第十二話 宵闇に溶ける、ある召使いの追憶、あるいは覚醒
数刻前まで喧騒に包まれていたパトリフィアでは、国中が静まり返り、今か今かとその時を待ち侘びていた。
今宵、次期国王の襲名を目的とした一大イベントが行われる。
パトフィリアのほぼ中央に位置する噴水広場、中でも城に近い北側に式台を設け、その壇上で現国王たるシュプリム・ラ・パトリフィア女王から、後継する王女ウルティア・ラ・パトリフィアへと王位が継承されるのだ。
国民の中には、今日という日をどれだけ待ち侘びたかと思いを馳せている者も多い。何せウルティア王女が幼い頃から、その愛くるしい顔立ちゆえに国民から親しまれており、まだ式が始まってもいないのに、感極まって泣きじゃくる者もいる。その大半が妙齢の女性のエルフなのは、自らを女王シュプリムに重ねて、我が娘同然に愛でる妄想に浸っていたからかもしれない。
しかし、別の理由で涙を流す者もいる。
未だにウルティア王女の行方が分かっていないからだ。
今から十日以上も前に、国民で一番の知名度を誇る農家のフレシアが、何者かに誘拐されたウルティア王女の救出に向かって以来、彼女もまた国に帰ってきていないことも大きい。
……いや、正確には一度帰ってきていた。見知らぬエルフ二人を従えて。
だがその事実も、国民の一部の目撃情報で留まり、城の自室でシーツを濡らすほどに泣いていた女王の耳に届くことは無く、式が始まろうという今となっても、フレシアを見たという者は名乗り出してはいないのである。
「……あの子はまだ、戻って来ないのね……」
自分と、王城で世話をして貰っている執事ヴィエラ、そしてメイドの女性三人を除き、壇上に他にもう一人いるべき人物の存在を憂うシュプリム女王の声は、そんな一部の国民には痛切に感じられた。
式台より、更にもう一段高い位置にある玉座に佇む女王は、足を組み替えた後、肘掛けに置いた左腕で頬杖をついた。
心配しすぎて疲れたのか、表情だけでなく態度にも現れはじめた女王の憂慮が、国民の不安を一層駆り立てる。
そんな時だった。
「よっ!」
パトリフィアは、北にある城はもちろんのこと、東西と南に位置する大きな門に通ずる大通りや、国内の裏道を除いたほとんどの道が、噴水広場から放射状に伸びるようにして繋がっている。
その中で、東門の大通り沿いに並ぶ住居の屋根から、たった一度の跳躍で、千人近くにのぼる広場の群衆を飛び越えて、壇上の上に颯爽と現れる者がいた。
ヒールによる硬質な着地音も、最小限に抑えるほどゆったりと目の前に降り立った人物を見て、シュプリム女王は開いた口が塞がらない。
「……ウルティア……? ウルティアなの……?」
女王の至極当然の疑問に、広場中のエルフたちが息を呑む。
当の本人は、長手袋を纏った両手でドレスのパニエを叩いている。そして顔を上げ、さも当たり前のような笑顔で答えた。
「そうですわ、女王殿下。……いいえ、お母様。ただいま帰りました」
その一言は、わなわなと震えていたシュプリム女王を制し、彼女の────ウルティアの元へ駆け寄り、涙ながらに抱きしめさせるには十分であった。
二人の姿を目に焼き付けた国民たちは歓喜に沸き、使用人の四名も拍手を送った。ヴィエラに至ってはハンカチで涙を拭っている。
「ウルティア! ……ああ、ウルティア……私の娘……この数日間、あなたのことをどれだけ考えたでしょう……」
一夜にして何処かへと消えた自分の娘。来る日も来る日も人目を忍んで涙を流し、生命あることを祈っていた娘。そして、彼女を誘拐した輩から命からがら逃げ出して、ついに眼前に舞い戻ってきた愛しの我が子。
