第十四話 妖精少女は、揺蕩う心で愛を謳い、闇夜の影に立ち向かう
奴は、私から色々なものを奪っていった。
私の左腕を、私の右脚を、私の生命を、そして私の妹を。
……後で聞いた話だけど、この中で左腕のみを直接切り落としたミノタウロスのザヤルさんは、そいつに何かしらの洗脳を施されていたらしい。
彼自身は対峙した私のことを覚えておらず、それでも誠意ある謝罪の言葉をかけてくれた。「本当に申し訳なかった」と。
一時はミノタウロスを恨んでいたのも事実だ。だから私も、弟分だというスピネルさんも含めて誠心誠意謝った。
そこで私達は和解を果たした。地元に戻るという二人とは、いつかまた会えるかもしれない。
だがこれは、全てが終わった後の話。
奴との決戦は、これまでの狩猟による戦闘をも優に超越するほど、熾烈を極める戦いとなった。
あの日、アルくんの発案でスピネルさんに投げ飛ばしてもらった後、パトリフィアに差し掛かった段階で、私の意識は突然覚醒した。
あまりの出来事に焦ったけども、すぐに周囲を見渡して彼の名を叫んだ。
だけど、未だに勢いの衰えない飛行速度が、無慈悲にも空中で止まったままの幽霊状態の彼を置き去りにしていった。
やがて、推進力がなくなって身体が落ち始めた頃、意識を失う直前まで彼と揉めていたこともあってか、何も出来ない今の状況に耐えかねない苛立ちの矛先を、アルくんに向けて吐き出すことしか出来なかった。
そうして少しだけ落ち着きを取り戻した私が見たものは、あまりにも凄惨な光景だった。
今夜の戴冠式は、パトリフィアの中央に位置する噴水広場で行われる。
普段はカップルの集るデートスポットだったり、隅の方で出店が軒を連ねていたり、国内に数人いる大道芸人が子供たちを集めて芸を披露したりする、私達にとっては馴染みの深い場所だ。
数日前に聞いていた通り、噴水の近くに式台を設けて行われかけていたみたいで、その一番高い位置には、現国王で在らせられるシュプリム・ラ・パトリフィア女王陛下がお座りになられるための大きな玉座が鎮座している。
だけど、その玉座に陛下はおらず、ご本人はその前方の数段の階段で天を仰いで倒れられており、腹部の中央辺りに煩雑に抉られて穿たれた大きな穴から、大量の血が噴き出していた。
陛下とは別に、式台近くの地面にもう一人、同じく仰向けに倒れている人がいた。
右半分の髪の毛が赤く変化しているけど、確か新人のメイドさんで、ミュリンさんという名前だったかな。
彼女の着ているメイド服が、縦に真っ二つに下着ごと切られていて、更に右眼にまで届くほどの切り傷があって、陛下の容態とは違う理由で痛々しい。
お二方とも重傷だけど、一昨日の私だって左腕と右脚を失って、川に流されてからの翌朝、アルくんに助けられるまで生き続けられた経験があるのだ。エルフの人間はそう簡単にはくたばらない。それは、私が一番信じている。
だけど、長続きするとは微塵も思っていない。ミュリンさんに比べて、陛下の傷は治療しても手遅れなほどに重傷だ。
助けるには、アルくんに頼るしかない。
私も助けられた、ヴェネットちゃんの仮面の力に。
でも、アルくんの身体はこの場にあっても、肝心のアルくん本人の意識が、今しがた離ればなれになってしまったばかり。仮面の力の第一人者であるヴェネットちゃんに、藁にもすがる思いで任せるしかない。
その他の王城の使用人の皆さん、執事のヴィエラさんは尻餅を着いてるみたいだけど無事だし、メイドのフランさんは娘さんであるエルトさんを宥めているけど、こちらの二人も無事なようで安心。
問題は……倒れている陛下の傍らに立ち、私達を随分と楽しそうな笑みを浮かべて見上げているウルティア────いいえ、ウルティアの姿と、声と、プライドまで奪った誘拐犯。
そしておそらく…………私を殺したあの男……燕尾服なる衣装を纏って、谷底に落ちていく私を嘲笑っていた真犯人……!
