第十六話 Eureka ─ユリイカ─
「【ユリイカ】ぁ?」
「はい。お母様から聞いたところによると、調べたい事柄がある時に用いまして、『全てを知り、記憶し、理解する』、辞書のような使い方をするおまじないだそうです。私は、どういうことかよく分かっておりませんけど…………」
俺は、上空でフレシア達と別れてから、パトリフィアにあるという大きな図書館に落ちてしまったが、そこでなんと探し求めていたウルティア王女に遭遇した。
最初はてんやわんやと互いに荒ぶっていたが、話を進めるにつれてその空気も段々と打ち解けて、少なくとも唐突に罵られることはなくなった…………と思いたい。切実に。
話の中で、二つの事実が俺達の前に立ちはだかった。
一つは、王女様は誘拐されただけで、未だに殺されてはいないこと。
俺は当初、フレシアを助けた時点では、王女様は誘拐された後何かしらの辱めを一昼夜受け続けて、目が死んだ状態で裸に剥かれてその辺の森に放置されているもんだと考えていた。嘘だが。
「…………ふっ」
「ちょっと、今鼻で笑いませんでした!? ちゃんと話を聞いておりますの!?」
「聴いてるって!」
おっと、与太話をBGMにして考え事に浸りすぎていたようだ。まあ続けるけども。
本当は、フレシアの主張を裏切ることになるが、あの時点で王女様はお亡くなりになっていたんじゃないかと考えていた。
もし俺が真犯人なら、あの洞窟の奥に攫ってまで、戴冠式の日まで生かし続ける理由がないからだ。
パトリフィアが軍を持ってないことはフレシアから聞いていたので、助けに来る人がいる可能性も望み薄と考えれば、尚更人質としての価値もないに等しい。
だからこそ、実際にあの洞窟を訪れて、王女様を拝めるとは思ってもみなかった。まさか本当に生きていたなんて……という驚愕を、すぐに否定されたことも諦めがついた理由だ。
王女様だと思っていた人物が、まさかまさかの真犯人その人だとは思うまいて。
もちろん牽制しつつ凄んではみたものの、軽く遊ばれるように躱されて、結局はこのパトリフィアにまで追わざるを得ない始末。
目的不明の犯人の狙いが分からないまま、紆余曲折あってどうにか戻ってこれたものの、今度は突然分離して、俺だけ離れ離れになるというオチ。そのまま落ちたりもしたし二重の意味で、オチがひどい。
散々な目にあって訪れるハメになったこの図書館で、なんと本物の王女様に出くわすというミラクルよ。
ただしよくよく見れば俺と同じ青い霊体状態。ヴェネットの能力由来の仮面の力で存在している俺と同じということは、形はどうあれ彼女もまた、恐らくヴェネットから奪い取っていった動物の仮面の影響で、変化の対象として存在しているということ。
つまり、瀕死かどうかは分からないが、王女様はまだ亡くなってはいないことが確定したというのが、一つ目の事実だ。
もう一つは、王女様曰く魔法のおまじないだという謎の言葉、【ユリイカ】。
その言葉を唱えた、というより口にしたらあら不思議、今の青い霊体状態でも、物理的に物を持つことができるときた。
一体どういうことなのか。とにかく、この言葉の存在がもう一つの事実。
そして、その真相解明を図らないと、どうにもこそばゆいまま終わってしまいかねない。
そこで、この言葉がどういうものかを尋ねるべく、ようやく思考の着地点と現実が重なって、改めて王女様に問いかけた。
「なあ王女様。結局のところ、こいつはどういう言葉なんだ? 話聞いてなかった俺にも分かるように言ってくれ」
「あー! やっぱり聞いておりませんでしたね! 酷いですわ! 一人で饒舌に話していたのが恥ずかしいですわ!」