女王の脳内は、ウルティアが誘拐されていた間、積もりに積もった娘への愛情で溢れていた。
「ウルティア。あなたが無事で本当によかった。そして、今日という日にあなたが戻って来てくれてよかった。これで心置き無く、パトリフィア王家に伝わるこの王冠、【夢魔の簪】をあなたに託せます。……もう、今ここで死んだとしても後悔することはないでしょう。あなたに再び会えることが、今生の願いだったのですから……なんて冗談も、今なら許されますかね? ふふふ……」
抱きしめていた右手を口元に添え、素の表情で嬉しそうに口を滑らせるシュプリム女王に、集まった国民たちはどっと笑った。ヴィエラら使用人たちは、本気で、死ぬおつもりですかと考えさせられたようで、冗談だと分かり盛大に胸を撫で下ろすも、一抹の不安を拭い切れずにいた。
何か、女王の身に危険が迫っているかのような、嫌な予感が神経を強ばらせているのだ。
中でも特に顕著に顔に表れている人物が、パトリフィア王家に仕える三名のメイドの中で、最年少のミュリンである。
先代女王シュプールの時代から仕える最年長のフランと、その娘エルトを先輩に持つ彼女は、昔から肝の据わりが悪く、ちょっとしたことですぐに怖気づいてしまい、極端なほどに神経質な性格も相まって、仕事においては日に何度も失敗を積み重ねていた。また、霊感も強いのか、夜勤業務だけは、「お化けが浮いているのを見たくない」という理由で頑なに断り、誰よりも早く布団に全身くるまって眠りにつくのだ。
本当なら、宵を迎える時間帯に行われるこんな式など、夜が嫌いなミュリンにとっては、仕事と言えども出たくないものであった。
そんな彼女だからこそ、他の誰もが気づかない、抱き合っている女王本人ですら気づけない、ほんの些細な変化に気づくことが出来たのだろう。
ウルティアが一度も、否、一滴たりとも涙を流していないことに。
およそ二週間近く、自分の親とすら会えない期間が続き、その後ようやく会えたとなると、自分はもちろんのこと、普通なら泣いて喜ぶはずだ。しかし、眼前に映るウルティアの顔には、涙は滴ってはいない。それどころか、笑顔を形作っている表情の内、口角がどんどん上がり、それを不気味なものへと印象づけている。
────ウルティアお嬢様は、この状況を面白がっている?
自分以外、誰も気づいていないこの違和感に、ミュリンは焦りを隠せずにいた。
このままではまずい。誰かがどうにかしないといけない。でも、自分にはどうしようもできない。
秀でた才もなく、メイドの端くれに過ぎないミュリンは、その無力感に絶望するしかできず、ただただ冷や汗が額に滴る。
だが、運命は容赦のない現実を叩きつける。
「……あら、どうしたのウルティア。何か嬉しいことでもあったの?」
抱擁を解いて、改めて我が娘の顔を窺ったシュプリムは、その表情が終始笑顔であることに気づいた。余程自分と再会できて嬉しいのだろうか。
「はい、お母様。今日は本当に素晴らしい日ですね。だって────」
刹那。
集まった国民たちは、その一瞬で何が起きたのか分からなかった。
「────あの国外追放されたクソ野郎と結ばれたてめぇを! オレの純情を土足で踏み躙ったクソババアのてめぇを! この手でぶっ殺せるんだからなぁ!」
後日、一人の男性エルフがこの時起きたことをこう語った。
──気がついた時には、女王が胸元に剣を突き立てられた状態で倒れていて、その傍らに、大量の返り血を浴びた王女が、悪魔のごとき形相で女王を睨みつけていたんですよ、と。
瞬く間に起こった大胆不敵な女王暗殺事件は、その場に居合わせた誰もがその瞬間のみを捉えることが出来ないまま、あまりにも絶望的な余韻を残して終わってしまった。