私の中で、一連の事件の犯人が朧気ながら繋がったような気がして、これまで静かに蓄積されていた犯人に対する怒りが、とめどなく湧き上がってきていた。
そしてそれはいつしか、私が今まで一度も考えたことのない、衝動的で、背徳的で、それでいて本能的な願望へとすり変わっていった。
殺す……殺してやる……! 死体すら残らないほど切り刻んで、跡形もなくこの世から消し去ってやる……! と……。
私達三人は、何とか無事にパトリフィアの地に足を付けた。
……いいえ、ヴェネットちゃんだけは、最後までよく分からない言葉を発しながら地面に頭から落っこちて、頭部が全部地面に埋まってしまっていた……噴水広場はレンガが敷き詰められた地面なのに、何でヴェネットちゃんが落ちた地点だけ、下の土壌が剥き出しになっていたんだろう……まあ、ヴェネットちゃんなら無事だろうと思う。
その時の衝撃で、私達を覆い隠すように砂煙が巻き上がった。
丁度いい目くらましになると踏んだ私は、先手必勝のために犯人の元へ、着地から間髪入れずに走り出す。
相手に見切られないように、また反撃にすぐに対応できるように、煙の中で抜剣しておき、飛び出す瞬間にはもう切りかかっていられるように。
四本分の剣の重みにも少しは慣れて、短い距離なら全力とはいかなくても、ちょっとした小走りくらいには速く動けるようになった。障害物でもない限り、転倒する心配もない。
私は慣れた手つきで、左手を伸ばして取りやすい位置の剣を抜き、腰の高さで構えながら走り、踏み切って届く距離で跳躍して斬りかかった。
狙いは脳天。避けられても、肩口か腕のどちらかは捉えられるはず。
────もらった!
「────いい判断だが、甘いね」
だけど、相手は何も恐れることなく、私の攻撃に対して避けるどころか逆に反撃を繰り出した。
犯人は、私の攻撃とほぼ同じ瞬間に自らの持つ細剣で反撃に赴いていた。鏡に写したかのような対象的な剣閃を描いて、二振りの剣は激しい剣戟音を奏でる。
でも、刀身自体が大きく、縦に振りかぶっている私の方が強力なはずなのに、刀身が細くて横に振り払った犯人の攻撃に押し負けてしまった。それも、ギリギリの競り合いの末にではなく、私が無駄な抵抗をしていたかのように余裕綽々と。
「くっ!」
不意打ちのつもりだった初撃をいとも容易く反故にされ、少しだけ仰け反りつつも何とか体勢を立て直して着地した。そして、追撃を加えるべく低姿勢で駆け抜けて、今度は胴元に狙いを定めて突きを繰り出す。
それでも、犯人は死が怖くないのか、はたまた戦闘を楽しんでいるのか、突いた私の剣先を細剣の刃で撫でるように逸らしつつ懐に飛び込んできて、そのまま左腕に血の線を刻んだ。
長手袋が前腕の途中から裂け、滴る血が緑色の手袋を伝って垂れ落ちる。
互いの身体が交錯し、瞳孔を全開にして笑っている相手の顔が左横を通り過ぎた。
「まだまだぁ!」
偶然にも超接近したこの瞬間を逃したくなく、私は空になっていた右手を伸びきったままの左手に追いつかせ、剣を両手で持つとそのまま首元を狙って、ここぞとばかりの大振りで一気に切り払う。
今度こそ完全に後ろをとった。間合いも申し分ない。いける!
