魔法】を習得しました』
『※注意! この魔法は、初回詠唱時に特定のキーワードを唱えなければなりません。二回目以降は魔法名を唱えれば詠唱できます』
まさかの注意書きもセットの習得ウインドウ。特定のキーワードってどういうことだ?
そんな疑問を他所に、『魔法の起句を習得しました』とのウインドウが、またしても連続で表示された。【星紡剣】の時よりは少なく、二十から三十くらいだったと思う。
やはりこの本の中に何かヒントがあるのだろうか。俺はレコードを呼び出すと、インストールしたばかりの『罪と罰』の本文をさらっていく。
『私は大変な罪を犯してしまった。これは、そんな私に対する罰なのかもしれない』
いきなり作者の絶望から始まる本文。とりあえず、タイトルの由来はこれではっきりした。
『ああ、なんということだ。私はどうしてあんなにもくだらないものを……最初はほんの戯れだった。冗談のつもりだったんだ。だが、この魔法は作るべきではなかったのだ』
どうやら、俺が覚えてしまったデスペルとやらは、作者が遊び心で作ったが後悔するほどに、とんでもないことをしでかしてしまったようだ。一体何を……?
『……人間には、流行というものがいつの世も付き纏う。何も装飾の類いに限らず、政策や戦にも、それらは色濃く反映されやすい。そして、言語も。
私のいた世界は、非常に多くの言語で溢れていた。また、時代によって人は、同じ言語と言えど違う文法を操ることもある。流行とは、その時代ごとの人の特徴を表していると言っても過言ではない。
だが流行は、今現在なら大いに賑わいを見せるが、時が経って過去のものとなると、途端に廃れていく諸刃の剣なのだ。言語の場合、流行語と呼ばれるほどに流行ったものも、時が経ち使われなくなるとこう呼ばれる。【死語】と』
ある種の論文のような文体で、贅沢な前置きの末に入った本題が、死語。
おいおい、これってもしかすると、もしかしなくてもよぉ…………。
『私はこの世界に来て、【魔本詠唱師】として活動していた。が、ふと思った。面倒くさい。
いちいち魔本を開き、魔法名を指で伝いつつ詠唱し、その指先を向けた方へ放つ。見映えはいいが、やる方はこれほど疲れることはない。
なぜ書物を持ったまま作業したり戦闘したりせねばならぬのだ。毎日毎日片方の手の指が、極度の筋肉痛に苛まれて関節が曲げにくい。元々腕力に自信がないからこそ選んだ職業で、なぜ腕力を必要とする所作を頻繁にせねばならぬのだ。意味が分からない。
ああ、叶うのならば魔本に頼らずに魔法を詠唱することが出来ぬものか。そう考えた日から、私は研究に没頭した。そうして見出した一つの答え。それは【死語】だ』
「お、おぅ……」
読み進めていくうちに、何だか作者の心の闇が垣間見えた気がして、思わず相槌のような声が漏れる。
『死語とは、文字通り死んだ言語。流行りから外れ、廃れていった言葉たちだ。私は、この死語を起句にして新たな魔法を生み出すことに成功した。それらは既存の魔本に掲載されている魔法たちとは、一線を画す独自の効果を発揮する、私史上最高傑作と言っていい。私は天才だ。素晴らしい。
ただし、欠点がある。こればかりは、私がこうしたいと考えて行った結果なのだから、当然と言えばそうなのだが……。
最初だけとはいえ、死語を叫ぶことだ。ああ恥ずかしい。自動ドアを前にして【開けゴマ】だの、二次会を断るために【ドロン】しまーすだの、昔の私はよく口にしていた。
だが、改めて文字に起こしてみると、なんと恥ずかしい字面だろうか。意識するようになってからは、口にすることすら躊躇うようになってしまった。あれほど躊躇なく話していた言葉を、だ。
これは、常識外れの魔法を作ってしまった天才たる私に対する罰だ。魔法故に口にしなければならない言葉に、口にすることすら恥ずかしい死語を選んだ私に対する罰なのだ。