「い……!」
「いやあああああああああああああああっっ!」
フランが喉元で堪えたものの、エルトが耐えきれず叫んだ金切り声を皮切りに、噴水広場から我先にと遠ざかるエルフたちで、パトリフィアはパニックに包まれた。
王女が女王を刺殺したことは、彼女の目を見れば明らかである。無論、そんなことをするなんて何かの間違いだ、とは思うものの、目の前に降り立った圧倒的な畏怖の対象から逃げんとする、原始的な本能に逆らえることもなく、円形の広場からは当事者二人と、従属する四人を除く全国民が姿を消した。
だが、背後から刺される恐怖も無きにしも非ず、怖いもの見たさとは別の感覚が作用したのか、皆が広場を後にしたものの、その動向を窺うべく通りから眺望する者は何百かは残っていた。
「キ……キヒヒ……キーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! やった! ついに殺ったんだ! はっ、ざまあみやがれってんだ! オレを誑かした罪はでけえんだよ! 玉座でいい気になってんじゃねぇよ、クソビッチがっ!」
顔にドレスにと、全身でシュプリム女王の返り血を浴びたウルティアらしき人物は、一際大きく空に轟き、身振り手振りを感情のままに演舞し、心のままにあらゆる罵詈雑言を吐露する。
「なんということだ……!」
「いや……いやぁ……」
「エルトや、しっかりなさい! あなたがそんな調子でどうするの!」
「…………」
ヴィエラが凄惨な光景を目の当たりにして恐れ戦き、膝から崩れ落ちたエルトは、頭を抱えて泣きじゃくる。そんな彼女を母親であるフランが叱りつける。唯一ミュリンだけは、こちらを見ていない、否、見向きもしないで女王に対して感情をぶつけ続けるウルティアらしき人物を見つめていた。
────私に、この状況を変えられるだけの力があれば……!
ないものねだりなら、この数日間何度も繰り返した。しかし、そんな天啓を授けてくれる神などいないと知っている。
何故、この国は武力を持たないのだ。一人でも兵者がいれば、女王が死ぬことは、それ以前に王女の身柄を無事確保することができていたのではないか。
もちろんこの事実に関しては誰も悪くない。よくは知らないが、建国当時からこの国は武力を放棄していたと風の噂として耳にする。だが女王が、大臣も兼ねるヴィエラとこの話で衝突しているのは、自ら見たことがあるのも事実。無論、結論は未だなしである。
「くっ……」
無力な自分はこんなにも情けないものなのか、苦虫を噛み潰したように顔を歪ませたミュリンは、長手袋に包まれた両の手を強く握りしめた。
そんな時であった。ウルティアらしき人物が、仰向けに倒れているシュプリムに突き立てられた剣を抜いて、胸元をヒールの先で踏み躙ろうとしていたのは。
「オラ何とか言えよ! エルフの女王様がこの程度でくたばるわけねぇよなぁ! それとも何か? 『もう歳だから動けましぇん』とでも宣う気か!? はっ、とんだ臆病者だったみてぇだなぁ! オレの初恋返せやぁ!」
圧迫される度に、シュプリムの胸元から大量の血飛沫が噴き出す。更なる返り血もお構い無しに、ウルティアらしき人物はげしげしと、脚で傷口を抉り続ける。
「やめて…………」
女王様が、シュプリム女王様が、ウルティア王女の姿をした化け物に、襲われている。
止めなきゃ────私が。
「やめてよ……!」
でもどうしよう。武器もない。特技もない。魔本も読めない。
あるのは、この身体だけ。他には何も無い。ならどうするか。
「やめなさいよぉぉおお!」
────とりあえず、動いてから考えよう。動け、私!