そうして確かに首元を捉え────ようとした瞬間、目の前のものが前傾して消え失せ、代わりに強い衝撃が襲いかかってきた。私の顔に。
「!?」
あまりにも一瞬の出来事だったから理解が追いつかなかったけど、よーく視線を動かして見たら、犯人は一切こちらを見ずに首を曲げて私の一撃を避けた後、そのまま上半身を前屈してその勢いで左脚を振り上げて回し蹴りを放っていた。
ポンチョ越しに頬を抉ってくるヒールの硬質な感触が、その辺りの筋肉をズキズキと痛めつけた余韻を残して、私は綺麗に広場近くの建物の壁面に蹴飛ばされた。
そして壁にぶつかった瞬間にも背中に強い衝撃が訪れ、どこか口内を切ったのか口から少量の血を吐いた。
「かはっ!?」
為す術もなく蹴飛ばされ、受け身も出来ずに壁に激突して、私はそのままレンガの地面に落下した。
この数日間の、アモルゴ大森林での狩猟とは訳が違う。
操られていたジャハラ兄弟に不意打ちで左腕を切られたのとも違う。
不意打ちも、正面の攻撃も、背後からの奇襲も、全部試して、全部返され、全部が圧倒的な実力差を物語っていた。
これが対人戦。これが経験の差。
……侮っていた。驕っていた。自惚れていた。
こんなにも弱いんじゃ、私は生命がいくつあっても足りない。
私はなんて……弱者なんだろう……。
「はっ! これがついさっきオレ────おっと、僕を見下ろして付け上がっていた女戦士と同一人物だとでも言うのかい? とんだ勘違いをしていたようだ。まさかこれが本気だとでも言うのかい? ウォーミングアップの間違いじゃないかな? 拍子抜けがすぎるよ、君」
犯人はウルティアの声音を使って、細剣を左手で受けたり放ったりしながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
表情は一変して落ち着きを見せてはいるが、奴の内面には陛下を瀕死に追い込むほどの残虐性の強い心も持ち合わせていることは、ここに落下している途中で見かけていた。
いつまたアレが表に顔を出すかもしれないかと思うと、武者震いが止まることを知らない。
だが奴は私を警戒しているのか、本当に近くに来たりはせず、大股三歩程で間合いがとれる程度にしか近づいては来なかった。
「ぐっ…………いい加減に……!」
「おやぁ、まだ立てるとは恐れ入ったよ。さっき森でお見舞いした時よりも綺麗に決まったはずだけどねぇ。キヒヒ。で、何かな?」
「いい加減に……正体を現しなさいよ! 貴様が妹を…………ウルティアを殺したんでしょ! その上女王陛下に……お母さんにも手をかけて、挙句ミュリンさんも…………許さない!」
地に伏せたままの私が精一杯の声量で叫ぶと、余裕そうに佇んでいた犯人が目を丸くして驚いた。
当然だ。この事実を知っているのは、私と、女王陛下と、亡くなったお父さんだけ。あんな奴が知っているはずがない。
「キヒヒ…………そうか……そうかそうか。妹ねぇ……お母さんねぇ……」
だけど、何故か奴は、それほど驚いた様子ではない。
「まさか……貴様……」
「キヒッ、ああそのまさかだよ。僕は君のことも、君の両親のことも知っている。初めて知った時は驚いたよ。まさか君がパトリフィア王家の正当な血筋を持った人物だったとはね。そうだろう、ウルティマ・ラ・パトリフィア王女。いや、今はウルティマ・ラ・フレシアという名前らしいね。そしてそれは────」
「────私の、父さんの形見だ……父さんは、普通の農家だった……真面目に、街で売るための野菜を栽培していた……至って、普通の…………」
私は、言葉を続けることを躊躇った。
だって、お父さんは何も悪くないのだから。お父さんは、至って普通に働いて、普通に恋をして、普通に……子を授かって…………。
「そう、あの男……エルダート・ラグーナ・ラフレシア……あいつさえいなければ……僕は…………パトリフィア王家の正当後継者として君臨しているはずだったんだ……! なのに……それなのに……あいつは……!」
犯人の男は、お父さんの名を憎たらしそうに口にすると、とんでもないことを言い放った。
奴が……この国の、正当後継者……? 何を言っているの……?
