第十五話 二人の霊の戯れが、真実と未知の力を仄めかす
突如意識が覚醒したフレシアは、ヴェネットとクリスと共に、パトリフィアですでに始まっている戴冠式の場へと舞い降りた。
一方その頃、霊体へと強制的に変化させられた瑞樹は、見えない壁に押し潰されて、為す術もなくパトリフィア郊外に佇むとある建物へと落ちていくのだった…………。
見えない壁に上から押し潰され、為す術もなく落下した俺は、とある建物の中へと落ちていった。
幽体状態の俺は、特に集中していなくても、勝手に壁や屋根、地面すらもすり抜けてしまうようだ。
そのためどこかのタイミングで、空中で踏ん張らないと二度と地上に戻ってこられないかもしれない。
ただこの建物、屋根や恐らく壁も、普通にすり抜けることが出来るだろうが、床だけは何故か俺の落下を拒んだ。
その結果、俺は床に全身を打ちつけるという空前絶後の体験をする羽目になった。
「うあだああああああああっっっっ!」
これが幽体だったから、打ち身で済んだのかもしれない。
生身だったら……即死だな、こりゃ。
痛いには痛いのだが、割と一瞬で引いた痛みで治まったのは何でだろう。
俺は恐る恐る手を床に伸ばしてみた。すり抜けないという事は、裏を返せばこの状態でも物理的に触れるという事だ。
幽体同士なら干渉できる原理と同じなのだろうか。
結論から言うと、確かに触ることができた。できたのだが、その感触がどうにも変だ。
触れた瞬間は、濃い緑のタイル張りの床の冷たさと、その硬質的な抵抗をしっかりと感じられたのだけど、斥力を強めると逆に少しだけ柔らかくなって、弾力性のある抵抗で押し返してくるのだ。
何か特殊な材質の石材を使っているのだろうか。ほんの些細なことだけど、未体験の感覚に俺の疑問は膨らむばかりだ。
「っと、とりあえず、ここどこだぁ……?」
夜だから当たり前だが、暗い。窓もないのか、外からの明かりも見当たらない。
電源スイッチがあったとしても、探すことはできるが、それを付けることはできないことを、青透明な右手を見て悟る。
また、壁に沿って探索するというのも、この状態ではいつの間にか壁を超えていたという事になりかねん。
「でもま、動くか。しゃーねーや」
かといって、待てば海路の日和あり、なんて棚ぼた展開があるとは思わない。人間、行動力次第でなんでも出来る。
そして俺は、ゆっくりと床を蹴って建物内を低空飛行する。
バネタイプになっている跳び箱の踏み台のような抵抗を受けて跳び、バタ足だけで宙を泳ぎながら、辺りを探索し始めた。
──しばらく適当に右往左往して思った。この空間何もねえ!
ただだだっ広いだけで、生活雑貨みたいなのもなければ、ちょっとした高さの台なり机なりも見当たらん。
これじゃあどうしようもない。作戦変更。
やっぱり壁にぶつかるまで移動してから、壁伝いに探索する作戦。闇雲に探すよりはやっぱり正しいはず。
「だりぃ……」
後悔をチリツモしたところで、やらなきゃ何も始まらん。
俺は再び宙を舞った。一秒で壁が見えた。泣いた。
「さて、次は扉かなんかあればいいが…………」
おもむろに、俺は右に向かって──左手側に壁を捉えながら──飛んで、何かしらの扉がないかを探した。
暗所恐怖症ではないが、なんかここに長くいたくないと思ったからだ。
しばらく移動していると、扉の代わりに壁の一部が抜けている空間があった。そしてそれは、階段を通してどこかへと続いているようだ。
固唾を呑んで、俺はそこから上へと移る。やがて、ようやく明かりの灯った空間が目の前に現れた。
「ここって…………図書館……なのか……?」
床下がそのまま階段になっているような出口から抜けると、辺りには大小様々な大きさの本が、幾重にも連なる巨大な本棚に所狭しと詰められている光景を目の当たりにした。
本棚のある空間は、さっきまでいた恐らく地下の空間よりも広く、天井までは結構な高さを感じられた。また壁沿いの少し高いところに、ほぼ等間隔に蝋燭が並んでいて、小さな灯火が広大な空間を優しく照らし、最低限は読書が出来そうなほどに明るい。
そういえば、フレシアがこの前言ってたな。「パトリフィアには唯一にして最大の図書館がある」と。それがここか?
まさかこんな形で訪れることになるとは、どんな運命のイタズラなんだ?