「気持ちは分かったから、頼む」
「ここが城内で、私達以外にも傍聴しておられる人がいたら、大変なことになってましたのよ!? その自覚はおありですか!?」
「分かってるって。俺が悪かった。だからもう一度、頼むわ」
「……全く、アルシオン様の神経の図太さには呆れますわ。はぁ……仕方ないですね。いいですか、今度はちゃんと聞いていてくださいよ。────というのはですねぇ…………!?」
「え? 何だって?」
何だ? 急に王女様が口パクしたぞ。
普通に話してくれていたのに、そこだけ何故か無音なのだ。
いや、彼女の狼狽えから察するに、自分ではちゃんと発声したつもりなのだろう。それだけに喉を触って、何度も発声を試みていた。
「────! ────! ……ダメですわ! どうしてですの!? あの言葉が口にできませんわ! こんなこと、今まで一度だって…………!」
「あの言葉って、何だ? さっき言ってた【ユリイカ】ってやつか? ……俺は普通に話せるぞ。ユリイカ、ユリイカ…………うん、問題なく」
「ど、どうしてですの!? アルシオン様はどうして────を唱えられるのです!? …………あああ、やはりダメですわ!」
どうしてと言われても、問題ないのだから仕方がない。
だが、王女様の発言が部分的に口パクになっている理由も気になる。
ユリイカ。こいつぁ一体どういう言葉なんだ……?
(誰じゃ。幾度となく妾の名を呼ぶ愚か者は)
その時だった。
頭に強く響き渡る、妙齢の女性の声が聞こえたのは。
しかし、辺りを見渡してもそれらしい人物も、俺達に近い幽霊らしき存在もいない。
ただでさえ幽体である俺達に話しかけるだけでもやばいのに、その俺達ですら見ることができない存在とか、神かよ。
「いやあああああああああああああああっっっっ!!」
案の定、王女様の絶叫スイッチがオンになってしまった。
誰だか知らねえがやめてくれよ。こうなったら落ち着かせるの大変なんだぞ。
「おい! そっちこそ誰だコノヤロウ! 姿見せてから文句垂れろや! こちとら王女様宥めつけるの結構大変なんだぞ!」
思うままにそれこそ文句を垂らすと、これまた頭に直接吹きかけられたような、余りにも大きな溜息を謎の女性は零した。
(そこの小僧。お主、立場を弁えた発言をすることじゃな。妾の名を呼ぶという事がどういうことか、知らぬ存ぜぬなどと宣うつもりではあるまいな)
いや知らねえし。知ったこっちゃねえし。そうですが何か?としか言えんわ馬鹿野郎。
……などと供述するつもりは毛頭ないが、かといって大ボラ吹いても罰当たりな気しかしない。
仕方がないな。それっぽいこと言うか。
「お、おうとも。知ってるぜ。ユリイカっつうのはアレだ……ええっと……そう! パトリフィアの歴代の国王の証! 昔から代々受け継がれてきた魔法のおまじない…………的な? そんな感じ? だったと思うんだが……」
(…………)
おおっと、これには流石に天の声も納得したか!?
さすが俺! 機転を利かせたナイスな回答! いやあ持つべきはすぐに回る頭の早さですなぁ。
あまりの発言に、王女様も口をあんぐりと開けていらっしゃる。そんなに驚くことか?
(小僧…………お主、自らの発言の意図を自覚しておるのか……?)
「え? そいつは一体どういうことだ?」
(…………唐変木も、ここまで来ると道化にすらならんな。小僧、よく聞け。妾の名を、【ユリイカ】を綴る者は、このパトリフィアの玉座に君臨せし、次期国王を継ぐ者となるのだ。お主の場合、もう既に決まっておった、そこにおるウルティアを差し置いてな)
「…………は?」
ウッソだろお前……正解とか……俺がこの国の国王……? マジ?