ミュリンは駆ける。
ウルティアの姿をした化け物に怒りを覚えたからか、違う。
自らを召使いとして使役してくれた、シュプリムを救いたいからか、違う。
何かにつけて屁理屈をつけて、立ちはだかる壁に当たらず、冒した失敗を省みず、一切の行動を起こさない、過去の自分が心底許せなくなったからだ。
たとえ自分がやらなくても、どうせフランさんかエルトさんがやってくれる。たとえ失敗しても、ヴィエラさんに怒られるだけだ。たとえ壊してしまったとしても、ウルティア様は笑って許してくれる。
そんなことじゃダメだ。自分がやれば、皆の負担も減る。失敗したって、そこで諦めたらいけない。笑顔の裏で、泣いている王女様を私は知っている。こんな私じゃダメだ。
今だってそう。最高齢のヴィエラさんは危ない。エルトさんは泣き崩れていて頼れそうにない。フランさんも、娘さんの介抱で離れられそうにない。私がやらなきゃダメだ。
そのためには、私は殺さなければならない。
過去の自分を、あらゆる現実から逃げてきた自分を、未来に希望を見出せなかった自分を。
その顔を、常に下を見ていた顔を、前を見ることを嫌ったその顔を、この細腕の拳で殴り飛ばしてやる。
目の前に佇む、下を向いた自分。丁度いい。振り返ったところで上手く当たるように、振りかぶる。
こちらに気づくように、全力で叫ぶ。内容なんてどうでもいい。
過去の自分を今ここで殺すんだ。未来は、上を向いて歩めるように。
「はああああああああああああああっっっ!!」
「「ミュリン!」」
「あの子……!」
周りの声も、今の彼女を止めるほどの力を持たない。
もう止まらない。止められない。空前絶後の一大決心をしたミュリンの心は、対象を捉えた拳に乗せて宵闇に輝いていた。
だがやはり────ある程度の予感はあった。
そいつは、ウルティアの姿をしたそいつは、振り向きざまに一閃、シュプリムの身体に突き立てられていた細剣で、下から上に斬り払う。
その太刀筋は、ミュリンの着ていたメイド服を真っ二つに斬り捨て、そのまま右眼まで一直線に到達し、振り払った剣圧で彼女を吹き飛ばしてしまうほどに強烈なものであった。
「……うるせえよ」
ただ一言。非常に低く、しかし耳に残り、よく通る声色で、その者は隠しきれないほどの怒りを顕にした。
本当に、この声があのウルティアと同じ声帯から発せられているのかと、耳を疑うほどに聞き馴染みのない声音に、竦みながらも立ち続けていたヴィエラでさえ、ついには愕然とした顔色を窺わせて、その場に尻餅を着いていた。
一時的な幻想が霧散し、圧倒的な力の前に為す術もなく宙を漂う現実を再認識したミュリンは、走馬灯のように淀み無く湧いてくる悔しさに、奥歯を強く噛み締める。
────ああ、やっぱり私は何の役にも立たなかった。────痛い。辛い。悔しい。でも…………嬉しい。
私は、私を殺したんだ。その証拠は、この痛み。
本当はものすごく痛い。だけど、この痛みすら恐れていた昔の自分は、もういない。
私は、私を殺したんだ。
だから、これからは上を向いて歩くんだ。
だから、これからは未来に希望を抱くんだ。
だから……だから…………!
「私は……強く…………なるんだああああああああああ!」
その時、ミュリンは右眼に一際強烈な痛みを覚え、仰向けに地に落ちたのち、その場でのたうち回りたくなるほどの衝動的な苦しさに見舞われた。
するとどうだろう。おおよそ眼球にまで斬撃が届き、二度と日の目を見ることがないだろうと自身で感じていた右眼が、ゆっくりと瞼を開いて再び相見えたのだ。
今なお大量に溢れ出る傷口からの血と、感傷的になるあまり目元から零れ落ちる血涙が、ミュリンの右眼を赤く、紅く、朱く染め上げ、澄んだ紅色に変質したそれは、悪魔のごとき禍々しさを放っていた。
右眼の変化の影響か、それとも自身の血に染められたのか、彼女の頭髪の右半分が、根元から鮮やかな真紅に変色し、素の色である薄い黄土色とのグラデーションが、何とも異質な存在感を表している。
一連の変化に、ミュリン自身はあまり実感を感じてはいなかった。単刀直入に、客観的に自分の顔を見る手段がないからだ。だがそれよりも、視界の隅に映る偽物のウルティアが多少なりとも狼狽えていることに気づくよりも、ミュリンの意識を奪う存在があったからだ。遥か上空に。