しかし、こんな罰など私だけのものでいい。が、業だけは私だけに留めておくなど不可能だ。私は、研究のために多大に消費して、枯渇寸前の【魔力】を全て使い、この魔法たちを詠唱する時は、二回目以降は起句を言わずとも魔法名を唱えれば詠唱できるように改変した。これらの魔法は、私の犯した業を背負っていくようにと、母国の犯罪名から由来している。これらの魔法を唱えることは、私の罰を受け入れ、罪を背負っていくものであると思ってもらいたい。
そうだ。この魔法たちを総称する名を付けなくては。
何がいいだろうか。【死語魔法】、デスペル。デス・スペル。些か安直すぎただろうか…………い……っくり……な。こ……安…………逝ける…………愛……のマキナ…………してるよ』
本文はここで終わった。最後の方は、所々で殴り書きされたような文章で、一部しか読むことが出来なかった。
おそらく、非常に衰弱しきった身体でこの本を執筆したのだろう。後半につれて、殴り書きが増えているのは死期を悟ったからか。書ききるために死から足掻く、作者の生命力の強さを感じられる。
が、そんなことはどうでもいい。
何が『私は天才だ』だ! そんなん自称するやつがマジなわけねえだろうが!
それにやけに日本人臭さがプンプンしますねえ。絵本と同じくこの作者さんも日本からきた人なんでしょうねえ。
極めつけは何だこの中二病全開のくっっっっそしょうもない魔法は! 何故そこで死語!? 俺もいくつか知ってるやつはあるが、わざわざこれを言う意味! あんの!? ないだろ!
何をトチ狂ったら死語で魔法作ろうなんて考えんだよちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「はぁ……あぁ……ぜぇ……ひぃ……」
(ど、どうしたというのだ!? 肩で息をしているぞ! 何があった!?)
二度目の発動以降、俺の集中を妨げないようにという配慮故か、沈黙を貫いていたユリイカが、荒い呼吸を繰り返す俺を見かねて寄ってきた。人並みの感情あるんじゃん、君にも。
「……ば、バカと天才は紙一重……なんて言うが……はぁ……常識外れもここまで来ると…………ただただウザイなって思ったのさ…………ふぅぅ……無駄に疲れた」
(はぁ…………お主も中々難儀なものだな)
心配するユリイカにほくそ笑んで返すと、俺は【ユリイカ】を解除した。
【記憶の篇帙】しかない暗転した世界から、図書館の受付付近に視界が戻る。
戻って最初に目の前に映りこんだのは、覗き込むように俺を見つめる王女様だった。
「えっ、きゃああっ!」
突如俺と目が合ったことに気づくと、慌てるあまり空中開脚後転を連発するという、体操選手も唖然とする荒業を披露した。おいおい女の子がそんなにお尻を晒しちゃいけません!
「い、いきなり目を合わせないでください! こ、こっそり…………しようとしたのが、ばれてしまう……じゃないですか……」
「え? 何しようとしたって?」
「何って……それは、私がアルシオン様に近寄って…………って何言わせるんですか!」
「ちっ、惜しい。もう少しだったものを……」
「それはどういう意味ですか!?」
驚いて萎縮する王女様をからかうと、ご丁寧にノリツッコミを返してくれる。これからフレシアやヴェネットなんかと合流しようかと考えてる時に、変に縮こまられるよりはムッとしている方が王女様らしくていい。
「さて、そろそろこんなだだっ広いとこからおさらばしようぜ。俺もいい加減に自分の肉体が恋しくなってきたし」
「そうは言いますが、結局のところ、アルシオン様が探していた剣術の指南書のようなものは見つかったのですか? それに、この図書館には何か特殊な結界が貼られているようで、この姿でも通り抜けることは出来ませんのよ? たとえ剣術を覚えられたとしても、ここを出られなければ────」
「────大丈夫だ。心配すんな。とっておきの力を見せてやるよ」