しかし私の疑問を他所に、男はフッと薄ら笑いを浮かべ、自らの考えを否定するかのように、顔の前で手を振った。
「いやいや、こんな事を言うために君の名を口にしたんじゃあないと思い出してね。まあまずは自己紹介といこう。まだここにいる誰にも、名乗った覚えがないと思うからね」
そう言うと、男の────ウルティアの顔が、段々と周囲の景観と同化していった。顔だけでなく、身体全体が衣装ごと輪郭すらも失って、やがて完全に視界から奴の姿が消失した。
エルトさんが口に手を当てて息を呑むのもつかの間、偽のウルティアがいた辺りから、今度は段々と、別の人物の輪郭が現れた。
全身に黒い燕尾服を纏った、年端もいってなさそうな好青年の男。頭に被った高めの帽子の鍔を、斜に構えて右手で押さえている。
左手で長めの杖を地に立てて、何故か右足だけ膝を曲げて爪先立ちをした、なんというか妙に癪に障る立ち姿をしている。
しかし、私はこの男のことを知っている。
先日、私の右足を切り落として、アモルゴ大森林からガリフ川上流の谷底へ落としたと思う張本人。
あの時、落ちていく私を嘲り、嗤い、亡き者にしようとしたヒュムノスの男。
私が知っているヒュムノス種で、今の身体を貸してくれているアルくんを除いて、こんな芸当が出来る奴は一人しかいない。
完全に実体化が済んで、男は言った。
「パトリフィアの紳士淑女諸君、ごきげんよう。僕はディエスピラの歴史に変革を齎す者達、【闇夜の影】が第七柱、擬態蜥蜴のギース・サクロム。以後お見知りおきを」
男の────ギースの言葉を受けて、目の色が変わったのは、ヴェネットちゃんを引っこ抜こうと悪戦苦闘しているクリスさんだ。
「ノクト・アンブラル……ですって……? 貴方、ギースって言ったわね……?」
「ええ、僕がギースですよ。それで、なんですか? スプリガンの生き残りのクリスティーナさん?」
奇襲戦の影響で、少し遠くに離れてしまった彼女の方を見て、ギースは面白そうに答える。
クリスさんは、両手で掴んでいたヴェネットちゃんの脚を放り、首があらぬ方向に曲がりそうになってくぐもった奇声をあげた彼女を気にすることも無く、怒気を含んだ声で叫んだ。
「なら……なら、ガブラスって名前に聞き覚えはある!? 貴方達の組織のリーダーだと思う奴よ。答えなさい……あの男を……ガブラスを知っているの!?」
「まあまあ、過度な憤怒は小皺の原因になりますよっと。キヒヒッ」
「何!?」
「おーおー怖い怖い。ただ……ガブラス? 僕は知りませんねぇ。僕はこれでも組織の中じゃ新顔で、まだどんな人達がいるのかよく知らないんですよ。それに、基本的に複数人での行動はとらないことを言われてましてね。だから僕は、組織に誘ってくれたバッシュという男しか知らないんですよ」
「……そんな話、誰が信用すると思ってるの?」
「信じるのは君らの自由だ。だけど、二つだけ嘘偽りないことを言うとしたら、僕は君らの集落を襲ってないし、襲ったという組織のメンバーが誰かも知らない。神に誓ってもいい」
いけしゃあしゃあと語りつつも、あくまで自分はよく知らないと主張するギース。
やっぱり気に食わないようで、クリスさんは吐き捨てるように小さく舌打ちしてから、全身を痙攣させて伸びているヴェネットちゃんの脚を掴み直した。
「さてと、そしたらそうだな…………悪いけど、君には消えてもらうよ、ウルティマ・ラ・パトリフィア。正当後継者になれなくなった僕は、君らの家族全員を殺すことにしか生き甲斐を感じなくなってね。もうあとは君一人だけだ。……故郷の土を、君の血で濡らしてやる。闇夜の下で、死に晒せ!」
私に向き直って改めて細剣を構えたギースは、剣の腹に滴る血を舌でひと舐めした後に、警戒していた間合いを二歩で詰めてきた。
そのまま頭部に鋭く迫っていた剣先を、私は横に転がって避けることで事なきを得る。