その時だった。
「! そこにいるのは誰!?」
まるで人気を感じないこの図書館から、女の子の声がしたのは。
おいおい、今の俺は【魂魄の仮面】の力で幽霊状態なんだぞ。その俺の気配を感じるなんて、どんな子だよ。
まさかヴェネットともクリスとも違うスプリガンの生き残りじゃあるめえな。それこそイタズラじゃないのか。
「は、早く姿を現しなさい! 私がこの国の王女、ウルティア・ラ・パトリフィアと知っての無礼かしら!?」
なん……だと……!?
つい最近どこかで聞いたような声だとは思った。
でもまさか、こんな所で一番の目的である王女に出くわすとは思わねえよ!
じゃあ何か、さっき俺達が向かい合った偽王女は、誰かが何かの手段でもって王女に変装しただけのやつだったことか?
いや、その割には少し変だ。本性を見せる前のあの空気感、あれは完全に王女そのものだった。今俺を呼ぶ彼女のそれと変わらないほどに。
それこそ俺の仮面と同じく、身体ごとまるまる変わらないと出せない雰囲気とも思えた。
どういう理屈だあれは…………まさかな……。
「い、いい加減に姿を現しなさい! そ、そこにいるのは、わ、分かってるのよ……!」
王女の声に段々とハリがなくなってきていた。よっぽど怯えているらしい。
このタイミングじゃあいささか不服だろうが、「出てこい」と言うのだからしょうがない。
俺は王女の声のする方へゆっくりと移動した。入り組んだ本棚の隙間を縫うように動くのが嫌だから、普通にすり抜けてショートカットだ。
そうして俺が相見えた王女の姿は────
「い、いやあああああああああああああっっっ!」
────俺と同じ、青透明の幽霊状態だった。
「お、男! 全裸の! 男! しかも! おおおお化あああけえええええええ! 変態! 男! お化け! 変態! 男! お化け! いいいいやああああああああああああああああ!」
正に阿鼻叫喚。俺を見るなり、王女様はあらん限りの見たまんまの罵声を吹っかけていらっしゃる。
自己紹介と言わんばかりに男と連呼する当たり、相当な男嫌いなようだ。いやーさすがに初対面でこれは参っちゃうね。
だがこの感じ、なんというか俺が知ってるやつに似てるレベルでものすごく既視感があるわ。よし、一回試してみるか。
「これはこれは、王女様は初対面の人間を変態呼ばわりするおつもりかい? 僕はこれでも貴方様を助けるためにこの場に召された、従順にして博識ゆえに何でも知っている白馬の王子────」
「うるさい! 死ね! 変態」
はい踏んだ。思っきし地雷踏んだよー。空中浮遊してんのにどうしてだろうなー。
というか、涙こらえるくらいに男嫌いとか、俺の心も壊れそうになるんですけど! あーもう誰か助けて! 俺を!
と感傷に浸っていると、王女様は一冊の本を抱えて俺から逃げまいと辺りをおどろおどろしくさまよっている。金色の髪を振り乱して四つん這いに近い体勢で動き回るその姿は、遠目に見ればB級ホラー映画にでも出てきそうだ。全然怖くないからな。
「ちょ、待てよ! 逃げんなって」
幽体同士なら互いに干渉できる。この事実を知っているからこそ、割と幽霊慣れしてない王女様を、片腕だけで簡単に捕まえることができた。幽霊慣れってなんだ。慣れてたまるか。
「いやああああああ! 離してえええええ! 全裸の男の変態が襲い掛かってきたああああ!」
「だから待てって! 俺は! 俺達は君を助けに来たんだ! ミノタウロスと謎の男に誘拐された君を!」
「いやああああああぁぁぁ…………へっ?」
「ふぅ…………やーっと話を聞く気になってくれたな」
うおおおおおお焦ったああああああ! この場にヴェネットでも居られたら危うく更にロリコンのレッテルを貼られるところだったぜ。危ねぇ危ねぇ。
全身でじたばたと暴れるものだから、思わず語気が強くなってしまったが、聞く耳持たれないよりはいくらかマシだ。
「私を……助けに……?」
「ああ、そうだ。俺は……俺達はフレシアと協力して、君を助けるために昨日からずっと探し回ってたんだ。……あの洞窟に行った時に、君に化けた偽物を掴まされたがな」
「フレシア!? 今フレシアとおっしゃいましたか!?」
「お、おう……言ったけど……」
なんだなんだ、フレシアの名前を出した途端、急に詰め寄って来たぞ。ついさっきまで変態と揶揄していたこの俺に。
偽物のフレシア愛も、演技だろうけど迫力あったが、本物はここまで圧が違うのか……。女の友情って怖ー!