不安を感じている王女様を、頭をくしゃくしゃさせた後に背中を叩きつつ宥める。振り払いながらむぅと顔を歪ませた彼女の顔を見送ると、俺は受付の近くにある大扉と対峙した。
見上げるほど大きく、三階建ての建物よりも、もしかすると高いかもしれない。暗い中でも薄ら見える、蝶番の大きさを考えると、扉そのものの分厚さも相当あると考えられる。
ここまでのものとなると、大の男が何人単位で押さないと開けないんだろうと考えてしまう。
でも、今の俺にはこんな扉、触らずとも開けられるだろうさ。
【死語魔法】の起句のうちの一つ、【開けゴマ】。
アラビアンナイトに由来するこの言葉を、自動ドアに近づきながら手を翳しつつ言ったことのある日本人は、探せば芋づる式にたくさん見つかるだろう。それほど有名な言葉なのだ。
だが、やはり改めて言うとなると抵抗がある。耳にする他人が二人──と寝てる一人──だけとはいえ、これで一発で成功するとも考えにくいしな。
それに、何より面白味がない。自分で言うのも変な話だが、ひねくれ者の俺はそんな模範解答は最初は避けて、変化球で様子を見ないと気が済まないのだ。
だから────息を整え、扉に向かって手を振り向けると共に──叫ぶ。
「オープンセサミ!」
「……………………」
OKOK。何を慌てることがある川瀬瑞樹。これくらい最初から想定の範囲内だったじゃないかぁっはっはっはっは。
見てみろあの王女様のコメントに困っている顔を。あれがバラエティ番組の雛壇タレントだったら、即座に七転八倒してたろうさ。
よぉし、リハは済んだぜ。本番いってみよー!
…………なんてことにはならず、すぐに口に出る王女様からごもっともなツッコミが入る。
「…………開きませんわよ! アルシオン様! どういうことですか! さっきからずっとデタラメに時間をかけるようなことをしないでください!」
「待って! 今の練習だから! 練習! 僕ちん一回練習しないと本番で結果出せないの! 次こそ本番だから! ちゃんと決めるから!」
これ以上時間かけてられない、という特大ブーメランの正論が心臓を深々と突き刺した気がするが、無駄に強すぎるメンタルが蘇生してくれただろうからシカトする。
そして王女様にガミガミ言われるのも疲れたので、言われる前に早口で捲し立てるようにして、人差し指と中指を扉に向けて言い放つ。
「【開けゴマ】!」
『死語魔法・【公然猥褻罪】を習得しました』
『効果: 有象無象を問わず、指定したあらゆる事象を開放する。複数指定可能。他の死語魔法との併用可能』
ええ…………フルオープンってそういう…………?
詠唱と同時に表示された習得ウインドウに、せっかく勇みかけた気持ちが幻滅したような気分になると同時にそれは起きた。
なんと、図書館の大扉が開いたのだ。しかも、ゴゴゴゴゴと地を這うように重々しい感じではなく、バーンと突き飛ばしたかのように勢いよく。
「……………………」
今度は俺も押し黙ってしまった。あまりにも呆気ない。もう少し手応えのある開き方でもよかったのではないか。
二人して呆然と外を見ていると、夜風が一気に押し寄せてきて、館内のカーテンがたなびいたり、一部の本がパラパラと捲れて表紙と裏表紙を反復横跳びしている。
風が擦れてビュウビュウと風切り音が唸るが、それとは別の唸り声が本の山から木霊した。
「ふぁああ…………うおっ! 寒っ! っていやああああああっ!」
角度的に俺からは見えないが、セリフと崩落した本の山から察するに…………うん。受付嬢さん、南無三。
「よ、よし。早いとこ出よう! フレシアを助けるためにな!」
「アルシオン様……あの方はどういたしましょう……?」
「後ろめたいが……ほっとく! 今の俺たちじゃどう足掻いても助けられない! 誰かが助けに来ることを祈るしかないからな」
王女様が気にかけるも、物理的な肉体もなく、かといって使ってみるまで能力の予想がつかない死語魔法に頼るわけにもいかない。