そして、空いている右手で地面を弾いて、無理矢理に身体を起こして立ち上がり、こちらも再び剣を構え直す。
「ほう、今の間合いでの一撃を避けるとは、僕が殺すには中々に惜しい人だよ、ウルティマ・ラ・パトリフィア。僕らの組織に加わるというのなら、君の命だけは保証しても構わない」
「お褒めの言葉をどうも。死んでも傘下に下る気はないけどね」
「ああそうかい。なら死ね」
いよいよ目が笑わなくなり、声のトーンもいくらか落ちたギースは、一瞬だけ全身が脱力したかのようにダラけた体勢のまま、前の方に倒れそうになっていた。
が、次の瞬間、あわや顔が地面に触れるのではというほどまで傾いたその時、ギースは左足を強く踏み込み、そのとても低い姿勢のまま全速力で間合いを詰めてきて、間髪入れずに細剣を振り払う。
動きをよく見て予測を立て、私はギースの攻撃が捉えてきそうな、首元への一撃を考慮して縦に素早く剣を振るった。
賭けは────ビンゴ。首に向かって横から来た細剣に、ドラグニルの刃は垂直に相対した。
しかし、剣戟音も控えめに響かせて、刃の衝突を抑えたギースの剣技は、すぐさま次の攻撃へと変遷していく。
「キーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャーッ!」
両眼とも刮目し、前歯が全て見えるほど開口した状態で、ギースは薄気味悪い笑い声を溌剌に発しながら、軽やかにステップを踏みつつ隙のない連撃を繰り出してくる。
ドラグニルはそこそこ重い剣のため、相手ほど軽快に扱うには難がある代物だけど、私はなんとか剣閃を見極めて、小さな挙動でギリギリ競り合いを続けていた。
でも、それが限界。こちらから反撃に出る隙が見当たらなさすぎる。私は相手の攻撃を全て見切るので精一杯だった。
すると、攻撃の手が緩んでいるわけでもなく、私が致命的な反撃をしたわけでもないのに、ギースの表情が少しずつ曇っていき、やがてそれが苛立ちへと変わっていた。
「何故だ! 何故だ何故だ何故だ!? 何故当たらない!? オレの剣技は、こんな弱小剣士に見切られるほど衰えてはいないというのに、何故だ!?」
「知らないわよ! こっちは防戦一方なの!」
「ええい、まどろっこしい! オレの剣は絶対だ! てめぇみたいな雑魚に、負けるかあぁぁぁぁ!」
その時、ギースに漂う雰囲気が、軽薄な落ち着いたものから、鈍重で純粋な怒りを感じさせるものに変わった気がした。
ただ、明らかに変わったこともある。奴の技の剣圧だ。
直前より比較的に大振りな攻撃が増えたため、少し読みやすくはなったので対処はしやすい。でもそれ以上に、一撃ごとの競り合いが押し負けるほど、ギースの剣は重く、硬く、強くのしかかり、私の防御を潰さんと何度も襲いかかってくる。
「ぐっ、ううぅぅぅ……!」
「オラオラどうしたぁ! そんな素人の剣さばきで、オレの剣を防いでたさっきまでの威勢はどうしたぁ!? あぁ!?」
勝手に絶望して、それで急に有利になると右肩上がりにつけあがる。そんなギースの傲慢さがうざったらしいと思いつつも、悔しくもそれを真っ向から叩き伏せられない自分の実力が口惜しい。
せめて、せめて奴が私に背を向けるほどの、大きい隙があれば…………。
「っっすっきゃありいいいいいいいいいいいいい!」
突然、意味が分からない奇声を絶叫したのは、何か棒状のものを頭上で振り回しているクリスさんだ。
そしてそれを両手で持って、自分もその場で回りつつ更に振り回し、思い切りぶん投げた。
「何だかよく分からないけど了解いいいいいいいい!」
…………その棒状の──いや、スプリガンのヴェネットちゃんは、無事抜けた首を確かめながら低空飛行し、とある方向へと一直線に向かっていく。
それは、私のお母さん、シュプリム女王陛下が倒れている式台の上。
そうか! ギースが私に気を取られている今なら、お母さんを仮面にして救えるかもしれない! いいよ、クリスさん!