「いやいやいや無理無理無理、無理だって! そんな大役背負いきれねえよ! っていうか、王女様差し置いて俺が王様? 冗談じゃない。はーいいっち抜っけぴっ!」
(残念じゃが、これは妾の戯言でもない。そして、幾千もの時を経て慣習として伝わり、もはや一種の呪いと言っても良かろう。避けられることは出来ぬ。覚悟することじゃな)
謎の女性は────ユリイカは、極めて冷静に、淡々と口にした。どうやら、マジらしい。
はぁ、そうかぁ……俺が国王かぁ……めんどくせぇなぁ……。
と、不安げに考えていた俺を他所に、発破をかけるように反発したのは、何を隠そうウルティア王女様その人だった。
「お、お待ちください! それでしたら私は! 私の王位継承権の、次期国王候補の証たる貴方様の名を呼ぶことが出来ぬのは、何ゆえなのですか!?」
考えてみれば当然の疑問だ。俺に【ユリイカ】を教えてくれた彼女は、もう二度とその言葉を話すことが出来ない。さっきまでの発言の中での空白は、正にそれだろう。
(ウルティアよ。その名をお主の母親────シュプリムと言ったか。彼女から教わった時の状況を覚えておるか?)
質問に質問で返すユリイカ。しかし、その内容を素直に受け止めたウルティアは、一瞬渋りながらも、額に指を当てつつ思考を巡らせていた。
「え、ええっとですねぇ……確か────」
──ウルティア。ちょっとこちらにいらっしゃい──
「何ですか、お母様」
「うふふ、そろそろあなたもパトリフィアの王女として立派になってきてるかしらね」
「当たり前ですわお母様! 王女たるもの、苦手なものを克服できなくては務まりませんもの! この前はついに、ヴィエラの淹れてくれたハーブティーを飲みきることが出来ましたの!」
「あら凄いじゃない。…………あの人が居てくれたら、あなたの心にも寄り添ってあげられるのかしら…………」
「? どうしましたお母様?」
「う、ううん、何でもないわ。そうそう、ウルティア、確か魔法に興味あったわよね?」
「は、はい! 私の夢は、ディエスピラ中に散らばっているあらゆる魔本を集めて、全ての魔法を記憶することですわ! 魔法が扱えるようになれば、この国が危機に晒されても救うことが可能ですので、その時はお母様を最初にお守り致しますわ!」
「うふふ、頼もしい魔本使いね。そこで、母からあなたにとっておきの、魔法のおまじないを教えるわね」
「本当ですの!? すごく知りたいですわ!」
「はいはい、慌てないの。はしたないわよ」
「ごめんなさい……ですわ……」
「うふふ…………おまじないは、『全てを知り、記憶し、理解する』、あらゆる言葉の意味が記された辞書を紐解くようなものよ。それは────【ユリイカ】。覚えておくといいわ、ウルティア。あなたに、とっても必要なものよ」
「ユリ……イカ……? よく意味が分かりませんわ、お母様」
「そう……今はまだよく分からなくていいわ。直にその日が来るでしょうから…………ささ、今夜はもう寝ましょうか」
「ふぁ~い。おやすみなさいませ、お母様」
──うふふ、おやすみなさい、ウルティア。また明日ね──
「────数年前に、二人きりの寝室で添い寝して頂いた時に、枕元で優しく教えてもらいましたわ。…………何て言ってましたかしら? 肝心なところを忘れてしまいましたわ……」
「もしかして、さっき一緒に言ってたアレか? 『全てをし────』」
(黙れ小僧! それ以上は口にするな!)
突如、某有名映画の犬神のようなことを言う謎の女性。
「何で止めた!? まだ何も言ってないぞ!?」
(……何も言っていないのならそれに越したことはない。じゃが、言ってからでは遅いのじゃ。妾の名と、言いかけたその言葉。もしお主が発したそれを、妾とウルティアを除く第三者に聞かれたら、お主は二度と妾の名を綴ることが不可となるぞ!)