「フレシアは…………フレシアは、今も生きておいでなのですか!? あなたは、あの方とどこでお会いになられたのですか!? ヒュ、ヒュムノスの、全裸の男の亡霊に、こ、こんな事をうかがうのも癪に障りますが、あなたはフレシアと一体どういう────ケホケホ!」
「おいおい慌てんなって! そうだな、どこから話そうか……」
どうやら王女様は、フレシアのことがよっぽど気になるらしく、言葉に詰まって噎せてしまったようだ。幽霊なのに。
思わず背中をさすってあげたが、気に障ったようで睨みつけられてしまった。そりゃないぜ。
そのせいでまた気が立ってしまった王女様を宥め、ようやく再び話を聞く気になってもらってから、俺は知っている限りのことを全て話した。
俺が、ディエスピラに住むヒュムノス種ではなく、別の世界の人間であること。
スプリガンのヴェネットから、死にかけた人を【魂魄の仮面】という形で留めておく【仮面転生術】を授かったこと。
その力でフレシアを仮面に変えて、今はそれを被った上で身体の主導権を替えているから幽霊状態になっていること。
幽霊状態同士なら互いに干渉できること。
あの日フレシアが王女様を助けに行った時のこと。
一度パトリフィアに戻って、スプリガンの仲間のクリスに会って、装備を整えてから向かったこと。ミノタウロスや、王女に化けた真犯人と交戦したこと。
そして、和解したミノタウロスのスピネルさんに投げ飛ばしてもらって、戻って来たはいいが突然離ればなれになって、今ここで王女様に会ったこと。
最初の方はなんだかんだと表情をコロコロと変えて驚いていたが、近況になるにつれて曇ることが増え、時々感極まって涙を滲ませることもあった。
「────これが、俺の知ってることの全てだ。まあたった二日間だが、濃すぎるくらいに色々あったよ」
俺が全て語り終えた時の王女様は、それはそれは大粒の涙をボロボロと零しながら、えーんえーんと啜り泣いていた。
「うっ……ぐすっ……ぞ、ぞうでずが…………フレジアはわだぐじのごどをぞんなひも…………ぐすっ……アルジオンざま……よぐ知りもせずにずぎたことを、申じ訳ありまぜんでじだ…………変態のぐせに、優じい御方なんでずね……」
「うん、謝ってくれて嬉しいんだけど、変態だけは撤回してくれないんだね……まあいいけど」
むしろ今の俺達を客観的に見ると、全裸で号泣している幼女の横に立っている、同じく全裸で笑みを浮かべている青年という絵面になる。これで変態認定回避する方が難しいわな。この状態の俺達が、一部の奴らを除いて誰にも見えないことが不幸中の幸いだけども。
「…………ふう、久しぶりにこんなにも泣きましたわ。お話し頂いてありがとうございます、アルシオン様。それで、話を聞いていてふと思ったのですが……」
と、泣き止んで冷静になった王女様が、今度は俺に質問をしてきた。
「私がこうして、貴方様と同じように霊体の姿をしているということは、私もスプリガン種の何かしらの作用が働いていて、私の肉体は今もどこかで健在ということになりますか?」
「あ、ああ……確かに、そうだな。そういうことに…………!」
言われて、気づいた。気づいてしまった。
思えば、実に単純なことだった。そうかそういうことだったのか。
「な、何か目の色が変わりましたけど……もしかして……」
「ああ…………少々情報が足りないが、分かったぜ。この事件の真────」
「私の姿を想像して、破廉恥なことでも思いついたのですか?」
「そうそう、真の犯人の狙いは王女様のちっぱ…………って何言わすんじゃボケぇぇぇぇ!」
思わずエセ関西弁混じりにノリツッコミしてしまった。不覚。俺関東の人間なのに。
「やっぱり破廉恥なことを想像していたんですね! ふしだらですわ! 不潔ですわ! 変態様ですわああああああ!」
「あああ騒ぐな喚くな荒ぶるな! 勝手に話のベクトルを逸らすでなああああああい!」
どんどんヒートアップしていく王女様の被害妄想に、俺も対抗して大声をあげた。あーもうめちゃくちゃだよ。こんな時間帯に何やってんだ俺達は。
互いにぜえはあと肩で呼吸するのに、数分とかからなかった。ホント、無駄に疲れたわ。
そしてようやく閑話休題。
「今朝ヴェネットの奴が言ってたんだ。前に作った野生動物を模した仮面を奪われたってな」
王女様が俺と同じ青透明の霊体になっているということは、ほぼ間違いなくヴェネットの能力が所以だ。
ただ、俺もヴェネットも、王女様の容姿はついさっき偽物が見せつけてくるまで全く知らなかった。この世界に来て日が浅い俺はもちろん、会ったことがない人間をヴェネットが仮面に変えられるはずがない。
そして、俺でもヴェネットでもないとすると、王女様の霊体化の原因は第三者ということになる。