そう思った私は、私が式台に背を向けるような位置関係になるまで、少しずつ移動しながらも攻撃を受け、敢えてギースにヴェネットちゃんのことを気づかせるようにした。
さすがにクリスさんがあれだけ大声で叫んでて、気づかない訳が無いとは思ってるけど……。
でもギースは、余程頭に血が上っていたのか、本当に飛んでいくヴェネットちゃんが視界に入るまで気づくことはなかった。
「な、何だあいつは! オレの女に手ぇ出しやがって! ぶっ殺してやる!」
……いつからお母さんはこの男の伴侶になったのか。
……何だか、急に冷めた。もうどうにでもなれ!
殺す殺さない以前の問題で、この男がますます気に食わなくなっていった。
ようし、こうなったら私も煽り返してやる。
「ちょっと! 私を無視して他の女に目を向けるなんてどういうつもり!? そんなに私がお気に召さないわけ!?」
「あぁ!? っるっせえな、何言ってんだてめぇは! そこをどけ! どかねぇって言うならてめぇも殺す!」
「ああそう、そんなにあの人が大事なのね! もう知らない! どこへでも勝手に行けばいいわ!」
……自分でも、ここまで恥ずかしいことを大声で言えるのかと思うと、小っ恥ずかしくて穴があったら入りたい!
いいえ、ここで千載一遇の機会を逃すくらいなら、私はどんな辱めでも甘んじて受けるわ。
とにかく早く行って欲しい。本当に大事に思ってるなら、だけど。
と、考えていると、吐き捨てるような舌打ちをして、ギースは私の前から姿を消してしまった。
慌てて後ろに振り返ると、低空飛行していたヴェネットちゃんが、式台の直前で落下していたものの、前転で着地して衝撃を抑えた後そのまま駆け出し、お母さんの元へとひた走る。
「この人を仮面に変えればいいんでしょ! じゃあちょっと、時間もないから失礼して……」
捲し立てるような早口で独り言をぼやきつつ、ヴェネットちゃんは恐る恐るお母さんにキスを迫る。
そして────およそ十秒後、ヴェネットちゃんは驚きのあまり刮目して叫ぶ。
「えっ!? 嘘!? 何で!? 何で私の能力がこの人には効かないのよ!? こんなこと今まで一度も────っ!」
何と、ヴェネットちゃんがキスをしても、お母さんは私のように仮面になることはなかった。
私の時はアルくんだったけど、その時と何が違うの。
彼女の説明では、ヴェネットちゃん、もしくはヴェネットちゃんからその能力を貰ったアルくんのどちらかが、左腕と右足を斬られて瀕死だった私のように、死にかけている人にキスをすれば、仮面に変わってしまうけど生き続けることが出来るはずだ。
なのに、今回は成功しなかった。ヴェネットちゃんも初めての経験のようで、原因は彼女も知らない何かということになる。
一体私や、ヴェネットちゃんの親御さんの時と何が違うの。
しかし、それを模索している時間をくれるほど、ギースは鈍感な奴ではなかった。
「こんのチビメスがぁ……! オレの女にあろうことかキスするなんてよぉ……ぜってえ許さねぇ! コイツを見なぁ!」
いつの間にか姿を晦ましていたギースは、突如式台の上に現れると、短い階段の上手に立ち、足元に望むヴェネットちゃんの頭上から、怒りを顕にした凄まじい表情で見下ろしていた。
その左手に、襟首を掴まれて苦しそうな顔をしている私を添えて。
…………って私!? いや、何で私が二人もいるのよ!