「っ!」
っぶねー! よく分からないまま二度と言えないおまじないなんて、教えてくれた王女様にも、何より歴代のパトリフィア国王達にも大変失礼だな。危うく失うところだったぜ。
(正確には妾とウルティア、現国王のシュプリムも含めた、【ユリイカ】を過去に綴ったことのある者以外の者たちじゃな。先程言いかけた詠唱。あれと妾の名を、お主のように今綴れる者から第三者がどちらも聞き入れた時に、この力は流浪するのじゃ。要はお主が、軽口を叩かねばよい。肝に銘じておくことじゃな。)
「そういうことか……」
口伝でしか受け継がれないおまじないなのか。そりゃあ是が非でも喋らせないわな。
あ、ちょっと待てよ。
「なぁ、一つ気になるんだが……相手が時間差でその二つを聴いた時はどうなるんだ? そりゃ間髪入れずに耳にするような場合はともかく、一日にしろ一年にしろ、時間が開いてもその縛りが働くんだったら、俺絶対に言わねえよどっちも!」
(……安心せい。仮に同一人物が、時間を開けてその二つを聞いたとしよう。じゃが、その者は妾の名を綴ることは出来ん。どうやら最低でも、日を跨ぐ時間になるとその理からは外れるようじゃ。また、お主が今のまま死んだとすると、その力はウルティアの元へと戻る。ウルティア共々となるとシュプリムへ、という風にな。ここまでの話を要約するなら、不用心に言うな。そして死ぬな。……以上じゃ)
つまり深夜零時超えれば、片方だけ言うならセーフ。そして死なない限りは永続、死んだ場合は前任が健存する限り還元されるのか。中々に厳しいな……維持するためのルール……。
そうまでして伝わっているからには、相応の特殊な能力でもないと釣り合わないぞ。
「それで、結局これはどうやって使うんだ? ここまで大層な条件があるからには、それに見合った能力でもあるんだろうなぁ?」
(ほぅ……ならばとくと教えよう。お主、さっきのウルティアの言葉を覚えておるな? 辞の書をなぞるようなものじゃと)
「ああ……」
なんか古臭い言い回しになってるけどな。
(答えは五分じゃ。間違うてはおらんが、それだけには留まらん。妾の呪いは、物事の本質を見抜くことにある。触れた物の存在理由、秘めたる力、過去の記憶…………それらを瞬時に脳髄に焼き付けることができ、未来永劫忘れることはない。余りにも過剰な情報量は、今の記憶の混濁や忘却、肉体への反動や負荷を考えて、少量ずつ記憶していく仕組みだ。もちろん、普段は考えないようにすることも、一切合切忘れ去ることもできる)
まあ試してみることだな、と謎の女性は告げた。
だが試せと言われても、そもそも触れなきゃな…………いや、王女様が今持っている本も、唱えたからこそ霊体でも触れることができている。なら俺にだって……!
「王女様。その本を一時的に貸してくれないか? 俺もちょっと試してみたいんだ」
「いいですわ。まあこれは大層なものではありませんけど……」
後付けで口を濁しつつも、王女様は俺に表紙を向けるようにして差し出してくれた。
まあ話の流れ的に、断れないだろうと諦めがついていたのかもしれないが……。
本のタイトルは、【パトリフィア国史】とだけあった。著者は不明。
…………いや待て。どう考えても歴史書っぽいこの本のタイトルが、日本語ってどういうことだ!? 何これ俺以外にもジャッポーネいたのかよ!?
と、心の声で叫びつつ刮目して驚いていると、見透かしたかのような解説が飛んでくる。
(そうそう。言い忘れておったが、妾の名を綴る者が異国の書籍を読めぬなど本末転倒じゃからな。視野に映る言語は全て、最も身近な物へと自動翻訳されるようになっておる。今のそなたの驚愕は、そういう意味であろう?)