だけど、ヴェネットが俺以外にそう易々と【仮面転生術】の力を授けるとは考えにくい。あの性格だしなぁ……。
では、第三者がどのようにして、ヴェネットの仮面の力を手に入れたのか。そこでキーになるのが【奪われた野生動物の仮面】だ。
「北の方────ノーザンエンパイアから来た何らかの組織が、あいつらの集落を襲った時についでに奪ってったらしいんだ。その仮面……というより、野生動物固有の能力の影響で、王女様がその姿になってしまったんじゃないかと思ったんだ」
俺がフレシアの姿になって身体を動かしている時、フレシア本人は霊体として出てくることはない。
だが、今も尚あの姿で動き回っているであろう王女様が、仮に俺らと同じ原理で変身している場合、本物の王女様の霊体が活動している事の方が矛盾してしまうからな。
そして、ここから南にあったというスプリガンの集落近辺の野生動物で、それらしい特殊な能力の持った個体がいたはずだ。それが分かれば、あの偽物とも対等以上に戦えるはずだ。
そのためには────
「ところで聞いておきたいんだが…………王女様、あんたは誘拐された時に、犯人に何かされなかったか? …………いや、言いづらいことなら無理はしなくていいんだが…………」
見え透いた予防線を貼って、言わない選択肢を遠回しに示唆したつもりだったが、自分のこと故に知っておいてほしいのか、それでも本当に言いづらそうに俯いたまま、ゆっくりと口を開いた。
「…………私は、あの男に…………丸呑みに、されましたの…………」
「丸っ……!」
……想像して、吐き気がした。
人間を、幼子とはいえ丸呑みにするだと。……下衆だな。
初対面の時の、王女の皮を被った偽物を……あの薄気味悪い笑い方をした奴を、俺と歳が変わらないくらいの男としてみると…………うええ、気色悪ぃ。
「呑み込まれるその時……あの男にそっくりの殿方が食べられていて……私、それを見て、何とも言えなくなってしまって…………」
「…………」
…………あまりにも悲惨な出来事に、俺も言葉が続かなくなってしまった。そりゃあ……そうだろうなぁ…………自分もそうだったらと考えると、多分同じことを思ったはずだ。
それにしても、丸呑みかぁ…………動物でそんな食事をするとしたら、ペンギンに、ペリカンに、鵜…………いやいや、なんで鳥類しか出てこねえんだよ俺! もっと他にもあるだろ!
あー図鑑かなんかねえかなぁこの世界に! それこそこの図書館に…………!
不意に、俯く王女様が大事そうに抱えている、そこそこ大きくて分厚い本に目が向いた。
そういえば、彼女はずっとその本を持っている。いや、もう少し分かりやすく言おう。彼女はずっとその本に触っている。
何故だ。俺と同じ青透明の霊体状態なら、霊体同士以外の物理的な干渉は出来ないはずだ…………いや待て。
この図書館の地下空間の床も、この状態のままタイル張りのそれに触れることができた。その原理もイマイチ不明だが、どうやらこの場所、この本に触れられる謎について、いよいよ核心に迫る時が来たのかもしれない。
そこで、意気消沈している王女様に、俺は思い切って話を切り出してみた。
「そういやぁさ王女様。あんたが大事そうに抱えてるその本は何なんだ? 霊体状態なら普通は触れないはずだろ?」
すると、話題が変わって話しやすくなったのか、王女様は顔を上げて答えてくれた。
「え、ええ。そうでしたわね。ただ、これはただの偶然なのですわ。私はただ、この本──歴史書なんですけど、その中身が読みたかっただけですのよ。ですが仰る通り、最初は触ろうとしても腕がすり抜けてしまい、持つどころか表紙をめくることすら出来ませんでしたの。そこで、お母様──シュプリム女王陛下より教わった、王家に伝わりし魔法のおまじないを唱えましたところ、何故かこの本には触れることが出来るようになりまして……」
なんだそんな事か、と言わんばかりの態度で話し始めるものだから、どんな胡散臭い話でも出てくるのかと思ったら、なんともメルヘンチックなオチが付いていようとは……。
「へぇー。そりゃあすごいおまじないだな。そりゃ一体どんな言葉なんだ?」
「こ、これは王家秘伝のおまじない故に、部外者に教える訳には…………いいえ、お互いこのような状況です。打破するためには、今は猫の手も借りたい気持ちは同じはず。いいでしょう、お教えします。王家に伝わりし魔法のおまじない、その言葉とは────」
────俺が、ほんのちょっとした好奇心で聞いたそのおまじないは、このディエスピラという世界をも揺るがしてしまえるほど、強大な力を秘めているなんて、この時はまだ知る由もなかったのだ────
「────【ユリイカ】」
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