「あっ……ぐぁっ……!」
「コイツと今は仲間だっていうじゃねぇか、ヴェネツィア・レジーナ・マスカレード。スプリガンのてめぇが、どういう縁でコイツと繋がったかは知らねぇが、どうやらそれは間違いだったようだなぁ!」
どうやらギースは、自分が掴んでいる人物が本当に私だと思い込んでいる様子。本物は今、こうして傍観してるのに。
……あっ、そうか! あの人がわざと……そういうことね!
私が二人いるという状況に自分なりの合理性を見出した私は、それに感謝しつつドラグニルを構えて、ギースの元へと全力で駆け出す。
「ヴェネット……ちゃん……」
「ク……フレシア……」
「はっ、もうかける言葉もないってか? いいぜ上等だよ。お望み通り────目の前で殺してやるよ!」
ギースは、襟首を掴んだまま私を天高く掲げると、右手に自分の細剣を構えて、私の命を屠らんとしていた。
狙いは心の臓への一突き。この距離なら外れることはない。
普通なら、ね。
「死ぬのは────」
突然、私が掴まれている襟首に伸びる手を掴み返すと、反動を付けてから背中を勢いよく仰け反らせ、襟首の掌握を解くと同時に、空中でギースの左腕を無理やり引っ張って、ヴェネットちゃんとは反対の向きへと回転させられていた。
そして、無理やり変わった奴の視界には、猛突進している私が映り込む。
ギースが私に気づいた時は、既に胸元目掛けてドラグニルが突き刺さる一秒前。
「────貴様だ!」
ドシュッ
声色の変わった私に呼応するように叫んで、ギースの左胸にドラグニルの刃を突き刺した。
刃は奴の胴を貫通し、剣先から奴の血がポタポタと滴る。
刃に対する皮膚の抵抗が、握り締めたドラグニルから伝わってくる。
仕留めた。間違いない。これでようやく────
「────ようやく、君が二人もいる謎が解けたよ、ウルティマ・ラ・フレシア。まさか僕を出し抜こうとするなんて、考えもしなかった」
終わると思った絶望が、気を抜きかけたその時にやってきた。
確かに、私は奴にドラグニルを突き立てた。なのに…………。
「嘘……でしょ……? 生きてる…………」
何で奴は…………ギースは、流血し、心臓を貫かれても尚、天を仰ぐことを拒んでいるのよ……!
何で、倒れないのよ……!
「おっ、いいねその表情。藁にもすがる思いで必死に抗い、仲間にも頼って作った千載一遇の機会を、簡単に捻り潰してしまう圧倒的な脅威を前にして恐れ戦いているその顔が! 僕は大好きで大好きで、たまらないんだよねぇ!」
ここぞとばかりに、段々と大声で、語気を強く言い放つ奴の言葉一つ一つが、私の心に次々と大きな歪みを生み出していく。
遂にはギースから二、三歩後ずさり、奴の身体に刺さったままのドラグニルの柄を手放してしまった。
「あっ……あああっ…………」
「っ! フレシア! 気をしっかり保って!」
私に化けていたクリスさんが、顔の皮を破いて元に戻った声で叫んでいるけど、私の心はもうそんな気力も持ち合わせていない。
「私が……ここでお父さんで暴れるのは簡単だけど、勝てるかどうか…………くっ!」
お母さんの近くで、四つん這いの姿勢のまま状況を俯瞰しているヴェネットちゃんも、安易に戦うことが出来ない無力さに、歯を食いしばり拳を強く握り締める。
「ほらほらどうしたの? お仲間さん達はみーんな怖気付いちゃってるよ? 君が頑張って立ち向かって来なきゃねぇ。あっ、そうだ。君が士気を高められるように、特別にいいものを見せてあげよう」
「えっ?」
無邪気な笑顔で意味が分からないことを言ってのけたギース。
一体、何を見せようというの。