見殺しにはしたくない気持ちは山々だが、こればかりはどうしようもないのだ。
少し口惜しいが泣く泣く外に出ると、夜遅くにも関わらず大勢のエルフたちが、こっちへ一斉に走ってきたのだ。
向こうの方から逃げるように走ってくる彼らを見て、ホッとするより先に俺の頭にはハテナが浮かんだ。
おかしい……図書館に篭ってから……いや、パトリフィアに着いてから少なくとも数時間は経ったはずだ。真犯人は俺達が到着した頃にはもういたはず。それなのに、どうして奴が今更現れたかのようなタイミングでみんな逃げてるんだろう。
その答えは、図書館から数メートルほど離れた瞬間に理解した。
突如、触れもしない心臓が一度だけ大きく轟き、何かが頭の中をぐるぐると蠢く感覚に苛まれた。
「うぐっ!」
「っ! な、何でしょうこの感じ……まるで、時計の針を巻き戻すかのような……」
同じく胸が締め付けられたかのように身体を歪ませる王女様が、直感で口にした言葉で、俺は一つの仮説を思いついた。
それは、今まで何かおかしいとは思いつつも、謎のままだった事象を一つの線で結ぶ、天啓のようなものだった。
そして、その線が行き着く先は、一連の事件に関わっていた真犯人。
「そうか、そういうことか…………ったく、初っ端から厄介な犯人がいるもんだぜ。フッフッフッフッフッ……」
一頻り不敵に笑って、俺は横にいたウルティアに言った。
「ウルティア、ありがとな。ようやく全ての謎が解けたよ。お前のおかげだ」
「い、いえ、そんな! 私は、ただ…………ううっ……アルシオン様は意地悪です。馬鹿です。そして…………いいえ、なんでもありませんわ」
「何だよ、気になるじゃないか」
「知りません。さあアルシオン様、奴を倒して私を助けてください。そして────お姉ちゃんも助けてください。私の──私達の────」
────王子様────。
泣いて、笑って、そんなことを頼むウルティアの表情は、世界で一番お姉ちゃん思いの、世界一可愛い妹のものだった。
そして、時は流れ────
「────俺の大切な仲間を、泣かせてんじゃねーぞハゲ」
振り降ろされた、見慣れた剣の刃を、慣れた右腕で抜剣したお気に入りの剣で相対し、驚愕する相手の顔を一瞥する。
そうして、受け継いだ涙が乾く前に、俺は言ってやった。
再び相見えた真犯人の風貌は、顔の整った狂人のジェントルマン。紳士なのかキチガイなのか、自己矛盾が激しすぎて視界にすら入れたくない。
こいつが、一連の事件の真犯人でなければ、だが。
「ば、馬鹿な!? 今のお前ごときがオレの剣を受けれるはずがねぇ! 何をした!?」
剣同士の小競り合いは、互いに拮抗して離れない。そして偶然にも考えたことが一致したのか、ほぼ同時に競り合いを解いて一瞬だけ距離をとると、またも同時に剣閃がぶつかる。
今度は競り合うこともなく、互いに反動で大きく距離をとったが、まだまだ余裕のある俺に対して、向こうは体力面以上に精神面で焦りが窺える。
「お前は誰だ! 姿形はウルティマだが、今のお前はまるで違う! 人格が変わってるとしか思えねぇ!」
それはウルティマの────フレシアの人格否定と捉えてもよろしいか?
なんてツッコミを、フレシアの姿で言うのもある意味面白そうだけど、シリアスブレイカーすぎてシュールだわ。
しかし、まるで仕組まれたかのようなフリを、見物人のいるこの噴水広場で、パッと見で分かりやすい敵から言われてしまえば、戦国時代から続く伝統文化のアレをやりたくない日本男児などいないのではないか。
「俺か? 俺は────」
そうして、右手に握っていた愛剣『黒鉄紫電・韋駄天』をゆっくりと真上に掲げて目を瞑り、ここぞという時に振り払うようにして切っ先を向け、奴の顔を見据えながら言った。
「────あの星の彼方より、ディエスピラを救うために現れた者────救世主だ」
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