それは、雲一つないこの夜空の下、星明かり月明かりが燦然と煌めいているにもかかわらず、漆黒の帳の隙間を縫うように落ちている。ミュリンの左眼では、当然のようにその輪郭すら捉えることはできなかった。
だが、血に染まり変質した今のミュリンの右眼は、まるで日中の快晴の蒼空の下に落ちる物を見るかのように、ただ今真っ逆さまに落ちて来ている三人の女性の姿を、鮮明に捉えていた。
その内の一人、腰の左右に四本もの剣を据えた人物が誰かを認識した時、ミュリンは左眼からも溢れんばかりの涙を流す。
今日の昼間、風の噂に聞いたその人物の帰省の話。
城で憂鬱な日常を過ごしていたミュリンは、秘密裏に会いに行きたいとさえ思っていた。
理由は、謝るため。
ウルティアが姿を消したあの日、最初に彼女の部屋を訪れたのは、他でもないミュリンだった。
あの日、交代制の城内の夜間パトロールを不貞腐れながら行っていたミュリンは、ウルティアの部屋の前を通りかかった際に、扉が閉まっているにもかかわらず、隙間風が漏れていることに気づいた。
気になって扉を開けると、そこには今まさに口を手で封じてウルティアを攫おうとしている若い男性の姿があったのだ。
外側から窓ガラスを割り、部屋を荒らすこともなく目的を遂行している辺り、あらかじめ綿密に練られた計画的犯行だったのだろう。
しかしミュリンが見た時点で、男はすでに窓の外へと飛び出している最中だったため、本人は彼女の視線に気づくことはなかったようだ。
それでも、空中に繰り出した男が抱き抱えるようにして持っていたウルティアと目が合ったからには、黙って見てはいられなかった。
「ウルティアお嬢様!」
だが、脱兎のごとく素早い動きで音も立てずに遠ざかっていく男に呆気にとられ、お互いがお互いに気づいているにもかかわらず、その声が本人に届くことも、口を抑えられた彼女の声が聞こえることもなかったのだ。
犯行の一部始終を垣間見てしまったミュリンは、割れた窓から流れてくる冷えた夜風に打たれつつ、膝から崩れ落ちて啜り泣き、その日はウルティアの部屋でそのまま一夜を明かした。
翌日、ミュリンは夜が明けてから部屋を訪れたことにして、自分が本当は不審人物を見たという事実を周りに隠すことにした。
それが、ミュリンにとって心残りとなり、結局誰にも打ち明けることが出来ないまま、フレシアが旅立ち、仕事をしながらウルティアのことを憂慮し続け、そうして今日この日を迎えたのだった。
だからこそ、一番自分の思いの丈を聴いて欲しかったフレシアには、心の底から謝りたい気持ちで一杯なのだ。
せめて彼女だけにでも打ち明けていられたら、この悶々とした感情も少しは落ち着けられただろうか。
もちろん、今更言ったところで許して貰えるとも思ってはいない。
それでも、空から落ちてくる女性の一人がフレシアだと気づいた時、自然と涙が溢れ、ある言葉が口をついて何度も何度も出てきていた。
「ごめん……なさい……フレシア様…………ごめん……なさい……」
か細い泣き声で、何度も、何度も。
そして、いよいよ意識が朦朧とし始め、気が遠くなりかける寸前に、ミュリンはただ祈りを捧げた。
────お願いします、フレシア様…………あの化け物を……ウルティアお嬢様を攫ったあの男を…………倒して…………。
血染めの右眼と真紅の髪を得た一人の女性は、ついに限界が訪れた意識の奥底に沈んでゆき、空から舞い降りている救世主に思いの丈を綴り、そして深く、でも安らかな眠りについた。
そんな、絶賛落下中のフレシアは────
「アルくんのおおおおおおおおおおおお、ばああかああああああああああああああああ!」
「あばばばばべばだらがまべでだがざばばなだらばらまだがあ!」
「いやああああああああああああああああああっほおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
────空気抵抗を顔面で浴びて、ブルドッグのような縮れた顔で何かを呟いているヴェネットと、大の字に四肢を広げてハイテンションで状況を楽しんでいるクリスを尻目に、どこかへ消えた瑞樹の存在を嘆くのであった。
ご一読くださり誠にありがとうございます。
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