すると、奴は少し上を向いて口を大きく開いた。だけどその大きさは、ヒュムノスやエルフ、下手をしたらミノタウロスですら丸呑みに出来るのではと思うほどに巨大なものであった。
そうして開いた口の中から、唾液に塗れたあるものがゆっくりと、私だけに晒された。
それは…………いいえ、その人は、私が助けたいと思っていた存在。
私の、かけがえのない妹という存在。
そして今は…………小さな胸を血で濡らし、今にも息絶えそうなほどに弱々しく、二度と目覚めそうにないような安らかな眠りについている、儚い存在。
「ウルティア!」
「せいかーい。あのね、今すぐ僕を殺すとなると、君は大切な妹の命を自ら手にかけることに等しいんだよ。それだけじゃない。僕の中にはまだあと数人分の身体があるのさ。つまり、僕を殺せば君は、一生剥がれることのない箔が付くんだよ。大量殺人鬼、シリアルキラーという金箔がね!」
「…………外道がぁ……!」
「褒め言葉として受け取るよ」
狂っている。こいつは、相当に狂っている。
野放しにしてはいけない。これから先も、こうして被害者を増やしていくに違いない。早いうちに仕留めておかないと。
だけど、奴を殺せば、私は妹を殺してしまう。見ず知らずの人達を、殺してしまう。私の心を、殺してしまう…………。
「うっ……ううっ…………!」
殺してしまいたい。消えてほしい。もう辞めてほしい。
ただ、殺せない。消せない。恐らく、辞めることはない。
赦せない。悔しい。虚しい。それでも、妹が、他人が、自分が、愛おしい。
私は、どうしたらいいんだろう…………。
そう考えた時、自ずと溢れ出した涙が頬を濡らした。
その涙を皮切りに、全身の力がすっかり抜けて、私はレンガの上に膝から崩れ落ちた。
俯いた顔を無理やり起こすと、近くまで寄ってきていたギースの背後に映るものに、思わず目を奪われてしまう。
夜空。満天の星空、天頂に上り詰めた満月、それらを覆い隠すことなく霧散している雲。その全てが、美しかった。
この空の下で揺れる私の心なんて、空の広さからみれば大したことなんてないのかもしれない。
でも、私の心ひとつで空を見上げることが出来なくなる人達がいる。
それは変わらない。そして、変えられない。
ただ、たったひとつだけ、この状況を変えられる可能性があるとすれば、アルくんしか考えられない。
アルくんは────アルシオンは、死にかけている私を救ってくれた命の恩人、感情的になりがちな私を正面から止めてくれる広い心の持ち主。そして、ギースが本当に警戒をしていない、言い換えるなら、奴に勝てる可能性が、妹も他の人も全て救える可能性がある、最後の切り札。
「キヒヒッ。僕を殺そうとした悪役には、自らの刃で以て消えてもらうよ。……何か言い残すことはあるかい?」
(────絶望を嗤え。不幸を祝え。運命に喜べ。挫折を楽しめ。そうすれば────)
その声は、私を奮い立たせてくれた。
私を、更に泣かせてくれた。
私を、笑わせてくれた。
背中に感じる温かな違和感。でも、不思議な程に馴染むこの感じ。嫌いじゃない。
むしろ、好き。好き。大好き。
私は…………アルくんが……好き…………大好き……。
…………アルくん…………
「────愛してる」
(…………俺もだ。さて────)
────交代だ────
振り降ろされた、見慣れた剣の刃を、慣れた右腕で抜剣したお気に入りの剣で相対し、驚愕する相手の顔を一瞥する。
そうして、受け継いだ涙が乾く前に、俺は、言ってやった。
「────俺の大切な仲間を、泣かせてんじゃねーよハゲ」
ご一読くださり誠にありがとうございます。
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