「お、おう……」
まさかの常時翻訳コ〇ニャク状態とは……異世界、恐るべし。
これが三年前の受験の時にそうだったら、行きたかった大学楽勝だったのになぁと、身も蓋もないことを考えてしまう。
まあ過ぎたことをいくら悔いてもどうにもならないと悟り、気を取り直して手をかざす。
目を瞑り、余計な感覚をシャットアウトして、唱える。
「【ユリイカ】」
瞬間、指の腹に確かな紙の感触を感じたかと思うと、それを些細なことのようにして一斉に流れ込んでくる、数え切れないほどの情報が頭の中を渦巻いていた。
パトリフィアの歴代国王の容姿、就任期間、家族構成及び家系の繋がり、パトリフィアの国で起きた史実などが、今まさに起こっているかのような鮮明な映像として代わる代わる流れ込んで来ていた。
そしてそれらを、パソコンのデータとしてインストールしているかのような奇妙な感覚が、絶えず俺の身体を巡り続け、こそばゆささえ憶えていた。
これが一生忘れないように記憶していく感覚か……なんだか不思議な気にさせてくれるじゃねえか……。
しばらくすると、『記憶の刷り込みが完了しました』とウインドウが表示された。
…………ん? 何か急に見覚えのあるようなないようなものが表示されたぞ?
おいおい俺はいつからVRゲームの中に囚われたんだぁ?
というか、ウインドウの右上にあるアンダーバーボタンに四角マークのボタン、そして×ボタン。どう考えてもそれぞれ最小化、全画面化、ウインドウ消去のやつだろ! 何だこれ!?
すると、またもや謎の女性の上から目線のアドバイスが思考を横切る。
(どうやら、妾の名を綴る者の真の秘術【記憶の篇帙】が顕現したようじゃな)
メモリア・レコード……? 何だそれは……?
あれ? そういえば今これどういう状況?
何だか頭がこんがらがってきたぞ?
(ふっ……まあ無理もない。王家の血を引く訳でもないお主が、妾の名を綴る者になったのじゃからな。面妖なことも多々起きよう。じゃがそれは妾も同様。随時適応してかねばならんからな。にしてもこのような形態の【記憶の篇帙】は初めてじゃぞ)
まあそりゃあ、魔法が存在する世界にパソコンなんてあるわけないもんな。世界観のへったくれもありゃしねえし。
(『ぱそこん』という物が何かは気になるが、【記憶の篇帙】とは、先程お主が妾の名を綴った状態で触れた物のありとあらゆる情報を記録して、それらを取捨して記憶と為すためにある、備忘録というやつじゃ。過去に妾の名を綴った者ら──いい加減長いから固有の呼称が欲しいのう──の場合、幾重にも及ぶ紙束からなる巨大な本を模していてな。個々によって装飾は違えど本であることは変わらなかったが、これは一体何なのだ? 妾ですら知らない記録媒体が、まだこの世にあるというのか!?)
正直これがそうとは断言しづらいが、敢えてこの媒体に名前を付けるのであれば、これがパソコンだな。
本物を何度も触ってるから、なんとなくこいつも使いこなせそうだ。個々によって差があるってんなら、要は俺にとっちゃこれが最適ってことなんだろうよ。
(ふむ……なるほど。まさかこのような篇帙を目にする日が来るとは思わなんだ。妾も慣れておかねばなるまいな)
慣れって……そういやあんた、さっきからずっと俺の心の中で会話してないか!? おかげで俺の客観的思考が狂っちまったじゃねぇか!
それに王女様はどうしたよ!? この期に及んで蚊帳の外か!?
(仕方あるまい。なんせここはお主が瞼を開かぬ限り、永遠に時が刻まれることはない空間じゃ。その間の外部との交信は断絶されておる。その分情報の整理に集中できるという逆説じゃ。止まった時は目を開ければ動き出す。刹那の間に知を得てこその王たる者じゃ)
……つまり、目を瞑る限り俺は時間に縛られることはないってことか……いや、その目を瞑ってる時間はどうなるんだ?
(それは関係ない。瞬き一回でも年の瀬を優に超えるほどの猶予があるのだ。一睡でもすれば、己が生を幾千倍しても足りんじゃろうて)
関係はあるだろ……でも瞬き零点一秒がだいたい三億倍、四億倍となるんだから、戦闘中でも慌てずに情報を整理できそうだな。
(お主、演算が早いのぅ……それだけ早ければ、【記憶の篇帙】も容易く扱えようぞ)
へいへい、お褒めに預かり光栄でございやすっと。
それと、ボソッと呟いてたの聞き逃さなかったが、今の俺やさっきまでの王女様みたく、【ユリイカ】を唱えられるやつの固有名詞が欲しいんだっけか?
(そうとも。お主のような異色の後継が出た次第、『パトリフィア国王』などという慣例は通らぬからな。お主がそれを嫌う限り)
仕方ねえだろ! こっちにだって都合があんだよ!
でもまあそうだな……こっちで適当に考えとくよ。何かあんたに任せっぱなしだと硬っ苦しいもんになりそうな気がすっからな。
(ふん。減らず口だけは達者であるな……よかろう。その時は再びこの場に来るがよい。妾の首が伸びる前にな)
怖えよ! ろくろ首かよ! 良いならいいけど!
で、これからどうすりゃいいんだ?
というか、俺は早くみんなのもとへ行かなきゃならないんだが!?
と反論しようとして、体感的には一時間以上ぶりに目を開ける。
すると、目の前には小さなマウナケア山……ではなく小さなπが二つ。
声を大にして言おう。おっぱいではない、πだ!
πは円周率。懐かしいなぁ……中学のウザイ先生に無理矢理覚えさせられたっけ。
π=3.14159265359…………。
「どうしたんですの? 目を開けるなり急に刮目したり真顔になったり……」
無心で小数第何位まで覚えているか確かめようと数えていたら、目の前のπ────否、王女様が困り顔で問うてきた。
「案ずるな。数学という神秘の一端を垣間見ていただけだよ」
適当に難しい言葉を並べてドヤるとますます頭を抱え、一休さんのごとくこめかみを抑えて首を傾げていた。かわいい。
「そんなことより、俺はどれくらい目を瞑ってたか? ちょっと夜中のせいか眠くなっててさ……」
「どれくらい? 私が見てる限りでは、唱えた直後に目を開けられたので…………二秒くらい、ですね」
にっ、二秒……だと……!?
いや、確かに俺も唱えた時は集中するために数秒ほど目を閉じていた。それは間違いなく覚えている。
だがその後再び目を覚ますまでの、体感で一時間以上もの時間を、王女様は『唱えた直後』、刹那の間の出来事のように仰られる。
「そんなあまりにも短い時間で眠られていたなんて、ある種すごい才能だとは思いますけど……」
「ああ、確かにすげえなこりゃあ…………自分の潜在能力の可能性に惚れ惚れしてしまうよ……」
「ま、まさか……その短い睡眠時間で色々なことを……?」
「ああそのまさかさ……いやあ、頭がパンクしそうなほど色んな情報が流れ込んできて、もうやばいのなんのって……」
「パンツ! 私が今履いてないからってぇ…………アルシオン様はすぐにふしだらなことを考えになる! そういうお人だったんですね!」
「えっ?」
「えっ?」
何のコントだよ……。被害妄想逞しいな。
とにかく、本当に一瞬で情報を汲み取って、整理出来て、知識として蓄えることが出来るようだ。
【ユリイカ】は、今なんとなく考えるだけでも、使い方次第で毒にも薬にもなる諸刃の能力だ。
それに、蓄えられる情報量も限界はあるはずだ。今後は余計な発動は避けないといけないな。
ご一読くださり誠にありがとうございます。
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